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 「Katsumi_Egi」さんのコメント一覧 登録数(1387件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]ウィッチ
 双子Katsumi_Egi (Mail)2017-08-20
 
 冒頭、村から離れた家族が、森へ着き、ややあって、主人公トマシン−アニヤ・テイラー=ジョイが、赤ちゃんに「いないいないばあ」をするシーンあたりまでの音響があざとくて・・・
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 冒頭、村から離れた家族が、森へ着き、ややあって、主人公トマシン−アニヤ・テイラー=ジョイが、赤ちゃんに「いないいないばあ」をするシーンあたりまでの音響があざとくて(というか無駄に音が大きいので)、こりゃまずいな、と思っていたのだが、その後、音使いは落ち着く。ただ、赤ちゃんがさらわれる場面の繋ぎは、ちょっといただけない。赤ちゃんがいなくなってしまった後の、トマシンの挙動も、あっけらかんとし過ぎで納得性を欠くのだが、このあたりは伏線と取るべきか。  トマシンにはすぐ下の弟ケイレブと、まだ下に年の離れた妹弟の双子がおり、これら兄弟姉妹のキャラクターは面白い。特に双子が意地悪く気味悪く、トマシンを追い込むのがいい。しかし、最も昂奮をそそる場面(というか流れ)は、弟ケイレブの一連の顛末で、中でも悪魔憑きのシーンは驚愕する。この後の家族全員の恐慌を導く、という意味でも、矢張り、ケイレブのシーンがクライマックスだと云えるだろう。  尚、自然光と画面内の光源を最大限に活かした撮影は大きな見どころだ。最新の技術を用いれば、このような画面の創造は、かつて(ジョン・オルコットが試みた頃)よりも経験を必要としないのだろうか、などと思ってしまった。(私が知らないだけで、十分にキャリアを積んだ撮影者かも知れないですが)
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[002]君の膵臓をたべたい
 長野里美Katsumi_Egi (Mail)2017-08-07
 
 原作既読。見る前の事前情報として、小栗旬と北川景子の役割ぐらいは聞こえてきており、実を云うと、また『世界の中心で、愛をさけぶ』の、あの改悪か、と思っていた。という・・・
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 原作既読。見る前の事前情報として、小栗旬と北川景子の役割ぐらいは聞こえてきており、実を云うと、また『世界の中心で、愛をさけぶ』の、あの改悪か、と思っていた。というか、洋の東西を問わず、ここ数年の回想形式化の濫発には飽き飽きしているのだが、それでも見ようと思ったのは、ひとえに、多くの映画ファンがヒロイン桜良を演じる浜辺美波という女優を誉めそやしている点だった。いや、浜辺美波ですが、ルックスや表情の演技もさることながら、何と言っても声がいい。この映画、この人のナレーションで勝負が決まるような映画だと思うのですが、彼女の声が圧倒的に素晴らしい。  また、撮影に関しても、とても面白く見た。全体に複雑な照明を凝らした画面の連続で、白い光が強調された、露光オーバーぎみのカットが多いのは気になったが(特に高校内は窓からの太陽光を模した照明で白い画面が多い)、志賀春樹(ヤな名前)−北村匠海が、桜良の家を訪ねる場面での土砂降りの雨の表現(部屋の中のローキー)等の対比も良く、光の扱いは面白い。また、たぶん、全てのカットが緩やかに動いているのも特徴的だ。途中で確認するのはやめたのだが、一見フィクスに見えるカットでも、とてもゆっくりとティルトやパンニングをしているのだ。この特徴は、撮影者(柳田裕男)のアイデアだろうか。同じ撮影者の、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』でも、確認することができる。(ちなみに、脚本の吉田智子も『カノジョは嘘を愛しすぎてる』に参加している)  さて、最初に書いた、小栗旬と北川景子について、もう少し書いておかない訳にはいかないでしょうね。簡単に書きますが、やっぱり、必要ないと思いました。小栗の役割は分からなくもないが、北川景子が全くいらない。この人が出てくると、映画が停滞する。また、小栗も、生徒−栗山へ思い出話を聞かせる、というシチュエーションはいくらなんでも胡散臭い。本当にどうしてこんなリスクヘッジ(人気俳優の登用)をかけるのだろう、と思ってしまいますね。小栗も北川も抜きにしてもらって、北村匠海と浜辺美波の二人に賭けて十分成功すると思うし、北村匠海と、恭子−大友花恋が墓参りするラストでいいじゃないか。  さてさて、もう少しだけ脇役について書いておきたいことが。かなり印象に残った脇役が2人。一人は同級生役の矢本悠馬。このキャラ作りは面白い。この人なかなかやると思う。あと、最後に桜良の母親として、ほんの数カットだけ登場する長野里美。この人の泣き顔が素晴らしい。この泣き顔に私はやられました!(主要な映画サイトで長野里美がキャスト一覧から割愛されているのは不満です!)
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[003]激動の昭和史 沖縄決戦
 大谷直子Katsumi_Egi (Mail)2017-07-16
 
 構成としては、軍司令部の小林桂樹、仲代達矢、丹波哲郎を軸にして、一部の重要な繰り返し登場する役(軍嘱託の散髪屋になる田中邦衛や、軍医の岸田森、前線の高橋悦史、戦場・・・
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 構成としては、軍司令部の小林桂樹、仲代達矢、丹波哲郎を軸にして、一部の重要な繰り返し登場する役(軍嘱託の散髪屋になる田中邦衛や、軍医の岸田森、前線の高橋悦史、戦場を歩く幼女など)を除けば、その他の登場人物は、軍人も民間人もほぼ等価に少ない見せ場を与えられているに過ぎない。しかし、どれもこれも強烈なシーンばかりで、見せ方も考え抜かれている。中でも「お国のためでなく、自分のために生きろ」と云う天本英世、終盤、洞窟の前で仲代に怒鳴り散らすだけの三井弘次なんかが嬉しい扱いだが、本作で一番の特別な人物は何と云っても大谷直子でしょう。彼女の科白「あなた帝国軍人なんでしょ、どうして壕から壕へ逃げ回るの!」という詰問も奮っているが、これがカメラ目線のカットズームアップで処理されるのだ!この数カットには突出感がある。  ただし、いわゆる普通の戦争場面は正直単調だ。米軍側の作戦行動も描かれず、米兵の人格も(多くのシーンで、その顔すら)全く描かない選択がなされており、もっぱら日本の陣地で爆弾が炸裂する場面が連続する。なので、実際は多数あったであろう肉弾戦(白兵戦)は殆ど描かれない。しかし、戦闘はもはや存在せず、存在していたのは、長々と続く殺人(自決を含めた)だったということを強調するには、この演出は奏功していると云えるだろう。 #確かに『シン・ゴジラ』における小出恵介や斎藤工なんかの扱いは、本作の登場人物の扱いに似ている。『シン・ゴジラ』に大谷直子のカットズームアップのような突出したカットがあれば良かったと思う。
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[004]ハクソー・リッジ
 狂気性Katsumi_Egi (Mail)2017-07-16
 
