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 「Ki-Adi-Mundi」さんのコメント一覧 登録数(127件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]テープ
 おもしろくないKi-Adi-Mundi2017-07-22
 
とくに序盤の20分が酷すぎる。脚本も、撮影も編集もだ。今をときめくリンクレーターもこの当時はこの程度の撮影しかできなかったのか。ショボいカットを無駄に重ねる最序盤は失・・・
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とくに序盤の20分が酷すぎる。脚本も、撮影も編集もだ。今をときめくリンクレーターもこの当時はこの程度の撮影しかできなかったのか。ショボいカットを無駄に重ねる最序盤は失笑しかない。 カメラを二台使い、1つは監督が回したそうだ。照明もおざなりで素人レベルのひどい撮影だ。その代わり、二台同時にまわしたおかげの早撮りで、一週間で撮影したらしい。 リハにはたっぷり時間をかけたらしく、三人の掛け合いは面白く観られる。芝居に重点を置いた会話劇で、相手をはめるために仕掛けた録音テープが彼の思惑を超え、三人の関係性と物語を動かす鍵となる。とは言え、最後のエイミーの行動が、なんとなく物語を終わらせるための無理やりな展開にしか思えずおもしろいとおもえない。
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[002]死んでもいい
 フェードラですか?Ki-Adi-Mundi2016-04-15
 
残念ながら「フェードラ」という名のギリシア悲劇は存在しません。 PHAEDRAは、一般的にはパエドラまたはパイドラと表記します。ギリシア神話の登場人物で、エウリピデスの悲劇・・・
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残念ながら「フェードラ」という名のギリシア悲劇は存在しません。 PHAEDRAは、一般的にはパエドラまたはパイドラと表記します。ギリシア神話の登場人物で、エウリピデスの悲劇「ヒッポリュトス」に登場する人物ですね。 もしくはフランスのラシーヌの悲劇「フェードル」も映画のベースにあるのかもしれません。 このサイトに限らず、ギリシア悲劇「フェードラ」なんて書いちゃってる人がいますが、そうやってデマは広がっていくんですね。
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[003]真昼の決闘
 ハイ・ヌーンKi-Adi-Mundi2015-07-27
 
カール・フォアマンが脚本を書き、スタンリー・クレイマーが企画制作をしている。当時アメリカ社会を恐怖と混乱に包んでいた「赤狩り」。この脚本は、ジョン・W・カニンガムの・・・
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カール・フォアマンが脚本を書き、スタンリー・クレイマーが企画制作をしている。当時アメリカ社会を恐怖と混乱に包んでいた「赤狩り」。この脚本は、ジョン・W・カニンガムの2ページの短編「The Tin Star」をフォアマン自身の体験を大きく反映させて脚色したものである。 フォアマンは若い頃に共産党員の集まるパーティーに出席したことがあり、1951年にそれを理由に非米活動委員会の公聴会に召喚された。そのパーティーに出席していた他の人物の名を言うよう求められたが、フォアマンはこれを拒絶。その後いわゆる「ハリウッド・ブラックリスト」に名前が載ることになる。 仲間が窮地に陥っても誰も助けもせず、自分が助かるために平然と仲間を売るものまで出るこの映画界の惨状を、アメリカの精神を反映しているとされる西部劇を使い描いているのだ。 クレイマーはこの映画のテーマを「守る者がいないために滅びてしまった街」だと考えていた。それは、そのままハリウッドへの警鐘を意味する。 しかしジンネマンは、クレイマーやフォアマンとは違い、当時の政治状況を反映しただけではなく、より普遍的な、いつの時代でも起こり得る物語として高く評価した。公聴会において「共産主義的な脚本は何本も送り返してやった」と発言し委員会を納得させたクーパーも同様に、フォアマンの脚本を優れたものだと判断した。この頃、クーパーは主演作がヒットせず、彼の時代は終わったとハリウッドでは言われていたようだ。特に51年の主演作品「大いなる国」(" t\'s a Big Country ")は大きな赤字を出していた。それによる会社側の不安を意に介せずクレイマーらはクーパーにオファーしている。そして、本作によりクーパーはその評価を覆した。約十年ぶりにアカデミー賞にノミネートされ、受賞も果たしている。 この映画で描かれる保安官は生身の人間である。西部劇神話ではない。激しい銃撃戦でもなぜか弾が避けて通ったり、足を撃ち抜かれても歩き回ったり、頭をポカリと叩けば気絶するような人間は出てこないのだ。不死身で無敵の保安官は出てこない。彼は敵を恐れる。彼は弾丸が肉をえぐる痛みを知っている。命を失う恐ろしさを知っている。 対決直前、住民たちは屋内に逃げ込み往来が消えた街に、一人取り残されるように立ちつくすクーパーを捉えた俯瞰ショットが印象的だ。 当時の時代背景や西部劇という枠組みを越え、人間心理を描いた優れたドラマとしてこの映画は成功していると思う。 ジンネマンは著作の中で、劇の終盤は針のついていない時計を映そうと考えていたと述べている。しかし、その案は実行されなかった。もし、そのような演出が為されていれば、どのような効果があったのだろうか。保安官の焦りがより際立ったのだろうか?それともリアリズムが損なわれていただろうか? この映画は、「ダイハード」に大きな影響を与えていることでも知られている。マクレーンとハンスとの会話に登場するだけでなく、状況設定やいくつかのシーンでの引用もなされている。
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[004]荒野のストレンジャー
 High Plains DrifterKi-Adi-Mundi2015-06-07
 
イーストウッド版「真昼の決闘」(原題はHigh Noon)。見事に構成されたリアリズム西部劇の名作に、イーストウッドがつくり出したキャラクター「Drifter 漂流者」を強引にねじ・・・
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イーストウッド版「真昼の決闘」(原題はHigh Noon)。見事に構成されたリアリズム西部劇の名作に、イーストウッドがつくり出したキャラクター「Drifter 漂流者」を強引にねじ込み引っ掻き回し、復讐というテーマを前面に押し出しながら夢幻的な映画に仕立て上げた。 何のために赤く塗り、火を放ったのかいまいち不明だが、闇夜に炎を背に相対するイーストウッドを捉えたショットは印象的だ。 いかにも急造のセットですという感のある町並みはあまりにもしょぼいが、派手に壊して燃やそうという気概が感じられ楽しい。
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[005]NINE
 ここにフェリーニはいないKi-Adi-Mundi2013-12-31
 
おそらく、本作を制作した人たちにとって、「フェリーニ」もしくは「イタリア映画」とはすでに幻想であり、いわゆるファンタジーになってしまっているのだ。それらをいじくり廻・・・
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おそらく、本作を制作した人たちにとって、「フェリーニ」もしくは「イタリア映画」とはすでに幻想であり、いわゆるファンタジーになってしまっているのだ。それらをいじくり廻し、こねくり廻し、引き裂き、叩き壊そうとも知ったことではないのだ。 ここにフェリーニはいない。イタリアさえ無い。 映画製作の苦悩は描かれない。あるのはアイディアが枯渇した凡庸な映画監督の女遊びの忙しさだけ。しかし、なぜか彼は周りからマエストロだなんだともてはやされる。どのようにマエストロなのかは描かれない。 本作の意図ははっきりしている。有名な女優たちを使って豪華なダンスシーンを作りたいだけ。そのためにフェリーニを出汁に使っただけ。 「またミュージカル映画作りたいな。女の子いっぱい出てくるやつ。」 「次はイタリア風でどお?しかもクラシックでゴージャスな感じで」 「いいね!イタリーと言えばフェリーニ。81/2。でも地味なんだよな」 「じゃあ、ゴージャス感プラスして9だ!」 「それいただき!」
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[006]クラウド アトラス
 躍動するスミス、あるいはエルロンド卿Ki-Adi-Mundi2013-04-29
 
