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 「Stingr@y」さんのコメント一覧 登録数(359件)rss
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[001]アリス
 目を閉じなきゃ、何も見えないのよStingr@y2017-03-21
 
それまでの短編の要素を継承した、ヤン・シュヴァンクマイエルらしい作品。15分くらいまでは、作者が観客に、作品の世界に入り込めるか否かを問う“選別の時間”。作品が自分に合・・・
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それまでの短編の要素を継承した、ヤン・シュヴァンクマイエルらしい作品。15分くらいまでは、作者が観客に、作品の世界に入り込めるか否かを問う“選別の時間”。作品が自分に合っていなかったら自由に中途退席すればいい。解る人にだけ解ってもらえればいい、という潔い作品だ。 この作品は、おおまかに、(1)アリスがワンダーランドに行くまで、(2)兔との駆け引き、(3)お茶会から女王の登場、(4)アリスが元の世界に戻ってハサミを握るまで、の4つの場面で構成されるが、エピソードを並べ立てる物語なので「起承転結」ではない。「起承転結」は中国文化の影響を受けた日本人が、長年の歳月のうちに身に染み込ませてしまった物語の進行方法だ。 では、このヤン・シュヴァンクマイエルの世界を読み解こう。以下は勝手な私解である。別に解釈をせずとも本作は楽めるが、Wikipediaによれば、チェコ語の原題の邦訳は「アリスの何か」で、「何か」を解釈しろ、と言っているタイトルだ。 簡単な解釈は、兎はチェコスロバキアの共産党政権、アリスは自由を求める民衆。アリスが「お願い!待って。」と言うのを無視する兎。兎の中身のおが屑は、政府が行う政治で、口にしたアリスは吐き出してしまう。兎の策略(政府の甘い懐柔政策)で、身体が小さくなってしまうアリス。不思議なまずい飲み物の力で(インクはマスメディア)、再び身体が大きくなるアリス。ネズミは反体制勢力に送り込まれたスパイ。首を切れというトランプのハートの女王はソ連の圧政者で、女王の言いなりの兎。最後にアリスはハサミを握る…。私には分からないが、細かいエピソードにもそれぞれ解釈があるのだろう。 1989年(製作年の翌年)、チェコスロバキアの共産党政権はビロード革命により崩壊した。政治色を前面に押し出した作品ではないが、ヤン・シュヴァンクマイエルの世界とはそういうことだ。わかりやすい「不思議の国のアリス」のファンタジーを期待した人たちや、コマ撮りアニメで描かれる内容なんて、たかが知れている!と、半ば軽んじて観た人たちや、チェコスロバキアがソ連の影響下にあった時代の作品だし、加えて長編第1作なのだから、反体制的なことは描かれていないと憶測をもって観た人たち、も多かったのではないか? そんなあなたには、作品からの冒頭のメッセージ「目を閉じなきゃ、何も見えないのよ」が届いていなかったのだ。
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[002]インモラル・ガール 〜秘密と嘘〜
 素晴らしいの一言につきるStingr@y2017-03-14
 
煽情的な邦題とは真逆に、原題は単純に「Panama」。パナマ運河で有名なあの国かな? ヨヴァンは友人・ミランとナンパの成果を競い合うような男。それが、マヤの不可解な行動に・・・
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煽情的な邦題とは真逆に、原題は単純に「Panama」。パナマ運河で有名なあの国かな? ヨヴァンは友人・ミランとナンパの成果を競い合うような男。それが、マヤの不可解な行動によって、マヤ一筋に変貌し、さらには不安や不信から疑心暗鬼に陥ってゆく…。 本作は、SNSの断片的な情報だけに頼っている現代人が、不安・不信・疑心暗鬼といった暗闇に陥ってゆく様を描く。離れているときはSNS、逢ったときはSEX、それでいいのか? 「心の豊かさなど二の次だ」と、作品の中で大人が警鐘を鳴らす。本作の素晴らしさは、観客にも断片的な情報しか与えず、主人公同様に観客も疑心暗鬼に陥らせる点だ。 マヤと関連する人物はヨヴァン以外に、(1)一緒に階段を下りていく男、(2)ビデオの撮影者、(3)黒いBMWの持ち主、(4)メールを送ったボヤン、(5)『てんとうむし』でヨヴァンと応対した女性の夫(?)、(6)桟橋でキスする男、がいる。これらは同一人物なのか、そうではないのか? そしてさらにもう2人いる、(7)マヤの父親、(8)女友達・ミリツァ、だ。怪しいのは、(3)は(5)と同一人物か? というくらい。もしもそうならば、(6)の男が(5)の子持ちの男と同一人物とは考えにくいが、完全否定はできない。「父親とは会っていない」というマヤの言葉は真実を語っているのか? この設定・プロットの運びは素晴らしいの一言につきる。 マヤのお気に入りの場所を推理してみよう。本作の本質は、疑心暗鬼に陥った観客になぞ解きを強要することだ。そしてこれこそが、本作の意図だ。以下は私の推理だが、もちろん別の推理もできる。まず、マヤは嘘をついていない、(3)=(5)、と仮定して、ストーリーとは逆順に妄想を拡げてみよう。 『パナマ』:現在は廃墟となったアパート。ヨヴァンは空き部屋で、少女と両親の絵が描かれたノートを発見する。ここはマヤが生まれ、少女時代を過ごした場所で、その後、『てんとうむし』に引っ越す。マヤは、パナマを“南国の楽園”のように思い描いている。きっと、両親そろった、幸せだった少女時代を思い浮かべているのだろう。近々マンションに建て替えられるようだ。ここで、ヨヴァンは自分の闇の深さを見つめることになる。 『てんとうむし』:ヨヴァンはアパートの住人から、売り主が「ヨヴァノヴィッチ (マヤの苗字)」だったことを聞き出す。マヤが一度は暮らした場所だ。通りには黒いBMWが停まっていて、ヨヴァンと応対に出た女性は黒いBMWの存在を知っている。だが、彼女はヨヴァンに黒いBMWのことを尋ねられると、詳細を語ることを拒絶する。(3)の居所と考えられ、マヤの不倫相手かもしれない。(7)とも同一人物とすればもっと面白いが、マヤが嘘をついたことになる。 「現代的なビル」:特に名前はついていない。マヤと喧嘩別れをした後で、ヨヴァンが謝りにマヤを訪ねたところ、アパートには祖母の姿が見えない。ここは祖母を入居させた老人ホーム、または、病院。マヤの失踪後、ヨヴァンがマヤのアパートを訪ねると「愛する祖母よ 安らかに」と書いた紙が戸口に張られていて、祖母の死亡を暗示する。 『赤い月』:古い喫茶・バーの店。表通りに面した側はきれいだが、階段を下りて裏道に出てみれば、家の壁はぼろぼろで、捨てられた家具などが散乱していて、一部は燃やされている。ここは両親の離婚後、母親と暮らした場所。ここで母親は死亡し、マヤは祖母に引き取られることになる。捨てられた家具などは置き去りにしたものか? 『赤い月』が登録された以降、名前のつけられた場所がいくつか登録されるが、それは、母親と二人で転々としたことを表すのか? ラストは、桟橋でマヤと(6)がキスをしまくるシーンだが、マヤはこの桟橋にヨヴァンと来たこともあるので、残念ながら、パナマ共和国には行っていない。ドナウ川か、サバ川か? 沈む夕日がきれいですね、って、いったい何時間イチャイチャしてるんだ!? 作品の舞台であるベオグラードは、旧ユーゴスラビア連邦からセルビア共和国まで、ずっと首都であり続けている。社会主義時代の経済停滞や連邦解体後のコソボ紛争などで、長年遅れていた近代化が、ここへきて弾みがついたようだ。映画の作り手もどんどん進化している。 そうそう、ミステリーやサスペンスは、観る前にコメント読んじゃダメだよ。
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[003]ローリング
 素敵なバカ・くずStingr@y2017-02-19
 
