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 「Katsumi_Egi」さんのコメント一覧 登録数(1400件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]オン・ザ・ミルキー・ロード
 ビッグブラザーKatsumi_Egi (Mail)2017-10-16
 
 あゝモニカ・ベルッチは最早イタリアの宝石どころか世界映画史上の至宝だ。しかし、それにも増して、この映画ではミレナを演じるスロボダ・ミチャロヴィッチという女優が圧倒・・・
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 あゝモニカ・ベルッチは最早イタリアの宝石どころか世界映画史上の至宝だ。しかし、それにも増して、この映画ではミレナを演じるスロボダ・ミチャロヴィッチという女優が圧倒的なのです!なので、ミレナが退場するまでと、その後で、映画のテンションが全く変わってしまい、寂しくなるのが、どうしたって仕方がないところなのだ。という訳で前半から中盤にかけては驚愕の濃密度。もう全てのシーンが特筆すべきで、書き出せばキリがないが、特に、休戦の日の宴会シーン、ビッグブラザーの歌の場面は凄まじい。  そして黒ずくめの特殊部隊が登場してからの後半が、演出もいくぶん緩んでしまうのだが、しかし、それだって中盤までとの対比による減衰感だと云うべきだろう。葦の覆う湿地帯や、川の中を逃亡する描写にしても、カルスト台地を舞台にした、地雷原での羊の演出にしても、並の映画ではないことは確かだ。 #ベルッチが施設で毎日見ていた映画は『鶴は翔んでゆく』(『戦争と貞操』)
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[002]ダンケルク
 距離Katsumi_Egi (Mail)2017-10-04
 
 奮発してIMAXで見た。それなりに楽しく昂奮して見たし、充分見る価値のある映画だと思いますが、やっぱり不満も残る出来でした。まず、効果音の衝撃は良いですが、鳴りっ・・・
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 奮発してIMAXで見た。それなりに楽しく昂奮して見たし、充分見る価値のある映画だと思いますが、やっぱり不満も残る出来でした。まず、効果音の衝撃は良いですが、鳴りっぱなしのBGMの重低音がうるさ過ぎる。私の場合は、もう当分IMAXで映画を見たくない、と思ってしまったぐらい。  効果音は良いと云っても、例えば開巻一発目の被弾音は、『ハクソー・リッジ』での一発目のそれに及ばないなぁ、と思ってしまった。  また、3つの場面の時制の交錯とクロスカッティングは、矢張り上手くいっていない部分ばかりが目立ってしまう。例えば、マーク・ライランスの出港シーンとダンケルクの桟橋のシーンのクロスカッティングなんかも、緊迫感の差異があり過ぎて、いずれのシーンもスリルの昂進を下げている。あるいは、座礁した船が銃撃される(本当に射撃練習?)場面も、けっこう長くほったらかしにされる部分があり、テンションが中断する。  さらに、この時間の描き方によって、距離の感覚も狂わされてしまっている。というか、距離をまともに演出する気がないかのように感じられる。例えば、スピットファイア3機の内、トム・ハーディの搭乗機以外の、墜落及び海上着水した2機の位置の関係が全く分からない。あるいは、浜辺の座礁船が満ち潮で動き出してから、浸水が進み沈没するまでと、そこからライランスらの船までの距離があまりに近すぎるように感じる等。  そして、これも多く指摘されるところだと思うが、最初に浜辺が出現したあたりの人の数はまあまあ沢山で及第だと思ったが、救出のために駈けつけた民間船の量の感覚には唖然としてしまった。もう少し物量の感覚を出せないものか。  ドイツ軍人は基本的に一切出ない。どこからか来る銃弾。どこからか来る戦闘機、爆撃機、魚雷。こういうモチーフは、なかなか上手くいっていると思いました。
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[003]三度目の殺人
 Katsumi_Egi (Mail)2017-09-24
 【ネタバレ注意】
 力のある映画だ。力のある画面の連続だと思う。これをオリジナルで造型している、ということの価値を認めなければならない。ただ、前半の印象的な科白で、映画には理解や共感・・・
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 力のある映画だ。力のある画面の連続だと思う。これをオリジナルで造型している、ということの価値を認めなければならない。ただ、前半の印象的な科白で、映画には理解や共感はいらない、友達になるんじゃないんだ、というようなことを福山が満島に云う(ウソ!実際は「映画に」ではなく「容疑者に」)。なのに、後半、福山は容疑者の役所を理解すること、共感することに腐心し汲々とする。ま、それはいいとしても、私は映画は理解や共感するものではないと思っているので、本作の作り手が、特に後半になって、観客が理解しやすい説明的な画面作りを志向してしまう、この点についてはひっかかる。  説明的画面作りとは端的には、あの接見室の仕切りの透明板(アクリル材?)の反射を利用した、福山雅治と役所広司の顔面のオーバーラップを指している。さらに、「器」というキーワードの提示が説明を補強する、二人の人間の(或いは、観客を含めた人間一般の)、役所との同化のイメージ喚起。私も、この画面は強烈だし、昂奮させられもしたのだが、しかし、観客全員が、何をやろうとしているか明々白々な、超説明的な画面だと思うのだ(さらなる深読みは、人それぞれ可能でしょうが)。透明板に二人の顔を重ねるシーンは、実は中盤とエンディング近くと2回あるのだが、いくらなんでも、2回目はやり過ぎではないかと思う。さらに云えば、「器」の話も留萌での品川徹の科白だけで、いいじゃないか、とも。  前半で理解も共感も不要、と宣言した福山が、徐々に変貌する(留萌への出張など不要と言っていたのに、結局行くことになる等の)見せ方自体は小さな驚きの積算に繋がっている面は認める。  さて、画面の強さは、全体にローキーを基調とする画面の重々しさに多くを拠っており、さらに複数人物のロングショットやバストショットで見られる、緩やかな(気が付かないほど緩やかな)パンニングや、ステディカム移動のカットも指摘すべきだろう。  また効果的な視点移動も多々ある。空を意識させるシーンや、人物が見上げるシーンも多い。ドローンの使用は、タイトル明けの川面から、道路を走る自動車へのカットや、留萌へ向かう導入部の列車のカット(まるで、ハリー・ポッターシリーズのよう)、夢の中で、雪に寝転ぶ三人の真俯瞰等だろう。ラストカットの福山の俯瞰もドローンか。見上げるシーンでは、公園で二人で会話するシーンの、風で揺れる木の枝。接見室で、カナリアが飛んでいく様子を思い出して、部屋の上方へ目をやる役所と、役所が見た方向を振り返って見つめている福山。この福山のカット挿入は驚きがあり、かなりキャッチする。あと、早朝の光に手をかざす場面や、役所が拘置所の窓から鳥に餌をやろうとする場面、そしてラストの福山が見る空。これらは、ある種、形而上的な感覚を醸成する、と云ってしまえば、ありきたりな感もするが。  それと、この映画は3組の親娘の映画であると云えるし、3人の娘の映画であるとも云えるのだが。特筆すべきは、生きているはずの役所の娘が画面に登場しないことで、それなのに(だからこそと云うべきか)、かなり存在感があることだ。普通なら、というか観客は皆、留萌のシーンで役所の娘が出てくると思っていたのに、はぐらかす。これにより、不必要なノイズをプロット展開に持ち込まず、広瀬すずと役所との関係を際立たせることにもなっている。このデンで云うと、3組とも親は片親しか描かれない、という点も重要だろう。また、広瀬すずもそうだし、福山の娘−蒔田彩珠も「嘘つき」として造型されているのだが、例えば、広瀬の跛行(俗にいう「びっこ」)の真の原因が分からないのと同様に、「嘘泣き」は演技によるものとは云え、涙を流させた真の理由(心持ち)は分からない。裁判後の福山の目に浮かぶ涙も同じだ。こういうところ(福山親娘の涙の反復)も、原因や理由は深読みはできるとしても、描き方としては説明的と見ることもできるだろう。
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[004]狩人の夜
 畸形Katsumi_Egi (Mail)2017-09-17
 