時と場所を変えた複数のエピソードを同時並行で見せていく。つまり、ウォシャウスキー姉弟が「イントレランス」に挑んだわけだ。しかし、「不寛容」にくらべ、「抑圧からの解放・・・
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時と場所を変えた複数のエピソードを同時並行で見せていく。つまり、ウォシャウスキー姉弟が「イントレランス」に挑んだわけだ。しかし、「不寛容」にくらべ、「抑圧からの解放」(もしくは「愛と自由」か?)ではヌルさを感じた。もうちょい鋭さが無いといろいろと散漫になる。だから「何が言いたいのかわからん」的な感想も多くなるんだ。わかってはいたけどグリフィスの偉大さに驚く。エピソードを6つに増やして得られたものは複雑さだけだ。姉弟お得意の豪華な画作りでも果たしてグリフィスに勝てているのか? とか言いながら、3時間けっこう楽しんだ。テンポが速すぎる気もしたが見終わってみるといい感じだ。俳優の役割や小道具なんかも合わせて、よくわからない個所はビデオで見直せば、さらに楽しめるんだろう。 俳優陣がそれぞれ複数の役を演じていることに関しては、先ずは単純に楽しいと思う。扮装や演技の楽しさ、実はあそこに彼が!とかもあるだろう。そして、より大事なことは、それによる平明さ。もし、すべての役を別の俳優が演じていたらどうだろう。混乱に拍車がかかり、誰もついていけなくなるだろう。すでに指摘されている通りだ。 さらに言えば、彼らが有名な俳優である必要も無い。どの役を誰が演じているかなどどうでもいい。例えトム・ハンクスを知らなくたって構わない。ただ、同じ俳優が別の時代にも登場していると判れば良い。別の時代ではどんな性格でどんな役割を担っているのか、それに気付くだけで良い。それが観客の理解を助け、映画へより深く入っていくことになる。それぞれの独立したエピソードに同じ精神が流れていることに気付くだろう。各エピソード間のストーリー上のつながりが稀薄だが、それでいいのだ。同じ俳優たちが演じていることにより、各エピソードがつながっていることは明白なのだから。そのうえストーリーまでつながり連携するとなるとクドさとあざとさだけが浮き出すだけだろう。 俳優陣がみんな達者ですばらしい。一番笑ったのはダーモット・ホギンズかな。ソンミ451は独特な口調、柔らかな物腰、鋭さのなかに優しさを持つ表情、魅力的な印象を残す。 フライシャーの「ソイレントグリーン」は未見でした〜。
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[007]127時間
 身体的映画Ki-Adi-Mundi2013-04-27
 
印象的なオープニング。 ボトル一杯につめた水。蛇口からこぼれる水滴。棚の上の取り忘れたスイス製のナイフ。留守電に吹き込んでる女性の声。人の流れ。群衆。 ほぼ一人芝居・・・
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印象的なオープニング。 ボトル一杯につめた水。蛇口からこぼれる水滴。棚の上の取り忘れたスイス製のナイフ。留守電に吹き込んでる女性の声。人の流れ。群衆。 ほぼ一人芝居だが、直前まで一緒にいた女性二人の存在が効いている。 動けない主役に、狭い空間。しかし、観客を飽きさせない工夫が少々過剰なまでに満載だ。弱っていくアーロンの姿、割れ目から覗く空、足の下の隙間とアリ、ビデオに映る今の姿と過去の映像、岩が動き助かる夢、過去の想い出、幻覚。それらが溶け合うように絡み合う。孤独とは何か?自由とは何か?自分が犯した間違いとは何か?そして水。水が谷を満たし、解放してくれる。かつて自分を愛してると言ってくれた女性のもとへとむかう。しかし、彼女は助けてはくれないのだ。 記憶と願望と幻覚が溶け合いながら、それしか無いと以前からわかっていたある決断を下す。止血の方法はすでに確認済みだ。激痛に襲われながら、「意識を失っては駄目だ」とつぶやく。盛り上がる筋肉と血管。これは現実なのか、雨で谷が満たされた時のように彼の夢なのか幻覚なのか観客は問い続ける。嘘であって欲しいと思いながらもその方法しか無いことはわかっている。ただひたすらに苦痛。そして、解放がやってくる。 岩から離れたシーンが印象的だった。自ら切り離したと言う恐ろしさと、ついに岩から逃げ出せたと言う解放感とが混ぜ合ったなんともいえない感覚が体を走った。気持ちいいまでの嫌悪感と、不愉快なまでの快感が同居していた。はたしてこのようなシーンがかつて映画史に存在しただろうか? こういう映画は終わらせ方が難しい。脱出した瞬間にエンドマークをだしちゃうと気持ち悪くって映画館から出られなくなるし、爽やかに終わらせるといろいろと台無しになるのではないだろうか。 解放された後の、光、泥水、壁画は良かったが、その後が冗長だったようにも思うし、物足りなかったようにも思う。なかなか難しい。 この映画は実話をもとにしており、ラストには本物のアーロンの今の姿が映される。J・フランコは映画製作の前に本人に会い、実際にアーロンが事故の際に撮影したビデオを見せてもらったそうだ。
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[008]ポセイドン・アドベンチャー2
 ポセイドン号大爆発Ki-Adi-Mundi2012-12-16
 
「ポセイドン・アドベンチャー」の続編、というよりはなるほどスピンオフだね。 けっこう最後まで楽しんで観てしまった。前作を愛してるんで、あのポセイドン号に潜り込もうっ・・・
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「ポセイドン・アドベンチャー」の続編、というよりはなるほどスピンオフだね。 けっこう最後まで楽しんで観てしまった。前作を愛してるんで、あのポセイドン号に潜り込もうっていう設定だけでもうドキドキしちゃうんだ。ああ!ハックマンが飛びついて回したバルブだよ!とか、みんなで水に潜ったあの場所だ!とか。自分が脱出者の一人だったかのように懐かしくなるんだ。それだけで十分に楽しめてしまった。 ケインたちは金品を「盗もう」として船に入ったわけじゃないんだよね。 あくまでサルベージ。あくまで法に則って貴重品を「引き上げよう」としているところがこの物語のみそ。引き上げたら一割貰えるみたいなことを言ってます。さらに生存者を見捨てたら権利を失うとも。それによって手間が増え、引き上げが難しくなるわけです。しかし、その辺に彼らのプライドがあり、キャラクター造形の一つになっているというわけだ。 とは言え、映画単体で観たらたしかに厳しい。プルトニウムを物語に持ち込んだのがかなり強引だし、サヴァラスとケインの対決という意味でもかなり物足りない展開だった。船を頻繁に爆発させることでしか緊張感をつくれないというのもどうなんでしょう。 良い設定なだけに、しっかりと作り込めば面白くなったかもしれないのに、この作りのザックリ感は何なんだろうね。
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[009]トイ・ストーリー3
 トイストーリ−3!Ki-Adi-Mundi2012-06-17
 