水戸、という所、先生もバカ・くずなら、教え子もバカ・くず、というシリアスなメッセージの映画。 柳が貧乳で可哀相、だったら脱ぐなよ!、と思ったが、三浦は表情が作れず、・・・
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水戸、という所、先生もバカ・くずなら、教え子もバカ・くず、というシリアスなメッセージの映画。 柳が貧乳で可哀相、だったら脱ぐなよ!、と思ったが、三浦は表情が作れず、不愛想でもっと可哀相、だったら出るなよ!、と思ったのだが、だったら観るなよ>自分、と思い直した。 でも、輪をかけて可哀相なのは、脚本。ストーリーが行き当たりばったりで、因果関係・伏線が全くできていない。最初から登場する“おしぼり”が、最後に「えっ、こんなことに!?」というような展開にしてもらいたかった。
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[004]GONIN サーガ
 “外圧”?Stingr@y2017-02-16
 
本作は純然たるコメディ映画なんだが、要するに、コメディにコメディアンを使っては、単なるバラエティショーになってしまうということだ。 そんなこと、「天使のはらわた」の・・・
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本作は純然たるコメディ映画なんだが、要するに、コメディにコメディアンを使っては、単なるバラエティショーになってしまうということだ。 そんなこと、「天使のはらわた」の石井隆が判ってないはずはないので、竹中直人やテリー伊藤の起用は“外圧”によるものと考えたい。竹中直人ではなく松方弘樹を起用していれば、たとえ同じ演技をしても、作品の評価はガラッと変わっていただろうに。 「GONIN (1995)」から20年近くも経って、石井としては、息子たちに世代交代した物語で、時代に合わせた「新たなGONIN」を創ればよかったのに、結局「GONIN (1995)」を引きずってしまったのが残念!
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[005]ふたりのイーダ
 いつか分かってほしいStingr@y2017-02-11
 
子供の頃に原作を知っていたのはうらやましいが、私は(今でも)原作を知らないので、本作のように「イーダは原爆で亡くなってしまった」というストーリーの方が分かりやすい。そ・・・
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子供の頃に原作を知っていたのはうらやましいが、私は(今でも)原作を知らないので、本作のように「イーダは原爆で亡くなってしまった」というストーリーの方が分かりやすい。それだからこそ、私が幼少時に観たとき、“椅子の身投げ”というラストが、子供心にも身につまされ、記憶に残ったのだろうと思われる。原作は、イーダと再会した椅子が、宙に跳び上がって喜んだのだろうか? それこそ子供だましの笑止千万。 ※子供のころは原作者など気にも留めなかった。松谷みよ子の名は、大人になってから、絵本作家としてではなく、「現代民話考」の作者として知ることになった。興味のある方は一読あれ。 ストーリーは違うが、造りは「E.T. (1982)」と同じだ。両者のストーリーには、現実に存在する原爆という絶対悪と、絵空事の異星人E.T.との友情、という違いがある。だが、表現は、椅子が宙に跳ぶか、自転車が空を飛ぶか程度の違いである。母親の再婚話を挿し入れたのも、子供に付き添ってくる親たちにも、被爆による差別や偏見、いじめが現実に存在することを理解して欲しいからで、子供向け絵本の範疇を超えても構わないと思う。それでも、椅子の擬人化には文句を言い、E.T.の擬人化には文句を言わないのは、そう批判する人の心の中に、日本とアメリカ、松山善三とスピルバーグ、という本人も意識していない(であろう)差別意識が存在するからだ。 「ふたりのイーダ」と「E.T.」を比較した場合、子供にとって、どちらが受け入れやすいかは明白だ。だが、大人にとって、どちらを子供に観てもらいたいかも明白だ。「JAWS/ジョーズ (1975)」では、現実に存在する脅威を徹底的に破滅させ、「E.T.」では、絵空事の友情を、さも実現できるかのようにでっち上げる。そのようなスピルバーグの思想は、延々と続くアメリカ社会の思想の一脈で、現在のアメリカ社会にも払拭しがたい影響を与えている。 本作は、松山善三という性善説に立つ御仁が脚本・監督したから子供にも観せられる作品になっている。破滅やでっち上げなどは、ここには一切ない。ここにあるのは、「今は分からなくてもいい、いつか分かってほしい」という願いだ。↓の人も、以前観た折に、全ては分からなくても、何かしら心に引っかかるものがあったのだ。そうでなければ、いまさらコメントすることもあるまい。(日記としてコメントを残す人は別として…) それはそうと、昭和の少年たちはあのような短い半ズボンをはいていましたね。「ALWAYS 三丁目…」に出てくるような五分ズボンをはいた少年なんていませんでした(これも絵空事ですね)。時代がここにあります。子役の上屋健一君も上手ですね。今時の子役は「下手だからカワイイ」か「多少見た目がいい」という評価(+某学会の応援)で人気があるのでしょう。
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[006]さまよえる脳髄
 分かるだけに怖いStingr@y2017-01-18
 
『我(われ)善(よ)きが由(ゆえ)に、汝を殺さぬにはあらず』 ※「心の善くて殺さぬにはあらず」(歎異抄) 追分を分析する藍子、藍子を分析する丸岡。では、丸岡は“正常”なのか? ・・・
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『我(われ)善(よ)きが由(ゆえ)に、汝を殺さぬにはあらず』 ※「心の善くて殺さぬにはあらず」(歎異抄) 追分を分析する藍子、藍子を分析する丸岡。では、丸岡は“正常”なのか? 目の前の人を、心の中でどのように殺しても何の現象も起きないが、ひとたび手が動いて首を絞めてしまえば殺人だ。 「紙一重」とは、この、行動に移すかどうかの精神の均衡なのだが、戦争などでは簡単にしかも問題なく、均衡が破れる。しかも、均衡点は文化・宗教・時代によって変動するし、同時代でも人によって異なる。あなたと私とで、均衡点(キレる限界)が違うのだ。
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[007]デビルズ・ノット
 アーカンソー州Stingr@y2016-11-30
 
アーカンソー州の片田舎で起きた実際の事件を扱った作品。「まるでみんなが…警察も判事もみんなが、誰を犯人にするか決めていたみたい」と言わせるほどの、限りなく冤罪に近い・・・
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アーカンソー州の片田舎で起きた実際の事件を扱った作品。「まるでみんなが…警察も判事もみんなが、誰を犯人にするか決めていたみたい」と言わせるほどの、限りなく冤罪に近い裁判。クリント・イーストウッドが描く、まるで西部劇のような絵空事の“アメリカの正義”とは対極の、現実の“アメリカの正義”が描かれている。 現在の世界をリードするアメリカであるが、その実、進化論を信じているアメリカ人は4割しかいないという、現代日本人から考えると信じられない現実が、アメリカ社会に重くのしかかっている。進化論を信じている4割の中にも、「人間以外の生物は進化論のような進化をした。しかし、人間だけは神が創造した」と教育され、その通りに信じている人々が多い。多くのアメリカ人にとっては、相変わらず科学よりも聖書の教えの方が真実なのだ。 なんでこんな話を持ち出したかというと、アーカンソー州は知る人ぞ知る、根強い“反進化論”の州なのだ。その背景には、本作に描かれているように、聖書だけを信じ、悪魔だの魔女だの進化論だの、聖書の教えに反することを執拗に嫌悪するこの土地の人々がいる。それが分かっていないと、本作を理解できないだろうと思うからである。
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[008]さよなら歌舞伎町
 何を描いているのやら?Stingr@y2016-11-20
 
