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 「diamou」さんのコメント一覧 登録数(7件)rss
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[001]秋刀魚の味
 メタモルフォーズdiamou (Mail)2015-10-20
 
岩下志麻が嫁いだ後の、部屋に鏡台だけがぽつんと置いてある風景が何とも寂寥感を感じさせる。笠智衆の事務所の外の煙突の煙とか、佐田啓二が寝っ転がりながら吸って吐く、タバ・・・
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岩下志麻が嫁いだ後の、部屋に鏡台だけがぽつんと置いてある風景が何とも寂寥感を感じさせる。笠智衆の事務所の外の煙突の煙とか、佐田啓二が寝っ転がりながら吸って吐く、タバコの煙などに、得も言われない雰囲気を感じる。それと、結婚式が終わって帰ってきた無人の廊下のシーンで犬の吠え声が聞こえてくるところ。河合 (中村信郎) の家に三人が集まった時、バックに流れる、ソルフェージュのようなピアノの効果音なども、すべて郷愁をそそる。岩下志麻の花嫁姿は、二度目に見ても美しく感動したが、監督は、あくまでも作品のピースとして美人女優を使っていると感じた。小津が結婚を題材にすることが多かったのは、メタモルフォーズを描くのに結婚が格好の題材だったからではないか。その前後で、がらりとシチュエーションが変わるのが結婚。但し、上記の鏡台のシーンなど、このメタモルフォーズは、すべて、父親としての笠智衆の視点からの出来事として描かれている。男の頭の中で起こる出来事。女性が女性の視点から出来事を描けば、また違ったものができるのかもしれない。
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[002]東京暮色
 汽笛一声diamou2014-07-14
 【ネタバレ注意】
この作品でも、原節子の演技が際だっていたと感じる。特に、最後に父親の笠智衆に夫の下に戻ると告げるシーン。犬の鳴き声とか、時計のチクタクという音、列車の汽笛などの効果・・・
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この作品でも、原節子の演技が際だっていたと感じる。特に、最後に父親の笠智衆に夫の下に戻ると告げるシーン。犬の鳴き声とか、時計のチクタクという音、列車の汽笛などの効果音の使い方が絶妙で、観る者を一気に作品世界に引き込ませる力があると感じた。暗い場面で、明るめのBGMが鳴っているのを批判する論調もあるが、このあたりは、暗くなり過ぎることを抑えるための小津のバランス感覚だろう。青森行きの列車の出発までの間に、家族を捨てた母 (山田五十鈴) が、長女 (原節子)が見送りに来ないかと、しきりに窓から顔を出し、その間、ホームで明治大学の校歌が延々と続き、しまいに、汽笛一声で、一気に場面が変わる。家族を捨てた母が突如現れて当惑し、自分が父親の娘ではないのじゃないかと疑う次女 (有馬稲子) は、母にそれを問い詰めて「あなたは間違いなく自分の子供だ」と否定されると、「自分は子供を大事にする」と言い捨てて別れるが、それは堕胎した身としては自分で自分の首を絞める結果になった。不誠実な大学生に身ごもらされて、堕胎せざるをえなくなった悲しさと、その苦しみが重なって、次女は列車への投身自殺を図る。長女は、堕胎の件を知らずに、次女が亡くなったのはあなたのせいだと母をなじり、母も、それを信じて、東京を離れる決心をする。人生にはこんな誤解やディスコミュニケーションがつきものだと、監督は言いたいのだろう。次女は、その悲劇を一身に背負って亡くなり、汽車の出発の汽笛を合図に、母と長女は、それぞれの人生を歩み直す決意を固める。次女が亡くなる寸前に「ゼロからやり直したい」と言った言葉を、長女が、代わりに受けて、夫との生活をやり直す決心をし、母は連れ合いと共に北海道に旅立つ。上記のディスコミュニケーションがあったからこそ、この二人はやり直せたというふうにも取れる。ふだんの小津映画では、結婚が、ドラマ全体に一つの転機をもたらすことが多いが、この映画で、その代わりの役を務めるのが、青森行きの汽車の出発の汽笛である。明治大学の校歌には、この転機に向かって徐々に舞台を盛り上げてゆく効果がある。一見平凡に見える家族の生活に訪れる大きな転機、アジャンスマン (組み合わせ) の転換を、小津は映画を通じて一貫して追求している。