少々古いが、アカデミー賞受賞おめでとう。 鑑賞はずいぶん前だが、Imax3D吹き替え版で見ました。 見事な作品でした。シリーズを締めくくる見事な大団円。今回は西部劇に脱獄・・・
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少々古いが、アカデミー賞受賞おめでとう。 鑑賞はずいぶん前だが、Imax3D吹き替え版で見ました。 見事な作品でした。シリーズを締めくくる見事な大団円。今回は西部劇に脱獄ものの要素も加わっている。他の方が指摘されているように、確かにおもちゃとしてのルール(タブー)を侵している、または曖昧にしている個所がいくつかあるとは思います。しかし、力技で押し切った感があります。 3Dも成功していると思う。特に、あの感動的な焼却炉のシーンでは3Dならではの画作りでとても美しいシーンへと仕上がっている。 キャプテンEOの頃の飛び出る3Dとは違い、今の映画やテレビでの3Dはどうやら奥行きが重視されているようだ。画面の中に箱があり、その中で層を作っているという感じ。だから、難点を言えば画面の中に広がりを感じない。閉じこもった世界しかないのだ。横への広がりが特にそうであって、逆に縦構図はいい感じになる。そういう意味ではトイストーリーにはあっていたのだろうし、本作はその特徴を良く生かしていたと思う。 ビッグベビーがブランコに座って月を眺めているシーンも好きだ。 そして、何と言ってもケンが良い。 恋あり、歌あり、踊りあり、爆笑あり、見事な冒険活劇に胸躍らせて、美しいエンディングまで盛りだくさんだ。
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[010]ティファニーで朝食を
 オードリー賛!Ki-Adi-Mundi2012-06-12
 
映画としてうまくまとまっていると思う。しかし、まとまっている以外に取り柄が無いともいえる。オードリー主演作の中では質が低い部類に入るのではないか。 この映画を構成し・・・
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映画としてうまくまとまっていると思う。しかし、まとまっている以外に取り柄が無いともいえる。オードリー主演作の中では質が低い部類に入るのではないか。 この映画を構成しているあらゆるものが型にはまりすぎていて、確かに当時のハリウッドの映画産業としての水準の高さをしめしてはいるものの、作品自体は平凡で見るべきものは特にない。オードリーという稀代の女優が出演していなければ忘れ去られていてもおかしくはない。映画「カポーティ」でカポーティが映画「アラバマ物語」を酷評しているが、いやいやこっちよりは遥かに上でしょ。 コメディ映画だと思うのだが、いまいちユーモアが空回りしている感がある。しかし、アパートの表と裏の階段を上手く使っていたんじゃないかと思う。階段を見上げるショット、見下ろすショットもいい感じ。そしてそこで日系人"ユニヨシ"が出てくるのだが、コメディリリーフとして上手く機能しているとは思うが、やはり差別的と言うか馬鹿にしてはいるよね。しかしそうは言ってももう50年前のものだ。他の人が書いているように現代の日本のテレビでも同じような差別的表現で溢れている。どちらがより批難されるべきかは明白だろう。 金もなく、安いアパートに暮らし、恋人も友人も身内もいない孤独で人を信用できず、入ることもできない高級店のショーウインドウ前で人気のない早朝にその辺で買ったパンをかじることしかできない女性。そのなさけない姿を美しくオープニングで見せていく。それを「おしゃれ」「かっこいい」「憧れ!」などと誤読し、長い年月をかけてこれほど凡庸な映画を名作化してきたさまはなかなか滑稽だ。ましてや、ティファニーへ行って店前でパンをかじり、そのまま金にものをいわせて宝石を買いまくる旅行者がバブル期にいたんじゃないのかと疑い始めると、自分の根の暗さに情けなさも感じてしまう。 ポール役ジョージ・ペパードがAチームのキャプテンだったことは今回初めて知りました。
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[011]GANTZ: PERFECT ANSWER
 GANTZKi-Adi-Mundi2012-05-14
 
前編後編ともに質が低い。原作に興味がなければ最初の5分で嫌になっただろう。 スーツや武器はうまく再現されていた。星人もなかなかいい感じだし、戦闘も雰囲気が出ていた。・・・
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前編後編ともに質が低い。原作に興味がなければ最初の5分で嫌になっただろう。 スーツや武器はうまく再現されていた。星人もなかなかいい感じだし、戦闘も雰囲気が出ていた。しかし、いまいちスピードとパワーが感じられないが、これが限界か。それでも後編の地下鉄での戦闘は雰囲気がよく出ていた。それと前編序盤の田中星人編も。東博での戦いは楽しかった。原作では普通の寺だが、まさか東博の特別展示室が舞台になるとは。よく貸してくれたよね。 前編は原作を割と丁寧に追ってたけど、結果として冗長になってしまった。後編では一転して原作を離れ、独自の展開に。それが功を奏してテンポがよく、映画として上手くまとまったのではないか。原作の断片を上手く再構成したんじゃないかと思う。しかし、原作を読んでいる人にとってはこの映画のラストは失笑ものだ。こんな形で無理に幕を引くってのは理解し難い。 他にも理解できないことがいくつかある。基本的な設定を変えていること。ミッション中におけるルールに変更点がある。三つ目の100点メニューがない。それらの変更によって、この戦闘ゲームの異常さと不可解さが薄れてしまっている。 そして何と言っても、この物語の核である「けいちゃ〜ぁん!」「たえちゃぁ〜ん!」が、一切無いではないか!二人は求め合い、引き離され、そしてまた探し合う。それこそがガンツの華であるのに(そうだよ。コナンの「コナ〜ン」「ラナ〜!」あれをやっているんだぜ)。そもそも小島多恵のキャラクターを変え、玄野との関係も変えてしまうのならば、映画に出すべきではなかった。映画製作陣はガンツの魅力をどう考えているのか?正直疑問だ。 しかし、映画として質が低く、特に人物間の対話シーンは見ていられないほどだ。そこにこそ本質的な問題があるとも思うのだが。 原作では、このあと玄野は殺され、大殺戮の大阪編へ、加藤により玄野は復活し、圧巻のイタリア編、そして誰もがコンビニで立ち読み中に頭が真っ白になったXデーを迎えることになる。その過程であの球体は誰が何のために作ったのかが明らかにされる。
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[012]28日後...
 今となっては・・Ki-Adi-Mundi2012-02-07
 
「アイアムレジェンド」なんかもそうだが、もうこの手の映画を観ると原発のことしか考えられなくなる。 もう爆発しただろうか?と。ストーリーなんてもう頭に入ってこない。マ・・・
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「アイアムレジェンド」なんかもそうだが、もうこの手の映画を観ると原発のことしか考えられなくなる。 もう爆発しただろうか?と。ストーリーなんてもう頭に入ってこない。マンチェスターが燃えているなんて程度のレベルじゃないだろ。 イギリスでは19基が稼働中だそうだ。 感染者が死滅すれば復興できる?そんな馬鹿な。 国際社会はどう対処するのだろうか?米仏あたりが早期に軍を動かして感染者からあらゆる施設を奪還して作業員を送り込むとかかな。 しかし、なんといっても19基だ。電源の確保も必要だ。はたして間に合うだろうか?ああ、それは、地球生物の存亡を掛けた大作戦ではなかろうか。 それにくらべ、この映画のなんと貧弱な脚本だろう。
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[013]ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト
 ミック・ジャガーが燃えてしまうKi-Adi-Mundi2011-04-07
 