 久しぶりに再見したのだが、ヤッパリとっても変な映画だと思った。決して名作とか傑作などと云うべきものではない。稀代の名優が生涯で一本しか監督作を残さず、しかもこの奇・・・
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 久しぶりに再見したのだが、ヤッパリとっても変な映画だと思った。決して名作とか傑作などと云うべきものではない。稀代の名優が生涯で一本しか監督作を残さず、しかもこの奇異さ、という事実も、本作のカルトムービーとしての価値を高めている。何が変なのか。第一に、いろんなものがゴタゴタし過ぎている。画面もプロット構成も、キャラクタリゼーションにおいても観客に引っかかりを残し過ぎる。空撮と接写(動物たち!)、「L-O-V-E」と「H-A-T-E」、水中の死体の幻想、小舟の川下りの詩情。シェリー・ウィンタースとリリアン・ギッシュの対照的な性格づけ。いやそれにしてもギッシュは強すぎる。ジョン少年の複雑さにも驚かされる。そしてエピローグの付け足しも畸形な構成に輪をかける。はたしてこれら分裂気味の志向性はロートンの資質なのだろうか、甚だ疑わしく思う。
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[005]リリアン・ギッシュの肖像
 残された唯一の贅沢Katsumi_Egi (Mail)2017-09-17
 【ネタバレ注意】
 ジャンヌ・モローによるリリアン・ギッシュへのインタビュー映画だが、ギッシュによるD・W・グリフィスの回想が主体なので、結果としてグリフィスについての映画だったとい・・・
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 ジャンヌ・モローによるリリアン・ギッシュへのインタビュー映画だが、ギッシュによるD・W・グリフィスの回想が主体なので、結果としてグリフィスについての映画だったという印象が強い。ただし話の端々から彼女の聡明さや物事に対するしっかりした考え方がよく伝わってくる。  グリフィスから離れた後の映画については『ホワイト・シスター』、『ラ・ボエーム』、『風』ぐらいしか語られない。例えば『狩人の夜』や『ウエディング』の話なんかも出るかと思っていたのだが。  ラストの問答がふるっている。子供が一人いたなら何を与えたいか?という質問に「好奇心」。「孤独」については「残された唯一の贅沢」
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[006]エル ELLE
 鹿Katsumi_Egi (Mail)2017-09-15
 
 なかなか懐の深い映画で驚いた。ヴァーホーヴェンってこんな映画を撮るんだ。不勉強でしたです。まず、猫のアップで始まるオープニングがいいのですよ。  暴行されたユペー・・・
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 なかなか懐の深い映画で驚いた。ヴァーホーヴェンってこんな映画を撮るんだ。不勉強でしたです。まず、猫のアップで始まるオープニングがいいのですよ。  暴行されたユペールが、結構普通というか、落ち着き払っており、なんだか怖い。すぐに平然と日常生活に戻って、微笑したりしているのも不気味で怖いのだ。この後、どんどん普通じゃない過去や背景、人間関係が繰り出されて、全く緊張感が途切れない展開だ。ユペール以外のキャラクターも皆複雑で一筋縄ではいかない性格付け。特に、会社でも経営パートナーの友人アンナと、隣人で敬虔なクリスチャンのレベッカについての行き届いた演出ぶり、ラスト近くの出番、会話なんか唸ってしまうぐらいだ。  さて、あからさまなショックシーンも要所で挟んで吃驚させてくれるのだが、冒頭の暴行シーンを中盤でフラッシュバックする部分で、黒い二つの手がいきなり現れ、捕まれるカットが一番ショック。他にも鳥(雀)が突然ドア窓にぶつかるとか、道路でいきなり鹿が飛び出すとか、唐突な運動の衝撃を上手く使っている。  あと、二台カメラなのか、補完ショットを使っているのか判然としないのだが(多分、マルチ撮影と思われますが)、普通しないところで、アクション繋ぎをする。例えばユペールが、外から帰ってきて、猫に飛びつかれた後のカット。或いは、アンナが、会社で、夫の浮気の疑惑を打ち明ける、ドアを背にしたカットなど、大きなアクションではない人物の立ち姿などで、あまり変化しない構図のカットを繋ぐのだ。これも、ジワリと観客に不安を感じさせる効果を狙っているのだろう。こういう細かな演出も大変面白く見た。
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[007]パターソン
 A-haKatsumi_Egi (Mail)2017-09-15
 
 なんて幸福な映画だろう。例えば、パターソン−アダム・ドライヴァーの詩作とその朗読の画面で、妻ローラ−ゴルシフテ・ファラハニが、ディゾルブでいちいち映る演出に感動する・・・
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 なんて幸福な映画だろう。例えば、パターソン−アダム・ドライヴァーの詩作とその朗読の画面で、妻ローラ−ゴルシフテ・ファラハニが、ディゾルブでいちいち映る演出に感動する。こんなに愛情が画面から溢れてくる映画は他に思いつかない。  最初の月曜日の朝、ローラは、双子の子供ができた夢を見た、と言う。以降、双子が何組も登場するのだが、何の説明もされないし、車庫の近くの工場前で出会う詩人の少女(「Water fall....」の詩を披露する)にしても、双子であること自体は全くプロットに絡まない(パターソンもちょっと驚くだけで、大きなリアクションをしない)というところがいい。或いは、前半で、ドッグ・ジャックが、あれだけ印象的に忠告されるのだから、普通なら、愛犬マーヴィンが盗まれる等あると思うのだが、一顧だにされないのだ。ただ、観客は夜の散歩で、バーの前にマーヴィンが繋がれる度に、誰かに持って行かれないか、心配になる。いい意味で観客に緊張感を与える効果に繋がっているのだ。このあたりも、ジャームッシュらしい。  上でこんなに愛情が溢れている映画はない、と書いたが、それは、云い換えると、こんなに、このメディアを愛している監督は他にいないのではないか、と思えるということだ。何よりもアダム・ドライヴァーとゴルシフテ・ファラハニのキャラクタリゼーションでそれを感じる。 #下は備忘  映画の話から離れてしまうが(というような前置きも濫発しており白々しくなってきた気もするが)、アダム・ドライヴァーは退役軍人であり、妻のローラは中東系女性なので、このカップルの設定は、トランプ大統領の時代では、風刺的な意味で面白みがあるだろう、というようなことをジャームッシュが言っている(ユリイカ特集号)。確かに、パターソンの軍服姿の写真が小さく映るカットがある。或いは、バーで拳銃を取り出した友人エヴェレットを取り押さえるシーンは、パターソンの軍隊経験の示唆にもなっているのだろう。
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[008]ワンダーウーマン
 雪降らしKatsumi_Egi (Mail)2017-09-07
 
