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 「Katsumi_Egi」さんのコメント一覧 登録数(1441件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]ウインド・リバー
 羊たちKatsumi_Egi (Mail)2018-08-02
 【ネタバレ注意】
 息子に馬の扱いを教える(かつ、馬が息子に馴れるように調教する)という感動的な場面を持つ、雪のワイオミングを舞台にした現代西部劇。しかし、西部劇的意匠以上に、『羊た・・・
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 息子に馬の扱いを教える(かつ、馬が息子に馴れるように調教する)という感動的な場面を持つ、雪のワイオミングを舞台にした現代西部劇。しかし、西部劇的意匠以上に、『羊たちの沈黙』の後裔であるという感覚が強い。ずばり、羊の群れの場面から始まるのだ。  主人公はあくまでもハンターのジェレミー・レナーであり、基本的にはレナーの過去の出来事を絡めながら、彼のプロとしての振る舞いでプロットを牽引する。一方、若い女性のFBI捜査官として、エリザベス・オルセンが登場し、彼女の成長がもうひとつの焦点となるのだが、単に、まだ未成熟な女性FBI捜査官という意味で、ジョディ・フォスターを継承しているというだけでなく、本作の演出的な最大の見せ場が『羊たちの沈黙』でジョナサン・デミが行った時空の「すり替え」の継承なのだ。それもあからさまに、ドアのノックというアクション、ドアの内外という異空間を起点にするところまで同じであり、模倣じゃないかとも思われるが、本作では、全編で唯一こゝだけがフラッシュバックで繋がれる処理ということもあって、その演出効果の鮮やかさにおいて、甲乙つけがたい出来だと思うのだ。  さて、このトレーラーハウスのドアを挟んだ銃撃戦シーンの演出についても銘記しておくべきだろう。オフからの2つの銃撃が見事だ。初っ端の、ドアの向こうから、オルセンが撃たれる部分と、トレーラーの外部にいるレナーが、内部へ撃ちこみ、敵が吹っ飛ばされるカットを指している。簡潔かつスピード感溢れる巧い演出だと思う。  尚、エピローグでレナーのネイティブの友人が「死の化粧」をしており、「教えてくれる人がいなかったから、見よう見まねでやった」というような科白があるのだが、これは複雑な情感をもたらす科白で唸った。このエピローグもとてもいい。
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[002]パンク侍、斬られて候
 念動力Katsumi_Egi (Mail)2018-07-21
 
 冒頭の街道の場面での、綾野剛と近藤公園のフルショットでのシネスコの使い方も良いと思うが、それ以上に、中盤までの屋内での画面造型とカッティングが面白い。例えば、豊川・・・
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 冒頭の街道の場面での、綾野剛と近藤公園のフルショットでのシネスコの使い方も良いと思うが、それ以上に、中盤までの屋内での画面造型とカッティングが面白い。例えば、豊川悦司と綾野のシーンの、2ショットでのカット割り。或いは屋内望遠カットの圧縮感も。しかし、豊川は絶好調だ。國村隼の台詞回しもあらためて上手いと感じる。染谷将太もコメディパートとしては良い役で、この人が一番笑わせる。結局、中盤あたりまでは、そのぶっ飛び加減がかなり面白い映画だ。おおよそ、茶山−浅野忠信(登場のインパクト!)が出てくるあたりまで、或いは、ナレーションがデウスという名の猿だった、ということが分かる辺りまでか。デウス登場の際、目のアップで、これは間違いなく永瀬正敏の目だ、と分かる見せ方も(メイク含めて)とてもいい。  ただし、後半のカオスの表現はもっと効果的な見せ方があるんじゃなかろうか。デジタル処理は安っぽい。あと、北川景子の登場シーンの照明は、イマイチ。なんか黄色っぽい画面が嫌だ。また、北川への寄り過ぎの構図が目立つ。ダンスが変なのはいいが、この人だけ肌の露出度が低い、というのはどうだろうか。  その他、杓子定規な殿様・東出昌大、北川に惚れる密偵・渋川清彦、念動力を使う若葉竜也含めてキャラクターの描き分けと、きちんと見せ場を用意する演出は、大したものだと思う。
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[003]ジュラシック・ワールド/炎の王国
 エレベータKatsumi_Egi (Mail)2018-07-21
 【ネタバレ注意】
 これはシリーズ中でもかなり面白い、良く出来た活劇。殆ど弛緩することなく、驚くべきアクション場面が繰り出される。  冒頭は真っ暗な水中。光のカットがあり、海底探査艇・・・
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 これはシリーズ中でもかなり面白い、良く出来た活劇。殆ど弛緩することなく、驚くべきアクション場面が繰り出される。  冒頭は真っ暗な水中。光のカットがあり、海底探査艇が現れる。海の中の門が開き、前作で海に沈んだインドミナス・レックスの骨の一部が採取される。この後のアクションで、まず度肝を抜かれるのだが、同時に海中の水門が印象付けられるのだ。そして、続くブライス・ダラス・ハワードの登場はエレベータで、扉に挟まれそうになる演出だ。というように、全編に亘って、左右、上下のスライド開閉扉のモチーフが沢山出てくる。ラプトルの檻の扉は前作でも印象深い使われ方だったが、死活の境界線としての、ドアを使ったスリル創出が本作の肝だろう。本作では、恐竜の檻の扉だけでなく、島のシーンでは、あの丸い乗り物(ジャイロスフィア)のドアを絡めた場面も指摘できる。或いは、後半の邸宅の中の部屋にある荷物用の小さなエレベータだとか。  そして本作で新たに登場する怪物は、前作のインドミナス・レックスをさらに凶暴狡猾にしたインドラプトルというハイブリッド恐竜で、体が小さめなので、敏捷性も増しており、屋内のアクションシーンで上手く機能するようにできている。足の爪を床に打ち付けてリズムを取る音が不気味な効果を発揮する。ヴェロキ・ラプトルの生き残り、ブルーとの対決がクライマックスだが、その帰結は、第一作(『ジュラシック・パーク』)のラストを思い出させる、標本展示を使った演出だ。(さらに『ダーティハリー4』も想起させる)  エンディングは、かなり放りっぱなしの感があり、好悪が分かれるところだと思うけれど、これはこれで良いと思う。この続きは無い方が良いと思う。
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[004]女と男の観覧車
 日照り雨Katsumi_Egi (Mail)2018-07-14
 
 劇作家志望の海水浴場監視員ジャスティン・ティンバーレイク=ミッキーによるカメラ目線・モノローグの進行は相変わらず鬱陶しくて、好きになれないのだが、ヴィットリオ・ス・・・
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 劇作家志望の海水浴場監視員ジャスティン・ティンバーレイク=ミッキーによるカメラ目線・モノローグの進行は相変わらず鬱陶しくて、好きになれないのだが、ヴィットリオ・ストラーロの超絶照明には驚愕する。  遊園地のネオンサイン等電飾の光の氾濫が、多くのシーンで短い時間間隔の中での照明変化を納得させる理屈になっているのだが、車の中の、ミッキーとジュノー・テンプル=キャロライナのシーンでは、車外は夕立だが、徐々に日がさして日照り雨になっていく。それを車中の窓越しの光で表現する光の扱いには驚く。  クライマックスは、ラスト近くの、ティンバーレイクがケイト・ウィンスレットの家を訪ねて来てからの、二人のやりとりのシーンだろう。ウィンスレットのモンロー風のドレスの下からベージュの下着がはみ出している風情が常軌を逸した感覚を上手く醸成しているし、二人のオーバーアクトもまあ見応えがあるのだが、多分ステディカムなのだろう、二人を追いかけるシーケンスショットの画面は、多くは寄り過ぎ(もうちょっと引いてほしいと思うレベルのアップ)でフィクスになる。当然カメラオペレーションはストラーロじゃないし、真実は分からないのだが、このシーケンスショットの構図の選択は、アレンのもの(ディレクション)だろうと思うと、矢張り、ストラーロだけでは、映画足りえない、と思えてしまう。同じような演劇的な場面の演出であれば、まだアルトマンの方が映画だ。  また、焚火・火遊び好きの息子の扱いについては絶妙だ。この子の存在は『ラジオ・デイズ』を思い出させるし、ティンバーレイク以上に、アレンの分身として存在していると思える。そう考えれば、ラスト、ラストカットでも突き放して終わるエンディングは、主要登場人物全員を突き放しているにとどまらず、アレンが自分自身を突き放しているということだろう。 #冒頭から、ジュノー・テンプルの登場と歩行シーンは、『悲しみは空の彼方に』を思い出さずにいられない。
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[005]ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー
 拳銃さばきKatsumi_Egi (Mail)2018-07-14
 