 ハクソー・リッジでの最初の戦闘が始まる場面は凄まじい。しばらくは昂奮が静まらない。唐突な着弾。銃弾のヘルメットに当たる金属音。その後、肉弾戦にもだんだんと慣れてく・・・
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 ハクソー・リッジでの最初の戦闘が始まる場面は凄まじい。しばらくは昂奮が静まらない。唐突な着弾。銃弾のヘルメットに当たる金属音。その後、肉弾戦にもだんだんと慣れてくるのだが、全体に戦闘シーンはよく描けている。つまり、中盤以降は見どころいっぱい、ということだ。前半の子供時代から、ジャクソン基地での訓練場面も、木目細かく演出されているのだが、しかし、生真面目過ぎるように思う。それは、もっと厳しさや狂気性が必要なキャラクターが、意外と優しい(いや優し過ぎる)というようなところでも感じてしまう。決定的なのは、主人公アンドリュー・ガーフィールドの父親役、ヒューゴ・ウィーヴィングで、この人が全然悪い人に見えないのは、プロット展開と整合せず、駄目でしょう。父親に銃を向けるフラッシュバックも、全く効いてこないのだ。あと、ヴィンス・ヴォーン軍曹にも、もっと怖い造型を期待してしまったではないか(ま、『フルメタル・ジャケット』を見た者が感じる、有り体な無いものねだりかも知れないが)。  夜の戦場で、ガーフィールドと二人になるスミティ役のルーク・ブレイシーが格好いい。戦争映画は魅力的な(サスペンスフルな)夜の戦場が描かれなければ値打ち半減だと思っているのだが、このあたりも及第ではある。
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[005]昼顔
 花火Katsumi_Egi (Mail)2017-07-02
 
 上戸彩の圧倒的な女優映画なのだが、伊藤歩の悪女の造型も出色だ。蛍、蛍光灯(カナブン!)、電灯(2匹の蛾!)、朝陽、夕陽、星空、打上げ花火、そして線路の信号といった光へ・・・
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 上戸彩の圧倒的な女優映画なのだが、伊藤歩の悪女の造型も出色だ。蛍、蛍光灯(カナブン!)、電灯(2匹の蛾!)、朝陽、夕陽、星空、打上げ花火、そして線路の信号といった光への感度。  部屋のベッドや床は勿論、川岸のウッドデッキや川の中、そして、夜の線路にも横たわる、という横臥の演出へのこだわり。或いは、伊藤歩と上戸彩への、歩けない、という状況の演出。  あゝ映画だ、と感じるカッティングがいくつもある。例えば開巻から、平山浩行との面接シーン、一人暮らしのスケッチ、そしてウインド・サーフィンをする平山が自転車で行く上戸を見るカット。この辺りまでの冒頭数分間のカット割りでも、その端正さに唸ってしまうのだ。或いは、「三浜自然の森」の、百葉箱がある川岸のシーンも、その悉くがキャッチするカッティングに溢れている。クレーンやドローンの使い方も、お手本と云いたいくらい巧い。  そして何といってもクライマックスの、伊藤歩が運転する自動車と、上戸彩の祭りの場面のクロスカッティング。実に見事なスリルの構築だ。車のフロントガラスに映り込んだ打ち上げ花火の外連味。その後の、上戸彩が夜の線路でのたうち回るディレクションも何という映画性。  惜しむらくは、エンドクレジットの措置だろう。どうしてこんなテレビドラマのような甘いシーンを入れたのか。単に、百葉箱だけのカットで終わる、ぐらいの方が百倍マシ。このクレジットバック処理で一点減点。
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[006]痴人の愛
 馬乗りKatsumi_Egi (Mail)2017-06-29
 
 ちょっとやり過ぎの感はあるが、安田道代も小沢昭一もまさにはまり役。どちらも同じぐらい強い。どちらも負けていない。それはつまりは増村が一番強かった、ということなのだ・・・
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 ちょっとやり過ぎの感はあるが、安田道代も小沢昭一もまさにはまり役。どちらも同じぐらい強い。どちらも負けていない。それはつまりは増村が一番強かった、ということなのだろう。田村正和と倉石功の不良学生コンビのからませ方も鮮やかだし、小沢の母親・村瀬幸子の聡明な造型と安田の母親・清川玉枝のいい加減というか大らかさというかの表現も対比が効いていて見事だ。清川は実に上手い。  ギャグのように反復されるシーン繋ぎが印象的。ひとつは、小沢の職場である工場の場面に入る際に、必ずお約束のようにパイプやダクトや煙突のカットが挿入される部分。そして、もうひとつは、安田が小沢の背に馬乗りになるシーン。最初にフルショットで示されるのだが、途中でカッティング・イン・アクションによって、寄りのショットに繋ぐ。
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[007]瘋癲老人日記
 仏足石Katsumi_Egi (Mail)2017-06-29
 
 日本映画史上最強の足フェチ映画。実は、本作の原作は私が読んだ谷崎の中でも一番好きな小説で、木村恵吾が山村聡と若尾文子で映画化しているという事実を知ったときから、見・・・
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 日本映画史上最強の足フェチ映画。実は、本作の原作は私が読んだ谷崎の中でも一番好きな小説で、木村恵吾が山村聡と若尾文子で映画化しているという事実を知ったときから、見たくて見たくてしようがなかった作品だ。さて見てみると、想像通りの素晴らしい出来なのだ。  なんというアイロニー。題材に比して、全編ほとんど格調高いローアングル。屋内の引き気味のフルショット。空ショットも多い。アクション繋ぎもばっちり決まっており、小津を意識したのかな、と思える部分もあるのだが、いや、多分違うのでしょうね。横移動のカットも結構ある。若尾へのディレクションも素晴らしいが、山村の演技は凄絶です。本当はどうか分かりませんが、山村自身が思いっきり楽しんで演じているように見える。しかし、エンディング近くの仏足石の足型取りのくだり(山村が若尾の足の拓本を取ろうとするシーン)の執拗さは木村恵吾が粘ったのだろう。いつ果てるともなく、足型取りを繰り返すのだ。若尾文子がくたくたになるまで!そしてラストカットの突き放し、客観描写の冷徹さも唖然とする素晴らしさ。 #備忘で配役などを ・山村聡の家族構成。妻は東山千栄子。同居する長男が川崎敬三。その嫁が若尾。山村と東山の娘たちに村田知栄子と丹阿弥谷津子。村田は京都在住。家族旅行の風呂場のシーンで村田の乳房が露わになるカットがある。吃驚。 ・若尾の若いボーイフレンドに石井竜一。シャワールームに一緒に入る関係。 ・丹阿弥の友人で藤原礼子。若尾と石井がボクシング場で密会するのを目撃する。
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[008]スプリット
 怪物Katsumi_Egi (Mail)2017-06-24
 【ネタバレ注意】
 相変わらず、盛り込み過ぎというか、無駄な色気を出してしまうというか、悪い癖だと思う。これで、枝葉を取り除いて、24番目のビーストによるスペクタクルにストレートに収斂・・・
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 相変わらず、盛り込み過ぎというか、無駄な色気を出してしまうというか、悪い癖だと思う。これで、枝葉を取り除いて、24番目のビーストによるスペクタクルにストレートに収斂させ、90分ぐらいに収めていれば、大傑作になっていたかもしれない。それぐらい、面白い部分は面白いのだ。  まず、大胆に云えば、フラッシュバックはすべて無くてよい。ヒロイン=ケイシー、アニャ・テイラー・ジョイと叔父との関係を示唆する回想はノイズでしかない。叔父の話がなくても、体の傷痕だけ見せるだけでも成立するではないか。誰に虐待されていたのか不明な方が謎があっていいではないか。救出された後、警官から、叔父さんが迎えに来ている、なんて云われて放りっぱなしにする措置も後味が悪く、本当につまらない蛇足を付ける悪い癖だと思う。あと、主治医のベティ・バックリーとのやりとりもクドイと感じる部分があり、緊張感を停滞させる。  しかしながら、最後に出てきた24番目のビーストは想像を絶する。この怪物の造型だけで、十分に勝負できると私は思うのだ。部屋の壁をよじ登らせたりするのには笑ってしまうのだが、このような、未曽有の恐怖の中のユーモアも図抜けたセンスだと思う。ジェームズ・マカヴォイのポテンシャルにも驚愕。
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[009]美しい星
 軌道Katsumi_Egi (Mail)2017-06-24
 