歌舞伎町のとあるラブホテルのつもりのようだが、どこかの地方都市のラブホテルを描いているようにしか思えない。 歌舞伎町の裏は大久保。(南北)朝鮮人に対する“ヘイトスピー・・・
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歌舞伎町のとあるラブホテルのつもりのようだが、どこかの地方都市のラブホテルを描いているようにしか思えない。 歌舞伎町の裏は大久保。(南北)朝鮮人に対する“ヘイトスピーチ”で全国的に知られている所だ。何となくそのあたりの人々を、朝鮮系の俳優を使って描いたように思えるのだが、大久保は相当以前から、東南アジア系、中東系の人々が定着する多国籍の地域なので、そのような人々を描いていないのが、全く“らしくない”(分からない人には“ごめんなさい”)。 歌舞伎町と言えば、ボッタクリは中国マフィア、ホテルは(南北)朝鮮人、飲食店は多国籍の進出、と話題になっているが、この作品、はっきり言えば、「ヘイトスピーチにもめげず、朝鮮系の人々は、日本でたくましく生きています」というメッセージしか読み取れない。製作者はそれで構わないのだろうが、見る方はつまらない。
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[009]渇き。
 まっ、話はさておきStingr@y2016-10-15
 
原作の解説としては ttp://hakaiya.hateblo.jp/entry/2014/07/06/231343 が正しいだろう。 役所サイドからの申し入れで、役所を“不死身のバイオレンス・アクター”に仕立てたと・・・
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原作の解説としては ttp://hakaiya.hateblo.jp/entry/2014/07/06/231343 が正しいだろう。 役所サイドからの申し入れで、役所を“不死身のバイオレンス・アクター”に仕立てたと思うが、役所には不釣り合いだ。それに、妻夫木を追い駆けまわすのも、そろそろやめた方がいい。
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[010]本日ただいま誕生
 足無し禅師Stingr@y2016-08-24
 
「足無し禅師」と呼ばれた小沢道雄の半自叙伝である。戦争で両足を失いながら、それでも生きていかねばならなかった人の物語である。「本日ただいま、両足のない姿で誕生した」・・・
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「足無し禅師」と呼ばれた小沢道雄の半自叙伝である。戦争で両足を失いながら、それでも生きていかねばならなかった人の物語である。「本日ただいま、両足のない姿で誕生した」と、強い覚悟が芽生えるまでを描く。自身が実際に経験したエピソードに、見聞きしたエピソードや想像を加えていると思われ、ストーリーとしても面白く成立している。 私の幼少期、日曜日に上野の松坂屋へ行くと、前の通りに白衣の傷痍軍人がいた。他の景色はあまり記憶にないが、傷痍軍人の姿は鮮明である。時が過ぎて、ビートたけしなどの笑い話で偽物の傷痍軍人がいたということも聞いたが、実際には東京オリンピック直前まで本物の傷痍軍人がいたということである。本物がいたからこそ、偽物が暗躍できたのだ。私は本物を見たのかな? 戦争によって異様に歪められてしまった人生。他人から見れば奇妙な生き方かもしれない人生。その異様さや奇妙さを描いた作品を、「異様だ」、「変だ」と簡単に片付けてはいけない。戦争そのものを描いた作品は多いが、戦争の惨禍を受けた人々が、その後、どのような人生を歩んだのかを描いた作品は少ない。実際にこの人生を生きた人がいたことを想像してほしい。 橋脚の下で死のうとしてもかなわず、大泣きしたあとで、刃物を持ったまま川の中に入って、そんな自分を高笑いする。静かに波紋の広がる川面、そこに映る夕日と、シルエットになった主人公の姿。この瞬間にだけ撮れた美しい映像を堪能せよ。主人公はその後、「剃除鬚髪 当願衆生 永離煩悩 究竟寂滅」と唱えながら自ら剃髪し、仏さまと向き合う決心をする。その心境になんと相応しい映像であるか! 本作は、植木が出演した最初のシリアス物ではないか? 紛失したフィルムが発見されて本当によかった、と思うシーンである。 ちなみに植木は住職の息子で、坊主の勉強をしに上京したらクレージーになった。本作でも読経しているが、かつては、父に代わって檀家をまわっていたということで、さすがに読経はお手の物。今でも、お盆の時などには住職だけでは檀家をまわりきれないので、子供が代わりに読経をしてまわっている所があるそうで、小坊主ならぬ「子坊主」として人気だとか。
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[011]肉弾
 とても良いんだよ、でもね…Stingr@y2016-07-26
 
昭和20年と昭和43年の男の平均寿命の差“21.6歳”は、本作でいうような“21歳6ヶ月”ではなく、“21歳7ヶ月”である (12ヶ月×0.6=7.2ヶ月)。作品の中に因数分解や方程式などが出てく・・・
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昭和20年と昭和43年の男の平均寿命の差“21.6歳”は、本作でいうような“21歳6ヶ月”ではなく、“21歳7ヶ月”である (12ヶ月×0.6=7.2ヶ月)。作品の中に因数分解や方程式などが出てくるのだが、冒頭でのこの間違いが、本作を半分以上つまらなくしてしまった。 算数ができなくても映画監督にでも脚本家にでもなれることの証左であるが、後々まで悔いを残さない作品を作ることを願う。こんなことに気付いた人がいたかどうか知らんが、それも、算数ができなくても映画評論家になれることの証左である。
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[012]夜のピクニック
 「よく頑張った!」Stingr@y2016-07-15
 
と言ってあげたいのは、 1.「異母兄弟が同級生」になるよう、同じ年に、狭い地域社会で、妻妾仲良くそれぞれに子供を仕込んだお父さん。 2.こんな無理な設定でストーリーを・・・
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と言ってあげたいのは、 1.「異母兄弟が同級生」になるよう、同じ年に、狭い地域社会で、妻妾仲良くそれぞれに子供を仕込んだお父さん。 2.こんな無理な設定でストーリーを物した原作者。 3.雁首そろえてこんな本を“本屋大賞”に選定した選考者たち。 そもそも、原作のストーリーに中身がないうえに、映像向きではないので、どんなに演出を工夫しようと無駄だ。“本屋大賞”とは、“読んでもらいたい本”ではなく、“売りたい本”のことで、良く言ったとしても“(上から目線で)読ませたい本”のこと。 何か、文句ある?
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[013]SHAME -シェイム-
 「恥の文化」は今いづこStingr@y2016-07-12
 
これを読んでいる多くの皆さんは健全な性生活を送っていて、“性依存症”という概念など全く頭にない、という人たちだろう。“性依存症”は近年新たに認知された症状で、以前はセン・・・
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これを読んでいる多くの皆さんは健全な性生活を送っていて、“性依存症”という概念など全く頭にない、という人たちだろう。“性依存症”は近年新たに認知された症状で、以前はセンセーショナリズムによって“セックス中毒”などと嘲笑の対象だった概念である。そこで、まず冒頭から、この作品を観る皆さんに“性依存症”を知ってもらうため、ブランドンの無軌道な性生活があられもなく描写されている。これは興味本位の描写ではなく、あくまでも、この作品を観る前提として、皆さんに“性依存症”を知ってもらうための描写である。 それはともかく、多くの方々の理解が間違っていると思われる点は、妹は兄とは対照的な人だと考えている点である。事実は、妹も“性依存症”なのだ。夫と別れて、兄の家に転がり込んできた妹シシー。妹の性生活は描写されていないが、兄の性生活から推して知るべしである。兄妹はお互いに“性依存症”であることを知っている。妹「お互いに助け合うべきよ」、兄「お前はどうやって俺を助けてくれるんだ」。この会話に、この作品の全てが含まれている。妹の言葉は、実は、兄に「助けて!」と言っているのだが、兄妹で近親相姦するわけにはいかない。兄は妹を助けられない、どうしようもないのだ。この辺りは、分かる人にだけ分かってもらえればいい、という潔い作品だ。 “近親相姦”というゲスの勘繰りも多いが、どこをどう観ても、本作はそのような作品ではない。そんな人は、自分が“低俗だ”とみなしている作品をもっと多く、しかも、もっと注意深く観るべきだ。 “性依存症”であることを他人に告白することなどできない。それは“セックス中毒”を意味し、兄妹どちらにとっても「SHAME」以外の何ものでもない。兄は女を求めて街に出かける。だが妹は、男を求めて街に出かけることなどできない。妹は最後に頼った兄、自分の“性依存症”を知っている唯一の人間である兄に、見放されてしまった。「SHAME」、それは自死を選択するほどに強い感情である。かつて「恥の文化」を持っていた日本人には分かってもらいたかったと思うが、今や多くの皆さんは「恥はかき捨ての文化」だろうから、分からないのも仕方がない。 最後に注意として、兄妹が“性依存症”だからと言って遺伝要素があるかどうかは不明で、成育環境が大きく左右しているのかも知れない。話の内容としては「暴力(あるいは性的嗜好としてのサディズム)は遺伝するか」などとタワケたことを主題にした『共喰い』などよりずっと深い。ちなみに、“性依存症”として挙がった人に、クリントン米元大統領、タイガー・ウッズなどがいる。私は、小説家の島崎藤村なども候補に挙がるのではないかと思っている。
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[014]若者たちの夜と昼
 松山善三の価値観Stingr@y2016-07-01
 