 まず、ちょっと驚いたのは、嬉しいことに随分と夜のシーンが多いことだ。或いは曇天も多い。パラダイス島の昼間シーンは晴天ばかりなので、この島の美しさを強調することにも・・・
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 まず、ちょっと驚いたのは、嬉しいことに随分と夜のシーンが多いことだ。或いは曇天も多い。パラダイス島の昼間シーンは晴天ばかりなので、この島の美しさを強調することにもなっている。とは云え、島のシーンでも、例えば、島を出て行こうとする夜の場面はかなりのローキーだし、その後も、夜の船上のシーンもある。ロンドンに着いて以降は、パラダイス島と対比するように、曇天と汚れた街並、或いは戦場の殺伐とした風景が印象に残る。クライマックスの軍神アレスとの死闘も夜だ。。  もう一つ、予想に反したのは、もっとアクションの爆発的な表現が沢山あるのかと思っていたのだが、あまりなかったことだ。瞠目するシーンは、塹壕からの突撃後、占拠された町「Veld」での大暴れぐらいだ。ストップモーションに近い高速道撮影で、これ見よがしなCGの世界だが、プリプロダクションでの設計が綿密でないと、このような画面を造型することはできないだろう。いずれにしても、この町の解放シーンのあたりが、一番良い場面の連続で、集まった「はみ出し者」チームに、ネイティブアメリカンの酋長が加わって、野営をする、という西部劇的シーンもあったり、解放した町での夜のシーンもしっとりしていていい。雪が降って来る瞬間には感動するのだが、ただ、欲を云えば、もっともっと美しい「雪降らし」が欲しい、とも思った。ま、とにかく、戦場を舞台にする映画には、魅力的な夜の場面が必要なのだ。  さて、繋がりの悪い部分も結構あって、狙撃手チャーリーの扱いなんかは、当然あるべきシーンの欠落が気になりもするが、もっと引っかかってしまったのは実は、船上の二人の会話シーンだ。会話自体はかなりセクシャルなものなのだが、人間の世界のことを書物でよく勉強して、知っている、ということを分からせる、説明的なシーンだし、ジェンダー・ステレオタイプについての目配せを挟み込みたかったのだろうが、何よりも演出がまったくセクシーじゃない、頭でっかちなシーンだ。これはよろしくありません。  あと、特筆しておきたいのは、冒頭の神話についての語りの場面。絵画的な画面の造型はとても格調高くて、期待を募らせてくれる。これは良い導入部だと思った。
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[009]ザ・マミー/呪われた砂漠の王女
 豹変Katsumi_Egi (Mail)2017-09-07
 
 予想通りのCG使い倒し映画で全体に安っぽい画面なのだが、古代エジプト王女−ソフィア・ブテラに関連する部分、例えば、生きたままミイラとして埋められる場面での、嘆きの・・・
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 予想通りのCG使い倒し映画で全体に安っぽい画面なのだが、古代エジプト王女−ソフィア・ブテラに関連する部分、例えば、生きたままミイラとして埋められる場面での、嘆きの口をした大きな像など美術はわりといい。そこが救い。  活劇として飽きさせないローラーコースター感は維持するが、それにしても、キャラクターは、みんな複雑過ぎるというか、分裂しているというか、なんでもあり感満載なのだ。特にクルーズの自我のありようはプロットの奴隷のように、ご都合主義だ。ジェイク・ジョンソン演じる相棒ヴェイルも、悪い奴なのかいい奴なのか、はっきりしない。ラッセル・クロウの分裂ぶり足るや、と云いたいが、実はクロウの意味不明な豹変のくだりは私は大好きです。笑える。しかし、ヒロイン−アナベル・ウォーリスの扱いは、登場シーンで既にクルーズと一夜かぎりの関係を持っことがある、というヒロインにはあるまじきシチュエーション設定で、その時点で「なんじゃこりゃ」と思ってしまったが、特に伏線として必要な設定でもない訳で、ヒロインの魅力を初っ端から損ねるだけになっている。  ロンドン地下の水中で、ミイラが泳ぎながら追いかけてくる画は面白かった。
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[010]スパイダーマン:ホームカミング
 高所Katsumi_Egi (Mail)2017-08-31
 
 これも大したジェットコースター・ムービーなのだが、映画としての魅力ということでは、何と云ってもマイケル・キートンの悪役造型に尽きる。とてもチャーミングなのだ。  ・・・
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 これも大したジェットコースター・ムービーなのだが、映画としての魅力ということでは、何と云ってもマイケル・キートンの悪役造型に尽きる。とてもチャーミングなのだ。   活劇シーンでは、ワシントンDCのオベリスクの場面が、気に入った。スパイダーマン・シリーズなのだから、ある程度の高所が出てくるのは当然なのだが、本作のこのシーンの高所の見せ方はちょっと突出感がある。それはCG臭さが殆どない、生身で演じられたカットであるように見えるところが大きい。これに比べると、真っ二つになるフェリーのシーンや、輸送機がコニーアイランドへ墜落するクライマックスも、CG臭く、甘さを感じる。  トム・ホランドのピーター・パーカーは、随分と幼くなった感覚だが、スターク社の就活インターンシップというか、試用期間のような状況でもあり、とても仕事熱心。恋するリズとの約束を何度も反故にし、悪の退治を優先する。このあたりは、私はつまらないと思った。恋愛との板挟みはシリーズ過去作にも何度もあったかも知れないが、もう少しリズへの想いの大きさを伝える演出があってしかるべきだろう。淡白過ぎる。 #冒頭、『ダーティハリー3』のハリーの相棒、タイン・デイリーが貫禄たっぷりで登場。これも嬉しい!
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[011]ベイビー・ドライバー
 デフKatsumi_Egi (Mail)2017-08-31
 