 雪の西部劇であり、砂浜の(海の見える)西部劇。予告編を見た時から、他ならぬロン・ハワードの西部劇なのだから、悪くなろうはずもないと確信したが、期待に違わぬ出来栄え・・・
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 雪の西部劇であり、砂浜の(海の見える)西部劇。予告編を見た時から、他ならぬロン・ハワードの西部劇なのだから、悪くなろうはずもないと確信したが、期待に違わぬ出来栄えだ。  まずは、光に対しての自覚的な演出に引かれる。巻頭は黒画面にスパーク。続くシーケンスは、夜でずっとローキーだ。ソロ=アルデン・エーレンライクもヒロインのキーラ=エミリア・クラークも顔がよく見えないレベル。しかし、ウォームの女王に尋問されるシーンで、ソロが石を壁に投げ、いきなり光が射し込むのだ。この光の扱い良し。  その後のカーチェイスもまずまずの出来だが、戦場のシーンで、ウディ・ハレルソンとタンディ・ニュートンが登場してからの前半部が矢張り良く出来ている。チューバッカとの出会いを経て、列車強盗にいたる、雪の西部劇のシーケンスが白眉だろう。(ただし、このシーケンスの最後に、ハレルソンに「殴って悪かった」等と云せてしまうロングショットは、ロン・ハワードらしい甘さを感じる)  中盤はスペースオペラらしい宇宙活劇部分も盛り込まれるが、ドロイドL3にまつわる部分は、私には理に落ちた感がし、少々興醒めだ。惑星ケッセルからの脱出行で、ミレニアム・ファルコン号の操縦席のソロの横に、チューバッカが座るシーンには感激したが。  そして、舞台が海岸のある砂丘、コアキシウム精製施設のある星に移ってからが盛り返す。何と云っても、この場面の風がいい。このような画面の触感を楽しむことが映画を見る快感だ。まるで、アメリカ先住民(インディアン)のような人々。盗賊エンフィス・ネストが忽然と再登場するカットも怖さが良く出ている。  ラストの決闘シーンは、その簡潔さが良いのだが、ただ、こゝはもうちょっと派手に演出しても良かった。しかし、ホルスターから抜いて撃つ、という定番の銃の早撃ちを演出しなかったのは、考えた上での判断なのだろう。思い起こしてみると、ハン・ソロは、惑星タトゥイーンのモス・アイズリーの酒場で登場した際、ホークス『脱出』のハンフリー・ボガートや、フォード『シャイアン』のジェームズ・スチュワートのように、テーブルの下から相手を撃つ、という、ある意味卑怯だが、早撃ちの決闘とは対極の、実利的な(そしてある種アイロニカルな)演出がほどこされていたわけで(この際、どちらが先に撃ったのか、という事柄は置いておくとして)、早撃ちの拳銃さばきの見せ場は、ジャンゴ・フェットの特権なのかも知れない。いずれ、そのクローンである、ボバ・フェットが見せてくれることを期待したい。  或いは、本作のハレルソンは、戦場での登場シーンで見事な銃さばきを見せるだけに、ラストの決闘シーンでも期待をさせるのだが、矢張り現代西部劇としての慎ましさを示した演出なのだ。リー・マーヴィンもジョン・ウェインも死んでしまった後の西部劇なのだから。 #西部劇は1976年に『ラスト・シューティスト』で息の根を止められたが、その2年前に、『スパイクス・ギャング』によって瀕死の重傷を負わされている。リチャード・フライシャーとドン・シーゲルによる西部劇の葬儀。その両方に立ち会ったのが、他ならぬロン・ハワードなのだ。
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[006]犬ヶ島
 正面カットKatsumi_Egi (Mail)2018-07-08
 
 墜落する一人乗り機、ゴンドラ、カゴ等の宙吊りのモチーフ。これらを含めて極めてアナログ的な、面倒臭そうな仕組みが尊重される世界観が面白い。あるいは、犬もアタリも、い・・・
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 墜落する一人乗り機、ゴンドラ、カゴ等の宙吊りのモチーフ。これらを含めて極めてアナログ的な、面倒臭そうな仕組みが尊重される世界観が面白い。あるいは、犬もアタリも、いちいち目に涙を溜める描写が強調され挿入される細部も、人間臭い、心の通ったキャラクタリゼーションを印象付ける。  ケンカ、乱闘の表現が白い土ぼこりの反復で簡潔に描かれる演出はどうだろう。リアルに描き込むのは難しいことは分かるのだが、こゝだけ漫画的過ぎて違和感はある。  複数構成員による活劇であるという点とテーマ曲の流用という部分で、どうしても『七人の侍』へのオマージュを思ってしまうし、全編に亘る、正面から正面への切り返しは小津を想起させる。「竜来軒」の看板も小津っぽい。ただし、正面カットは小津以上に正面、というか真正面であり、ローアングルと人物の視線の危うさでハードボイルド性を獲得する小津の画面の特質とは似て非なるものだ。小津のローアングル+正面ショットの切り返しは、いつまでも、何度見ても、キャッチーで慣れることが難しいのだが、本作の正面カットの連続は、これが案外慣れてしまうし、違和感を覚えなくなる。という意味でも、小津へのオマージュというよりは、あくまでもウェス・アンダーソンがやりたいことをやった画面と云うべきだろう。『ファンタスティック Mr.FOX』の延長線上なのだ。
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[007]ファントム・スレッド
 自動車Katsumi_Egi (Mail)2018-06-23
 
 単純に本作の舞台であるオートクチュールの世界の華やかさ、その絢爛たるスペクタキュラーだけでも見応えがある。特に、最初の顧客の描写、公爵夫人ヘンリエッタの場面で既に・・・
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 単純に本作の舞台であるオートクチュールの世界の華やかさ、その絢爛たるスペクタキュラーだけでも見応えがある。特に、最初の顧客の描写、公爵夫人ヘンリエッタの場面で既に圧倒される。  しかし、あゝ本作も、階段の映画であり、ドアの映画だ。それは勿論、端的にはダニエル・デイ=ルイスの居所兼仕事場にある階段の描き方、雇い人の女性達(パターンナーやお針子達)を行き来させる、圧倒的な画面の面白さを指しているし、各部屋のドアの、境界線としての意味づけ、人(亡霊も!)を中に入れるかどうかといった峻別を厳格に意識させる演出を指していたりする。  さらに、人物の視点の高低の描き方について云えば、階段を使ったシーンだけでなく、アルマ−ヴィッキー・クリープスを、箱の上(云わば小さな即席の階段)に乗せて、服を着せたり、採寸したりする別荘のシーンが出色の出来だ。この演出のねちっこさにはゾクゾクする。  また、ダニエル・デイ=ルイスが運転する自動車(ブリストル40)のカットが悉くスリリングで、これもある種の異常な空間造型と云えるだろう。既に最初に別荘へ向かう車を後部から撮ったカットが尋常じゃないし、アルマを迎えに来る夜の場面の、Uターンのカットもそう。これら、自動車という装置の暴力性の強調は、ダニエル・デイ=ルイスの性格付けへ寄与にするにとどまらず、異空間の造型として強烈に機能する。  このような、階段やドアや自動車といった装置の演出は、エンディングに向かって、二人の異様な関係性を深化させる、その感情を組織する。キノコのオムレツを食べさせる場面の二人の視線の演出が、直截的にスリルを感じさせる分かりやすいクライマックスの演出ではあるのだが、階段やドアや自動車も、ラストに向かって2人の関係性を収斂させる重要な要素なのだ。  尚、ダニエル・デイ=ルイスの姉シリルを演じるレスリー・マンヴィルが流石にオスカーノミニーも納得の存在感だ。その冷たさと厳しさ、そして秘めたる優しさも滲み出る、凛とした佇まいが美しい。
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[008]レディ・バード
 旅立ちKatsumi_Egi (Mail)2018-06-17
 