 やっぱり、橋本愛にまつわる部分が一番面白くて、何と云っても、金沢のライブ会場における視線の交錯と、このシーンから続く、料亭での食事シーン、浜辺でのダンスシーンとい・・・
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 やっぱり、橋本愛にまつわる部分が一番面白くて、何と云っても、金沢のライブ会場における視線の交錯と、このシーンから続く、料亭での食事シーン、浜辺でのダンスシーンという有無を言わさぬ意味不明の展開には興奮した。料亭の場面では、座った二人の後方にカメラを置いたカット(しかも緩やかな横移動カット)で切り返す。これが絶妙に二人の頭を重なり合わせるのだ。浜辺のダンスでも二人(とその影)は重なって映される。これらを見た瞬間、太陽系の軌道のメタファか?と思ったのだが、二人の交接の象徴というダブルミーニングでもあるのだろう。  あとは、リリー・フランキーが車の運転中に光に包まれ、気が付くと、車が田んぼの中にいる、という場面。こゝで登場する警官のカットの仰角構図がかなりキャッチーな良いカットでした。明記したい。  亀梨和也まわりでは、プラネタリウムのシーンのような違和感のある演出もある中で、矢張り、代議士事務所に勤め始めた最初の日に、エレベータで、何度も予知イメージを反復するシーンが笑えました。佐々木蔵之介のいい加減さも良いのだが、この人をもっともっと怪演と感じさせるディレクションがもう一ひねり欲しいところ。
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[010]台北ストーリー
 湯の町エレジーKatsumi_Egi (Mail)2017-06-17
 
 これも抜群に面白い!『恐怖分子』や『クーリンチェ少年殺人事件』と比べれば、先鋭度が低いというか、淡々としているように感じられるのだが、冒頭からラストまで、本当に必・・・
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 これも抜群に面白い!『恐怖分子』や『クーリンチェ少年殺人事件』と比べれば、先鋭度が低いというか、淡々としているように感じられるのだが、冒頭からラストまで、本当に必要十分なカットしかないのではないか、という気がしてくる。  多くのシーンで全く説明的な描写がない。例えば、ヒロインのアジン(ツァイ・チン)と職場の設計士との関係は不倫関係と云えるのか。或いは、アリョン(ホウ・シャオシェン)と東京(前妻や子供)との現在の関係なんかも、殆ど人物のアクション/リアクションで語られるのみで、台詞や視点の強制による説明が少ない。勿論、観客にとっては謎が残るのだが、謎なんて解決されなくっても何の問題もない。映画は理解するために見るのではないのだから。胸苦しくなる(興奮をそそると言い換えてもいい)画面だけが映画の真実なのだ。それはラストまで徹底されていて、アリョンの結末も見せられない。 #昔はプロ野球選手を目指していたが、今はタクシー運転手に身をやつしているアリョンの友人はウー・ニエンジェンだ。このダメ男ぶりがとてもいいキャラ。彼は『恋恋風塵』『悲情城市』を含む台湾映画を代表する脚本家であり、『ヤンヤン夏の思い出』の主人公(NJ・お父さん)でもある。 #東京から持ち帰ったビデオ(テレビの録画)の中に石原裕次郎が出ているCMが出てくる。あと、広島カープ対阪急ブレーブスの試合。高橋慶彦が映る。1984年の日本シリーズだろう。 #富士フィルムと日本電気(NEC)のネオンサインが何度も映る。
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[011]LOGAN/ローガン
 サングラスKatsumi_Egi (Mail)2017-06-11
 
 強烈な「老い」の映画であり、横臥の映画だ。それは勿論、チャールズ(プロフェッサーX)も体現するのだが、ファーストカットが車中で横になっているローガンであるというこ・・・
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 強烈な「老い」の映画であり、横臥の映画だ。それは勿論、チャールズ(プロフェッサーX)も体現するのだが、ファーストカットが車中で横になっているローガンであるということで宣言されるように、これはもっぱらローガンの老衰の映画なのだ。彼は、登場から既に瀕死の重傷を負っているかのようだ。特に中盤から後半は、横たわったシーンが多くなる。ただ、私は見ながら、かなり混乱した。なぜなら、衰えていようと彼は不死ではないのか。傷付けられても、驚異の治癒能力で回生するはずではないか。この、作り手がでっち上げた所与の条件があるために、アクションシーンにおいても、どうしても生身の人間のような死活のスリルを味わうことができなかったのだ。  また、本作は、横たわる場所としての墓所の映画だとも云えるだろう。墓地は都合4回出てくる。初めてローラが登場する、ローガンとローラとの出会いのシーンも墓地なのだ。  さて、追ってくる義手の男、ボイド・ホルブルックはなかなかいい雰囲気の敵役だ。今後が楽しみ。あと、ロードムービーっぽくなってからの、走る車の中でオシャレな縁のサングラスをしたローラのカットは単純に画的にカッコいい。逆に、よろしくない点としては、ローラを連れてきた女のタブレット端末に格納されていたムービーファイルを映して事の次第を理解させる展開はあまりに安易な説明的演出ではないか。ローラが唖者として認識されていた、なんてのも「なんでやねん!」と思う。
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[012]メッセージ
 フラッシュバックKatsumi_Egi (Mail)2017-05-30
 
 ファーストカット、画面全体が黒く、俄かには何なのか判然としないのだが、徐々に木目が見え、天井の移動撮影だと分かる。大きな窓のある湖畔の家のリビングだ。事件が起こっ・・・
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 ファーストカット、画面全体が黒く、俄かには何なのか判然としないのだが、徐々に木目が見え、天井の移動撮影だと分かる。大きな窓のある湖畔の家のリビングだ。事件が起こった直後、人けのない大学構内をエイミー・アダムスが歩く場面で、道にかかった陸橋の、その天井をファーストカットと同じように移動撮影で映すカットもある。モンタナの事件現場。ヘリコプターでの移動の空撮では、広大な大地と、船の威容さ、軍施設の禍々しさに括目するが、それに対比するかのように、実際の施設内の閉所感−テントの天井の低さが強調される。到来した船は、遠目には直立した巨大な楕円形だが、人が真下に近づくと、大きな天井として画面で示される。そして、船の内部は四角柱の無重力空間で、側面が天井でもある、ということが鮮やかに描写される。という訳で、本作は圧倒的な天井の映画なのである。押し潰されるような圧迫感が映画全体を支配する。その暗喩を穿鑿することも楽しいが、こゝではやめておこう。エイミー・アダムスが、ただ一人で船内に入って行く場面では、天井も透明の壁も取り払われ、初めて直接的なコンタクトが描かれるのだが、この場面では、もっと天井の無い解放感があった方が良かったのではないか、と思ってしまった。  尚、爆弾が仕掛けられる展開はいくらなんでも拙速だと感じる。さらに、後半のエイミー・アダムスの描かれ方(その活躍、或いはその人生の選択)、これに多くの観客は参るんでしょうけど、私は理屈に過ぎるというか、理に落ちていると感じてしまう。矢張り、フラッシュバックをこんなに使わないと描けない映画は、映画にしない方がいいんじゃないか、という感覚を持つ。美しい自然描写、美しい自然光で描かれたフラッシュバックが、全て理屈のためのものだったというのは興醒める。
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[013]バーニング・オーシャン
 Katsumi_Egi (Mail)2017-05-30
 