 エンディングは犯罪映画として、ちょっとこんなことでいいのか?と考えてしまうのだが、いや、中盤から終盤にかけて、もう『トゥルー・ロマンス』の域に近づくかと思った。 ・・・
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 エンディングは犯罪映画として、ちょっとこんなことでいいのか?と考えてしまうのだが、いや、中盤から終盤にかけて、もう『トゥルー・ロマンス』の域に近づくかと思った。  ちまたではカー・チェイス・ミュージカルなんて呼ばれ方もしているようで、まるで振付師が設計したようなチェイスシーンの連続だ。確かに、そこが一番の見どころではるが、銃撃戦シーンもなかなか良く、特に『ヒート』の銀行強盗シークエンスを意識したとしか思えない、郵便局襲撃からの流れがいい。バディ−ジョン・ハムとダーリン−エイザ・ゴンザレスが並んで立ってマシンガンを撃ちまくるカットのカッコいいこと!  また。主要なキャラクターは皆ていねいに描かれており、ケヴィン・スペイシーとジェイミー・フォックスという2人のビッグネームも流石に強烈な印象を残す。ただ、フォックスは、登場から自分で云うほど、イカれていない。かなりスマート。理知的に見える。例えば、警官だから撃った、というように、理屈を通している。ジョン・ハムの行動もそうで、最後までベイビー−アンセル・エルゴートを追ってくるのは、あくまでも復讐、という理由が意識される。そう考えると、映画全体を通じて、理屈を大事にし過ぎかもしれない。だから、狂気的な地点まで到達していない、のかも知れない。そういう意味では、デボラ−リリー・ジェームズの行動が一番理屈が無いので、感動する。そこが、『トゥルー・ロマンス』の域、という意味でもある。  あと、音に対する繊細な演出も指摘すべきでしょう。ベイビーは、耳鳴りがするので、いつも音楽を聴いているという設定。デフ(聾者)の里親ジョー爺さんと暮らしており、アメリカ手話と、その字幕という画面が結構ある(このような画面自体が珍しいが)。なので、無音や、音を隠す、という演出の面白さが沢山ある。例えば、ジョー爺さんが、スピーカーの振動で音楽のリズムを感じ取っている、という描写が前半にあり、エンディング近く、至近距離での発砲により、一時的に音が聞こえなくなったベイビーが、カーステレオのスピーカーに手をあて、その振動により音を感じ取る、といった部分に感動する。
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[012]ローサは密告された
 取調室Katsumi_Egi (Mail)2017-08-27
 【ネタバレ注意】
 これがフィリピンの現実かどうか、なんて我々には分からないし、そもそも、そんなことは映画とは関係ないことではないかと私は思っていて、では、映画として、こゝで提示され・・・
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 これがフィリピンの現実かどうか、なんて我々には分からないし、そもそも、そんなことは映画とは関係ないことではないかと私は思っていて、では、映画として、こゝで提示されているコンテンツが衝撃的かというと、私には中程度の出来としか思えない。  まともなカットにできない撮影は、それはそういう戦略だとして非難にはあたらないとしよう、しかし、演じられている事柄についても、かつて数多の犯罪映画が描いて来た情況を超えるものを定着させているとは思えない。背景にうつし取られた文化や生活習慣は、現実を伝えているのかもしれないし、それは確かに興味深く見させてもらったが、しかし、映画にとっての価値とは思わない。  映画の話から離れてしまうが、あえて云えば、現実は、もっと酷い、ということはありませんか、と云いたい。シェイキーでピントをまともに合わせない撮影によって、いかにも現実らしい画面を誂えたことで、権力者の悪業を、この程度のレベルに抑えて見せている、これが現実だと思わせる情報操作に、結果的になっているかも知れない、と思ってしまう。こゝまで云うのは云い過ぎかも知れませんが、本当のフィリピンの現実は、売人は暴行されるにとどまらず殺害され、ローサの長女は(いや次男かも)、官憲によってレイプされる、ぐらいではないのか、という懸念。  さて、中盤、警察署の麻薬係の取調室が主な舞台となるが、この部屋から出ていく人物を何度もカメラは追いかける。部屋を出て廊下を抜け、建物の周囲を回り、正面玄関に出る動線の反復。これがしつこい。ローサ達が軟禁されている、この取調室の特異性、閉鎖性の強調表現なのだろうが、大した効果に繋がっているとは思えない。このあたりスッキリさせて100分を切る尺にすべきだろう。
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[013]甘き人生
 かくれんぼKatsumi_Egi (Mail)2017-08-25
 
 とても豊かな映画だ。時空をまたがって、同一のイメージの反復を観客に喚起する作りが意識的に行われており、豊かな映画の時間を感じる。主人公マッシモと母親が踊る冒頭のダ・・・
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 とても豊かな映画だ。時空をまたがって、同一のイメージの反復を観客に喚起する作りが意識的に行われており、豊かな映画の時間を感じる。主人公マッシモと母親が踊る冒頭のダンスと、ベレニス・ベジョの祖母の、ダイヤモンド婚式の場面でのダンス。母親とバスに乗っている際に仰ぎ見る銅像と、プールの観覧席の母親たちを映した、泳いでいるマッシモの見た目として提示される仰角カット。また、バスの中で見る、知らないカップルのキスのカットと、ダンスをした後、会場を抜け出し、ベジョとキスするカット。飛び込み競技の反復についても、ベジョがプールで体現する(その他多数ある落下のモチーフについては割愛)。或いは、テレビの中のベルフェゴールと、クラブのシーンで映し出される吸血鬼ノスフェラトゥ。マッシモの家と教会のいずれにもあるクリスマスの装飾、ベツレヘムの星。そして、サラエボのシーンで、ドアの前で血を流して倒れている女性と携帯ゲーム機に没頭する少年は、マッシモと母親のメタファなのだろう。これは音の使い方、という意味でも秀逸なのだが、母がいなくなる朝の、男の叫び声が忘れがたく耳に残り、母親の顛末と同時に、あの声は何だったんだろうと思いながら、見進めることになるのだが、ちゃんと後半で種明かしをしてくれる、なんてところも行き届いた演出を感じる。エンディングの「かくれんぼ」は、これも母を探求する人生の象徴なのだろうが、放ったらかし感−なんにも解決せずに終わる−の余韻も絶妙だと思う。
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[014]ウィッチ
 双子Katsumi_Egi (Mail)2017-08-20
 
 冒頭、村から離れた家族が、森へ着き、ややあって、主人公トマシン−アニヤ・テイラー=ジョイが、赤ちゃんに「いないいないばあ」をするシーンあたりまでの音響があざとくて・・・
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 冒頭、村から離れた家族が、森へ着き、ややあって、主人公トマシン−アニヤ・テイラー=ジョイが、赤ちゃんに「いないいないばあ」をするシーンあたりまでの音響があざとくて(というか無駄に音が大きいので)、こりゃまずいな、と思っていたのだが、その後、音使いは落ち着く。ただ、赤ちゃんがさらわれる場面の繋ぎは、ちょっといただけない。赤ちゃんがいなくなってしまった後の、トマシンの挙動も、あっけらかんとし過ぎで納得性を欠くのだが、このあたりは伏線と取るべきか。  トマシンにはすぐ下の弟ケイレブと、まだ下に年の離れた妹弟の双子がおり、これら兄弟姉妹のキャラクターは面白い。特に双子が意地悪く気味悪く、トマシンを追い込むのがいい。しかし、最も昂奮をそそる場面(というか流れ)は、弟ケイレブの一連の顛末で、中でも悪魔憑きのシーンは驚愕する。この後の家族全員の恐慌を導く、という意味でも、矢張り、ケイレブのシーンがクライマックスだと云えるだろう。  尚、自然光と画面内の光源を最大限に活かした撮影は大きな見どころだ。最新の技術を用いれば、このような画面の創造は、かつて(ジョン・オルコットが試みた頃)よりも経験を必要としないのだろうか、などと思ってしまった。(私が知らないだけで、十分にキャリアを積んだ撮影者かも知れないですが)
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[015]君の膵臓をたべたい
 長野里美Katsumi_Egi (Mail)2017-08-07
 
 原作既読。見る前の事前情報として、小栗旬と北川景子の役割ぐらいは聞こえてきており、実を云うと、また『世界の中心で、愛をさけぶ』の、あの改悪か、と思っていた。という・・・
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 原作既読。見る前の事前情報として、小栗旬と北川景子の役割ぐらいは聞こえてきており、実を云うと、また『世界の中心で、愛をさけぶ』の、あの改悪か、と思っていた。というか、洋の東西を問わず、ここ数年の回想形式化の濫発には飽き飽きしているのだが、それでも見ようと思ったのは、ひとえに、多くの映画ファンがヒロイン桜良を演じる浜辺美波という女優を誉めそやしている点だった。いや、浜辺美波ですが、ルックスや表情の演技もさることながら、何と言っても声がいい。この映画、この人のナレーションで勝負が決まるような映画だと思うのですが、彼女の声が圧倒的に素晴らしい。  また、撮影に関しても、とても面白く見た。全体に複雑な照明を凝らした画面の連続で、白い光が強調された、露光オーバーぎみのカットが多いのは気になったが(特に高校内は窓からの太陽光を模した照明で白い画面が多い)、志賀春樹(ヤな名前)−北村匠海が、桜良の家を訪ねる場面での土砂降りの雨の表現(部屋の中のローキー)等の対比も良く、光の扱いは面白い。また、たぶん、全てのカットが緩やかに動いているのも特徴的だ。途中で確認するのはやめたのだが、一見フィクスに見えるカットでも、とてもゆっくりとティルトやパンニングをしているのだ。この特徴は、撮影者(柳田裕男)のアイデアだろうか。同じ撮影者の、『カノジョは嘘を愛しすぎてる』でも、確認することができる。(ちなみに、脚本の吉田智子も『カノジョは嘘を愛しすぎてる』に参加している)  さて、最初に書いた、小栗旬と北川景子について、もう少し書いておかない訳にはいかないでしょうね。簡単に書きますが、やっぱり、必要ないと思いました。小栗の役割は分からなくもないが、北川景子が全くいらない。この人が出てくると、映画が停滞する。また、小栗も、生徒−栗山へ思い出話を聞かせる、というシチュエーションはいくらなんでも胡散臭い。本当にどうしてこんなリスクヘッジ(人気俳優の登用)をかけるのだろう、と思ってしまいますね。小栗も北川も抜きにしてもらって、北村匠海と浜辺美波の二人に賭けて十分成功すると思うし、北村匠海と、恭子−大友花恋が墓参りするラストでいいじゃないか。  さてさて、もう少しだけ脇役について書いておきたいことが。かなり印象に残った脇役が2人。一人は同級生役の矢本悠馬。このキャラ作りは面白い。この人なかなかやると思う。あと、最後に桜良の母親として、ほんの数カットだけ登場する長野里美。この人の泣き顔が素晴らしい。この泣き顔に私はやられました!(主要な映画サイトで長野里美がキャスト一覧から割愛されているのは不満です!)
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[016]激動の昭和史 沖縄決戦
 大谷直子Katsumi_Egi (Mail)2017-07-16
 