 冒頭、車の中で「怒りの葡萄」の朗読を聞いて涙する母と娘。直後の顛末の見せ方、そのスピード感にうなる。ラストも車を運転する場面のフラッシュバックがあり、母への想い、・・・
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 冒頭、車の中で「怒りの葡萄」の朗読を聞いて涙する母と娘。直後の顛末の見せ方、そのスピード感にうなる。ラストも車を運転する場面のフラッシュバックがあり、母への想い、わが町サクラメントへの想いが語られるので、全体に本作は自動車の映画であり、母娘の映画であり、サクラメントという町についての映画だったという心象が強く残る。  悪い癖で「これは〜の映画だ」などと、ついついレッテル貼りをしてしまうのだが、勿論、一本の映画には多くの側面や切り口が見い出せるわけで、レッテル貼りは、感想をまとめる上での単なる方便に過ぎないです。本作も、一方で、シアーシャ・ローナンのロスト・バージンを主軸にしたプロットで構成されており、前半はルーカス・ヘッジズ、中盤以降はティモテ・シャラメとの恋愛譚として括るべきでしょう。あるいは父親や兄とその恋人を含めた家族の物語だし、何よりも、カトリック系の高校を舞台とする学園モノと云うべきかも知れない。学生演劇でやるミュージカル場面(練習風景含めて)がとても楽しい。  しかし、それでも、矢張り、これが母娘の映画だと考えたくなるのは、ヘッジスやシャラメの扱いが中途半端である、という理由もあるのだが、例えば、本作のクライマックスは、後半の空港のシーンだと思うからです。この空港の場面は全く普通じゃない。主人公のローナンを捉える視点は早々に捨て去られ、別れの場面も旅立ちの場面も割愛されるのだ。代わりに映されるのは、車を運転する母親・ローリー・メトカーフとその悲痛な表情で、私はこの構成・演出を思い出すと、今でも涙がこみ上げて来る。素直にグレタ・ガーウィグの才能を称賛したいと思う。  さて、2002年から2003年を時代背景とする映画だが、画面の肌触りは全編に亘ってザラザラしており、1970年代のフィルムの触感がある。斜光や太陽光の取り込み、といった特徴も、その感を強くさせる。この撮影も本作の題材によくマッチしており、ポイントを上げる。IMDbのTriviaによると、ガーウィグは、当初16ミリでの撮影を希望したが断念したとのことで(デジタル撮影後、ノイズを強調したらしい)、こういったこだわりも映画作家として好ましいと思う。今後に期待大だ。
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[009]万引き家族
 選ぶKatsumi_Egi (Mail)2018-06-14
 
 小さな庭と縁側のある住居の美術装置と、黄色っぽい照明(フィルターワークか?)の醸し出す危うい感覚は面白いのだが、前半は人物の動きが平板で、映画が走り出さず、若干い・・・
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 小さな庭と縁側のある住居の美術装置と、黄色っぽい照明(フィルターワークか?)の醸し出す危うい感覚は面白いのだが、前半は人物の動きが平板で、映画が走り出さず、若干いらいらしながら見た。やっぱり賞取り映画らしい刺激の無さかと思いきや、しかし中盤からは、良くなる。特に、夏になって、祥太とリン(ユリ、ジュリ)の蝉採りが描かれるあたりから、この2人が出てくると、ホッとさせられる。また、夏のシーンでは、海水浴の場面も印象深いが、ソーメンと通り雨のシーンや、音しか聞こえない隅田川の打ち上げ花火を皆で見る縁側の場面など、良いシーンが目白押しだ。リリー・フランキーと安藤サクラがソーメンを食べるシーンは、ソーメンの鉢を2人でつついている、ということ自体がもう暗喩だが、安藤の振る舞いと、そのカッティングは絶品。また、花火を皆で見る縁側の場面では、いったん、俯瞰で全員を捉えた後、さらにカットを換えて、大俯瞰(ビル屋上レベル)になる。この視点移動は本作中白眉だろう。印象的な大俯瞰は、前半にも、スイミーとマグロの話をする祥太と治(フランキー)の場面で使われており、いずれも夜のカットである、という点は、撮影現場の苦労が思われる。  結局、リンは振り出しに戻ったかのようにも思えるが、ラストの視線の表すものを考えるなら、彼女の成長は明らかだと私は感じる。リンという名前を自分で選んだシーンは、その決然たる反応に驚いたが、他の登場人物も皆、自分で選ぶ、選んだ、というモチーフが、ラストまで一貫して描かれており、そういう意味で、本作は、曖昧ではあるが、力強さを感じる、ある種のハッピーエンディングと云っていいだろう。  些末過ぎて、どうでもいいと思われる話かも知れないが、本作中、3回フェードアウトがある。1回目は、上に書いたスイミーとマグロの話をする2人の大俯瞰カット。2回目は縁側でリンを抱きしめる安藤サクラのカット。3回目は、ラスト近く、空き家になった家に戻って来た松岡茉優のカット。私はこれら3つとも、フェードアウトは不要と思う。こゝで場面転換に変化をつけたい、という編集者の生理をある程度納得するものの、映画の流れを途切れさせる、コブのようにひっかかりが残ると感じるのだ。
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[010]ベストフレンズ
 魔法Katsumi_Egi (Mail)2018-06-09
 
 ジョージ・キューカーの遺作も、遺作ベストテンを選ぶとしたら入れたくなるぐらいの見事な映画だ。まずは冒頭の冬のカレッジのシーン。雪の舞う様が独創的だし、駅のホームで・・・
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 ジョージ・キューカーの遺作も、遺作ベストテンを選ぶとしたら入れたくなるぐらいの見事な映画だ。まずは冒頭の冬のカレッジのシーン。雪の舞う様が独創的だし、駅のホームでの別れの場面の、傾いた列車のカットが、何度切り返しても、きちんと傾いており、一貫性のある画面に見えるなんてところで、もう魔法を見たように感動してしまう。こゝからラストの暖炉を前にしたカットまで、ため息がでるような美しい画面の連続、素晴らしく安定した王道のリバースショットとカッティング・イン・アクションの連続なのだ。  ジャクリーン・ビセットとキャンディス・バーゲンの2人ヒロイン。2人とも当時30代半ばで、とても美しい。邦題はこの二人の間柄を表していて、ほゞ同等に見せ場もあるのだが、プロットの主軸は、あくまでもビセットだ。彼女の、多くの場面で毅然としているのに、一方で性に対して奔放、という造型は、このキャラクターを複雑なものとし、同時に映画の娯楽性を上げており、私は映画的に好ましい措置だと思う。まず前半の、旅客機のトイレでの情交シーンが、常軌を逸した愉快なシーンになっており、こゝだけでも素晴らしい。旅客機の着陸態勢、車輪を機体から出す様子等やランディングの描写とのクロスカッティングが、意味不明の(というか問答無用の)メタファーになっている。なんと若々しい演出!しかも堂々たる安定したカッティングなのだ。  さて、ビセットを中心に書いてしまったが、バーゲンのとびっきりの見せ場も上げておこう。それはラスト近くの全米作家賞受賞パーティの場面で、暗い部屋に一人たたずむ彼女のカットだろう。このカットの美しさには惚れ惚れする。そして、キューカーのラストのラストも、本当に感動的な、もうこれしかない、というラストカット。さらに付け加えれば、ジョルジュ・ドルリューの音楽も美しい。あゝ映画の至福。 #備忘 ・メグ・ライアンがバーゲンの娘の役で本作がデビュー。まだまだ演技は拙い。 ・都合3回のパーティシーンがあるのだが、それぞれのパーティに多くの作家や映画人が顔を見せているよう。ラストクレジットには、クリストファー・イシャーウッドだとか、ロジェ・バディム、キャンディス・バーゲンの母親のフランセス・バーゲン、ランダル・クレイザー、ポール・モリセイ、ニナ・フォックなんて名前が見える。NYでのプロモーションのためのパーティの場面で、レイ・ブラッドベリがいるのは私にも分かった。
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[011]椿姫
 奇跡的Katsumi_Egi (Mail)2018-06-09
 