脚本は松山善三。石原慎太郎の『太陽の季節』以前の価値観を代表する御仁の一人だ。そのため、17歳にもなって「お父さんが好きだ」と言ってのける純粋培養の少年が起こすドタバ・・・
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脚本は松山善三。石原慎太郎の『太陽の季節』以前の価値観を代表する御仁の一人だ。そのため、17歳にもなって「お父さんが好きだ」と言ってのける純粋培養の少年が起こすドタバタ劇、といった作品。『太陽の季節』はとっくに世に出ていた。本作も『太陽の季節』と同様に、無軌道な若者を描いて(描こうとして)いるのだが、善は親孝行で悪は人殺し、といった歌舞伎並みの価値観では観ているこちらが気恥ずかしくなる。 『太陽の季節』の出現は偉大だったのだなぁ、とつくづく思う。松山と石原の年は7歳しか違わないが、終戦時、松山が成人していたのに対して、石原はまだ少年。これが二人の価値観に決定的な差を与えたのだろう。
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[015]カンバセーション…盗聴…
 子供の頃からの疑問Stingr@y2016-06-29
 
ラスト、このハリーおじさん、何でサックス吹いて黄昏てるの? 部屋の盗聴が怖いなら、どうせ家具備え付けの賃貸アパートなんだから、さっさと引っ越しちゃえばいいのにね。『・・・
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ラスト、このハリーおじさん、何でサックス吹いて黄昏てるの? 部屋の盗聴が怖いなら、どうせ家具備え付けの賃貸アパートなんだから、さっさと引っ越しちゃえばいいのにね。『エネミー・オブ・アメリカ (1998)』の監視追跡システムが完成するのは、もう少し後の時代なんだから。久々に観たのだが、疑問は解消されなかった。 要するに、題材はともかくとして筋立てに難点があって、これじゃあ、盗聴の世界では俺が一番だぁ!と思いあがっていたハリーおじさんが、プライドを傷つけられて黄昏てしまった、というだけのお話し。挫折ものとしては最もつまらない筋立てである。「聞いてはいけないものを聞いてしまった」、「見てはいけないものを見てしまった」というサスペンスものなら、ヒッチコックの方が断然上手い。多くの皆さんは、コッポラの画(え)作りが上手いから、作品の内容も良い、と勘違いしているだけ。「美人。但し性格悪し」の典型例だ。 私には、この後、アメリカの全ての有名ホテルの全てのスイートルームの全ての窓あるいは窓枠に、盗聴マイクが仕掛けられていると知って、利用するのを諦めたという苦い経験がある。日本の総理(今では元総理)が日米交渉のためにアメリカに行った際も、これで盗聴されて交渉が不利に終わるという馬鹿を見たのは有名な話である。事前にホテルを調査した日本の政府関係者は「盗聴=電波」と思い込み、電波発信だけを調査したようだ。現在でもアメリカ大統領は、交渉相手国のホテルを利用しない。今年の日本でのサミットでも、彼は米軍基地に宿泊した。まあ、私の苦い経験は、安いモーテルに宿泊させるための口実だったような気もするが…。
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[016]読書する女
 日本のリメイク版Stingr@y2016-04-03
 
『性感女子大生 淫らに読んで (2000 日本)』の元ネタ。 こんな程度のものだから、こんな程度の感想で…、スマソ。
  
 
[017]共喰い
 どうでもよい原作Stingr@y2016-03-27
 
原作もどうでもよい“読み本”で、人間の狂気というよりは、人間の性的嗜好の問題であって、お父さんには気の毒だったが、ド田舎では嗜好のあう人間が見つからなかっただけ、とい・・・
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原作もどうでもよい“読み本”で、人間の狂気というよりは、人間の性的嗜好の問題であって、お父さんには気の毒だったが、ド田舎では嗜好のあう人間が見つからなかっただけ、ということだ。 「暴力(あるいは性的嗜好としてのサディズム)は遺伝するか」などとタワケたことを主題にしている(?)らしいが、医学的な教養のない作者が、医学的な取材もせずに物した“読み本”に、これまた医学的な素養のない選考者たちが、何がしかの賞を与えてしまった、ということだろう。「内容はどうあれ、それらしく描写されていれば、それでOK」では、“小説”の名には値しない。 映像作品としてならば、私なら、団鬼六ばりのSMプレイに悦びを見出す父母の姿をぬすみ見てしまった少年を描いてみたいと思うが…。父親は、妻とも妾とも合意の上でプレイするのだが、自分の恋人が魔の手にかかって被虐の悦びに開眼してしまったことを知った少年は…。どっかにあったかな? 主人公が股間を握っているシーンで、主人公がいままで読んでいたと思われる『城の中のイギリス人』は名作だよ。「原作などよりおすすめです」と作品に言わせているのだろう。ところでこのシーン、主人公はなかなかよいモノをお持ちで、うらやましいですなぁ。
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[018]青春群像
 性成熟した若い牡ウシStingr@y2015-11-09
 
特にコメントしなくてもいいのだが、ここの「解説」に、どこで仕入れた情報かは知らないが、「原題には“乳離れしない仔牛”の意があり、のらくら青年を表すリミニの方言だそうだ・・・
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特にコメントしなくてもいいのだが、ここの「解説」に、どこで仕入れた情報かは知らないが、「原題には“乳離れしない仔牛”の意があり、のらくら青年を表すリミニの方言だそうだ」とあるので、一応異論を述べておこう。以降、説明は単数形。 “仔牛”をイタリア語に訳すと、通常“vitello”が出てくる。“vitello”とは、正確には、12ヶ月未満、重さ250キロ未満の牡ウシ。さて、“vitellone”とは、12ヶ月以上18ヶ月未満の牡ウシ。ウシは6〜12ヶ月で性成熟するので、要するに“性成熟した若い牡ウシ”のこと。仔牛というより若牛であって、人間でいえば、少年〜思春期というより若者のことで、ここの「解説」にあるような“乳飲み子”ではない。(※1) では、“性成熟した若い牡ウシ”から何を連想するか? 米題は“The Young and the Passionate”で、直訳は“若さと激情”。英題は“The Loafers”で、直訳は“怠け者”。これらとは別に、“il vitellone”に対して“a self-indulgent young man”という英訳があった。直訳は“放埓(らつ)な若者”で米題に近い。私は本作に“怠け者”のイメージはなく、若者たちが居場所を見つけようとあがいているように思える。日本にも『若者たち (1967)』という作品があるが、悲しいことに、社会派兄弟痴話喧嘩を描いただけのコメディ作品だ。 サンドラを探すうちに、短時間でやつれるファウスト。しかし、自分が浮気をしたことを棚に上げて、「二度と家出をするな」とサンドラをなじる。相変わらず、先行きが不安なこの2人。最後は、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』へのオマージュ(?)から、旅立つモラルドを見送る少年グイドのシーン。彼こそ“vitello”であり、この町で一生を送るのか、旅立つのか…、余韻を残しながらFINE。 (※1)“vitellone”は“vitello”を含むとする解釈もある。時代や地方によって定義が統一されていなかったのも確かなようだが、本作では上記の解釈が納得いく。いずれにせよ“乳飲み子”ではない。
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[019]奇跡の丘
 忠実・丁寧な作品Stingr@y2015-11-05
 