 かなり面白いパニック・モノの新たな佳作だ。まず、のっけから、何だか良くわからないが、海底に突き刺さっているパイプの水中映像が、外連味たっぷりでドキドキさせられる(・・・
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 かなり面白いパニック・モノの新たな佳作だ。まず、のっけから、何だか良くわからないが、海底に突き刺さっているパイプの水中映像が、外連味たっぷりでドキドキさせられる(前半この映像が度々繰り返される)。その直後の、マーク・ウォールバーグとケイト・ハドソンの朝の閨房シーンの光の扱いもなかなかいい。娘との朝食で、コーク缶に突き刺した管(ストロー)と溢れる内容物。石油掘削のイミテーションという趣向。あと、繰り返しで上手いなと思ったのは、鳥の扱い。事件の現場となる掘削施設「ディープ・ウォータ・ホライゾン」へ向かうヘリコプターのシーンで、まず飛ぶ鳥がフロントガラス(っていうのか?)にぶつかる。この時、鳥自体は画面に映らない。激突の衝撃だけが演出されるのだが、後半、事件後にドロドロに石油まみれになった鳥(ペリカン)が一羽、船に侵入して操舵室を暴れまわるのだが、観客はヘリ衝突の場面も思い出しながら、とても不気味な感覚を味合わされるのだ。  さて、肝心のパニックシーン。事が起こってから(パイプから泥が吹き出した後)は圧倒的な瓦解と破壊のスペクタクル。いやあ、これは興奮する。施設内における爆発と炎の怖さも尋常じゃないレベルで描かれる。だだし施設周辺の海面の炎がイマイチなのだ。こゝをもう少し上手く見せていれば、クライマックスの海面へのダイブのスリルがもっと機能しただろう。
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[014]ゴンドラ
 宙ぶらりんKatsumi_Egi (Mail)2017-05-20
 
 高層ビルの窓拭きのゴンドラ。ゴンドラからの街の大俯瞰カットに、海の波をオーヴァーラップする。街頭シーン等で水中から撮ったようなエフェクトをかけた画面がある。あるい・・・
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 高層ビルの窓拭きのゴンドラ。ゴンドラからの街の大俯瞰カットに、海の波をオーヴァーラップする。街頭シーン等で水中から撮ったようなエフェクトをかけた画面がある。あるいは、ミルクを飲んだコップを覗いて、コップの底越しに見える部屋。その他、真俯瞰でカメラを回転させたり、走る少女を手持ちのカメラで追いかけたのであろう見事な移動撮影等、撮影と画面の技巧がちょっと吃驚するぐらい凝っている。少々古めかしさ(というか幼さというか)を感じる部分もあるが、映画を撮る喜びが伝わってきて、見ている私も嬉しくなる。  また、ゴンドラ、エレベータ、小舟、といった宙ぶらりんの乗り物のイメージ。ゴンドラの昇降装置、自動開閉するブラインドカーテン、レストランの配膳ロボットといった自動化を志向する非人間的な機械のイメージ。あるいは、白と赤の色の主題(初潮、ミルクの白、白い洗剤、白い文鳥、文鳥の羽の出血など)。これらの隠喩も、青臭さを感じもするが、しかし、画面の面白さに繋がっており興味を引っ張られた。  そしてもう一つ嬉しくなるのは、主人公の少女「かがり」の描き方が、前半と後半でかなり変わるのだが、その変貌ぶり、成長ぶりの対比がとても良い、というか、見ていて嬉しくなる趣向なのだ。さらに、木内みどりと佐々木すみ江に、共に風呂場のシーンがあり、いずれも「脱ぐ必然」等という事柄を一顧だにしなかっただろうと思えるぐらい、あっさりと胸をさらけ出すのにも感動する。  そしてそして、あゝこのカットで終わればいい、というカットで終わる。それは多くのプロットを「宙ぶらりん」にしながらなのだが、そこがいいのだ。
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[015]ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命
 顔の映画Katsumi_Egi (Mail)2017-04-23
 
 オープニングは黒画面に弦楽でスラーを強調した人を食ったような音楽。このテーマ曲がその後も要所で流れるのだが、多分作り手は本作がある種の喜劇であることを宣言している・・・
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 オープニングは黒画面に弦楽でスラーを強調した人を食ったような音楽。このテーマ曲がその後も要所で流れるのだが、多分作り手は本作がある種の喜劇であることを宣言しているのだろう。喜劇と云うのが云い過ぎだとしても、かなり客観的な、突き放した視点で作られている。  一方で、本作はナタリー・ポートマンの、圧倒的な顔の映画だ。ファーストカットは歩く彼女の顔アップだし、ラストカットもJFKの肩に顔を埋めるように傾けたカットで終わる。しかし、何と云っても、それが圧倒的だと思わせるのは事件直後、血や脳漿の付着した、頬や額を拭く、鏡に映ったアップカットだ。なんという強い画。思わずファルコネッティの泣き顔を想起する。このカットだけでも私は本作を最大限に擁護したいと思う。加えるなら、議事堂へ棺を運ぶ場面で、車の窓越しに映る顔のカットもいい。  記者ビリー・クラダップとのインタビューシーンは正面に近いバストショットでの切り返しで構成される。特に屋内シーンの照明は繊細だ。その他、テレビ撮影風景、テレビ画面のモノクロ映像、或いは記録映像と記録映像を模して撮影されたフォーカスの甘いカット(例えば議事堂内の棺のカットだとか)とバリエーションの豊富なフィルムが繋がれる。全体に記録映像とのルックの調和のためなのだろう、ワザとざらついた光学処理が行われている。このあたりの全体的な撮影技術も一級品だと思う。
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[016]■嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件
 Are You Lonesome TonightKatsumi_Egi (Mail)2017-04-17
 
 誰もが感じるであろう類稀なる光の映画。全く緊張感途切れることなく見る。それは全編に亘ってフィルムに殺意が定着したかのような緊張感なのだ。  パチン、という印象的な・・・
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 誰もが感じるであろう類稀なる光の映画。全く緊張感途切れることなく見る。それは全編に亘ってフィルムに殺意が定着したかのような緊張感なのだ。  パチン、という印象的な音とともに、電球が灯って映画はスタートする。守衛室の電球は主人公の小四・張震によって、打ち砕かれる。彼は目が悪い。奪った大きな懐中電灯(マグライト)を持ち歩き、自宅の押し入れ(小四の寝床)では日記を書く際の光源となる。電力事情が悪いのだろう、特に敵対する山東のアジト(ビリヤード台がある)では停電のシーンが度々反復され、蝋燭の光が重要な道具立てになる。台風で土砂降りの夜の殴り込みシーン。停電の闇の中で、刀が閃く。こゝも、とびっきりの光のシーンだ。光と闇から離れても、軍事演習場近くの原っぱのシーンや、学校内で、吹奏楽部の練習場所を背景に告白するシーン周り等(これらは、ほんの一例だが)、こういった昼間のカットの光も絶品だ。そしてヒロインは「小明」という、光に関わる名前を持つ。また小明と同じ「私を変えようと思っているのね」云々の台詞を云う小翠も、「翠」(みどり)という色彩に関わる名前を持っている。  今でも、主人公・小四のことを考えると胸締め付けられる切ない感情が湧き起こるのだが、それはヒロイン・小明のファム・ファタールとしてのキャラクター造型も照射された小四、つまり二人一体に対しての思い入れでもある。或いは、警察署で「あいつだけが友達だったのに」と泣く小馬の存在にも思いを馳せてしまう。ただ、小四の仲間の中では、小柄だが最も男気のある小猫王が出色の存在だろう。小公園というレストランで、フランキー・アヴァロン「Why」が歌われる中、彼が女性パートで入ってくるのには吃驚しながらも、思わず笑ってしまったのだが、他に「Angel Baby」を歌う。このキャラクターがいるといないでは、この映画の豊かさは大違いだろう。 #備忘 ・ヒロイン小明の、ほぼ登場シーンと言っていいカットが、保健室で手当をしてもらっているカットで、スカートがめくれて太腿が露わになっている。いかにも妖婦役らしい登場シーンだ。 ・小猫王の部屋にはプレスリーのポスターがある。プレスリーの大ファンなのだ。「Are You Lonesome Tonight」の文字起こしと翻訳を小四の姉に頼み、オープンリールのテープに吹き込む。これが愉快なエピローグを導く。 ・英語タイトルの『A BRIGHTER SUMMER DAY』はこのプレスリーの歌の歌詞から。 ・映画を見るシーンが2回。いずれもスクリーンは映らず、音声だけなのだが、2回目はジョン・ウェインの声とはっきり分かる。『リオ・ブラボー』だ。 ・保健室で小四が医者の帽子をかぶり、ガンマンの真似をする。 ・映画館の前での小翠とのシーン。貼られているポスターは『荒馬と女』か。
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[017]ムーンライト
 ククルクク・パロマKatsumi_Egi (Mail)2017-04-14
 