 ラストのガルボの視線!どんなにやつれてもガルボは美しい。もうガルボを美しく撮ることにスタフが結集した女優映画だが、しかしそれだけでは終わらないジョージ・キューカー・・・
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 ラストのガルボの視線!どんなにやつれてもガルボは美しい。もうガルボを美しく撮ることにスタフが結集した女優映画だが、しかしそれだけでは終わらないジョージ・キューカーの繊細な演出が息づく傑作。オペラ座での視線の演出、田舎暮らしのシーンの光の扱い、ライオネル・バリモア来訪シーンの重々しい空気。そしてこゝからラストへ向かってキューカーは観客の感情をわしづかみにして振り回す。ラストのガルボはまさに奇跡的だ。
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[012]レディ・プレイヤー1
 欠落感Katsumi_Egi (Mail)2018-05-28
 
 やっぱり、VRゴーグルをかけた人々の、リアルな動作の映像がいちいち挟み込まれる、というところがポイントだろう。これを面白がる(心の中で笑う)映画だと見た。云うなれば・・・
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 やっぱり、VRゴーグルをかけた人々の、リアルな動作の映像がいちいち挟み込まれる、というところがポイントだろう。これを面白がる(心の中で笑う)映画だと見た。云うなれば、『空飛ぶモンティ・パイソン』の「Silly Walker」のコントのような、風刺としての面白さ、として受け取ったということだ。  2045年のオハイオ州コロンブス。冒頭の主人公が住むマンション?からして、嘘っぽい。造型としては面白いが、結局、映画中の現実も、アバターの世界以上に嘘っぽいのだ。住環境も、あるいは、25年後のVRゴーグルが、今現在のものとほとんど変わらないというようなことも含めて(未来のVRギアはゴーグル型だろうか!)。勿論、これって、ワザと狙ってのデザインなのだろう。  一番目のゲーム、レースシーンは凄いスピード感で楽しめた。『AKIRA』の金田バイクかどうかは別として、1台だけ(?)バイクの視点があるのは、とても効果あり、と思う。『シャイニング』の再現を褒める人が多いですが、私には、ニコルソンやデュヴァルが出て来ない、というのは、恐ろしく欠落感があり、がっかりした。(バスタブの女は、元フィルムのカットでしょう?)対して、ダンスクラブの「Stayin Alive」のシーンは美しいデザイン。また、メカゴジラの登場とゴジラのテーマの変奏には、感激した。ガンダムはつまらない。  エンディング近く、集まってきた人々から歓喜で迎えられる、というお約束パターンと、パトカーの中でぶん殴られる悪役、というこれも、よくあるオチ。どうしてこんな子供だましのような演出をするのだろう。子供も大きなターゲットだから、なのかも知れないが、そうだとしたら、子供をバカにしている。
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[013]ヒッチ・ハイカー
 空き缶Katsumi_Egi (Mail)2018-05-19
 
 とにかくウィリアム・タルマンの悪役造型に尽きるのだが、演出も丹念によく見せる傑作スリラーだ。荒野の道を走る車、そのロングショットもバリエーションが豊かで感心する。・・・
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 とにかくウィリアム・タルマンの悪役造型に尽きるのだが、演出も丹念によく見せる傑作スリラーだ。荒野の道を走る車、そのロングショットもバリエーションが豊かで感心する。野宿の際の焚火がタルマンの顔に反映するカットなんかも、ゾクゾクする映画性。また、夜、寝る際も、タルマンは右目を薄く開けているように見え、寝ているのか起きているのか分からない。このあたりの描き方も見事。  銃を突き付けられ、要求通り車を運転せざるを得なくなったエドモンド・オブライエンとフランク・ラヴジョイが、いかにしてウィリアム・タルマンから逃げおおせるか、という話ではあるのだが、エンディングを含めて、彼らができること(できたこと)は殆どなく、結局、タルマンの一人勝ちで終わってしまう映画だというところも素晴らしい。  クレジットの序列ではオブライエンの方が明らかに上位だが、キャラ造型とプロット上の役割で云えば、オブライエンよりもラヴジョイの方が、ずっとヒーローらしい描かれ方をしている。ラヴジョイは射撃の名手で、オブライエンが空き缶を持たされ、ラブジョイがライフルで空き缶を撃つように命令されるシーンなんかが顕著な部分でしょう。こゝも見事なシーンだ。
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[014]二重結婚者
 階段Katsumi_Egi (Mail)2018-05-19
 
 この映画、全般的に屋内よりも屋外の描写に独創性がある。サンフランシスコの路上で、エドマンド・グウェンを手前に配置して、その背景にかなり急な坂道の斜面と、さらに向こ・・・
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 この映画、全般的に屋内よりも屋外の描写に独創性がある。サンフランシスコの路上で、エドマンド・グウェンを手前に配置して、その背景にかなり急な坂道の斜面と、さらに向こうのビルを映すカットだとか。最初に出てきた時にも目を引いたが、この構図を反復するのだから、ワザとやっているのだ。或いは、ビルの外観のティルトアップなんかも、何てことのないカットなのだが、妙に目に留まるし、違う云い方をすると、映画のリズムを形成している。また、屋内だと、アイダ・ルピノのアパートの階段はいい。こゝも何度も反復するが、全て階段下から仰角で撮った同じ構図のカットばかりなのだ。階段上から俯瞰で切り返したりしない、というところが、上で書いたグウェンの路上のカットと同様に、拘った演出に思えてくる。もしかしたら、真実は、カメラを置くことのできる場所がこゝしかなかったから、なのかも知れないが。でも、良いカットの反復なのだから、監督の功績ということでしょう。あと、エドモンド・オブライエンとジョーン・フォンテインが暮らす家の中のカットでも、バルコニーから玄関までを縦構図で表現した良いカットがある。(でもこの家の東洋趣味のクセが強い)
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[015]君の名前で僕を呼んで
 Katsumi_Egi (Mail)2018-05-09
 
 自然光と自然音の取入れがとても心地よい画面と音の映画だ。特に撮影はタイからサヨムプー・ムックディープロムを招き、奇抜な繋ぎを廃して(一部ジャンプカットもあるが)、・・・
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 自然光と自然音の取入れがとても心地よい画面と音の映画だ。特に撮影はタイからサヨムプー・ムックディープロムを招き、奇抜な繋ぎを廃して(一部ジャンプカットもあるが)、あくまでも静謐なカメラの視点を突き付ける。  それは、自然光を基調としているが、決してナチュラルな透明感を志向しているだけではない。例えばピントが甘いカットも多く使われているし、ティモシー・シャラメとアーミー・ハマーの二人が旅行中の、夜の舗道のシーンでは、なぜかスプロケット穴(フィルム穴)が写っているテイクさえある。あるいは、二人で、ピアーヴ・メモリアルという記念碑に立ち寄るカットは、ワンカット中に2回ティルトアップをし、記念碑の銅像と、隣接する教会の尖塔の十字架を見せるという、観客の視点を強制する硬質なシーケンスショットだ。このように、意思のはっきりした演出が継続しているので、見る側の緊張感も持続する。  さて、配役について云えば、何と云っても主人公のティモシー・シャラメが超絶美少年で惚れ惚れしてしまうのだが、対するアーミー・ハマーは、少々とうが立っているというか、でかいし、えらそうで、ミスキャストとまでは云わないがシャラメが勿体ないと思えてしまった。シャラメの父母も良い存在感だ。特に、父親のマイケル・スタールバーグはエンディング近くでとびっきりの見せ場がある。このスタールバーグの科白のおかげで、オスカー脚本賞じゃないかと邪推してしまう。(ま、それぐらい臭いし、不要な科白と云えるかもしれない :-P。)  また、エピローグの雪降らしはいい。それまでの夏の陽光と素晴らしい対比をなす。さらにラストカット、というか、エンドクレジット中のシャラメを映した長回しが見事なアイデアで、記憶に残る。シャラメの後景のフォーカスが外れた部分に食事の用意をする母たち。その後ろの窓の向こうで、しんしんと降る雪。
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[016]ラッキー
 ungatzKatsumi_Egi (Mail)2018-05-02
 