原題は『マタイによる福音書』。パゾリーニらしいドキュメンタリー風の淡々とした表現で、エピソードの前後はあるが、福音書をとても忠実に、丁寧に描いている。ただし、イエス・・・
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原題は『マタイによる福音書』。パゾリーニらしいドキュメンタリー風の淡々とした表現で、エピソードの前後はあるが、福音書をとても忠実に、丁寧に描いている。ただし、イエスはいかにも人間だし、マリアは年老いる。本作の最大の幸運は、撮影当時、素晴らしいロケ地と素朴な人々がまだ残っていたこと。中でもマテーラの洞窟住居は、今のように手入れされておらず、荒れ放題の有様がいい味を出している。 ファーストカットで、カラヴァッジョが描くような眼をした若きマリアがアップで登場。背景のアーチと相まって、数秒間ほとんど絵画を見ているようである。これで作品の印象が決まる。そして、シリア系の顔をしたイエスの登場シーンもアップ。ジョルジュ・ルオーの『聖顔』に似ていて、意志の強さと穏やかさを併せ持っている。また、弁舌も力強い。この2人が作品に与えた功績は大きい。 賞を取ったこともあり、本作には「(法王)ヨハネ23世の思い出に」の献辞がある。パゾリーニは共産主義者だったが、イタリアで反体制を叫ぶ知識人は皆共産主義者か社会主義者だったので、どこまで本気だったのか疑問だし、カトリックが同性愛を禁止しているからカトリック教徒ではなく無神論者、というのも私としては疑問である。 誤解している人がいるかも知れないが、『マタイによる福音書』では「マグダラのマリアは、十字架磔刑のイエスを遠くから見守り、埋葬を見届け、死後3日目に墓で御使いからイエスの復活を知らされ、弟子たちにそのことを伝えに行った」とだけ記されている。パゾリーニは原典に忠実である。本作で、十字架の許にいる3人の女たちのうちの1人が彼女である。有名な「イエスの足を涙で濡らし髪で拭いた“罪ある女”」が記されているのは、『ルカによる福音書』。ただし、現在の研究では、この女はマグダラのマリアとは別人であり、カトリック教会が、マグダラのマリアはイエスの愛人であるとの論を封じるため、“罪ある女”は元娼婦で、マグダラのマリアと同一人物であると捏造した、とされている。また、『マタイによる福音書』には、本作のようにヨセフへの受胎告知が記されており、絵画でおなじみのマリアへの受胎告知が記されているのは、『ルカによる福音書』である。 本作にも描かれている、私には昔からどうしても理解できない福音書のエピソードの1つ。お腹の空いたイエスが、いちじくの木に実がないか探したが、時期外れなので実は1つもなかった。そこでイエスが「二度と実をつけるな」と言うと、いちじくの木はたちまち枯れた。これって“逆切れ”? なにもそこまで八つ当たりしなくてもいいのに…。よっぽどお腹が空いていたのか、食い物の恨みなのか。パン5つと魚2匹で5000人ものお腹を満たす奇跡を起こした人が、自分のお腹を満たせないなんて!と毒づきたいのだが…。 さて、イエスが郷里に帰った場面で、3人の男の真ん中にいて、イエスに向って「大工のせがれだろ」と言っているのはパゾリーニ本人である。イエスがエルサレムで宗教者たちと問答をする場面で、ターバンを巻いてちゃっかりアップになっていたり、十字架磔刑の場面で年老いたマリアの体を後ろから支えているのも、降架の場面で老マリアと一緒に2ショットでアップになっているのもパゾリーニ本人である。老マリア役は聖母ならぬ生母。イエスが山を下りながら「殺されて、3日目に甦る」と言った場面の後で幼児と遊んでいるのが、パゾリーニの「性の三部作」でおなじみのニネット・ダヴォリ。まだ台詞がなかったんですね。
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[020]アポロンの地獄
 時代がパゾリーニに追い付いてきたStingr@y2015-11-04
 
内容は『オイディプス王』。そもそも原題が『オイディプス王』である。公開当時の日本人には、オイディプスよりもアポロンの方が馴染みがあったのだろうが、ギリシャ神話に「冥・・・
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内容は『オイディプス王』。そもそも原題が『オイディプス王』である。公開当時の日本人には、オイディプスよりもアポロンの方が馴染みがあったのだろうが、ギリシャ神話に「冥界」はあるが「地獄」はあまり聞かない。 劇映画ではあるが、即物的な表現というか、ドキュメンタリー風の表現というか、昔観た時には物足りなくさえ感じたが、ドキュメンタリーを見慣れたせいか、今ではこの淡々とした表現が好きである。昨今の映画やTVドラマもドキュメンタリー風に表現されたものが多くなってきて、時代がパゾリーニに追い付いてきた、ということなのか。 誤解している人がいるかも知れないが、原作劇はオイディプスがテーバイの王になった所から始まる。有名なスフィンクスの謎かけは、神話にはあるが、原作劇にはない。テーバイで疫病など災いが続くので、オイディプス王がアポロン神殿に神託を聞きに行かせたところ、「前王を殺した犯人を捜して罰せよ」とのこと。オイディプスにとっては、ここから犯人を捜すことになるのだが、観客はすでに神話によって全てを知っているので、いわば神の目線で劇を観ることになる。 原作劇のテーマは、神の意志と人間の運命、そして、いわゆる“自分探し”。伏線としてスフィンクスは言う「お前の人生の謎を知りたくないか、お前の中にこそ闇の世界がある」。オイディプスにとって、前王を殺した犯人を捜すことは、すなわち、本当の自分を探すこと。そして終(つい)には、自分の中にある闇の世界を見つけてしまう。 最初と最後に出てくる現代の場面を読み解こう。イタリア王国時代(国旗で分かる)、王宮か離宮で王妃が王子を産んだ。王妃と近衛隊長は恋仲で、近衛隊長は王子に嫉妬する「お前は私から何もかも奪うだろう」。第二次大戦後、イタリアの王政は国民によって廃止された。廃王は盲(めしい)となって流浪する。彼は奪う側から、施しを受ける身になったのだ。社会派らしいパゾリーニの解釈である。 さて、オイディプス王のもとに民衆が押し掛ける場面で、民衆の先頭に立って王に物を言っているのはパゾリーニ本人。盲の手を引くアンジェロ役はニネット・ダヴォリで、パゾリーニの「性の三部作」では出ずっぱり。よほど気に入られたのだろう。気に入られたといえば、両足に石を投げつけられて殺されたライオス王の兵卒役の少年。これといった演技はしていないのに、倒された後、わざわざ兜を脱がせてカメラ目線で顔出しとは…。パゾリーニだけにちょっと穿ってみたい感がある。
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[021]風にそよぐ草
 夢か、幻か、それとも妄想かStingr@y2015-08-01
 