 私はオスカー嫌いなので、さほど見たいと思っていなかったのだが、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』へのオマージュがある、という記事を見かけ、本作を見る優先順位が・・・
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 私はオスカー嫌いなので、さほど見たいと思っていなかったのだが、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』へのオマージュがある、という記事を見かけ、本作を見る優先順位が跳ね上がり、見た。  とても短く感じた。あっという間に終わったという感覚。そう感じるだけの緊張感があり、全編息を詰めるように見つめた。シャロンとケヴィンをもっと見ていたかったとも思う。  三部構成。オープニングから第一部はフアン−マハーシャラ・アリが牽引し、強烈な存在感を発揮する。それだけに、第一部の魅力が頭抜けている感もある。第二部以降、フアンが退場してしまうのは、かなりの喪失感も覚える。しかし、この措置は逆に、本作の図太いプロット構成を際立たせてもいるのだ。同じように、テレサ(フアンの彼女)も第二部までは登場するが、第三部では出てこない。このあたりのプロットの取捨選択はとても潔い。  第三部の主人公シャロンの成長ぶりには確かに違和感もあるのだが、ただ、私は全体を通じても、母親との対話シーンといい、ケヴィンのもとへ向かう自動車のシーンからラスト迄といい、とてもきめ細かな演出、カット割りで、三部には胸締め付けられた。特に、ケヴィンに会いに行く車のシーンでBGMとして「ククルクク・パロマ」(これはウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』のオープニング近く瀑布の画面の曲)がかかり、海辺の子どもたちにディゾルブする処理には、さあ、いよいよクライマックスだ、という感慨を覚えるし、ケヴィンのダイナー(レストラン)へ入る手前の夜の舗道のカットからダイナーでの二人のやりとり、ドアベルのカットの反復。夜の砂浜と浜辺の見せ方。そして、肩と顔を寄せ合う二人のツーショット。あゝやっぱりカーウァイなのだ。 #屋内装飾、壁にかかった絵(浮世絵)や、扇子などを見ても東洋趣味が分かる。
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[018]お嬢さん
 恋慕と嫉妬Katsumi_Egi (Mail)2017-03-28
 
 三部構成の映画だが、矢張り、謎を広げる(或いは伏線を張りめぐらせる)第一部が最も魅力的だ。だが、決して尻すぼみ、という訳でなく、二部三部も、あっと驚かせてくれる。・・・
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 三部構成の映画だが、矢張り、謎を広げる(或いは伏線を張りめぐらせる)第一部が最も魅力的だ。だが、決して尻すぼみ、という訳でなく、二部三部も、あっと驚かせてくれる。本作も屋敷(家屋)が主役、と云ってよい映画なので、全体に窓とドアの映画になっている。窓を隔てた切り返しも多い。さらに第一部では、この家屋のその他の装置としての魅力も広がるのだ。海と崖が見える未舗装の道路の超ロング(この画はCG臭い)。門から屋敷へ続く木立の中の道、その真俯瞰。らせん階段と壁の肖像画。女中部屋とお嬢さんの部屋の空間描写。広い庭。書庫と朗読場の入口の前の蛇。箪笥と抽斗、沢山の手袋などなど。  そして第一部の白眉は、浴槽のシーンだろう。お嬢さんの頬の内側を指にはめたヤスリですりすりする。この描写の執拗さ!(私はあと2倍ぐらい長くてもいいと思ったが)。第一部における、惹かれあう二人の恋慕と嫉妬の演出がたまらない。やはり、本作は、この魅力に尽きるだろう。  第二部以降は、第一部の繰り返し(と種明かし)が多くなり、ちょっとくどい、と思う部分も出てくるが、それでも、人物の関係や思惑の種明かしだけでなく、屋敷の装置としての新たな側面も描かれて、面白さが増幅する部分も多い。書庫と朗読場で何が行われているのか。或いは地下室の正体等。 #韓国タイトルも、邦題と同じで「The Lady」という意味とのことだが、英語のタイトルは『THE HANDMAIDEN』なのだ。日韓と英米のタイトル、タイトルロールが逆になっている。
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[019]ざ・鬼太鼓座
 リュミエールKatsumi_Egi (Mail)2017-03-22
 
 加藤泰の遺作は、もう全カットがこゝしかない、という決定的な構図で切り取られた驚異のドキュメンタリー映画なのだ。いやドキュメンタリーというジャンルで括るのもはばから・・・
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 加藤泰の遺作は、もう全カットがこゝしかない、という決定的な構図で切り取られた驚異のドキュメンタリー映画なのだ。いやドキュメンタリーというジャンルで括るのもはばかられる。どちらかと云えば、真の音楽映画、というべきだろう。  ファーストカットは佐渡の海。怒涛。座員たちが雪の中を走る。男性は上半身裸。走ってきた女の子がこけるタイミングが絶妙で、なんだか、リュミエールみたい、なんてことを思う。こういったトレーニング場面や皆で面を作る作業の後、神社の境内での演目が始まる。最初は、これは練習(その完成度から、本番前の最終練習のようなもの?)かと思ったのだが、実は、この後、「鬼剣舞」「櫓のお七」「桜変奏曲」「佐渡おけさ」「大太鼓」「モノクローム供廖峅安耜鮖辧廖崢天擇犬腓鵑ら節」といったタイトルの完成された演目が続くのだ。中でも、最初の境内の場面には驚かされた。銀杏の木をバックにしたカットの構図なんかは神がかっている。或いは「桜変奏曲」の、桜の木を背にして花嫁衣裳の女性を撮った移動カットも何という映画性。また「大太鼓」のシーンは火山を模した装置の前で演じられるのだが、爆発と火花が始まった際には、どうしてこんなことやるのかと思ったが、だんだんと火花が画面を埋め尽くすように過剰になり納得。あゝこれぞ映画の外連味なのだ。  エンディングは冒頭と同じようにトレーニングの場面になり、座員(メンバー)の一人一人が字幕と共に紹介されるのだが、こゝにしても、はたしてドキュメンタリーと云うべきかどうか疑われる。ただ、ひとつ云えるのは、見事な画面、見事な演出だということだ。 #タイトルの「鬼太鼓座」は「おんでこざ」と読む。劇場入り口のポスターを見るまで私も「おにたいこざ」とばかり思っていたものだから、あやうくチケット売場で「おにたいこざ、一枚」と云うところだった。
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[020]マリアンヌ
 砂嵐Katsumi_Egi (Mail)2017-03-12
 