 あゝ、ハリー・ディーン。冒頭とエンディングのリクガメの歩みは、ウェルマンの『牛泥棒』を再現しているし、一人の俳優の、これ以上ない遺作、という意味では、『ラスト・シ・・・
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 あゝ、ハリー・ディーン。冒頭とエンディングのリクガメの歩みは、ウェルマンの『牛泥棒』を再現しているし、一人の俳優の、これ以上ない遺作、という意味では、『ラスト・シューティスト』と双璧ではないだろうか。劇中、ウェインへのリスペクトを表明するシーンもあるではないか。  ダイナーの黒人店主は『パターソン』のバリー・シャバカ・ヘンリーだ。逃げたリクガメ、ルーズベルトへの執着を語るデヴィッド・リンチ。赤い光の空き地へ吸い寄せられていくジェームズ・ダーレン。弁護士、ロン・リヴィングストンとのダイナーでの和解も心に残る。太平洋戦争の従軍経験で、笑顔の少女の思い出を語るトム・スケリット。これら印象深いシーンの連打だ。  そんな中でも、フィエスタ(雑貨屋の息子の誕生日パーティ)で、いきなり、大真面目に唄い出すシーンが、一番の見せ場かも知れない。あるいは、心配して訪ねて来たフィリピーナ、イヴォンヌ・ハフ・リーとのハグのシーンか。いや、禁煙のバーで、煙草を吸う場面だろうか。ウンガッツ。無。そして笑顔。
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[017]らせん階段
 心因性Katsumi_Egi (Mail)2018-04-30
 
 冒頭シーン。ホテルで無声映画の上映会が行われており、一見してグリフィスだと分かる。(調べると『The Sands of Dee』という映画。)その後、ホテルの階上の部屋で足を引き・・・
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 冒頭シーン。ホテルで無声映画の上映会が行われており、一見してグリフィスだと分かる。(調べると『The Sands of Dee』という映画。)その後、ホテルの階上の部屋で足を引きずる女へディゾルブするのだが、もうこの処理だけでゾクゾクしてしまう。殺害シーンの造型も秀逸。男の目、瞳孔までエクストリーム・クローズアップする。くだんの無声映画を見ていたヒロイン、ドロシー・マクガイアは唖者だが心因性の失声症であり、この設定がラストまでプロットに力を与える。前半すぐに彼女が女中として働いている町はずれの屋敷に舞台が移り、ラストまでカメラはこの屋敷を出ない。本作も、もう殆ど屋敷が主人公と云える映画だ。やたらと人物が出入りし、また人物の関係性もなかなか複雑だが、よく整理して見せる。見事にさばいている。本格推理のような趣もある点は、ちょっと作り物臭いのだが、実にスペクタキュラーな見せ方が続く。タイトルのらせん階段はこの屋敷の階段で、2階から1階、地下倉庫と続いている。地下の酒蔵、ブランデー、蝋燭といった道具立ても含め、映画らしいドキドキ感が息づいている。クライマックスでは、マクガイアはランプを窓に叩き付けたりして驚かしてくれるのだ。尚、陰鬱な場面も多い映画だが、一方、マクガイアが随所で屈託のない可愛い笑顔を見せるので救われる思いがする。このあたりのバランスもいい。
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[018]幻の女
 手のオブジェKatsumi_Egi (Mail)2018-04-30
 
 主人公は容疑者・アラン・カーティスかと思わせておいて、プロットを秘書のエラ・レインズに引き継ぐのだが、彼女の探偵物語になってからが断然いい。バーテンダー尾行シーン・・・
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 主人公は容疑者・アラン・カーティスかと思わせておいて、プロットを秘書のエラ・レインズに引き継ぐのだが、彼女の探偵物語になってからが断然いい。バーテンダー尾行シーンの濡れた舗道。列車のホームの夜の表現、見事な情感創出だ。また、エリシャ・クック・Jrがかなり目立つ良い役を与えられていて嬉しくなる。クック・Jrはレインズに誘惑される役なのだ。この場面の彼女は随分と芝居じみたセクシー美女に変身する演出で、この辺りはちょっと現実離れした、いかにも娯楽映画らしい部分だが、二人で行くジャズ・バーのシーンは、ある種狂気的なセクシャルな表現で特筆すべきだ。  そして最もビッグネームであろうフランチョット・トーンの登場が中盤になってから、というのがキャラクターの扱いとしてカッコいいところなのだが、トーンの悪役造型も特筆に値する。何と云っても彼の手の演技がいい。手で顔を押さえて苦痛の表情をしたりするが、神経質そうなルックスが合っているのだ。クライマックスはトーンの家だが、彼は彫刻家なので部屋に面白いオブジェがある。そんな中で、実にさりげなく手のオブジェがレインズの背景に映される。それも、最も重要なカットでこれを認めることができるのだ。なんて鮮やかな演出だろう。
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[019]ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男
 アイリスアウトKatsumi_Egi (Mail)2018-04-21
 
 異常な俯瞰の映画だ。まずは、ファーストカットが議会の真俯瞰、ということで、その宣言がなされている。以降、何度も鳥瞰、大俯瞰があるのだが、まるで『アメリカ交響楽』の・・・
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 異常な俯瞰の映画だ。まずは、ファーストカットが議会の真俯瞰、ということで、その宣言がなされている。以降、何度も鳥瞰、大俯瞰があるのだが、まるで『アメリカ交響楽』のラストのような、真俯瞰での大気圏外上昇移動まで見せる。それも2回も、だ(カレーの城塞の場面と、雨の中、屋上で傘を持って座っているチャーチルが、上空を見上げる場面)。という訳で、本作は、史実を描くと見せながら(というか概ね史実であることは違いないのでしょうが)、多分にフィクショナルな、作り物感丸出しの娯楽映画の演出がなされている。俯瞰以外にも、窓からの白い斜光の多用も(議会でも、宮殿でも)象徴的だ。対比するように、外光を取り入れる窓がない地下の執務室や閣議室も出てくるが、この作戦本部の扉にある小さな窓の演出も、かなり凝ったものになっている。あるいは、車の中から路上を見るチャーチルの見た目で、市井の人々を横移動の高速度撮影で撮った場面だとか。はたまた、子供が、上空の飛行機を、手を丸めて望遠鏡のようなイメージで見るのだが、その手の空間を細めていくことによってアイリスアウトのような画面になる、なんて面白いこともやっており、ジョー・ライトの演出技巧はとても楽しいのだが、果たして、本作の題材にマッチしているか、と云うと疑問を感じてしまう部分もある。(カレー玉砕の描き方に関しては特に)  さて、本作はチャーチルとその妻−クリスティン・スコット・トーマス、チャーチルと秘書−リリー・ジェームズという2人の女性との関係を丹念に描く部分でも見応えがあるが、もう一人、国王ジョージ6世−ベン・メンデルソーンとの関係の変化も感動的だ。メンデルソーンはコリン・ファース(『英国王のスピーチ』)に比べて幾分控えめに吃音を表現している。あと、チャーチルが地下鉄に乗って庶民の意見を聞くシーンも感動的ではあるのだが、流石に作劇的過ぎるというか、臭すぎる。
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[020]レッド・スパロー
 娼婦の学校Katsumi_Egi (Mail)2018-04-21
 