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[003]秋日和
 一つのピークの作り方diamou (Mail)2014-07-13
 【ネタバレ注意】
母娘が温泉旅行に出かけた宿で、嫁いでゆく娘 (司葉子)に、自分も再婚させると思わせていた母親 (原節子) が自分は一人で生きてゆくと言うシーンは、演技が真に迫っていて、見・・・
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母娘が温泉旅行に出かけた宿で、嫁いでゆく娘 (司葉子)に、自分も再婚させると思わせていた母親 (原節子) が自分は一人で生きてゆくと言うシーンは、演技が真に迫っていて、見る者を感動させる。結局、監督が一番言いたかったのはここだったのではないか。司葉子が泣くのも母の愛を感じるから。それまでの三人組のコミカルなシーンは、ここを引き出すための狂言回しとして考えられる。最初の方で、沢村貞子と三宅邦子に、「わたしたちだったら、夫が死んで再婚話があったとして、たとえその気があっても、最初は断るわよね」と言わせておきながら、原節子には、決定的に断らせている。それにしても、監督が一番言いたいシーンで、見るものを感動させられるというのは、並々ならぬ手腕だと (と同時に原節子の演技力のすばらしさを) 感じる。 司葉子が、岡田茉莉子の寿司屋に行って、これから二階に上がって話をする前に、一階の寿司屋のカウンターで、見知らぬ男が、赤貝を注文しながら、長めのセリフを言うのは、本筋とは全然関係ないが、このような進行により、いきなり本題に入る前に、間を取って拙速を抑えており、こうした工夫が独特のテンポを生んでいる。 話の筋の進行や、おかしみのある部分としんみりする部分との配合が絶妙で、観客に心地よくどこかやさしい感情の起伏を生じさせる。
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[004]蒲田行進曲
 映画作りのおもしろさdiamou (Mail)2014-07-13
 【ネタバレ注意】
「映画では、昼を夜にすることなど朝飯前」という女性ナレーターの語りで始まるこの映画は、最初からメタ構造を提示しており、観客がこのナレーションを覚えていれば、最後にあ・・・
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「映画では、昼を夜にすることなど朝飯前」という女性ナレーターの語りで始まるこの映画は、最初からメタ構造を提示しており、観客がこのナレーションを覚えていれば、最後にあのような終わり方になることにも違和感を感じないで済むだろう。アバズレの小夏が、ヤスのお母さんの一言に心を動かされて、いい妻に変身したり、やさしかったヤスが階段落ちの前日、小夏を前にして暴れまくるのも、「演出で何でもできるんだよ」という冒頭のナレーションを、そのまま実践しているだけなのだが、見ている方の観客は、その頃には、すっかり映画に入りきってしまっている。ちなみに、ヤスには、元々、銀ちゃんへの同性愛のような感情があり、小夏との結婚を引き受けたのも、銀ちゃんのためならと思ってやったことだが、そのうちに、次第に小夏への愛情も湧いて、小夏のおなかにいる銀ちゃんとの赤ちゃんのことが、気に障るようになってくる。この暴力シーンは、二人への愛に引き裂かれる、ヤスの心の中の葛藤が爆発したと考えれば、腑に落ちる。階段落ちの後、銀ちゃんがヤスに「階段を上がってこい」と言うとき、映画の中の芝居を逸脱して、映画の中の現実に移行しているのだが、この映画には、このように、映画製作者と観客という現実、映画の中の現実、映画の中のフィクションというように何層にもわたる位相を自由自在に超えるおもしろさがある。
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[005]お早よう