 鏡、鏡、鏡。窓を含めて圧倒的な鏡の映画。住居内の三面鏡なんかも忘れ難いが(衝立に隠れたマリオン・コティヤールの後ろ姿、その乳房が垣間見える!)、特に自動車のバック・・・
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 鏡、鏡、鏡。窓を含めて圧倒的な鏡の映画。住居内の三面鏡なんかも忘れ難いが(衝立に隠れたマリオン・コティヤールの後ろ姿、その乳房が垣間見える!)、特に自動車のバックミラーへの拘りは尋常じゃない。通常のフロントガラス上部のバックミラーだけでなく、運転席前方のダッシュボードにもバックミラーを置くという拘りようだ。  そして、本作でもロバート・ゼメキス+ドン・バージェスの仕事は、最も幸福なデジタル技術の活用と云えるのではないだろうか。その達成は何と云っても、砂嵐が叩きつける自動車の場面だろう。カメラは車内のブラッド・ピットとコティヤールの周りを回りながらジャンプカットで繋がれ、最後には車内からリア・ウィンドウをすり抜け、自動車の俯瞰へ移動するのだ。  ただし、ラスト前、飛行場のシーンにおけるクライマックスの後、車中の赤ん坊にパンニングするのはどうか。その後の回想場面もやり過ぎじゃないか。これはそういう映画だと分かっちゃいるが、私の好みで云えば甘過ぎる。  とは云え、全体にゼメキス+バージェスの充実ぶりを堪能することができる、画面の快楽に溢れた傑作だ。
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[021]ラ・ラ・ランド
 切り返しKatsumi_Egi (Mail)2017-02-26
 【ネタバレ注意】
 何と云っても「Dancing in the Dark」のアステアとチャリシーを想起せずにはいられない「A Lovely Night」のシーンが秀逸だ。二人がベンチに腰掛けてからの脚の演出。ベンチ・・・
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 何と云っても「Dancing in the Dark」のアステアとチャリシーを想起せずにはいられない「A Lovely Night」のシーンが秀逸だ。二人がベンチに腰掛けてからの脚の演出。ベンチの上に立ちあがった二人の頭を超えて、LAの夜景へ寄っていくカメラ。そしてカメラが引くと、二人のフルショットでのダンスを絶妙の構図で捕捉し続ける。これらを全くカットを割らずにシーケンスショットとして見せ切るのだ。何という見る快感。あとは「City of Stars」という楽曲が2回(エンドクレジットのハミングを加えると3回)使われるが、桟橋のゴスリングと黒人の老夫婦のシーンもいいし、ゴズリングとエマ・ストーンが部屋でデュエットする場面の幸福感が素晴らしい。「A Lovely Night」といい、これといい、ツーショットの演出が秀逸だ。それに比べてツアーからサプライズで帰ってきたゴズリングとストーンが口喧嘩になるシーンでアップカットのリバースショット(切り返し)を延々と見せられるのはちょっとシンドイ演出だ。  あと、映画館で『理由なき反抗』を見るシーンがあり、『エデンの東』等でない、ということで、おゝ分かってるやん、と思う。クレジットタイトルのジェームズ・ディーンのカットをバックにストーンがスクリーンの前に立つ。少々奇異な演出なのだが、これも現実離れしたとても映画らしい演出、と思っていると、グリフィス天文台のシーンでフィルムが焼けて上映中止になってしまう。この扱いには少し腹が立つが、この後、二人はグリフィス天文台へ行き、何ともファンタジックで美しいミュージカルシーンとなり、こゝも大いに感激する。  実は、冒頭のハイウェイでの「Another Day of Sun」のシーンは逆光が多く、人物の顔がアンダーで見づらいと思っていると、さらにルームメイト(ソノヤ・ミズノが出ている!)との「Someone in the Crowd」もローキーぎみだ。こゝで既に、私は本作が「影」のあるミュージカルなのだという予感がした。エピローグは、矢張りともて切ない演出で、21世紀のミュージカルらしい帰結と云えるだろう。上で、中盤のリバースショットが難点であるかのように書いたが、ラストの二人の視線の交錯は、切なさが倍増しされる、たまらない切り返しだ。
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[022]クロッシング
 高架下Katsumi_Egi (Mail)2017-02-03
 
 中盤の三景のクロスカッティングはとても迫力があり明記すべきだろう。 (1)ドン・チードルとウェズリー・スナイプスが、屋上で仲間の拷問を止める場面 (2)リチャード・ギアと・・・
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 中盤の三景のクロスカッティングはとても迫力があり明記すべきだろう。 (1)ドン・チードルとウェズリー・スナイプスが、屋上で仲間の拷問を止める場面 (2)リチャード・ギアと若い警官が、コンビニの店主と若者の諍いを仲裁する場面 (3)イーサン・ホーク達の「がさいれ」。ホークが札束を前に躊躇する場面  このように、3つのお話がラストまで殆ど交わることなく平行して描かれるのだが、それぞれに深い闇が横たわっており、重苦しいが重厚な見ごたえのあるシーンが連続する。フークアの演出では本作も全体に自動車の描き方がいい。しばしば、ブルックリンの高架下の道路が上手く使われる。クレーン撮影や空撮も目を引く。また、ギアが拳銃を口にくわえる部屋や、度々訪れる娼婦の部屋、或いは、ホークがその妻リリ・テイラーや子供たちと暮らしている住居など、屋内の描き方も、孤独感がひしひしと伝わる演出だ。家族と共にいるホークこそ孤独にさいなまれているのだ。あと、チードルがレストランで密会するエレン・バーキンがなかなかいい。この人、相変わらず鋭くて怖くて嫌な女を上手く出す。
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[023]マグニフィセント・セブン
 ガトリング銃Katsumi_Egi (Mail)2017-02-03
 
荒野の中でガンマン達が馬を走らせる場面を、斜め横後方から追走するカメラ。これは自動車で追っているのだろうか?ヘリにしては低い。まさかドローンということはないと思う・・・
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荒野の中でガンマン達が馬を走らせる場面を、斜め横後方から追走するカメラ。これは自動車で追っているのだろうか?ヘリにしては低い。まさかドローンということはないと思うが、なかなかカッコいい。デンゼル・ワシントン率いる主軸のガンマン達のカットだけでなく、ピーター・サースガード率いる敵側の多勢の疾走でも同様のカットを持ってくる。  スタージェス版よりも上映時間が長かった、とは思えないぐらい、コンパクトにまとめた感があったのだが、それは、人集めの(仲間を集める)場面が簡単に描かれ過ぎるのと、クライマックスの決戦が半日で終わってしまうことでそう感じたように思う。ただ、アクションシーンは(大虐殺シーンでもあるのだが)、これでもか、と見せてくれる。7人ともキャラクター付けは鮮明だし、サースガードの敵役も異常な怖さがよく出ていて、フークアらしい仕事だと思う。  イ・ビョンホンも目立つ良い役で、彼のキャラには旧作のコバーンの役柄が入っている、というのが嬉しい。あと、はぐれコマンチの青年、マーティン・センスマイヤー登場シーンの不穏な空気の演出がいい。ヒロインというか7人の一人と云ってもいいヘイリー・ベネットが胸の開いた服ばかり着ているのは違和感を感じる。娼婦が昼日中、町中でも見られるカットが多いのも違和感あり。そのわりには、全編に亘って性的なシーンは一切なく、普通ならヘイリー・ベネットにもう少しセクシーな見せ場を用意するところだろうが、なぜか、意図的に割愛されているように思う。  ガンファイトの舞台となる町の周辺のロケーションが特徴的だ。草原があり、川があり、川辺にはインディアン居留地?のようなテントが点在し、その向こうの山裾には鉱山がある。なかなか面白い立地だ。テントは後景として使われるに留まり、機能的には使われないが、草原は決戦の舞台となり見せ場を作る。しかしガトリング銃は威力あり過ぎじゃないかと思ったが。  これはネタバレになるかも知れないが、エンドクレジットの前に7人の紹介があり、エルマー・バーンスタインのテーマ曲がやっと流れる。ま、これには感激したのだが、素直にオープニングか、中盤の乗馬疾走シーンで、この曲を流しても良かったのではないかとも思う。
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[024]この世界の片隅に
 白鷺Katsumi_Egi (Mail)2017-01-11
 