 まずは、このオープニング、アヴァン・タイトルに惹きつけられる。ジェニファー・ローレンスのバレエ・ダンスと、ジョエル・エドガートンの諜報活動とのクロスカッティング。・・・
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 まずは、このオープニング、アヴァン・タイトルに惹きつけられる。ジェニファー・ローレンスのバレエ・ダンスと、ジョエル・エドガートンの諜報活動とのクロスカッティング。いずれの昂奮も高め合う見事な演出だ。以降、この冒頭を超えるほどのシーンは現れないし、ローレンスと母親の関係を挿入する場面等で若干の弛緩もあるけれど、それでも、全編緊張感を上手く維持している。  キアラン・ハインズ、ジェレミー・アイアンズ、マティアス・スーナールツという悪役トリオも申し分の無い出来だし、それに加えてシャーロット・ランプリングが「娼婦の学校」の監督官という良い役回り。さらに、黒ずくめの若い殺し屋が極めて残酷かつ唐突な暴力を表現して、強烈な印象を残す。というように、活劇にとって最も重要な要素と云っていい、悪役の存在感も充分だ。  また、演出のきめ細かさに唸らされる部分もいくつかある。例えば、ブタペストのシェアルームの建物。門を入ると、上階の廊下に犬がいるのだが、最初のシーンでは、きちんと犬を映す。続いて、2回ほど、帰宅時の場面を短く挿入し、オフの鳴き声だけを聞かせておいて、3回目の帰宅の際は、鳴き声がなく、ローレンスの視線の演出(上階の方をちらっと見る視線)で犬の不在を印象づけ、サスペンスを高めるのだ。このあたりは上手いと思う。その他、メアリー=ルイーズ・パーカー演じる上院議員のキャラ造型やその顛末の描き方、クライマックスの夜の飛行場の演出、グリーグの音楽の扱い等含めて、なかなか良く出来ている。
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[021]アナタハン
 閉塞空間Katsumi_Egi (Mail)2018-04-14
 
 いやあ、スタンバーグという人は凄い人、かつ面白い人だと思う。こんなキワモノを日本人スタフ・キャストでミニマルに撮り上げた作品が遺作なのだ。しかも、全然手を抜いてい・・・
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 いやあ、スタンバーグという人は凄い人、かつ面白い人だと思う。こんなキワモノを日本人スタフ・キャストでミニマルに撮り上げた作品が遺作なのだ。しかも、全然手を抜いていない。力いっぱい作っていることがよく分かる。例えば、スタンバーグ自身が担当するナレーションの質量(力強さ、多さ)からも本作への相当の入れ込み具合がうかがえる。また、画面の強さは、そりゃあ全盛期のディートリッヒ作品には劣るとは云え、まだまだ健在だし、密林の美術装置による奇怪な画面の造形は、例えば『恋のページェント』で見せた、宮廷内の退廃的で異様な造型を思い起こさせる(宮廷内の彫刻等とは全然違うとは云え)。スタンバーグはこういう閉塞空間が好きなのだろう。  また、音楽は伊福部昭なのだ。彼を選んでいるというだけで「分かってる!」と思ってしまうのだが、これが、また、画面を盛り上げる音楽なのだ。 #備忘 ・安里屋ユンタが度々唄われる。 ・根岸明美は2回、後姿のヌードがある。前半の風呂に入るシーン。こゝは後姿とは云え、乳房まで見える。もう一つは海辺で素っ裸の後姿。海へ入っていく。 ・結局、米軍も日本軍(彼ら以外の日本軍)も登場しない。 #補遺。スタンバーグの作品には1957年作『ジェット・パイロット』がありますが、この映画は1949年から1950年にかけて撮影され、1957年に公開されたものらしく、撮影順でいうと、『アナタハン』が遺作とのことです。
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[022]上海ジェスチャー
 オースペンスカヤKatsumi_Egi (Mail)2018-04-14
 
 いやはや矢張り、聞きしに勝る素晴らしさだ。まずは、このカジノの俯瞰・クレーン移動のビジュアルが圧倒的。こんな映像、他で見たことない、というものだ。スタンバーグ映画・・・
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 いやはや矢張り、聞きしに勝る素晴らしさだ。まずは、このカジノの俯瞰・クレーン移動のビジュアルが圧倒的。こんな映像、他で見たことない、というものだ。スタンバーグ映画の美術は常に想像を絶する。  人物造型では、まずは主演スターであるジーン・ティアニーに対する特別な光(照明)の扱いに陶然とさせられてしまうのだが、聡明で如才のない人物として描かれると思いきや、ギャンブルにはまって、ひどい俗物となってしまう、そのギャップにも驚かされる。しかし、カジノの女主人で中国人を演じるオナ・マンソンという人が、真の主役として恐るべき貫録、一世一代のキャラクタリゼーションを見せる。脇役では、ウォルター・ヒューストンやヴィクター・マチュアもいつもながらの存在感だが、後半の主要人物が召集されたパーティシーンのみ、マンソンの側近役として出てくるマリア・オースペンスカヤも強烈だ。レオ・マッケリーの『邂逅』の、あの可愛らしいお婆さんが、終始渋顔で一言もしゃべらない、奇妙な中国人老婆を演じ、本作の異様な雰囲気に貢献している。 #中国人苦力を演じているマイク・マズルキは本作がデビュー作とのこと。
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[023]ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
 輪転機Katsumi_Egi (Mail)2018-04-05
 
 これはもう圧倒的な、視点の高低のコントロールを実現した映画だ。複数の人物の、座る、立つという関係のディレクションと、カメラ位置の高低のコントロールにしびれる。この・・・
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 これはもう圧倒的な、視点の高低のコントロールを実現した映画だ。複数の人物の、座る、立つという関係のディレクションと、カメラ位置の高低のコントロールにしびれる。このあたりの演出の充実度は、スピルバーグの中でも、突出しているのではないだろうか。   例えば顕著なのは、全編通じて、メリル・ストリープは座っており、その相手は、立った状態で会話するシーンがかなり多い。まず、映画序盤の投資家たちとの会議の後、消沈したストリープが、机の椅子に座り、正対してフリッツ−トレイシー・レッツが、机の前で立って会話するシーンで、切り返しのカメラの視点(俯瞰・仰角)の高低差に驚いてしまった。つまり、なかなかこゝまで高低差をつけたリバースショットというのは、普通見ないのだ。このような、ストリープを俯瞰ぎみで撮ったカットと、その会話相手を仰角ぎみで撮ったカットの切り返しが、この後も何度も出てくる。相手で云うと、勿論、トム・ハンクスとの間が一番多いのだが、娘のアリソン・ブリーとのシーンでも度々ある。ストリープは会話相手にも見下げられると共に、カメラの視点でも見下げられるということだ。  そして、ストリープが最も重要な決断をするシーン、輪転機をスタートさせるかどうかを決定する場面も特徴的だ。こゝでは、まず、ストリープをはじめ、ハンクスやトレイシー・レッツやブラッドリー・ウィットフォードら、ポスト社の幹部は皆立っており、カメラは、ほゞ人物の頭の位置にあって、顔を水平に映しているのだが、ストリープが決断し、部屋を退出した後に、部屋に残ってあっけにとられる男達を、カメラは上昇移動で俯瞰するのである。男達はカメラによって見下げられる、という訳だ。  さて、開巻は、ベトナムでの夜の軍事行動のシーンで始まる。この銃撃戦、わりかしよく撮れているとは思ったが、このシーンだけで、負け戦の象徴とするのは少々弱いとも感じた。  マシュー・リス(エルズバーグ)に接触する記者ボブ・オデンカーク(バグディキアン)の公衆電話のシーン(小銭をぶちまける!)なんかも楽しく、この人はかなりのもうけ役だとも思う。しかし、このシーンの公衆電話の左上の反射面に、オデンカークの顔を映す、というような器用なカットを挿入したりする。他にも、スピルバーグらしく、車のバックミラーに人物の顔を映しこむ演出が相変わらず多かったりするのだが、本作においては、こういった無駄に器用なカットは、私には、ノイジーに感じられた。 #ハンクスが自宅に帰ってくると、その妻・サラ・ポールソンはソファでうたた寝をしている、というシーン。付けっ放しにされているテレビから、ウィドマークの声が聞こえる。ダッシンの『街の野獣』だ。
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[024]ローラ
 オフュルスに捧ぐKatsumi_Egi (Mail)2018-03-26
 