 構成としては、軍司令部の小林桂樹、仲代達矢、丹波哲郎を軸にして、一部の重要な繰り返し登場する役(軍嘱託の散髪屋になる田中邦衛や、軍医の岸田森、前線の高橋悦史、戦場・・・
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 構成としては、軍司令部の小林桂樹、仲代達矢、丹波哲郎を軸にして、一部の重要な繰り返し登場する役(軍嘱託の散髪屋になる田中邦衛や、軍医の岸田森、前線の高橋悦史、戦場を歩く幼女など)を除けば、その他の登場人物は、軍人も民間人もほぼ等価に少ない見せ場を与えられているに過ぎない。しかし、どれもこれも強烈なシーンばかりで、見せ方も考え抜かれている。中でも「お国のためでなく、自分のために生きろ」と云う天本英世、終盤、洞窟の前で仲代に怒鳴り散らすだけの三井弘次なんかが嬉しい扱いだが、本作で一番の特別な人物は何と云っても大谷直子でしょう。彼女の科白「あなた帝国軍人なんでしょ、どうして壕から壕へ逃げ回るの!」という詰問も奮っているが、これがカメラ目線のカットズームアップで処理されるのだ!この数カットには突出感がある。  ただし、いわゆる普通の戦争場面は正直単調だ。米軍側の作戦行動も描かれず、米兵の人格も(多くのシーンで、その顔すら)全く描かない選択がなされており、もっぱら日本の陣地で爆弾が炸裂する場面が連続する。なので、実際は多数あったであろう肉弾戦(白兵戦)は殆ど描かれない。しかし、戦闘はもはや存在せず、存在していたのは、長々と続く殺人(自決を含めた)だったということを強調するには、この演出は奏功していると云えるだろう。 #確かに『シン・ゴジラ』における小出恵介や斎藤工なんかの扱いは、本作の登場人物の扱いに似ている。『シン・ゴジラ』に大谷直子のカットズームアップのような突出したカットがあれば良かったと思う。
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[017]ハクソー・リッジ
 狂気性Katsumi_Egi (Mail)2017-07-16
 
 ハクソー・リッジでの最初の戦闘が始まる場面は凄まじい。しばらくは昂奮が静まらない。唐突な着弾。銃弾のヘルメットに当たる金属音。その後、肉弾戦にもだんだんと慣れてく・・・
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 ハクソー・リッジでの最初の戦闘が始まる場面は凄まじい。しばらくは昂奮が静まらない。唐突な着弾。銃弾のヘルメットに当たる金属音。その後、肉弾戦にもだんだんと慣れてくるのだが、全体に戦闘シーンはよく描けている。つまり、中盤以降は見どころいっぱい、ということだ。前半の子供時代から、ジャクソン基地での訓練場面も、木目細かく演出されているのだが、しかし、生真面目過ぎるように思う。それは、もっと厳しさや狂気性が必要なキャラクターが、意外と優しい(いや優し過ぎる)というようなところでも感じてしまう。決定的なのは、主人公アンドリュー・ガーフィールドの父親役、ヒューゴ・ウィーヴィングで、この人が全然悪い人に見えないのは、プロット展開と整合せず、駄目でしょう。父親に銃を向けるフラッシュバックも、全く効いてこないのだ。あと、ヴィンス・ヴォーン軍曹にも、もっと怖い造型を期待してしまったではないか(ま、『フルメタル・ジャケット』を見た者が感じる、有り体な無いものねだりかも知れないが)。  夜の戦場で、ガーフィールドと二人になるスミティ役のルーク・ブレイシーが格好いい。戦争映画は魅力的な(サスペンスフルな)夜の戦場が描かれなければ値打ち半減だと思っているのだが、このあたりも及第ではある。
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[018]昼顔
 花火Katsumi_Egi (Mail)2017-07-02
 
 上戸彩の圧倒的な女優映画なのだが、伊藤歩の悪女の造型も出色だ。蛍、蛍光灯(カナブン!)、電灯(2匹の蛾!)、朝陽、夕陽、星空、打上げ花火、そして線路の信号といった光へ・・・
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 上戸彩の圧倒的な女優映画なのだが、伊藤歩の悪女の造型も出色だ。蛍、蛍光灯(カナブン!)、電灯(2匹の蛾!)、朝陽、夕陽、星空、打上げ花火、そして線路の信号といった光への感度。  部屋のベッドや床は勿論、川岸のウッドデッキや川の中、そして、夜の線路にも横たわる、という横臥の演出へのこだわり。或いは、伊藤歩と上戸彩への、歩けない、という状況の演出。  あゝ映画だ、と感じるカッティングがいくつもある。例えば開巻から、平山浩行との面接シーン、一人暮らしのスケッチ、そしてウインド・サーフィンをする平山が自転車で行く上戸を見るカット。この辺りまでの冒頭数分間のカット割りでも、その端正さに唸ってしまうのだ。或いは、「三浜自然の森」の、百葉箱がある川岸のシーンも、その悉くがキャッチするカッティングに溢れている。クレーンやドローンの使い方も、お手本と云いたいくらい巧い。  そして何といってもクライマックスの、伊藤歩が運転する自動車と、上戸彩の祭りの場面のクロスカッティング。実に見事なスリルの構築だ。車のフロントガラスに映り込んだ打ち上げ花火の外連味。その後の、上戸彩が夜の線路でのたうち回るディレクションも何という映画性。  惜しむらくは、エンドクレジットの措置だろう。どうしてこんなテレビドラマのような甘いシーンを入れたのか。単に、百葉箱だけのカットで終わる、ぐらいの方が百倍マシ。このクレジットバック処理で一点減点。
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[019]痴人の愛
 馬乗りKatsumi_Egi (Mail)2017-06-29
 