 映画的な話ではないので恐縮なのですが、御多分に漏れず、私も映画を見た後、気になって原作を読んだクチです。何を一番確認したかったのかというと、実は冒頭の扱いでした。・・・
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 映画的な話ではないので恐縮なのですが、御多分に漏れず、私も映画を見た後、気になって原作を読んだクチです。何を一番確認したかったのかというと、実は冒頭の扱いでした。この映画を見た際に最も驚いたのは、冒頭、アバンタイトルで、幼いすずが船に乗って一人広島市内へお遣いに出ますが、その際にBGMとして讃美歌「神の御子は今宵しも」が流れ、広島市では、クリスマスの装いが描かれるのです。ちょっとこれには驚きました。タイトルバックの「悲しくてやりきれない」以上に、このクリスマスソングに驚いたのですが、原作ではこのシーンは昭和9年1月の出来事として、描かれており、明かな片渕須直による改変なのです。原作と映画との相違では、この部分は大して重要じゃないかも知れません。こゝよりも、夫・周作の過去の扱い、遊郭の女・白木リンの扱いの方が大きいかも知れません。ただ、私にとっては、本作がクリスマスの映画として始まる、というのは決定的に重要な細部です。  さて、もう一つ、大雑把な云い方ですが、映画を見た際に誰もが感じるであろう、隠喩の豊かさについても、原作で既に描かれているか検証したい、と強く思いました。例えば、タンポポや白鷺の表すもの。金床雲とキノコ雲。ばけ物と鬼(ワニを嫁にもらうお兄さん)。或いは、ネーミングによる多重性、すずとりん、すずの妹の「すみ」(片隅のすみではないか)、「ふたば」という料理屋。遊郭「二葉館」。これらは殆ど、原作通りですが、映画における白鷺のメタファーは原作をかなり超えるものです。  さてさて、映画の話をしましょう。本作の原作漫画を、或いは、実写の表現を遥かに凌駕する映画的演出で特記すべきは、まずは、呉の嫁ぎ先のロケーションです。山のふもと。斜面の畑。石垣。晴美と呉港を見渡して会話するシーン。タンポポの綿毛を飛ばすシーンで、周作と並んで石垣の上に座る場面など、高低と奥行きの描き方が圧倒的。そして呉で初めての大規模な空襲のシーン。「こんな時に絵具があれば」というモノローグ。青空に連続して描かれる破裂する爆弾。なんて美しい表現でしょう。また、時限爆弾の後の、黒地に線香花火のような落書き風の処理。こういうの、実写でやってもいいよなぁ、と思いながら見ました。 #もう少し、象徴について追記。やっぱり、本作において最も重要な色彩は白色なんだろうな、とつらつら思いました。思いつくまま白い色をあげてみます。上にも記しましたが、白いタンポポ。タンポポの綿毛。白鷺。白鷺の羽。波間の白うさぎ。白粉、白粉をふった、すずの顔。雲。アイスクリーム。包帯。砂糖。白米。
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[025]ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
 海岸線Katsumi_Egi (Mail)2016-12-31
 
 これはシリーズ中でも、かなり良く出来ていて、私の感覚では『帝国の逆襲』(エピソード5)の次に置きます。何といっても、ドニー・イェンとチアン・ウェンの扱いが一番うれ・・・
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 これはシリーズ中でも、かなり良く出来ていて、私の感覚では『帝国の逆襲』(エピソード5)の次に置きます。何といっても、ドニー・イェンとチアン・ウェンの扱いが一番うれしい。ドニー・イェンの無双ぶりをもっと描いてほしかった、というのは無いものねだりなのだが、これぐらいが簡潔でいいのだとも思う。また、主人公ジンが父親のマッツ・ミケルセンに再会する、惑星イードゥのシーケンスの複雑さがいい。夜で荒天、という場面の選択もいいし、反乱軍の爆撃が始まることで、観客は帝国側の反撃へも肩入れしたくなる、という複雑さがある。そういう意味では、ダース・ベイダーの決定的な見せ場を落とし所として持ってくるのだが、こゝも複雑な(しかし圧倒的な)昂奮を覚える場面だ。  尚、後半は、かなり戦争映画。このような決死のミッションとして描かれるとは全く予想していなかったので(本シリーズとしては勿論、戦争映画一般として考えても、こゝまでの顛末は予想し難い)、とても驚かされたのだが、顛末に比べて余り悲壮感はないし、繋ぎは混乱しているところがあるし、悪役のクレニック長官・ベン・メンデルソーンがイマイチ怖くないのは少々弱い。海岸線という戦争映画としては色々と過去作品を想起させる魅力的な舞台も、もっと巧く使えないかと思ってしまった。とは云え、ラスト数分の昂奮でポイントを稼いでしまうのだ。
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[026]誰のせいでもない
 響きと怒りKatsumi_Egi (Mail)2016-11-23
 