 沢村貞子のせりふdiamou (Mail)2014-05-25
 【ネタバレ注意】
今日、この映画の2回目を見てきたところだが、物語の後半で沢村貞子が言うせりふが、最後に、佐田啓二と久我美子が、「お早う」「いい天気ですね」と挨拶を交わす伏線になって・・・
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今日、この映画の2回目を見てきたところだが、物語の後半で沢村貞子が言うせりふが、最後に、佐田啓二と久我美子が、「お早う」「いい天気ですね」と挨拶を交わす伏線になっていることに、今回、初めて気がついた。子供たちは大人の挨拶が無意味だと考え、佐田啓二は、それを社会の潤滑油だと考え、さらに、沢村貞子によれば、時には、挨拶以上に大事なことを言うことも必要、という三層構造になっている。何度見ても、味わい深い。小津が、野田高悟と共に練りに練った脚本、それを巧みに演出し、俳優たちが見事に演技。ユーモアとペーソス、幸せ感とちょっぴり惨めな感じとの絶妙なバランスがいい。実を言うと、わたしは、パリのかなり大きな映画館で見たのだが、満員に近い入りで、あちこちの場面で笑いがおき、上映後は、拍手まで起きた。制作後55年経っても、ここまで異国の観客にも通じる映画を作った小津監督に、改めて敬服するしかない。
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[006]彼岸花
 彼岸花 - 有為転変diamou (Mail)2012-08-18
 【ネタバレ注意】
この映画の2回目を見たところだが、1回目とはだいぶ印象が違った。1度目は、佐分利信と有馬稲子の演じる父と娘の対立が一番強烈に印象に残ったが、今回の2回目は、佐分利信が娘・・・
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この映画の2回目を見たところだが、1回目とはだいぶ印象が違った。1度目は、佐分利信と有馬稲子の演じる父と娘の対立が一番強烈に印象に残ったが、今回の2回目は、佐分利信が娘の結婚式に出ることに決め、それを母親役の田中絹代から聞いて、思わず涙する有馬稲子に、対立しつつも父親への愛を保っている娘の心情が表現されていて、そこに一番ぐっときた。佐分利信は女性達に包囲されて、徐々に娘の結婚へ心を許してゆくが、その徐々に変化してゆく過程が実にうまく描かれている。最後に、娘夫婦に会いに広島に出かける車内で歌を口ずさむ時、厳格だった佐分利信の父親は限りなく赦しに近づいている。小津が本当に描こうとしていたのは、有為転変とそれを受け入れてゆく心だったのではないか。晩年の小津の映画は結婚がテーマになることが多いが、人生の転機である結婚を有為転変の一つの象徴として捉えていたからではないかと、常々、考えている。この映画のタイトルである彼岸花が季節の変わり目に咲く花であるということが、何よりもそうしたテーマを象徴しているように思われてならない。
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[007]麦秋
 飛んでゆく風船diamou2007-12-30
 
周吉としげの美術館の庭でのシーンで、周吉が「今が一番幸せな時期」と言った後、風船が空高く飛んでいってしまうのは、その幸せが遠くに去ってしまうことを、暗に示唆していて・・・
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周吉としげの美術館の庭でのシーンで、周吉が「今が一番幸せな時期」と言った後、風船が空高く飛んでいってしまうのは、その幸せが遠くに去ってしまうことを、暗に示唆していて、秀逸な演出。同じ場面で、周吉が「これで紀子が嫁に行ってしまったら」と言っているのが、ラストの伏線になっている。孫たちにお金をせびられたり、息子の康一が、一家の柱になって、だんだん居場所がなくなる中で、唯一、紀子の存在が、この夫婦がこの家に残る最後の理由だったとすれば、娘の結婚後、大和に出てゆくという設定は、何ら不自然ではない。2年後の「東京物語」の主題は、ここから発展したのだろう。
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