 ちょっとやり過ぎの感はあるが、安田道代も小沢昭一もまさにはまり役。どちらも同じぐらい強い。どちらも負けていない。それはつまりは増村が一番強かった、ということなのだ・・・
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 ちょっとやり過ぎの感はあるが、安田道代も小沢昭一もまさにはまり役。どちらも同じぐらい強い。どちらも負けていない。それはつまりは増村が一番強かった、ということなのだろう。田村正和と倉石功の不良学生コンビのからませ方も鮮やかだし、小沢の母親・村瀬幸子の聡明な造型と安田の母親・清川玉枝のいい加減というか大らかさというかの表現も対比が効いていて見事だ。清川は実に上手い。  ギャグのように反復されるシーン繋ぎが印象的。ひとつは、小沢の職場である工場の場面に入る際に、必ずお約束のようにパイプやダクトや煙突のカットが挿入される部分。そして、もうひとつは、安田が小沢の背に馬乗りになるシーン。最初にフルショットで示されるのだが、途中でカッティング・イン・アクションによって、寄りのショットに繋ぐ。
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[020]瘋癲老人日記
 仏足石Katsumi_Egi (Mail)2017-06-29
 
 日本映画史上最強の足フェチ映画。実は、本作の原作は私が読んだ谷崎の中でも一番好きな小説で、木村恵吾が山村聡と若尾文子で映画化しているという事実を知ったときから、見・・・
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 日本映画史上最強の足フェチ映画。実は、本作の原作は私が読んだ谷崎の中でも一番好きな小説で、木村恵吾が山村聡と若尾文子で映画化しているという事実を知ったときから、見たくて見たくてしようがなかった作品だ。さて見てみると、想像通りの素晴らしい出来なのだ。  なんというアイロニー。題材に比して、全編ほとんど格調高いローアングル。屋内の引き気味のフルショット。空ショットも多い。アクション繋ぎもばっちり決まっており、小津を意識したのかな、と思える部分もあるのだが、いや、多分違うのでしょうね。横移動のカットも結構ある。若尾へのディレクションも素晴らしいが、山村の演技は凄絶です。本当はどうか分かりませんが、山村自身が思いっきり楽しんで演じているように見える。しかし、エンディング近くの仏足石の足型取りのくだり(山村が若尾の足の拓本を取ろうとするシーン)の執拗さは木村恵吾が粘ったのだろう。いつ果てるともなく、足型取りを繰り返すのだ。若尾文子がくたくたになるまで!そしてラストカットの突き放し、客観描写の冷徹さも唖然とする素晴らしさ。 #備忘で配役などを ・山村聡の家族構成。妻は東山千栄子。同居する長男が川崎敬三。その嫁が若尾。山村と東山の娘たちに村田知栄子と丹阿弥谷津子。村田は京都在住。家族旅行の風呂場のシーンで村田の乳房が露わになるカットがある。吃驚。 ・若尾の若いボーイフレンドに石井竜一。シャワールームに一緒に入る関係。 ・丹阿弥の友人で藤原礼子。若尾と石井がボクシング場で密会するのを目撃する。
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[021]スプリット
 怪物Katsumi_Egi (Mail)2017-06-24
 【ネタバレ注意】
 相変わらず、盛り込み過ぎというか、無駄な色気を出してしまうというか、悪い癖だと思う。これで、枝葉を取り除いて、24番目のビーストによるスペクタクルにストレートに収斂・・・
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 相変わらず、盛り込み過ぎというか、無駄な色気を出してしまうというか、悪い癖だと思う。これで、枝葉を取り除いて、24番目のビーストによるスペクタクルにストレートに収斂させ、90分ぐらいに収めていれば、大傑作になっていたかもしれない。それぐらい、面白い部分は面白いのだ。  まず、大胆に云えば、フラッシュバックはすべて無くてよい。ヒロイン=ケイシー、アニャ・テイラー・ジョイと叔父との関係を示唆する回想はノイズでしかない。叔父の話がなくても、体の傷痕だけ見せるだけでも成立するではないか。誰に虐待されていたのか不明な方が謎があっていいではないか。救出された後、警官から、叔父さんが迎えに来ている、なんて云われて放りっぱなしにする措置も後味が悪く、本当につまらない蛇足を付ける悪い癖だと思う。あと、主治医のベティ・バックリーとのやりとりもクドイと感じる部分があり、緊張感を停滞させる。  しかしながら、最後に出てきた24番目のビーストは想像を絶する。この怪物の造型だけで、十分に勝負できると私は思うのだ。部屋の壁をよじ登らせたりするのには笑ってしまうのだが、このような、未曽有の恐怖の中のユーモアも図抜けたセンスだと思う。ジェームズ・マカヴォイのポテンシャルにも驚愕。
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[022]美しい星
 軌道Katsumi_Egi (Mail)2017-06-24
 
 やっぱり、橋本愛にまつわる部分が一番面白くて、何と云っても、金沢のライブ会場における視線の交錯と、このシーンから続く、料亭での食事シーン、浜辺でのダンスシーンとい・・・
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 やっぱり、橋本愛にまつわる部分が一番面白くて、何と云っても、金沢のライブ会場における視線の交錯と、このシーンから続く、料亭での食事シーン、浜辺でのダンスシーンという有無を言わさぬ意味不明の展開には興奮した。料亭の場面では、座った二人の後方にカメラを置いたカット(しかも緩やかな横移動カット)で切り返す。これが絶妙に二人の頭を重なり合わせるのだ。浜辺のダンスでも二人(とその影)は重なって映される。これらを見た瞬間、太陽系の軌道のメタファか?と思ったのだが、二人の交接の象徴というダブルミーニングでもあるのだろう。  あとは、リリー・フランキーが車の運転中に光に包まれ、気が付くと、車が田んぼの中にいる、という場面。こゝで登場する警官のカットの仰角構図がかなりキャッチーな良いカットでした。明記したい。  亀梨和也まわりでは、プラネタリウムのシーンのような違和感のある演出もある中で、矢張り、代議士事務所に勤め始めた最初の日に、エレベータで、何度も予知イメージを反復するシーンが笑えました。佐々木蔵之介のいい加減さも良いのだが、この人をもっともっと怪演と感じさせるディレクションがもう一ひねり欲しいところ。
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[023]台北ストーリー
 湯の町エレジーKatsumi_Egi (Mail)2017-06-17
 
 これも抜群に面白い!『恐怖分子』や『クーリンチェ少年殺人事件』と比べれば、先鋭度が低いというか、淡々としているように感じられるのだが、冒頭からラストまで、本当に必・・・
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 これも抜群に面白い!『恐怖分子』や『クーリンチェ少年殺人事件』と比べれば、先鋭度が低いというか、淡々としているように感じられるのだが、冒頭からラストまで、本当に必要十分なカットしかないのではないか、という気がしてくる。  多くのシーンで全く説明的な描写がない。例えば、ヒロインのアジン(ツァイ・チン)と職場の設計士との関係は不倫関係と云えるのか。或いは、アリョン(ホウ・シャオシェン)と東京(前妻や子供)との現在の関係なんかも、殆ど人物のアクション/リアクションで語られるのみで、台詞や視点の強制による説明が少ない。勿論、観客にとっては謎が残るのだが、謎なんて解決されなくっても何の問題もない。映画は理解するために見るのではないのだから。胸苦しくなる(興奮をそそると言い換えてもいい)画面だけが映画の真実なのだ。それはラストまで徹底されていて、アリョンの結末も見せられない。 #昔はプロ野球選手を目指していたが、今はタクシー運転手に身をやつしているアリョンの友人はウー・ニエンジェンだ。このダメ男ぶりがとてもいいキャラ。彼は『恋恋風塵』『悲情城市』を含む台湾映画を代表する脚本家であり、『ヤンヤン夏の思い出』の主人公(NJ・お父さん)でもある。 #東京から持ち帰ったビデオ(テレビの録画)の中に石原裕次郎が出ているCMが出てくる。あと、広島カープ対阪急ブレーブスの試合。高橋慶彦が映る。1984年の日本シリーズだろう。 #富士フィルムと日本電気(NEC)のネオンサインが何度も映る。
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[024]LOGAN/ローガン
 サングラスKatsumi_Egi (Mail)2017-06-11
 