 もう、私はジェームズ・フランコに参ってしまった。ファーストシーン。オーケストラの音合わせの音。机とその上の小さなノート。そして目を瞑ったジェームズ・フランコ。そし・・・
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 もう、私はジェームズ・フランコに参ってしまった。ファーストシーン。オーケストラの音合わせの音。机とその上の小さなノート。そして目を瞑ったジェームズ・フランコ。そしてラストカットも、とびっきり上等のフランコのアップカットだ。これは何よりもジェームズ・フランコの「顔」の映画である。その顔の独創性は、いつも眠そう、ということころにある。。事故の後も、しきりに眠いという。睡眠薬で自殺未遂をする。ラスト近く、クリストファーとの会話シーンでも、目を瞑る。  そして、形式的には、間違いなくヒッチコックの末裔であると云える。それは端的には、シャブロルにも似た「Vertigo」(ドリーズーム)の活用だ。最もヒッチを思わせるのは、事故後、ゲンズブールの家が初めて映る場面だろう。ラストのフランコと庭の木を切り返して共に「Vertigo」であるという演出もかなり奇異なのだが、それは、これぞヴェンダース!という奇異さなのである。  中盤で、レイチェル・マクアダムスが消え、マリ=ジョゼ・クローズに取って代る、そしてマクアダムスが再登場し、その見せ場がある、というプロット構成もたまらない。 #本(ペーパーバック)を破いたゲンズブールが、その本をストーブに焚べながら、フォークナーは好き?と聞く。事故の際、彼女が夢中で読んでいたのは、フォークナーだったということだ。問われたフランコは「好きでも嫌いでもない」と応えるのだが、フランコは「響きと怒り」(2013・日本未公開)を監督・主演しているのである。ぜひ見てみたい。
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[027]君の名は。
 活劇的要素Katsumi_Egi (Mail)2016-10-16
 【ネタバレ注意】
 強引な力技で押し切っている感も多々あるが、それにしても、よく出来た面白い映画だと思う。やっぱり、三葉たちの住む山間部の造型が傑出していて、導入シーンに近い高校への・・・
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 強引な力技で押し切っている感も多々あるが、それにしても、よく出来た面白い映画だと思う。やっぱり、三葉たちの住む山間部の造型が傑出していて、導入シーンに近い高校への登校場面で、既に高低のよく定着した画面に没入してしまった。  中でも中盤の紅葉の山を、御神体の場所まで行く場面の美しさ。美しさで云えば、組紐のカットの写真的美しさも筆舌に尽くしがたい。  技巧的に感心したのは宮水家の玄関扉や電車のドア、といった引き戸の開閉を、真横からローアングルで撮ったカットの多用だ。最初に見た時点でかなり驚いたのだが、反復することで、良いリズムが生まれている。ドアの内外を異なる世界、異空間として描こうというような意図は希薄だろう。純粋に技巧的であるところがいいのだ。もう一つ、タイムリープのややこしい辻褄合わせと、うそ寒いベタな青春ドラマの狭間で、変電所の爆破、防災無線ジャックという、超高校生的な現実離れした活劇的要素の片鱗が見えるところも好きな部分だ。  尚、私もラストは物足りない。『天国から来たチャンピオン』のような、少しためらうぐらいの感覚の方が、余韻があっていいと思う。
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[028]ハドソン川の奇跡
 職務中Katsumi_Egi (Mail)2016-10-06
 【ネタバレ注意】
 携帯電話の映画。携帯電話という道具立ての映画性を再認識させてくれる。タブレット端末の画面の文字ではこうはいかないのだ。いや実は、何度も出てくる、主人公サリーとその・・・
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 携帯電話の映画。携帯電話という道具立ての映画性を再認識させてくれる。タブレット端末の画面の文字ではこうはいかないのだ。いや実は、何度も出てくる、主人公サリーとその妻との携帯電話での会話シーンが最も象徴的ではあると思うのだが、それだけでなく、管制塔との通信、ホテル内の内線電話、コックピット内で聞こえる客室のキャビン・アテンダント達の掛け声、そしてラストのボイスレコーダーなど、空間を超えた肉声(正確には肉声じゃないかも知れませんが)のコミュニケーションを丹念に描いた映画なのだ。その丹念さが胸を打つ。  主人公サリー(トム・ハンクス)と妻(ローラ・リニー)との携帯電話での会話シーンで、まず特筆すべきは、事故後(救出後)、妻に最初に電話する場面だろう。こゝは、ハンクスとしては、職務中の感覚のはずで(実際、この後、乗客の安否確認をしきにり気にするのだ)、私はてっきり、会社幹部にでも電話で報告するのかと思った。いやそうではなく、彼はまず、家族のことを思いやる。  次に、ラストの公聴会前のシーンを思い起こしてみよう。レストルームから出てきたトム・ハンクスが妻ローラ・リニーと携帯電話で会話をする。この場面のリニーとの会話に思わず目を潤ませてしまったが、実はこのシーンを見て、本作のラストシーンは、家族との再会、抱擁なんだろうな、と予想を立てた。ま普通ならそうでしょう。それがどうだろう。ラストでも妻子の元へ帰るシーンを出さないのだ。イーストウッドは、あの電話のシーンで、ローラ・リニーの出番としては必要十分だと考えているのである。副機長アーロン・エッカートによる、まあまあのアメリカン・ジョーク(?)で十分だと。  ただし、これは映画としての魅力か、と云われると、映画とあんまり関係ないところの話ではあると思いますが、本作の本当のラストシーンはサリーの妻のスピーチだ。ローラ・リニーの扱いは、このスピーチを含めた全体構成の中での判断ということでもあるのだろう。そのあたりも含めて、最近のイーストウッド映画らしい。なんだか優等生的過ぎる。誰かのアイデアなんだろうな、と思ってしまう。とは云え、とにかく完成度は高い。
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[029]ゴーストバスターズ
 昂進Katsumi_Egi (Mail)2016-09-11
 
 相変わらずゆるゆるのコメディだし、敵役が貧相だし、欠点はいろいろあげつらうこともできますが、でも、このエンドクレジット迄続くサービス精神は欠点を補って余りある。(・・・
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 相変わらずゆるゆるのコメディだし、敵役が貧相だし、欠点はいろいろあげつらうこともできますが、でも、このエンドクレジット迄続くサービス精神は欠点を補って余りある。(正直このエンドクレジットが一番感激した!)それに、ホルツマン役のケイト・マッキノンのボケぶりが最高。主要登場人物は皆可愛くって良いのだが、やっぱりマッキノンとクリス・ヘムズワースに目が行ってしまいます。人物の関係性の描き方も、ゆるゆる感が横溢しているけれど、ヘムズワースの受容のされようや、市当局との関係など、オトナの事情を納得できる要素も多々あり、つまりは懐の深い描き方なのだ。そのあたりを含めて良く出来ているのだ。  本当は最初に書くべきだったかもしれないが、映画としてのアクション場面も見所が多い。まずはしょっぱなのオルドリッジ邸のゴーストが、劇中台詞にある通り、実に美しくスペクタキュラーな造型で驚かされます。そしてクライマックスの、タイムズスクエアにおけるゴースト軍団との戦いのアクションは圧巻で、これは前作になかった本作のストロングポイントだ!こゝでも、マッキノンの見せ場が突出したアクションシーンとなり、その後冗長な展開を挟んで、マッキノンのスピーチ、さらにやゝあって、カメオ出演の感激、そしてエンドクレジットのヘムズワースの過剰なサービス、というポイントを押さえた流れで観客の満足感を昂進させてくれるのです。
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[030]イレブン・ミニッツ
 Katsumi_Egi (Mail)2016-09-05
 
 スコリモフスキの最新作は11分間という限定された時間を81分で描いた、10人を超える登場人物の群像劇。そうなると当然ながら、時空の錯綜が頻繁に表れる。さて、映画はこのよ・・・
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 スコリモフスキの最新作は11分間という限定された時間を81分で描いた、10人を超える登場人物の群像劇。そうなると当然ながら、時空の錯綜が頻繁に表れる。さて、映画はこのような知的な構成だけでスリリング足り得るだろうか。確かに先ほど起こった事象(例えば人の行き来だとか、ちょっとした会話だとか)が違った角度から反復される見せ方は最初の内は面白い。しかし、同じ場面を何度も見せられると、演出に工夫がないと飽きてくる。例えばホテルの廊下で嫉妬に狂う男の部分なんかは、ちょっと辟易、という感もある。とは云え全体に音の使い方で驚かされる場面も多く(飛行機の騒音に続けて鳩が鏡へ激突する!)、それに何と云っても、女優役パウリナ・ハプコの圧倒的な魅力で興味を引っ張られた。或いは、あっと驚く「偶然」を描いた映画でありながら、撮影現場はエキストラを含めて偶然を廃した完全な世界の創造を目指していたはずで、その成果をトレースする、というのはある意味スリルに機能する。  ラストで全員が収斂する展開については誰もが驚愕し、人によっては作り物過ぎて嫌悪し、人によってはその人を食った図太さに快哉をあげるだろうが、このような事件も日常の一コマである、という提示なのだろう。警備室の液晶ディスプレイに付いた「蠅のクソのような」キズや、画用紙に意図せず落とした絵の具の染みと同じようなものなのだ。これらと同じ、ということをラストのラストで映画の画面として提示されるのだから。
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