 なんと素晴らしいオープニングシーン!見事なクレーン移動カット。この、謎のオープンカーの男のテーマ曲はベートーベンの7番(ベートーヴェンのアレグレット)だ。クラシッ・・・
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 なんと素晴らしいオープニングシーン!見事なクレーン移動カット。この、謎のオープンカーの男のテーマ曲はベートーベンの7番(ベートーヴェンのアレグレット)だ。クラシック音楽の使い方ということでは、祭りのシーン、水兵のフランキーが、14歳のセシルを抱き上げるスローモーションでは、バッハがかかる。(平均律クラヴィーア曲集No.1)しかも、全編で、こゝだけスローモーションなのだ。この祭りのシーンも、なんか危うくてたまらないシーンだ。  冒頭でオフュルスに捧ぐ、という字幕が出るのだが、確かに、登場人物の関係や出入りの仕方、或いは、すれ違いの描き方はオフュルスを目指したのだろうと感じるが、カメラが街に出る嬉しさに溢れた、自由奔放な視点の獲得は、『幸福の設計』なんかのジャック・ベッケルを思い起こさせる。窓やドアや階段の使い方の上手さもそうだ。  ローラ−アヌーク・エーメが働くキャバレー「エルドラド」でのダンスシーンのエネルギッシュなこと!エンディングの突き放しの鮮やかなこと!見る前から、そうに違いないと思ってはいたけれど、想像通りの愛すべき作品。大傑作、というような映画ではないのだが、最高に可愛いくてカッコいい、しかも、まとまりも良い、満足感は最上級の作品だ。
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[025]ブレードランナー 2049
 緩慢さKatsumi_Egi (Mail)2018-03-26
 
 オープニング、閉じた瞼が開く。エメラルドグリーンの瞳。虹彩。続く太陽光発電のパネルの壮観。このカットから心つかまれた。サッパーが「お前たちは奇跡を見ていない」と云・・・
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 オープニング、閉じた瞼が開く。エメラルドグリーンの瞳。虹彩。続く太陽光発電のパネルの壮観。このカットから心つかまれた。サッパーが「お前たちは奇跡を見ていない」と云う。前作のロイを思い出す。レイチェルの写真が映っただけで、涙が出そうになる。ショーン・ヤングが部屋の向こうから歩いてくるカットがフラッシュバックされるに至って、本当に胸締め付けられる。という具合で私の感傷癖が思いっきりくすぐられる。偽物のレイチェルを出すのは、余計じゃないか。しかも酷い仕打ち。  ジョイ=アナ・デ・アルマスの可愛らしさは、特筆すべきだが、あくまで男に都合の良い造型だ。矢張り、マダム=ロビン・ライトのユニセックスでスマートなキャラクタリゼーションと、ラヴ= シルヴィア・フークス の圧倒的な悪役としての強さを誉めるべきだろう。ラヴとのクライマックスの死闘は息詰まる。  そして何はともあれ、ディーキンスの撮影。あと、重要なのは、多くのシーン導入部のライアン・ゴズリングのゆったりとした歩度(歩みののろさ)の演出。この緩慢さを許容する(いや愛でる)ことこそ重要だという認識。
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[026]シェイプ・オブ・ウォーター
 You’ll Never KnowKatsumi_Egi (Mail)2018-03-21
 
 緑ではない、ティール色のキャデラック。駐車場でのリチャード・ジェンキンス運転のバンと絡むこの展開については、容易に予期できる構図のカットがワンカット挿入されており・・・
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 緑ではない、ティール色のキャデラック。駐車場でのリチャード・ジェンキンス運転のバンと絡むこの展開については、容易に予期できる構図のカットがワンカット挿入されており、良くない。しかし明らかな瑕疵はこゝぐらいだと思った。ほとんど完璧な映画じゃないか。  ほとんど完璧とか云いながら、ダグ・ジョーンズ演じる"不思議な生き物"のキャラクタリゼーションはかなり幼稚だと思う。育毛効果は、さすがにどうかとも思う。  しかし、もう、私は「You'll Never Know」に参ってしまった、というのが大きいし、水に沈んだ部屋に漂うサリー・ホーキンスから始まり、彼女が入り江に沈むエンディングに至るまで、美術装置は、まるでフリッツ・ラングのような、パラノイアックな完全な世界の構築が目指され、ほゞ具現化できていると思えるのだ。ホーキンスとジェンキンスが住む住居。その階下の映画館の造型。航空宇宙研究センターの色調の統一。マイケル・スタールバーグ(ホフステトラー博士)が呼び出される採砂場の、50年代犯罪映画を想起させる雰囲気。そして桟橋と入り江。  そんな中で、私の嗜好(志向)をくすぐる数々の趣向に悉くはまってしまう。マイケル・シャノンの小指と薬指。主人公達が住む部屋の階下の映画館から、始終、上映されている映画の科白が小さく聞こえているといった仕掛け。"不思議な生きもの"が、映画館で一人仁王立ちしてスクリーンを見ている感動的なカット。また、この場面で投影されている映画(『砂漠の女王』という映画)のカットが良いのだ。そして、極めつけは、ホーキンスが通勤で使っているバスのシーンで、映画の中のバスは、常に現実を異化する装置だが、本作の白眉はバスの窓の雨滴の演出だろう。 #アリス・フェイの「You’ll Never Know」といえば、スコセッシの『アリスの恋』の冒頭シーンですね。昔から大好きなスタンダード・ナンバーなのです。
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[027]15時17分、パリ行き
 大事な順番Katsumi_Egi (Mail)2018-03-21
 
 映画には達者な演技なんて全然必要じゃないのは、リュミエールの頃から分かっていることだ。素人ばかりを主要な配役に起用している映画なんて数多あるし、正直私は、ジュディ・・・
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 映画には達者な演技なんて全然必要じゃないのは、リュミエールの頃から分かっていることだ。素人ばかりを主要な配役に起用している映画なんて数多あるし、正直私は、ジュディ・グリア(スペンサーの母親)やジェナ・フィッシャー(アレクの母親)といった玄人俳優の演技よりも、主演3人の若者の方がずっと好感が持てる。たとえが古すぎるが、映画の被写体においては、ローレンス・オリヴィエよりも、常にジョン・ウェインの方が優位である、という事実と似たようなことだ。素人俳優に魅力を感じさせる、という成果は、素直にイーストウッドの演出力なのだろうとは思う。  しかしだ、当事者が本人を演じている、という部分については、これだって、そんな映画は過去に何本もあるわけで、本作のこの趣向について、有難がる必要はないと思うのだ。ラストの記録映像との整合という方便だけは、勿論奏功しているけれど、私が云うのも気が引けますが、これって、あまりにテクニカルな美点ではないだろうか。  さて、映画全体の感想を云えば、近年のイーストウッドの水準以上でも以下でもない、凡作という言葉を使うほど酷くはないが、過去の傑作群の力を考えると寂しい出来だと私は思う。まず、前半の母親2人と学校の教師陣の、ステレオタイプな薄っぺらい人物造型に驚いた。『チェンジリング』ぐらいまでのイーストウッドだと、こんなことはなかったよなぁ、と思う。この印象の悪さが私は後に残ってしまった。  結局やっぱり、本作の一番の見どころは、ヨーロッパ旅行の各シーンではなかろうか。特にイタリアでの、船で東洋系の女性と知り合う場面の、いきなり船外の視点のカットになる演出はキャッチする。こゝだけじゃなく、こういうきめ細かな視点移動は随所にある。ホテルの受付嬢が階段を上るシーンなんかもそうだ。また、アムステルダムのクラブのシーンの濃密度も特記すべきで、これが本当にイーストウッドのディレクションなら(って、なんか疑っているのだが)、老いを感じさせない嬉しくなるシーンだった。あと、アフガニスタンとアムステルダムのシーンへの転換が顕著だが、地名のクレジットも出さずに、いきなり空間をジャンプするカッティングはいい。一見不親切な繋ぎだが、まずは、観客を驚かしてから(この場合だと、これどこ?って思わせてから)、後のシーンで観客に分からせる、というのはとっても大事な順番だと思う。
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[028]グレイテスト・ショーマン
 歌唱シーンKatsumi_Egi (Mail)2018-03-06
 