 強烈な「老い」の映画であり、横臥の映画だ。それは勿論、チャールズ(プロフェッサーX)も体現するのだが、ファーストカットが車中で横になっているローガンであるというこ・・・
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 強烈な「老い」の映画であり、横臥の映画だ。それは勿論、チャールズ(プロフェッサーX)も体現するのだが、ファーストカットが車中で横になっているローガンであるということで宣言されるように、これはもっぱらローガンの老衰の映画なのだ。彼は、登場から既に瀕死の重傷を負っているかのようだ。特に中盤から後半は、横たわったシーンが多くなる。ただ、私は見ながら、かなり混乱した。なぜなら、衰えていようと彼は不死ではないのか。傷付けられても、驚異の治癒能力で回生するはずではないか。この、作り手がでっち上げた所与の条件があるために、アクションシーンにおいても、どうしても生身の人間のような死活のスリルを味わうことができなかったのだ。  また、本作は、横たわる場所としての墓所の映画だとも云えるだろう。墓地は都合4回出てくる。初めてローラが登場する、ローガンとローラとの出会いのシーンも墓地なのだ。  さて、追ってくる義手の男、ボイド・ホルブルックはなかなかいい雰囲気の敵役だ。今後が楽しみ。あと、ロードムービーっぽくなってからの、走る車の中でオシャレな縁のサングラスをしたローラのカットは単純に画的にカッコいい。逆に、よろしくない点としては、ローラを連れてきた女のタブレット端末に格納されていたムービーファイルを映して事の次第を理解させる展開はあまりに安易な説明的演出ではないか。ローラが唖者として認識されていた、なんてのも「なんでやねん!」と思う。
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[025]メッセージ
 フラッシュバックKatsumi_Egi (Mail)2017-05-30
 
 ファーストカット、画面全体が黒く、俄かには何なのか判然としないのだが、徐々に木目が見え、天井の移動撮影だと分かる。大きな窓のある湖畔の家のリビングだ。事件が起こっ・・・
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 ファーストカット、画面全体が黒く、俄かには何なのか判然としないのだが、徐々に木目が見え、天井の移動撮影だと分かる。大きな窓のある湖畔の家のリビングだ。事件が起こった直後、人けのない大学構内をエイミー・アダムスが歩く場面で、道にかかった陸橋の、その天井をファーストカットと同じように移動撮影で映すカットもある。モンタナの事件現場。ヘリコプターでの移動の空撮では、広大な大地と、船の威容さ、軍施設の禍々しさに括目するが、それに対比するかのように、実際の施設内の閉所感−テントの天井の低さが強調される。到来した船は、遠目には直立した巨大な楕円形だが、人が真下に近づくと、大きな天井として画面で示される。そして、船の内部は四角柱の無重力空間で、側面が天井でもある、ということが鮮やかに描写される。という訳で、本作は圧倒的な天井の映画なのである。押し潰されるような圧迫感が映画全体を支配する。その暗喩を穿鑿することも楽しいが、こゝではやめておこう。エイミー・アダムスが、ただ一人で船内に入って行く場面では、天井も透明の壁も取り払われ、初めて直接的なコンタクトが描かれるのだが、この場面では、もっと天井の無い解放感があった方が良かったのではないか、と思ってしまった。  尚、爆弾が仕掛けられる展開はいくらなんでも拙速だと感じる。さらに、後半のエイミー・アダムスの描かれ方(その活躍、或いはその人生の選択)、これに多くの観客は参るんでしょうけど、私は理屈に過ぎるというか、理に落ちていると感じてしまう。矢張り、フラッシュバックをこんなに使わないと描けない映画は、映画にしない方がいいんじゃないか、という感覚を持つ。美しい自然描写、美しい自然光で描かれたフラッシュバックが、全て理屈のためのものだったというのは興醒める。
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[026]バーニング・オーシャン
 Katsumi_Egi (Mail)2017-05-30
 
 かなり面白いパニック・モノの新たな佳作だ。まず、のっけから、何だか良くわからないが、海底に突き刺さっているパイプの水中映像が、外連味たっぷりでドキドキさせられる(・・・
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 かなり面白いパニック・モノの新たな佳作だ。まず、のっけから、何だか良くわからないが、海底に突き刺さっているパイプの水中映像が、外連味たっぷりでドキドキさせられる(前半この映像が度々繰り返される)。その直後の、マーク・ウォールバーグとケイト・ハドソンの朝の閨房シーンの光の扱いもなかなかいい。娘との朝食で、コーク缶に突き刺した管(ストロー)と溢れる内容物。石油掘削のイミテーションという趣向。あと、繰り返しで上手いなと思ったのは、鳥の扱い。事件の現場となる掘削施設「ディープ・ウォータ・ホライゾン」へ向かうヘリコプターのシーンで、まず飛ぶ鳥がフロントガラス(っていうのか?)にぶつかる。この時、鳥自体は画面に映らない。激突の衝撃だけが演出されるのだが、後半、事件後にドロドロに石油まみれになった鳥(ペリカン)が一羽、船に侵入して操舵室を暴れまわるのだが、観客はヘリ衝突の場面も思い出しながら、とても不気味な感覚を味合わされるのだ。  さて、肝心のパニックシーン。事が起こってから(パイプから泥が吹き出した後)は圧倒的な瓦解と破壊のスペクタクル。いやあ、これは興奮する。施設内における爆発と炎の怖さも尋常じゃないレベルで描かれる。だだし施設周辺の海面の炎がイマイチなのだ。こゝをもう少し上手く見せていれば、クライマックスの海面へのダイブのスリルがもっと機能しただろう。
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[027]ゴンドラ
 宙ぶらりんKatsumi_Egi (Mail)2017-05-20
 
 高層ビルの窓拭きのゴンドラ。ゴンドラからの街の大俯瞰カットに、海の波をオーヴァーラップする。街頭シーン等で水中から撮ったようなエフェクトをかけた画面がある。あるい・・・
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 高層ビルの窓拭きのゴンドラ。ゴンドラからの街の大俯瞰カットに、海の波をオーヴァーラップする。街頭シーン等で水中から撮ったようなエフェクトをかけた画面がある。あるいは、ミルクを飲んだコップを覗いて、コップの底越しに見える部屋。その他、真俯瞰でカメラを回転させたり、走る少女を手持ちのカメラで追いかけたのであろう見事な移動撮影等、撮影と画面の技巧がちょっと吃驚するぐらい凝っている。少々古めかしさ(というか幼さというか)を感じる部分もあるが、映画を撮る喜びが伝わってきて、見ている私も嬉しくなる。  また、ゴンドラ、エレベータ、小舟、といった宙ぶらりんの乗り物のイメージ。ゴンドラの昇降装置、自動開閉するブラインドカーテン、レストランの配膳ロボットといった自動化を志向する非人間的な機械のイメージ。あるいは、白と赤の色の主題(初潮、ミルクの白、白い洗剤、白い文鳥、文鳥の羽の出血など)。これらの隠喩も、青臭さを感じもするが、しかし、画面の面白さに繋がっており興味を引っ張られた。  そしてもう一つ嬉しくなるのは、主人公の少女「かがり」の描き方が、前半と後半でかなり変わるのだが、その変貌ぶり、成長ぶりの対比がとても良い、というか、見ていて嬉しくなる趣向なのだ。さらに、木内みどりと佐々木すみ江に、共に風呂場のシーンがあり、いずれも「脱ぐ必然」等という事柄を一顧だにしなかっただろうと思えるぐらい、あっさりと胸をさらけ出すのにも感動する。  そしてそして、あゝこのカットで終わればいい、というカットで終わる。それは多くのプロットを「宙ぶらりん」にしながらなのだが、そこがいいのだ。
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[028]ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命
 顔の映画Katsumi_Egi (Mail)2017-04-23
 