「ノーディレクションホーム」のようなドキュメンタリーかと思いきや、ただたんなるライブ映像だった。ストーンズに興味が無ければ見ないよな〜と思いきや、以外とこれが面白い・・・
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「ノーディレクションホーム」のようなドキュメンタリーかと思いきや、ただたんなるライブ映像だった。ストーンズに興味が無ければ見ないよな〜と思いきや、以外とこれが面白い。 強烈な光と豊かな色彩が眩しく、銀がのっているような感覚。どうやらもともとIMAX作品として作られたらしい。大きな画面ではさぞかし凄いことだろう。ステージをカメラがぐるりと取り囲み、遠近駆使して見事な構成を見せている。 2006年の秋に2日間に渡って行なわれたライブをまるで一日の出来事のようにまとめている。このニューヨークにあるビーコン・シアターでの演奏は、チャリティーライブとして行なわれ、慈善団体であるクリントン財団に売り上げ等が寄付されたらしい。そんなわけで、ビル・クリントンが演奏前にステージで軽いスピーチをしているのだろう。 冒頭で、ステージ構成や演奏曲の構成についてのストーンズ側とスコセッシ側との思惑の相違が描かれる。両者間の話の行き違いや電話でのやり取りを経て、ストーンズの、とりわけミック・ジャガーの強烈な個性と魅力が徐々に立ち上がってくる。 ただのライブ映像ではなく、ストーンズとは何者なのか?彼らの魅力の本質の一端を照らし出すことに成功している。 小さな劇場の中で、バンドと観客が一体となり渦を巻いている。そこにこれだけの数のカメラが切り込んでいくのだから、邪魔しないようにセッティングするのだけでも苦労しただろう。そうとう力を入れて細かく編集されているがそれを感じさせない。演者たちの一挙手一投足を見事にとらえるアップカットは美しくカッコいい。キースがくわえた煙草を吹き飛ばすショットには痺れた。クレーンでの移動撮影は会場の熱気をとらえ、アグレッシブに躍動するミック・ジャガーを追う。一曲一曲カット割りを神経質なまでに考え抜いた成果が結実しているのだろう。 バンドの魅力を引き出すことにのみ重点が置かれ、彼らの魅力を歪めたり損なうことも無い。この演出はたいしたものだ。 撮影スタッフには、ロバート・リチャードソン(「JFK」)やアンドリュー・レスニー(「ロード・オブ・ザリング」)などのアカデミー受賞者がずらりとそろっている。もちろん監督はスコセッシだ。 ちなみに、アメリカでは本作はPG-13だそうだ。どうもタバコとドラッグに関するくだりが引っかかったらしい。
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[014]その土曜日、7時58分
 現代的悲劇Ki-Adi-Mundi2011-03-28
 【ネタバレ注意】
見事な悲劇。転がるように泥沼にはまっていく。極めて現代的なドラマ。現代的な悲劇だ。しかし、最後の締めくくり方がやや不満。 見事な演技。良い脚本。良い撮影。加えて、趣・・・
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見事な悲劇。転がるように泥沼にはまっていく。極めて現代的なドラマ。現代的な悲劇だ。しかし、最後の締めくくり方がやや不満。 見事な演技。良い脚本。良い撮影。加えて、趣向を凝らした編集。「イージーライダー」で使われた、シーン転換時の編集法を使っている。物語構成も凝っていて、先ず事件を見せて(それが土曜の7時だ)、その前後に何があったのかをそれぞれの人物の立場・視点から検証していくのだ。 このような構成で作られた映画は、同じシーンが繰り返されしつこさを感じてしまうものだが、本作では上手く撮影・編集をされているのではないだろうか。 視点を変えることによって、それぞれの人物の心情が覗けるのと同時に、画面奥にいる人物は背景と化し、そこにもまた同じく悩み苦しむ人間がいることが、視点となった人物は理解できていないということをシーンを立体的に反復することで描いている。 同じ会話、同じ出来事だが、人それぞれ受け止め方が違う。その会話・出来事にどんな意味があったのかがそれぞれ違う。そして相手を誤解する。それがさらに誤解を生み、相手が何者なのかを見誤る。同じ場所・時間・行為を共有しているはずなのに、彼らは孤独なのだ。 現代的だと書いたが、その理由は2つ。 近年、日本では近親者間での殺人事件が多いような気がするが、どうやらアメリカでもそうらしい。家族間の悩みやトラブルのネタは相変わらずだが、その結末として殺人が待っているとはなんとも現代的ではないか。 普通(普通って何だ?というのはまあ置いておいて)悲劇と言うと悪党とか嫌なやつとかは主役にはならない。なぜなら悪人が転落するのは当然だ(と誰もが思いたい)し、嫌なやつが悲劇的な目にあっても誰も同情しないからだ。観客が好意的になれる主役が転落するからこそ悲劇が面白くなる。 ところがこの映画はどうだ。好意をもてる人間など出てきはしない。 だからといってこのキャラクターたちを正面切って批難できるだろうか? 誰もが彼らの中に少なからず自身の欠片を見つけるのではないだろうか。そして、この悲劇の渦に自身が引きずられるんだ。 誰もが悪魔に襟首を掴まれるのではないかと狼狽えている。不安と焦り。苛立ち。 この映画の原題は「あなたの死が悪魔に知られる前に」。 残念ながら邦題は「その土曜日、7時58分」。表面的な編集技法にだけとらわれてしまっているなんとも残念でくだらない邦題だ。
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[015]エリン・ブロコビッチ
 裁判物Ki-Adi-Mundi2011-03-19
 
公開当時は興味がわかず、その後も見る機会も意欲もなかった。 その理由として、日本公開時の宣伝方法がそうであり、実際、作品自体もそういう面をたぶんにもっているのだが、・・・
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公開当時は興味がわかず、その後も見る機会も意欲もなかった。 その理由として、日本公開時の宣伝方法がそうであり、実際、作品自体もそういう面をたぶんにもっているのだが、この映画が本作品の主役と同世代・同じ境遇の女性やその周辺からの共感を期待しているというその一点が嫌であり、なおかつそれが主演がジュリア・ロバーツだというだけでもその理由としては十分すぎるほどだったのだ。主演女優賞を獲得したという事実を知ってさえもそれは変わらなかった。 結論としては、作品は面白かった。 事実をそうとう脚色しているか、大事なところを端折ってるのか、理解に苦しむところがあったものの、とてもパワフルだ。 冒頭の事故のシーンが凄い。どう見てもワンカットにしか見えないが、ジュリア・ロバーツ本人が運転しているのかどうかに関わらず、あのタイミングで車の後部に当てるという、あのような撮影が可能なのだろうか?たいしたものだ。 しかし、目撃者の証言の有無なのか、明らかな相手の信号無視にも関わらず、エリン側の敗訴というのは理解できない。エリンの見逃しがあったとは言え、7:3か8:2くらいで相手が悪いのは明白ではないか。陪審員制の恐ろしさなのか? 裁判物の一形態だが、裁判シーンは極わずか。主にエリンによる調査と彼女の上司であるエド(フィニー)との対話シーン、さらにエリンの子育てシーンで構成されている。エリンの視点ですべてが進んでいくために、それぞれの相手・状況での演技が求められるが、ロバーツは見事に演じていると思う。 アルバート・フィニーとアーロン・エッカートも良い。 対話のシーンがとても良い。やさしく、やわらかい。怒鳴りも皮肉も喧嘩もあるが、必死に懸命に相手に伝えようとしている。 コミュニケーションによって少しずつエリンとその周辺の人たちの心が動いていくさまをうまく演出していると思う。 終盤でエリンが突然咳き込むようになるが、他の方の書き込みによると調査の過程でエリン自身もクロムに冒されたためとある。なるほどそれで理解できたが、そりゃあ言われないとわからない。そこをちゃんと入れておけば、あのスーツで決めた女弁護士との差異もより際立ったと思うのだが。 これだけ粘り強く良い仕事ができる人であるのにも関わらず、職にありつくのが困難だという事実。結局、企業は(いや、社会全体は)経歴とその人間のうわべだけしか見ていないのだという指摘は痛快だ。 2010年9月、PG&E社管理下のガス管が、カリフォルニアのサン・ブルーノで爆発し、多数の死傷者をだした。町を火の海にするほどの大惨事だったらしい。現在、PG&E社はこの件の訴訟を多数抱えており、原告と訴訟数はさらに増え続けているということだ。
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[016]カールじいさんの空飛ぶ家
 出来が悪いKi-Adi-Mundi2010-09-08
 