 クレジット開けのナンバー、"The Greatest Show" で白馬が数頭、音楽にぴったり合わせて速歩(はやあし)をする。これが、CG丸出しの不自然な歩様(足の動き)な・・・
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 クレジット開けのナンバー、"The Greatest Show" で白馬が数頭、音楽にぴったり合わせて速歩(はやあし)をする。これが、CG丸出しの不自然な歩様(足の動き)なのだ。この冒頭を見た時点で、何が生身の被写体なのか、分かったもんじゃない、という猜疑心を抱いてしまった。例えば、白いシーツの洗濯物が干された屋上のシーンで、ヒュー・ジャックマンと踊る、ミシェル・ウィリアムズのダンスのキレの良さもCGじゃないかと思ってしまう。  さて、このような疑いを持って映画を見ても楽しめないので、早々に、CGだろうと何だろうと、そのデザインの具現化を積極的に楽しもうという姿勢に転換する。では、逆にCGの良さは、どのあたりだろうか。まずは、全編に亘って、シーケンス遷移は、ほとんどCGで滑らかに時空をまたぎ、マッチカットをワンカットに見せかけて背景を繋ぐ。これのおかげで、映画全体に性急過ぎる印象を与える弊もあるけれど(特にジャックマンの成功があっけな過ぎるように感じる等)、でも、この演出はとても楽しい。あるいは、ザック・エフロンとゼンデイヤによるロープを使った、"Tightrope" というナンバーのシーンがあるが、こゝは、とても浮遊感の定着した美しいシーンになっており、CGかどうかは判然としないのだが(多分、使われているのだと推測しますが)、これ見よがしでない、という意味で、このようなコンピュータ処理こそ、最も幸福なデジタル技術の活用と云えるのではないだろうか。  また、ミシェル・ウィリアムズや娘達の聡明な描かれ方にも感動するが、ヴィクトリア女王の対応などでも目頭が熱くなる。この女王謁見シーンは良く出来ていて、こゝで登場するレベッカ・ファーガソンが、後ろ姿から振り返る演出であることろがいい。ファーガソンは出番全体において、とても美しく撮られているが、特に "Never Enough" の歌唱シーンのファーガソンへの照明は突出感がある。ただし、このシーンでジャックマンとミシェル・ウィリアムズの視線を挟み込むのは良いとしても、エフロンとゼンデイヤの接近をエフロンの父母が見咎め、さらに、エフロンが意識して離れる、という幼稚な演出を挿入するのは、私は白ける。ファーガソンをもっとじっくりと見たかったのだ。せっかくの美しい歌唱シーンが、ごちゃごちゃし過ぎだ。例えば、これが、ジュディ・ガーランドであったなら、こんな編集はあり得ないだろう。この編集は、ファーガソンの歌唱が吹き替えであることも無縁ではないと思えるが(本人の歌唱であれば、もっとじっくり聞かせるのではないか)、性急過ぎる繋ぎの弊の、顕著な部分だと思う。
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[029]早春
 ダイヤモンドKatsumi_Egi (Mail)2018-02-28
 
 確かにスコリモフスキの最高作という声もうなづける、とても楽しく、瑞々しい映画だ。特記しておきたいシーン、シーケンスは沢山あり過ぎて困るぐらいだが、まずは、最初の客・・・
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 確かにスコリモフスキの最高作という声もうなづける、とても楽しく、瑞々しい映画だ。特記しておきたいシーン、シーケンスは沢山あり過ぎて困るぐらいだが、まずは、最初の客として登場するダイアナ・ドースが過剰で笑ってしまった。サッカーファンの彼女は、ジョン・モルダー=ブラウンを個室に引き込み、ジョージ・ベスト(マンチェスター・ユナイテッド)がシュートするイメージ(妄想)で昇天するのだ。これを全く大真面目に演じている。  そして、本作の白眉は、やっぱり、ホットドッグスタンドと「アンジェリカ嬢の看板」のシーンまわりだろう。モルダー=ブラウンと会員制クラブの受付嬢との会話が、360度パンみたいな手持ちのカメラワークで切り取られる演出にも、陶然となるし、こゝから、ホットドッグ売りの東洋人(ピンク・パンサー・シリーズのカトーだ!)とのやりとり、娼婦の部屋での会話シーンを経て、ストリップクラブの「アンジェリカ嬢の看板」を盗んで地下鉄へ乗り込む一連のシーンは素晴らしい。夜のプールに浮かぶ看板のカットも絶品だ。  また、全編に亘っていろいろと言及したくなる象徴的演出が散りばめられており、そういう意味でも、とても豊かな映画だ。冒頭から出血のイメージを喚起する自転車の赤いフレーム、赤いペンキ。登場間もなく、プールサイドを歩きながら、いきなり、プールの中に落ちるジョン・モルダー=ブラウン。彼はその後、何度もプールの中へ落下する。また、その際、水中では裸のジェーン・アッシャーが幻影として登場するのだ。これらはラストへ向かって収斂する象徴的演出だ。あるいは、アッシャーと「アンジェリカ嬢の看板」、モルダー=ブラウンと顔をくりぬかれた、妊娠した男性の政府広報ポスター、といったアバター的(分身的)装置。同様に、ダイヤモンドと雪、というのも、相似性の象徴として利用され、とても上手くプロットをドライブさせている。ただし、このような、観客が容易に言及することができる(することを促す)シンボリックな引っ掛かりを残すことは、果たして映画にとって良いことなのか、価値と云えるのか、少々疑問に感じるところもある。
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[030]スリー・ビルボード
 変貌Katsumi_Egi (Mail)2018-02-09
 
 冒頭から、草原の広告看板の遠景、フランシス・マクドーマンドの登場、何か思いついた表情をした後の、エビングの町の広告会社での行動、サム・ロックウェルが夜、看板を見つ・・・
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 冒頭から、草原の広告看板の遠景、フランシス・マクドーマンドの登場、何か思いついた表情をした後の、エビングの町の広告会社での行動、サム・ロックウェルが夜、看板を見つけるシーン、といった序盤の展開は、かなりいい調子。ウディ・ハレルソンの懐の深いキャラが良く、特にブランコでのマクドーマンドとの会話シーンの表情には感心した。このシーンだけで、ロックウェルに勝っていると私は思う。馬房の前での顛末の後、馬がゆったりと外に出て草を食む時間の描き方もいい。  しかし、中盤登場するマクドーマンドの別れた夫と19歳の恋人の描き方が、ちょっと戯画化され過ぎており、違和感がある。前半から豊かな時間の描写や知的な冗句・警句で構築してきたムードが、いきなり、直截なコメディ志向に突入する感覚を持った。同じように、娘のフラッシュバックもイマイチ。こんな因果なワザとらしいシーンは、ノイジーなだけでいらない、というのが私の感覚だ。さらに、ロックウェルの切れっぷりも、ちょっと作り物めいている(シーケンス・ショットとしては見応えあるが)。火炎壜もやり過ぎ。こゝまで描くと、アイロニカルなファンタジーと云えると思うが、主演がマクドーマンドなだけに、あからさまなコーエン志向に思えてくる。  ただし、全ての登場人物が、映画中に変貌を遂げることへの徹底は圧巻で、皆、登場の際に観客へ与えた印象が、映画中にギアチェンジする。これを、誰一人、分裂したキャラクターと感じさせずに、ぎりぎり納得性を担保しているところが素晴らしいし、面白さに繋がっているだろう。主要登場人物については補足する必要もないと思うが、例えば、別れた夫の19歳の恋人であれば、最初の登場ではアホとしか思えない扱いだが、後半のレストランのシーンでは、マクドーマンドへ重要な示唆を与える人物として描かれるのだ。  ラストもいい。このラストでポイントを上げる。このカットで終わればいいな、と思っているカットで終わる。 #ロックウェルの方が分かりやすいキャクタリゼーションなので、彼が助演賞を取るかもね。でも、ロックウェルは主演賞候補でもよかったぐらいの役割だと思います。
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