 オープニングは黒画面に弦楽でスラーを強調した人を食ったような音楽。このテーマ曲がその後も要所で流れるのだが、多分作り手は本作がある種の喜劇であることを宣言している・・・
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 オープニングは黒画面に弦楽でスラーを強調した人を食ったような音楽。このテーマ曲がその後も要所で流れるのだが、多分作り手は本作がある種の喜劇であることを宣言しているのだろう。喜劇と云うのが云い過ぎだとしても、かなり客観的な、突き放した視点で作られている。  一方で、本作はナタリー・ポートマンの、圧倒的な顔の映画だ。ファーストカットは歩く彼女の顔アップだし、ラストカットもJFKの肩に顔を埋めるように傾けたカットで終わる。しかし、何と云っても、それが圧倒的だと思わせるのは事件直後、血や脳漿の付着した、頬や額を拭く、鏡に映ったアップカットだ。なんという強い画。思わずファルコネッティの泣き顔を想起する。このカットだけでも私は本作を最大限に擁護したいと思う。加えるなら、議事堂へ棺を運ぶ場面で、車の窓越しに映る顔のカットもいい。  記者ビリー・クラダップとのインタビューシーンは正面に近いバストショットでの切り返しで構成される。特に屋内シーンの照明は繊細だ。その他、テレビ撮影風景、テレビ画面のモノクロ映像、或いは記録映像と記録映像を模して撮影されたフォーカスの甘いカット(例えば議事堂内の棺のカットだとか)とバリエーションの豊富なフィルムが繋がれる。全体に記録映像とのルックの調和のためなのだろう、ワザとざらついた光学処理が行われている。このあたりの全体的な撮影技術も一級品だと思う。
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[029]■嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件
 Are You Lonesome TonightKatsumi_Egi (Mail)2017-04-17
 
 誰もが感じるであろう類稀なる光の映画。全く緊張感途切れることなく見る。それは全編に亘ってフィルムに殺意が定着したかのような緊張感なのだ。  パチン、という印象的な・・・
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 誰もが感じるであろう類稀なる光の映画。全く緊張感途切れることなく見る。それは全編に亘ってフィルムに殺意が定着したかのような緊張感なのだ。  パチン、という印象的な音とともに、電球が灯って映画はスタートする。守衛室の電球は主人公の小四・張震によって、打ち砕かれる。彼は目が悪い。奪った大きな懐中電灯(マグライト)を持ち歩き、自宅の押し入れ(小四の寝床)では日記を書く際の光源となる。電力事情が悪いのだろう、特に敵対する山東のアジト(ビリヤード台がある)では停電のシーンが度々反復され、蝋燭の光が重要な道具立てになる。台風で土砂降りの夜の殴り込みシーン。停電の闇の中で、刀が閃く。こゝも、とびっきりの光のシーンだ。光と闇から離れても、軍事演習場近くの原っぱのシーンや、学校内で、吹奏楽部の練習場所を背景に告白するシーン周り等(これらは、ほんの一例だが)、こういった昼間のカットの光も絶品だ。そしてヒロインは「小明」という、光に関わる名前を持つ。また小明と同じ「私を変えようと思っているのね」云々の台詞を云う小翠も、「翠」(みどり)という色彩に関わる名前を持っている。  今でも、主人公・小四のことを考えると胸締め付けられる切ない感情が湧き起こるのだが、それはヒロイン・小明のファム・ファタールとしてのキャラクター造型も照射された小四、つまり二人一体に対しての思い入れでもある。或いは、警察署で「あいつだけが友達だったのに」と泣く小馬の存在にも思いを馳せてしまう。ただ、小四の仲間の中では、小柄だが最も男気のある小猫王が出色の存在だろう。小公園というレストランで、フランキー・アヴァロン「Why」が歌われる中、彼が女性パートで入ってくるのには吃驚しながらも、思わず笑ってしまったのだが、他に「Angel Baby」を歌う。このキャラクターがいるといないでは、この映画の豊かさは大違いだろう。 #備忘 ・ヒロイン小明の、ほぼ登場シーンと言っていいカットが、保健室で手当をしてもらっているカットで、スカートがめくれて太腿が露わになっている。いかにも妖婦役らしい登場シーンだ。 ・小猫王の部屋にはプレスリーのポスターがある。プレスリーの大ファンなのだ。「Are You Lonesome Tonight」の文字起こしと翻訳を小四の姉に頼み、オープンリールのテープに吹き込む。これが愉快なエピローグを導く。 ・英語タイトルの『A BRIGHTER SUMMER DAY』はこのプレスリーの歌の歌詞から。 ・映画を見るシーンが2回。いずれもスクリーンは映らず、音声だけなのだが、2回目はジョン・ウェインの声とはっきり分かる。『リオ・ブラボー』だ。 ・保健室で小四が医者の帽子をかぶり、ガンマンの真似をする。 ・映画館の前での小翠とのシーン。貼られているポスターは『荒馬と女』か。
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[030]ムーンライト
 ククルクク・パロマKatsumi_Egi (Mail)2017-04-14
 
 私はオスカー嫌いなので、さほど見たいと思っていなかったのだが、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』へのオマージュがある、という記事を見かけ、本作を見る優先順位が・・・
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 私はオスカー嫌いなので、さほど見たいと思っていなかったのだが、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』へのオマージュがある、という記事を見かけ、本作を見る優先順位が跳ね上がり、見た。  とても短く感じた。あっという間に終わったという感覚。そう感じるだけの緊張感があり、全編息を詰めるように見つめた。シャロンとケヴィンをもっと見ていたかったとも思う。  三部構成。オープニングから第一部はフアン−マハーシャラ・アリが牽引し、強烈な存在感を発揮する。それだけに、第一部の魅力が頭抜けている感もある。第二部以降、フアンが退場してしまうのは、かなりの喪失感も覚える。しかし、この措置は逆に、本作の図太いプロット構成を際立たせてもいるのだ。同じように、テレサ(フアンの彼女)も第二部までは登場するが、第三部では出てこない。このあたりのプロットの取捨選択はとても潔い。  第三部の主人公シャロンの成長ぶりには確かに違和感もあるのだが、ただ、私は全体を通じても、母親との対話シーンといい、ケヴィンのもとへ向かう自動車のシーンからラスト迄といい、とてもきめ細かな演出、カット割りで、三部には胸締め付けられた。特に、ケヴィンに会いに行く車のシーンでBGMとして「ククルクク・パロマ」(これはウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』のオープニング近く瀑布の画面の曲)がかかり、海辺の子どもたちにディゾルブする処理には、さあ、いよいよクライマックスだ、という感慨を覚えるし、ケヴィンのダイナー(レストラン)へ入る手前の夜の舗道のカットからダイナーでの二人のやりとり、ドアベルのカットの反復。夜の砂浜と浜辺の見せ方。そして、肩と顔を寄せ合う二人のツーショット。あゝやっぱりカーウァイなのだ。 #屋内装飾、壁にかかった絵(浮世絵)や、扇子などを見ても東洋趣味が分かる。
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