良くない。ピクサー製とは思えないほど質が低い。 見所は序盤の10分だけ。それ以降は退屈であり苦痛。家が浮き上がったあたりでエンドマークを出すべきだった。 この酷い物・・・
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良くない。ピクサー製とは思えないほど質が低い。 見所は序盤の10分だけ。それ以降は退屈であり苦痛。家が浮き上がったあたりでエンドマークを出すべきだった。 この酷い物語を、どうやって?誰が?楽しめるというのだろうか? 二階建て木造住宅があの程度の風船で、それも暖炉にくくり付けるだけで空を飛んでしまうという大嘘をこの映画はついている。しかし、それはもちろんかまわない。そういう設定の映画なのだ。 問題は、その大嘘をどうやって観客に信じ込ませるかだ。それには、大きな嘘を、多数の小さなリアリティで牽引するしかない。さらには、嘘に一定のルールや限界点をもうけるべきなのだ。「何でもアリ」にしてしまうとつまらないものになってしまうからだ。 ところがこの映画は、大嘘をさらに小さな嘘で塗り固めている。おまけに結末ありきのご都合主義でいっぱいだ。 普段杖をついて歩いているじいさんが、飛んだりはねたりのあのバトルアクションをこなさなきゃならないのは、脚本が破綻しているどころか、主役のキャラクター造形すらできていない証拠だ。 風船で飛んでいる家が嵐の中を進んでも、無傷で風船一個すら割れずに無事に嵐をくぐり抜けてしまったが、もしあのシーンで、嵐を避けるべく方向転換しながらも家が大破し、数が減った風船と暖炉とその周辺とソファー以外は消え去った家の残骸に二人がしがみつきながら秘境を目指そうとしていたならば、その後の展開がもっと良いものになったのではないだろうか。
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[017]ハウルの動く城
 見事な作品Ki-Adi-Mundi2010-05-01
 
傑作である。とても美しい映画だ。老婆になった少女が丘を登ってゆく。太陽に照らされた花や草木が光って揺れ、雲が流れてゆく。風が吹いているのだ。とうとうジブリは、いやア・・・
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傑作である。とても美しい映画だ。老婆になった少女が丘を登ってゆく。太陽に照らされた花や草木が光って揺れ、雲が流れてゆく。風が吹いているのだ。とうとうジブリは、いやアニメーションは、風を手に入れたのだ。 少女が初めて魔法使いと出会うシーンも良い。あの浮遊感。縦構図が多いのも本作の特徴だ。少女の作業部屋の窓から見える景色。遠くに戦艦が浮かび、さらに後背には城がゆっくりと姿を見せる。窓やドアを使ったシーンも多く、そのどれもが良い。ドアの映画だと言えるくらいだ。とても映画的だ。 終盤の、半壊した城が二本足で歩くショットなどもとても美しく素晴らしい。宮殿内のシーンも好きだ。 全編が美しく、エモーションに溢れている。 魔法の扱い方・表現もおもしろい。 「爆弾は宮殿には落ちないが、逸れた爆弾が周囲の町に落ちる。魔法とはその程度のものなのだ。」 ハウルの声が良い。それまでのジブリ作品にはみられない声と演技だ。しかし、髪の色が変わった時からそれが崩れてしまった。もちろん演出上わざと崩しているのだが、結果的に質も崩れた。作品としてもそこからややトーンダウンしたように思う。しかし、それでも優れた作品であることに変わりはない。声優陣では何と言っても加藤治子だ。あの魅力的な声と演技は人物造形をより深めている。余人では置き換えられない。 人間関係に愛情と残酷さがかいま見れる。コミュニケーションの希薄さ、相手の表面しか見ない浅はかさ、その内奥に情が揺らめく。あまりにも細やかなこの表現は、時に危うさも感じられるが、とても切なく美しい。 美しい大団円。しかし、やはり空には戦艦が。カブの言うように、人の思いは移ろい易く、戦争は続くのだ。それが愚かだとわかっていながらもだ。 ジブリ・宮崎作品の一つの到達点であり、代表作の一つとなっていくのだろう。そして次作「ポニョ」で大きな方向転換を試みることとなる。
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[018]狼たちの午後
 DogDayAfternoonKi-Adi-Mundi2010-05-01
 
「ワイオミング」はカザールのアドリブらしい。パチーノのあの表情は、驚きと笑いを必死でこらえているのだろう。サルは行きたい国を答えられないというのがもともとの脚本のシ・・・
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「ワイオミング」はカザールのアドリブらしい。パチーノのあの表情は、驚きと笑いを必死でこらえているのだろう。サルは行きたい国を答えられないというのがもともとの脚本のシーン構成だった。 ソニーが発砲したあとの、ソニーと刑事との口論もアドリブ。たいしたものだ。 しかし、だからといってこの映画は即興で作られたかと言うとそれは違う。しっかりとした脚本と、それをたたき台にしてじっくりリハーサルを行なったそうだ。リハーサル中もアドリブを出させ、物語を練りに練っていく。さらにそれを土台にして再度脚本を書き直す。そして撮影が始まるのだ。 特典映像と監督の音声解説目当てでブルーレイを見たが、やはり見応えがありおもしろかった。実際の事件との相違、脚色の方法なども興味深かった。「アティカ」の意味もわかった。しかし、たとえあの言葉の意味が分からなくてもあのシーンの凄さはわかる。見事なシーンだ。 銀行を取り囲む群衆と警官はエキストラであるが、さらにその後方には映画の撮影をしていると聞いて集まった一般の見物人が取り巻いている。ルメットは彼らも撮影に取り込んでしまった。銀行の向かいの建物の窓から人が顔を出しているが、彼らもまた本当にそこに住んでいる一般人であり、そのような撮影見学をルメットは許可している。そしてまた、パチーノやダーニングらも、それらの一般の見物人を煽り、あの興奮と緊張を生み出したのだ。 実際の事件はテレビで生中継され、大きなインパクトを社会に与えたらしい。遺書の内容も映画でそのまま使用したそうだ。ルメットはこの遺書のシーンで観客が笑ってしまうのではないかと危惧したが、ゲイに対する偏見の強かった当時のアメリカの観客も真剣に見入っていたそうだ。 ベトナム戦争で功績があり、知的で、ゲイで、彼氏の手術費用のために銀行を襲った男。彼は20年の刑期を終えすでに出所しているとのことだ。
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[019]死滅の谷
 死滅の谷Ki-Adi-Mundi2009-09-30
 