アラン・レネ監督作品ということで、公開時岩波ホールまで観に行った。その時は残念ながら、コメントを書くことができなかった。その訳は、“あるシーン”の意味を考えあぐねてい・・・
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アラン・レネ監督作品ということで、公開時岩波ホールまで観に行った。その時は残念ながら、コメントを書くことができなかった。その訳は、“あるシーン”の意味を考えあぐねていたからだ。残された手持ちの半券には「愛の夢か、幻か、それとも妄想か」とある。 読み解きを始めよう。 クリスチャン・ガイイの原作の原題は「L'Incident (発音:ランシダン、直訳:出来事)」だが、映画の邦題に合わせ「風にそよぐ草」という邦題で出版されている。本作の原題は「Les Herbes Folles」で直訳は「生い茂った草」である(「狂った草」は直訳過ぎて意味不明)。英題は「Wild Grass」で直訳は「野の草」である。日本語でぴったりするのは「雑草」。タイトルバックで、アスファルトの間から生える「変な雑草」と、畑に茂った「麦」の2つのイメージが提供される。「変な雑草」としての風変りな人間たちと、「麦」としての平均的な人間たちを表している。 普通に観ていくと、風変りな初老男女の風変りな恋愛物語である。女がバッグを盗まれるシーンと、男が駐車場で財布を拾うシーンが何度か出てくる。これが、ガイイの言いたい「出来事」である。この取るに足りない「出来事」から飛行機の墜落という重大な結末へと話が収束していく。しかし、その前に何故か20世紀FOXのファンファーレが鳴り響き、1回目の“Fin”が出てくる。 さて、麦畑にいる農夫が、宙返りしている飛行機を、信じられないほどの豊富な飛行機の知識をもとに心配して見ている。そして、飛行機が墜落。その後、風景シーンが連続して、とある農家の屋内に行きつく。母と娘がいる。「猫になれば、猫の餌が食べられるの?」娘が発した不可解な疑問で本当の“Fin”となる。最初に言った、私が考えあぐねていた“あるシーン”とはこの風景シーンの連続だ。これは、音声も相まって『2001年宇宙の旅 (1968)』のパロディーだ。なぜパロディーなのか? 『2001年…』のように、風景シーンの連続で時空を超えたのだろうか? 本編の字幕では分からないが、エンド・クレジットには、農夫はジャン=バティスト・ラルマール、その妻はラルマール夫人、娘はエロディ・ラルマールとある。私も今回やっと確認できた。もうお分かりだろうか? 変人ジョルジュの娘の名前もエロディである。農夫は、自分が妄想したジョルジュの娘に、自分の娘の名前を付けたのだ。だから、「愛の夢か、幻か、それとも妄想か」なのだ。 つまり、ある夫婦を乗せて遊覧飛行(いや、今は“クルージング”という)をしていた飛行機が墜落した。本作の1回目の“Fin”までの話は、それを見ていた農夫の妄想が作り上げた物語なのだ。そうならば、観客を誘導する過剰なナレーションは、農夫の頭の中の説明文だ。そもそも、NHKの朝ドラだって、こんなに過剰なナレーションは入れない! そして、飛行機が墜落した後の風景シーンの連続は、農夫が妄想から、現実世界に戻ってくるプロセスだ。ならば、タイトルバックの「麦」は農夫が見ている目の前の麦畑だ。そしてさらに私の妄想を言わせてもらえば、「猫になれば、…」と言った娘も農夫の妄想で、実は猫なのだ。この猫が娘だったならば…、と妄想する中で、猫に「人間になれば、人間の食事が食べられるの?」と言わせたのだ。そのうえで、猫を娘にすれば、ほーら、「猫になれば、猫の餌が食べられるの?」という言葉になるでしょう…! 作中で「トコリの橋」を引用したのは、“飛行機”からの連想ではなく、“主人公が死ぬ作品”だからである。通常の映画では主人公は死なない。この作品でも、最後に死んでしまうジョルジュは主人公ではなく架空の人物で、農夫こそ本当の主人公である、という作品からのメッセージである。 トリッキーなカットが楽しい。昼間、娘夫婦がやってくる。妻がシャンパンを持ってくるところから、ジョルジュが明りを灯す夕方になるまで、1カットである。 マルグリットの年配の患者の歯の治療が今回で終わる。“次回も”と思っていた彼は、ためらいがちなカメラ目線で「でも次回はないな」と言う。彼、ロジェ・ピエールは、言葉通り次回作のないまま、2010年1月に死去した。監督が気づかぬはずのないカメラ目線は、監督公認のお別れだったのだろう。俳優の彼にとって最初で最後のカメラ目線、その、ためらいがちな目線…。
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[022]戦場の小さな天使たち
 希望と栄光Stingr@y2015-05-23
 
原題の「Hope and Glory (直訳:希望と栄光)」は、もちろん、イギリスの第二の国歌とも呼ばれる、「Land of Hope and Glory (直訳:希望と栄光の国)」から採られている。これは・・・
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原題の「Hope and Glory (直訳:希望と栄光)」は、もちろん、イギリスの第二の国歌とも呼ばれる、「Land of Hope and Glory (直訳:希望と栄光の国)」から採られている。これは、エルガー作曲の『威風堂々』の主題の旋律に歌詞をつけたもの。 作中でも流れているが、きっと、戦時中は戦意高揚のためにラジオなどで多く流されたのであろう。そして、その対極として、「そんな音楽よりも、やっぱりジャズよね」とオープニングシーンが告げる本作の人々の生活。戦意高揚どころか、自宅が火事になって、疎開がてらに、半分ピクニック気分で実家に転がり込んだり、子供たちは学校に爆弾が落ちて休校になったことで大喜びする。この感じがいい。 「戦争、それは子供たちにとって大いなるモラトリアムであった」などと書いた作家がいた(ように思う)。そんな言葉も、生き延びてこその言葉。同時期に制作された『戦場の小さな天使たち (1987 イギリス)』、『さよなら子供たち (1987 フランス/西ドイツ)』、『火垂るの墓 (1988 日本)』、それぞれが真実を語っている。
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[023]若者たち
 汝、難しき道を行けStingr@y2015-05-01
 
10代で初めて観たときの感想は、どうしてみんなで小難しいことを言い争っているの? である。改めて観ても、私の進歩がないので、当時の感想はそのまま、というか、今となって・・・
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10代で初めて観たときの感想は、どうしてみんなで小難しいことを言い争っているの? である。改めて観ても、私の進歩がないので、当時の感想はそのまま、というか、今となっては申し訳ないが、5人兄弟が繰り広げるどたばたコメディ、と観てしまう。最後の兄弟喧嘩シーンなど、ドリフのオチのテーマ曲「盆回り」を流したくなる。喧嘩のきっかけとなった“ぼん”の“おおにい”への一言は、さしずめ、天井から落ちてくる金だらいといったところか。ところで、“ぼん”は(多分“おおにい”も)関西言葉ではないか? 古くから東京にいる人の間では聞いたことがない。きっと、兄弟の亡くなった親が関西出身なんだな。 「やりたいこと」と「やれること」のギャップに悩む若者たち。家庭・実社会・恋愛・学業・受験、そして、根底にある金銭の問題。「夢」と「現実」と言えば聞こえはよいが、人生を歩むには、結局は「夢」をあきらめるか「現実」を変革するかして、各自が適当に両者の折り合いを付けていく方法を身に着けるしかない。「夢」をあきらめるのも個人の問題で済めばいいが、時には多くの人を巻き込むし、「現実」を変革することの困難さは絶望的にさえ思える。そこで本作は次の一語を掲げる「汝、難しき道を行け」。もっとも、私はこの言葉を信じていないが…。 ところで、どうしてやたらに推薦が付いたのだろう? 今では俳優養成所になった感のある有名演劇集団がクレジットに名を連ねているからなのか? 私が制作当時の時代背景をよく解っていないせいかも知れないが、「悩める若者たち」というテーマはそんなにもてはやすに値するものだろうか? いづれにせよ、「悩める若者たち」が赤軍派に流れ、オウムに流れたことは周知の事実。いまもどこかで新たな過激派が、個人、もしくは、集団として生まれているに違いない。それを思えば、♪君のゆく道は希望へとつづく…で終わる本作は、推薦に足る健全・健康的な映画なのだろう。つまり、その健全・健康的な分、どんなに5人が言い争っても兄弟というぬるま湯の中の痴話喧嘩、という感は否めない。そこに、コメディの要素が見え隠れするのである。 今では大御所と呼ばれる俳優たちの若い時分の体当たりのエネルギーというか芝居臭さがいい塩梅である。大御所になっても芝居臭い人はいたが…。驚いたのは佐藤オリエで、本名(正確にはオリヱ)がそのまま役名になっていたことである。本名が役名ということは、通常は本人役ということだ。ちなみにご尊父は彫刻家の佐藤忠良で、当時ご存命なので、本人役ということではない。
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[024]灼熱の魂
 ヘンゼルとグレーテル?Stingr@y2015-03-31
 