ラングのドイツ時代を代表する作品の一つ。 ストーリーや装置などに荒さや古さを感じるが、画面に圧倒的な力がみなぎっている。特に前半は凄い。死神が壁を背にして立つショッ・・・
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ラングのドイツ時代を代表する作品の一つ。 ストーリーや装置などに荒さや古さを感じるが、画面に圧倒的な力がみなぎっている。特に前半は凄い。死神が壁を背にして立つショットは形容しようがない。とにかく驚かされた。一度は観て欲しい。それしか言いようが無い。 しかし、中国編なんかはチープさが強く感じられ、少々きつい。 WHDから出ているDVDは映像に問題があるので注意が必要だ。このDVDでは画面の左端が大きく切り取られていて真四角に近い縦横比になっている。そのために画面全体が左にずれてしまっている。例えば、壁から出てきた階段を主役が上るシーンでも階段が左にずれてしまっていて、画面構成が崩れている。終盤の、男が横になっているシーンでは、その男の頭部が切り取られて見えない。 画面の端正さ、美しさが特徴の作品なのでこの欠陥は致命的だろう。画質の劣悪さは言うに及ばず。もちろん色もついてはいない。 しかし、そのように悲惨なDVDであるにもかかわらず、それでもなおこの作品のもつ凄さを感じられるからたいしたものである。 可能なら輸入盤で観ましょう。 ちなみに、 「死滅の谷」という邦題は、おそらく聖書からの引用だろう。旧約聖書の詩篇には「死の陰の谷を歩こうとも、わたしは災いを恐れない」という文章がある。 世界は「死」に支配されており、死神ですら抵抗することはできない。この世界は災いと死が広がる世界、すなわち死滅の谷である。しかし、「愛は死を乗り越える」と考える主人公の女性は一人この世界で抗おうとするのだ。そしてラストシーン、恋人たちはふたりで丘を登ってゆく。 この作品の原題は「DER MUDE TOD」(疲れた死神)である。「疲れた死神」、それじゃあ客は入んないわな。 落語『死神』の元ネタは、イタリア歌劇「クリスピーノと代母」もしくはグリム童話「死神の名付け親」のどちらかだと言われている。この映画は関係ない。
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[020]風が吹くとき
 風が吹いたあとでKi-Adi-Mundi2009-07-30
 
すばらしい。 優れた作品だ。
  
 
[021]元禄忠臣蔵 前篇
 溝口版忠臣蔵Ki-Adi-Mundi2009-05-02
 
溝口作品としてはそれほど良いものではない。 音声が劣悪。ここまで音の悪い作品は久々だ。原因はわからないが、とにかく悪い。邦画は昔から録音が良くないが、ここまで悪いと・・・
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溝口作品としてはそれほど良いものではない。 音声が劣悪。ここまで音の悪い作品は久々だ。原因はわからないが、とにかく悪い。邦画は昔から録音が良くないが、ここまで悪いとさすがに驚く。DVDの問題なのかもしれないが・・。 おまけに言葉使いが難しいので聞き取ることが極めて難しい。後編は改善されるが、前編の特に序盤はきつい。 情報局の肝いりで、国が資金を出して制作された。国策映画だと言っていいだろう。 武士道精神の高揚と、華やかな大活劇を望んで企画されたのだろうが、なぜかそれが溝口のもとへとやってきた。 「原作は真山青果で、俳優陣は前進座」そうじゃなきゃやらない。と溝口。 建築監督の新藤は、この映画は「実寸主義」だったと述懐している。江戸城松の廊下とその周辺をそのまま再現しただけではなく、あらゆる装置、道具に高い水準を求めた。河原崎長十郎は、毎日が美術の勉強だったと述べている。 障子画や襖画なども見入るほど興味深かった。大石邸も素晴らしい。 しかし、予算をオーバーしすぎて、作品に関わった松竹の責任者はことごとく辞職することになったらしい。 戦時中であり、すでにあらゆる節約・制限が課せられている時期だった。そのような社会状況の中、ひたすら芸術に没頭することは、戦争からの逃避であり、または戦争へのささやかな抵抗だったと河原崎は述べている。 「実寸主義」は装置だけではなく、演技にも適用された。   討ち入り場面を撮るということは、真剣で本当に人を切らねばならない!そうでなければ撮れない!しかし、そんなことをしてしまえば我々全員、警察に逮捕されますよ! 溝口が討ち入りを描かなかった本当の理由はわからない。依田はその理由を、溝口はアクションシーンが苦手だから、としている。チャンバラが嫌なのか?殺し合いを描くのが嫌だったのか?国や会社への抵抗か?理由はわからない。しかし、それは実行された。 忠臣蔵なんだから、と疑うわけもなく、水谷と新藤は吉良邸セットを実寸で完成させていたが、それは使用されることは無かった。「討ち入りが無い!」さぞかし驚愕しただろう松竹スタッフの説得の甲斐も無く、前・後編4時間近くの忠臣蔵が完成する。 前編は1941年の冬に、後編が翌春に公開された。定番の忠臣蔵を求める観客たちはこの作品をどう見たのだろうか? 劇作家であり、また江戸史の研究者でもあった真山青果は自らの研究成果を「元禄忠臣蔵」に注ぎ込んでいる。彼はリアルな忠臣蔵を目指したのだ。そもそも忠臣蔵の原点である「仮名手本忠臣蔵」はフィクションとして構想された。内匠頭切腹と浅野家断絶という幕府の裁決に異を唱え、幕府の高官でもある吉良を殺したのだから、大石らは皆罪人である(いや、それどころか彼らの行動はクーデターではないのか?)。それを持ち上げ賞賛することは反幕府を意味するため、そのまま劇化することはできるはずも無かった。真山はそんな忠臣蔵の虚飾をはぎ取り、さらに大石の思考と行動の意味を探ろうとしたのだ。真山は身内にこう言っていたそうだ。「この戦争が終わったらはっきり書いてやる!大石の真意をはっきりと書いてやるぜ!」 ちなみに、原作「元禄忠臣蔵」にはもちろん討ち入りシーンが存在する。が、しかし、その闘争場面を直接的には描いてはいない。なかなかおもしろい構成となっている。それを考えるとこの映画の脚色は見事なものだったとも思える。
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[022]荒野の七人
 七人のガンマンKi-Adi-Mundi2009-05-02
 【ネタバレ注意】
「侍」の低質な焼き直し。時間が2時間と短いのにも関わらず原作のエピソードをいちいち押し込んでいる。そのために演出・演技に余裕が無く、すべてが駆け足で事務的に進んでい・・・
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「侍」の低質な焼き直し。時間が2時間と短いのにも関わらず原作のエピソードをいちいち押し込んでいる。そのために演出・演技に余裕が無く、すべてが駆け足で事務的に進んでいく。そもそもユル・ブリンナーが村の防衛を引き受けた理由が意味不明で、そこまで描いている時間的余裕が無いためか、そういう類のことは極めておざなりに物語が進む。退屈。そうとしか言いようが無い。 ところが、中盤を迎えると突如として様相は一変する。 ストーリーは原作を離れ、演出は安定感を取り戻す。画面は硬質さを帯び始め、美しさまで感じられる。曖昧さは相変わらずだが、それは西部劇的な曖昧さで、むしろ魅力となる。農民たちの裏切り、ガンマンの敗北。「侍」の焼き直しだった7人がこの作品独自のキャラクターへと歩み始める。 なぜここまで原作に忠実につくってしまったのだろうか?基本構造だけ使って独自の2時間映画を構想すれば良かったのに。士農の差を、人種の違いに置き換えるのは無理だ。オリジナルのキャラクターから変更された人物たちが魅力的なことを考えてみても、やはりこの作品の独自性を強くするべきだったのではないだろうか。 非常にバランスが悪いが妙な魅力もある、不思議な感覚を受ける映画だ。
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[023]宮本武蔵 巌流島の決斗
 シリーズまとめての感想Ki-Adi-Mundi2009-05-02
 