有り得そうもないショッキングな事実(オチ)に頼ってしまったせいか、“何か”が描き切れていない。本作のままだと、母親の命令で父と兄を探しに出た「ヘンゼルとグレーテル」とい・・・
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有り得そうもないショッキングな事実(オチ)に頼ってしまったせいか、“何か”が描き切れていない。本作のままだと、母親の命令で父と兄を探しに出た「ヘンゼルとグレーテル」というだけの話だ。“何か”、多分それは、レイプされたときに踵(かかと)を見る機会と余裕が彼女にあったかどうか、また、その事実を知ってしまった後の彼女の心理状態と行動、さらに、どんな気持ちで双子の姉弟を産んだのか? ではないだろうか。 本作の最大の欠点は、母親がすべてを知っている、という設定にある。遺言に何の目的があったのか、そもそもの母親の意図がはっきりしないからだ。母親も知らないことがストーリーの進展で次々と出てきてもいいはずだ。この辺が、一神教の影響なんだろう、といつも思う。すべてを知っているのは登場人物ではなく脚本家だけ、でいいはずなのに。 本作では、ショッキングな事実を老人に語らせ、事実を知った姉弟が慰めあう、というオチの描き方だが、私だったら、老人がショッキングな事実を語る音声とレイプされた彼女がその事実を知ってしまう映像を重ね、ストーリーのクライマックスをここに持ってくるが…。そして、姉弟だけが、知らなくてもいい、むしろ、知らない方がいい事実を知り、相手には変な2通の手紙は出さずに知らせない、とするのが好みだ。このようにストーリーを持っていくには、母親の遺言で父と兄を探しにレバノンに行くより、母親が残した謎めいた言葉か物の正体を明らかにするために好奇心でレバノンに行き、そこでの母親の生涯と、結果的に父と兄を知る…、ということかな。
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[025]博士の異常な愛情
 本当の脅威は内部にありStingr@y2015-03-20
 
この作品の価値は、1962年に起きた、全面核戦争に最も近づいたとされる「キューバ危機」を回避したアメリカに対して、本当の脅威はアメリカの内部に存在するのだ、というテーマ・・・
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この作品の価値は、1962年に起きた、全面核戦争に最も近づいたとされる「キューバ危機」を回避したアメリカに対して、本当の脅威はアメリカの内部に存在するのだ、というテーマを、コメディ(ブラック・コメディ)という形で突きつけた点にある。 誰もが見終わった後で、テーマの深刻さと、現実世界の恐怖を覚えることになる。ヒトラーを示唆して核兵器が独裁者の手に渡る恐怖。精神を病んだ指導者と機械の故障・誤動作などの複合要因が重なる恐怖。そもそも、原爆開発のマンハッタン計画というのは、ナチが先に原爆を開発したら!という恐怖が、アメリカこそが先に原爆を開発しなければならない!という歪んだ高揚(=異常な愛情)を生み、ナチを滅ぼした後でも開発を続け、ついに原爆を完成させ、都市破壊の効果を実験するために日本に投下したことを忘れてはならない。アジア人という人種差別も加わって、日本が実験台にされたのだ。 コメディなので、キング・コング、ジャック・リッパー(切り裂きジャック)、マンドレイク(魔法薬の原料)、“バック”・タージドソン(“最低な”大げさ野郎)、“バット”・グアノ(“コウモリの”うんこ肥料)など、面白い名前が並ぶが、そんな者達も、水爆の前では単なる端役に過ぎないことを表している。 水爆に跨って落ちていくキング・コングの姿は、鉄腕アトムの最終話「地球最大の冒険」で水爆に跨ったまま太陽に突入するアトムの姿に影響を与えている。多分、手塚治虫も本作の世界観に魅入られたのだろう。 人類最期の瞬間に流れるヴェラ・リンの「We’ll Meet Again (またお会いしましょう)」は皮肉がきいてとてもいい。本作とは違って、ベトナム人を殺す場面にルイ・アームストロングの「What a Wonderful World (この素晴らしき世界)」を使った『グッドモーニング, ベトナム (1987)』は、当該作品のコメントにも記したように「唾棄すべき映画」である。
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[026]大空港
 “懐かしい”Stingr@y2015-01-01
 
正月早々、TVで放映されていたので懐かしく観てしまった。『タワーリング・インフェルノ (1974)』以前の“パニックもの”だが、それまでは“怪獣もの”や“宇宙人もの”といった絵・・・
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正月早々、TVで放映されていたので懐かしく観てしまった。『タワーリング・インフェルノ (1974)』以前の“パニックもの”だが、それまでは“怪獣もの”や“宇宙人もの”といった絵空事の“パニックもの”しか観たことがなかったので、現実に起こり得る“事故”を扱った映画として記憶に深く残っている。しかし、当時の私は飛行機に乗ったことがなかったので、恐怖感を覚えることはなかった。仕方のないことである。 “懐かしい”ついでに言えば、バート・ランカスターを観たのがこの映画が初めてで、その後、彼の出演作はよく観た。“707”の“0”を「オゥ」と発音すると知ったのもこの映画。ちなみに、私が最初に乗った飛行機は“727”である。近年の例でいえば、“777”を日本では「セブン・セブン・セブン」とか「なな・なな・なな(NHKニュース)」と訓(よん)でいたが、本来なら「トリプル・セブン」と訓むのが正しい。さすがに「スリー・セブン」と訓んだのではバカだと思われても仕方がない。“taxi”の、通常私たちが知っているのとは違う意味を知ったのもこの映画。今では普通に観ているコックピットからの眺めを、初めてリアル感を持って観たのもこの映画。 この作品を皮切りに“TVもの”も含めてシリーズ化されたが、今の私は、無賃乗車ばあさんも、爆弾男も、結局は絵空事として観ていて、ナショジオの『メーデー!:航空機事故の真実と真相』シリーズの方が気に入っている。年が経てば、これも致し方のないことである。そして残念ながら、爆弾で飛行機に空く穴は、この映画のようにあんなに丸くならない、というのが『メーデー!:…』を観て培った私の見解である。
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[027]見えないほどの遠くの空を
 賞味期限切れStingr@y2014-03-05
 
開始から10分も経たずに脱力した。「とりあえず誰かが死なないとストーリーが進行しない脚本なんて、まずは眉唾もの。しかもよりによって、電話一本で殺すなんて、愚の骨頂だ!・・・
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開始から10分も経たずに脱力した。「とりあえず誰かが死なないとストーリーが進行しない脚本なんて、まずは眉唾もの。しかもよりによって、電話一本で殺すなんて、愚の骨頂だ!」なんてことは、脚本の先生もやっている榎本監督本人がよく分かっているんじゃないのか? 要するに、死んだあとの方が話が長いということは、ミステリーやホラーを除けば、とりもなおさず“あの手”の作品ということだ。 榎本監督が学生時代に作ったかなんかの、本人にとっては思い入れのある脚本なのかもしれないが、この手のものが流行っていただろう、彼の学生時代ならいざ知らず、今となっては残念ながら賞味期限切れだろう。 「3年後」という2段落ちは、新しいと見るか、くどいと見るか。3年も経てば、容貌が変わってしまうよ。私としては、他愛もないフツーの挨拶をして別れる、つまり、森岡にはラストの1カットへの固執はなく(仮想体験では撮り終えている)、今では、遠くの空を見ようとしている、という描き方のほうが好きだ。榎本監督の脚本では、森岡は、ラストの1カットまたは女(多分、女なんだろうな)に固執していて、遠くの空を見られないということになる。
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[028]遺体 明日への十日間
 死人(しびと)の復活Stingr@y2014-03-03
 
某宗教学会が『おくりびと (2008)』に続く2匹目のどじょうを狙って制作したとしか思えないのだが、どうだろうか? ご丁寧にも、モントリオール世界映画祭に“招待”された。『お・・・
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某宗教学会が『おくりびと (2008)』に続く2匹目のどじょうを狙って制作したとしか思えないのだが、どうだろうか? ご丁寧にも、モントリオール世界映画祭に“招待”された。『おくりびと (2008)』同様に出品したかったのだろうが、さすがにコンペ・受賞は難しかったということか。某宗教学会としては、モントリオール世界映画祭にもっともっと出資して(直接でも、仲のよいテレビ局を通じてでも)、自分の息のかかった作品に受賞させなくてはならないだろう。裏側を知らないでいる仕合せな人もいるだろうが、現在の映画祭なんて、一部を除いてそんなもんだ。 原作者にも癖があって、いろいろと難癖をつけられているようだが…。“たとえ”を言えば、ボランティアや、海外旅行、潜伏取材に行ったことは行った、ただし、安全なところで短期間だけ。実際には、長期滞在して実際に活動した人の体験談を、「取材費」として金で買い、ゴーストライターが執筆して、作家の名前で本にして出版した(※1)…としても、著作権は金で買い取っているので問題なし。音楽界と違って、出版界は昔からゴーストライター制度が確立されていて、しかも口が堅いので大丈夫…と、信じているよ。間違っても佐村河内守みたいなことにならないことを祈る。 (※1)あくまでも“たとえ”である。同様な仕組みは世の中に溢れていて、別に悪いことだとも思わない。ヘアメイクなんて、ほとんどを店員が仕上げて、最後に“先生”が手をいれると、“先生”の作品となって客は満足する。ケーキ屋でもパン屋でも、職人が捏ねて作り上げているのであって、“親方(シェフとかマスターとか)”が実際に手を下すことはほとんどない。徒弟制度とはそんなものだし、「誰それに師事した」などと作家を紹介する文筆業も徒弟制度の一つである。
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[029]フィルモア/最后のコンサート
 ロック・ビジネスの巨大化Stingr@y2014-01-23
 
「トリじゃなきゃやだ!」と言うので、他のバンドの了解をとってトリにすれば、「飛行機が混むのでトリはやだ!」と言うボズ・スキャッグス。一瞬、家にあるボズ・スキャッグス・・・
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「トリじゃなきゃやだ!」と言うので、他のバンドの了解をとってトリにすれば、「飛行機が混むのでトリはやだ!」と言うボズ・スキャッグス。一瞬、家にあるボズ・スキャッグスのレコードをぶっ壊そうかと思ったくらい。サンタナに至っては「看板にはサンタナ以外の名前は出すな」などと言う始末。ビル・グレアムが「バンドが権威を持ちすぎた。金がものを言い、わがまま放題」と言うのもうなずける。ドキュメンタリーとして観れば、巨大化してゆくロック・ビジネスを前に、個人プロモーションの限界を描いた作品ということになる。 ソフトが出ない理由は著作権かな? こんなにも我がままなバンドたちに著作権の了解を得るのは不可能でしょうね。ビル・グレアムが1991年に亡くなったせいもあるかもしれないが…。 ちなみに、リージョン1のDVDなら2009年に発売されている。ただし、ボズ・スキャッグスがカットされているのは、やはり著作権がらみか…? もちろん日本語字幕は無い。リージョン2の発売はいつか? 私は、かつてTV放映(※1)されたものをDVDに録画してあるので、今のところこれで十分。グレートフル・デッド、ジェリー・ガルシア、ジェファーソン・エアプレイン、ホット・ツナ、ラム、コールド・ブラッド、etc。 (※1)2005年WOWOW…この時録画しなきゃウソでしょ! ちゃんとボズ・スキャッグスもいる。
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[030]不毛地帯
 第1次FX問題Stingr@y2014-01-23
 
公開時、山城防衛庁長官役の内田朝雄が登場した場面で、大人たちが大笑いし、私もつられて笑ったことを思い出す。子供の私は、こんなに真面目な映画で笑っていいとは、それまで・・・
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公開時、山城防衛庁長官役の内田朝雄が登場した場面で、大人たちが大笑いし、私もつられて笑ったことを思い出す。子供の私は、こんなに真面目な映画で笑っていいとは、それまで思いもよらなかったのだ。もちろん(と言っても若い人は知らないだろうが)、内田の風体が“ロッキード事件”で国会に証人喚問され、テレビの生中継で「記憶にございません」を連発していた「小佐野賢治」にあまりにも似ていたからだ。言っておくが、風体が似ているだけでモデルではない。 本作の冒頭には「特定のモデルはありません」とクレジットされているが、原作発表当時の大人たちは十分に理解している。総理大臣役の高杉哲平のメークは、歯といい、口下のほくろといい、どう見ても「岸信介」であり、「南平台の総理私邸」のナレーションがとどめである。大蔵大臣役の神田隆のメークは「佐藤栄作」に限りなく近い。久米明は髪を白髪にすれば、丸眼鏡と相まって「藤山愛一郎」の姿である。要するに、岸内閣の疑惑問題だ。 本作に登場する“ロッキードF-104”は“第1次防衛力整備計画(1次防)”に基づく“第1次FX”であり、昭和34年(1959年)に決定された。1次防は、昭和33年度(1958年度)から昭和35年度(1960年度)までの3年間を対象にしている。ここの解説もそうであるが、本作に関する多くの解説では“2次防”としているが、“2次防”は、昭和37年度(1962年度)から昭和41年度(1966年度)までの5年間を対象にしている。 よく引き合いに出される、“ダグラス・グラマン事件”は、“第2次FX”選定過程で起きた事件である。“第2次FX”は“4次防”で決定されるはずであった。“4次防”は、昭和47年度(1972年度)から昭和51年度(1976年度)までの5年間を対象にている。ところが、諸事情により時期が繰り上げられ、“3次防”期間内である昭和43年(1968年)にマクダネルダグラスF-4Eに決定された。“3次防”は、昭和42年度(1967年)から昭和46年度(1971年)までの5年間を対象にしている。 本作は“第1次FX問題”を取り上げている、というのが私見である。以下、Wikipediaの“第1次FX問題”を引用(文章の流れは一部変更)する。 『岸信介にはこれまでも、航空機疑惑関与(第1次FX問題)が指摘されていた。1957年、国防会議決定の第1次防衛力整備計画に基づく、旧式化した自衛隊の主力戦闘機ノースアメリカンF-86Fにかわる超音速戦闘機300機の機種選定について、当初、防衛庁は次期戦闘機をロッキードF-104に内定していたのが、岸内閣成立後の1958年4月、日本政府はグラマンF11Fを採用決定した。この見返りとして、岸に対して、グラマン社が納入1機に対し1000万円、最大30億円のマージンを支払われたとされる疑惑である(資金は、その後の総選挙費用と総裁選対策費として支払われたのではないかと言われる)。しかし、実際に1962年から後継主力戦闘機として配備されたのは、一旦覆ったはずのF-104Jである。』 私は、山崎豊子の作品を愛する。そして、これから先、このような骨太の作品は現れないであろうことを憂える。映画界は、ちゃらちゃらした“イマドキ”の作品を、使い捨てのように作り出すだけだろう。権力の顔色をうかがい、権威に迎合して息を繋いできた映画界の当然の帰結である。また、山崎豊子が愛した出版界が、時代の潮流により、活字からマンガヘ軸足を変えた当然の帰結でもある。今や、“マンガしか読めない人のための映画”しか、作る価値はないのだ。
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