それほど良いとは思わない。豪華な画面作りをしようとしているのはわかるが、明るい場面は光が強すぎ、暗い場面は暗くて良く見えない。5作目に至っては、広角で撮っているため・・・
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それほど良いとは思わない。豪華な画面作りをしようとしているのはわかるが、明るい場面は光が強すぎ、暗い場面は暗くて良く見えない。5作目に至っては、広角で撮っているためだろうか?画面の両端が歪んでしまっていて酷い画になってしまっている。しかし、確かに4は良い。5部作全部見るのは大変だ!という方には4のみの鑑賞をお勧めします。 キャストも、武蔵と又八以外はミスキャストに思える。どうも子役の扱いが上手くない。彼らの演技力というよりは監督の問題ではないのか。脚本も良くない。説明的な台詞が多く、あげくの果てに、独り言で説明的な台詞をべらべらと喋ってしまうと言う安易さには呆れた。5部作と言う長編でありながらもドラマが組み立てられておらず、登場人物は多いが大半は機能していない。脇役どころか主役の武蔵の個性でさえもうまく描かれてはいない。娯楽作らしいサクセスストーリーかと思いきや、最後の最後で「しょせんは武器か・・」とか言って5部作全否定されて、今までのは何だったんだ!と観客全員ひっくり返るみたいなアホな展開には笑った。 確かに武蔵はこのあと試合を避けるようになり、一介の兵卒ではなく、軍の指揮者になりたいと考えたようだ。当然そんな願いは叶えられるわけは無く、高禄で雇ってもらえる藩をもとめて全国を放浪し、最終的に熊本にたどり着き、細川家の客分としてその生を終えた。 ていうか、武蔵の生涯には異説が多くそのキャラクター性もさまざまに構想できる。吉川英治の小説も極めてフィクション性が強いそうだ。この映画で武蔵をどう描くのか、どのような武蔵像を描くのかが曖昧でぼやけてしまっている。 4作目は物語構成がシンプルだが、色彩に特色があっておもしろい。剣術者たちの暗黒面を映すかのように一作通して暗く、その闇の中に配された雪の白や血の赤が印象的だ。突如モノクロに切り替わった一乗寺決闘の後には、血のように真っ赤に紅葉した羊歯の上に武蔵は横たわる。凄まじく残酷で美しく力強いショットだ。 5作目の、小次郎と小倉の侍との試合もおもしろい。武蔵vs小次郎のシーンも良い。千恵蔵の存在感も半端ナイ。 場面転換のアイデア、シーンの繋ぎもなかなか今の映画では見られない丁寧さがある。 錦之助の武蔵が魅力的だ。武蔵としては見た目も含めてちょっと優しすぎると思うが、やはり良い。画になりますね。畦道をちょこまか走る姿がやや滑稽だけども。 しかし、申し訳ないけど、おつうさん可愛くないねぇ。とにかく鬱陶しいジョータロとセットで来られたら、武蔵でなくても逃げたくもなるよな。
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[024]海と毒薬
 海と毒薬Ki-Adi-Mundi2008-10-29
 
見事な作品。映画史においても重要な作品。ベルリンで審査員特別賞受賞。 手術のシーンは2カ所。どちらも堪え難いほどの凄まじい緊張感。心臓に問題を抱えている人は見てはい・・・
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見事な作品。映画史においても重要な作品。ベルリンで審査員特別賞受賞。 手術のシーンは2カ所。どちらも堪え難いほどの凄まじい緊張感。心臓に問題を抱えている人は見てはいけない。ここまで手術をリアルに再現した映画はおそらく他に例がない。 2人の研究生を軸に物語が進むが、生体実験に関わる者たちそれぞれの背景が丁寧に描かれ、それが終盤の手術シーンへと収束してゆく。 手術シーンでは光が部屋に広がり、逆に、奥田と渡辺が罪について語るシーンや取り調べのシーンなどでは陰影が濃く、影が印象的である。 水を印象的に使った映画でもある。病院の前の海岸、手術室の床を流れる水、そして、切開した患者の体内からは血が溢れる。 豪華キャストも見所。繊細で力強い演技を見せてくれる。 見事な脚本。見事な演技。見事な演出。傑作。
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[025]浪人街
 中途半端なリメイクKi-Adi-Mundi2008-09-30
 【ネタバレ注意】
「浪人街 第1話美しき獲物」マキノ正博監督、山上伊太郎脚本(1928年)のマキノ自身によるリメイクである。リメイクするにあたり脚本に手を入れてあり、数人の主要登場人物を・・・
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「浪人街 第1話美しき獲物」マキノ正博監督、山上伊太郎脚本(1928年)のマキノ自身によるリメイクである。リメイクするにあたり脚本に手を入れてあり、数人の主要登場人物を削除、シーンの付け足しもされている。元々オリジナルはサイレント用に書かれたものなので脚色は仕方ないとは思うが、大胆に人物とシーンを削除したことによって人間関係が崩れ、主要人物たちの行動の動機が薄くなり極めて曖昧なものとなってしまっているのは残念だ。しっかりと組んであった物語構成がパーツを外され不安定に傾いている。人物それぞれの性格にもメスが入っていて、例えば土居は徹底的に情けないやつ、赤牛はお調子者というふうに類型化されている。しかし、もっとも気になった点はユーモアを強調しすぎていることだ。この作品の特徴であるニヒリスティックな雰囲気は消え去っている。おそらくマキノは50年代にこの作品のテイストは合わないと考えたのだろう。しかし、脚本の力に引きずられて、結果的にバランスを崩し軽薄さだけが残った感は否めない。リメイク当時の評価は低かったというのも頷ける。 コメディリリーフとして二人組の目明しが出てくるが、もちろん原作にはこのような役割は無い。終盤、殺人を犯したおぶん(原作では本当に殺している)と土居を助けようと、母衣は仲間を引き連れた目明したちに斬り掛かる。馬で源内の救援に駆けつけた母衣に続き、土居も参戦する。土居の姿を見た赤牛はそこでいよいよ「表返る」ことになるのだ。母衣は、裸にされ手足を縛られたお新を背負い、満身創痍の源内を肩に担いで逃走をはかる。それを阻む敵方に土居が斬り込み血路を開く。そして赤牛が追っ手を食い止める。 小幡伝太夫も性格が違う。そして源内は、原作でも相変わらずいい加減な男であるが、もっとやさしく、もっと愛があるのだ。誰もが必死に生き、必死に闘う人間たちのドラマ、それが「浪人街第1話美しき獲物」なのである。
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[026]宇宙戦争
 宇宙戦争Ki-Adi-Mundi2008-04-18
 
スピルバーグの近作(とは言えそれほど多くは見ていないが)の中では、異質であり、間違いなくトップ。 大きく脚色してある前作とは違い、ウエルズの原作を丁寧にたどっている・・・
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スピルバーグの近作(とは言えそれほど多くは見ていないが)の中では、異質であり、間違いなくトップ。 大きく脚色してある前作とは違い、ウエルズの原作を丁寧にたどっている。 原作は、ロンドンの崩壊と住民の逃げ惑う姿を一人の男の目線で描いている。意志の強さと怜悧さを持ちながらも、圧倒的な宇宙人の力の前に心のコントロールを失いかける主人公をクルーズが上手く演じている。 原作でも序盤でトライポッドの破壊に人類は成功している。しかし、さらなる増援と新兵器の投入でイギリス軍の一時的な攻勢は潰える。主人公も含め住民たち(彼らはその英知と力で地球を支配していると勘違いしていた)は歓喜から絶望へとおちてゆく。 原作でも人々の無関心さは描かれている。新聞で宇宙人の飛来と破壊を知らされても(たとえそれが隣町でも)、自分とは関係のないものだと捉え、興味を示さない。たしかに、宇宙人が侵略しにやってきたと言われても誰が信じるだろうか? 家を焼き払われ隣人が殺され逃げてきた人々を目にしてさえも上流階級の夫人たちは鼻で笑いピクニックに行こうとする。破壊と混乱が大きくなると人々は我先にと逃げてゆく。道は馬車で埋め尽くされ、悲鳴と怒号と悲嘆がうずまき、略奪と殺人が平気で行なわれる。そんな様子が主人公の目を通して描かれてゆく。 宇宙人の侵略と人類の絶滅を、崩壊したロンドンを彷徨い歩く一人の男の目から描いた長編小説を、時空を置き換え見事に映画にまとめている。 正直なところ、出来のよさに驚く。 良かった頃のスピルバーグを思い出した。
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[027]牢獄
 牢獄Ki-Adi-Mundi2008-03-20
 
地球そのものがイコール地獄であり、その地球=地獄に住んでいる私たちすべてが悪魔そのものなのだ。というのがあのじいさんの考え。 だから、当然神などいないし天国も無い。 ・・・
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地球そのものがイコール地獄であり、その地球=地獄に住んでいる私たちすべてが悪魔そのものなのだ。というのがあのじいさんの考え。 だから、当然神などいないし天国も無い。 地獄の中でもだえ苦しむ人々、圧倒的な死の力の前に成すすべは無い。 世の中には苦しいことしか無いのだという若い頃のベルイマンの考えがそのまま描かれた作品である。 ベルイマン作品の中ではちょっとかわった物語構成をとっている。
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[028]茄子 スーツケースの渡り鳥
 なすびKi-Adi-Mundi2008-03-08
 
前作に引き続きあいかわらず質が高い。 アニメーションがなかなか良いんだ。 前作では、スペインの荒野を太陽に照らされながら疾走する様子を上手く描いていたが、今回は森と山・・・
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前作に引き続きあいかわらず質が高い。 アニメーションがなかなか良いんだ。 前作では、スペインの荒野を太陽に照らされながら疾走する様子を上手く描いていたが、今回は森と山、そして雨。 しかし、残念なことに前作もそうだったのだが、あまりお話しがおもしろくないのだ。脚本が良くないのだろう。 しかし、序盤の車中での主役二人の会話シーン。まんまルパンと次元だね笑。 全編通して画が似ているだけでなく、演出・編集も意識している。 大泉がとても良くて驚く。いっそのこと日テレのルパンもやっちゃえよ。
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[029]奇跡
 映画の奇跡Ki-Adi-Mundi2008-02-24
 
原作は、デンマークの牧師兼作家であるカイ・ムンクの戯曲「言葉」。映画版の原題も「言葉」である。    この作品の結末は私たちを困惑させる。いや、困惑したのは私たちだ・・・
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原作は、デンマークの牧師兼作家であるカイ・ムンクの戯曲「言葉」。映画版の原題も「言葉」である。    この作品の結末は私たちを困惑させる。いや、困惑したのは私たちだけではなかった。原作の戯曲が発表されたときも、この映画版のときももちろん地元デンマークはおろか、上映された各地で議論を呼んだのだ。 ある人がおもしろい表現をしている。カイ・ムンクとは人の心を揺さぶり魂の不安を掻き立てる作家だと言うのだ。 実は、カイ・ムンクは神を信じてはいなかった。 行動力の人であったムンクは、ナチスドイツのユダヤ人迫害、デンマークへの侵攻に際し、ドイツへの抵抗運動(暴力ではなく言葉で)をおこない、1944年にゲシュタポに惨殺された。この時代に生きた人間ならば神を信じられなくなって当然なのかもしれない。餓え、貧困、二度の世界大戦、大量虐殺、差別、裏切り。しかし、イエスへの絶対的な愛が彼を支えていたそうだ。神への不信とイエスへの愛。その二つが最後まで彼の中で闘い続けていた。 この戯曲は、農民についての劇を書いて欲しいと頼まれて書いたものだ。この作品は、神を崇めるための物語ではなくて、あくまで主役は農民たちであり、苦しい生活の中にある彼らがどうやって生きてゆくのかをカイ・ムンクなりに考えたということなのだろうと思う。とは言え、ムンクは奇跡を信じていたようだ。そして、イエスへの愛を持ち、キェルケゴールの信徒でもあったムンクにとって、ヨハンネスは自身の投影だったのだろう。 ドライヤーは、この作品において描かれているのは「愛」だと考えていた。愛を語る上で、精神と肉体は切り離すことが出来ない、カイ・ムンクはそれを見事に語っているのだと。 部屋の中を車のライトがゆっくりと移動する。ヨハンネスは叫ぶ「主が大鎌をもって扉をすり抜けてゆく!」。信じがたい奇跡的なシーンだ。神(死神)をフィルムに焼き付けることに成功した驚くべきシーンだ。 出産シーンも強烈だ。このシーンは世界映画史のなかでももっとも耐えがたく、心が引き裂かれる出産シーンではないだろうか。 アンドレ・バザンは言う。映画は、絵画や音楽や詩などの他の芸術分野の最良の作品と比較できる作品はまれであるが、ドライヤーは『奇跡』によって、もっとも偉大な芸術家たちと肩を並べる資格を得たのだ、と。 残念ながら現在、日本語版DVDは廃盤である。2008年1月、BS2において放映があったが、日本語字幕に省略個所が多く見られ、また、意味を違えている個所もいくつか見られた。 もし、その機会が得られる時には、ぜひ劇場で見ることをおすすめする。 ラストのあの瞬間、真に優れた映画だけが持ち得る映画的な何かが観客席を包み込む。感動の共有。そして、時と場所を遥かに越えた地点で、観客とドライヤーとの間で会話が成り立ったのだ。
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[030]ガートルード
 ゲアトルーズKi-Adi-Mundi2008-02-23
 
カール・Th・ドライヤーの遺作『ゲアトルーズ』である。 Gertrudは英語読みではガートルードになる。そう、つまり「ハムレット」の母親。弟に毒殺された王の妃であり、その後、・・・
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カール・Th・ドライヤーの遺作『ゲアトルーズ』である。 Gertrudは英語読みではガートルードになる。そう、つまり「ハムレット」の母親。弟に毒殺された王の妃であり、その後、王位を簒奪した男と再婚し息子ハムレットの不興を買い、最後は王の謀略を阻止しようと自らハムレットに差し出された毒をあおる、あのガートルードと同名の女性の物語である。 ドライヤーの作品には常に不寛容というテーマが潜んでいる。その多くは女性が抑圧され社会の不寛容に苦しめられる。ところが『ゲアトルーズ』はそうではない。自分が感じていること以外は受け入れず、男たちを服従させようとする。この物語はゲアトルーズの不寛容を描いているのだ。そしてそれが彼女と男たちに悲劇をもたらす。 これはゲアトルーズの生き方を賛美した物語ではない。 なぜ人は人を受け入れることが出来ないのか?ドライヤーらしい作品であり、彼らしい悲劇なのだ。 元々この作品はカラー作品として構想された。どのような色彩を獲得するかも考えられていたが、それは結局実現できなかった。しかし、巧みな照明と撮影はその美しさを存分に見せてくれている。 男は若い頃自分が贈ったのだと言う鏡の横にある蝋燭に火をともす。しかし、ゲアトルーズはすでに愛は終わったのだとばかりに、その火を消す。 男と女は話をしながらゆっくりと移動する。カメラはそれを追いかける。それとともに光と影は形を変え、色彩が動く。交わらない視線。ランプに照らされた彼女の顔には哀しみと憂いと意志が。 『ゲアトルーズ』は、『怒りの日』『奇跡』と続いた戯曲の映画化作品の集大成である。美しい画面構成と、彩り豊かな移り行く陰影を持つこの映画は、ドライヤーにとって最後のモノクロ作品となる予定でもあった。そしていよいよカラーへと歩を進めるはずであったが、それは叶わなかった。
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