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 「fuji3776」さんのコメント一覧 登録数(77件)rss
 コメント題投稿者投稿日
[001]若葉のころ
 違いがfuji37762016-12-22
 
女学生の違いが判らず、残念。2/10点
  
 
[002]リップヴァンウィンクルの花嫁
 思わせぶりでfuji37762016-12-22
 
思わせぶりで、2/10点。
  
 
[003]不知火檢校
 貧しさに呪われた欲望を鎮めるfuji37762014-03-05
 
盲人(杉の市)は、他人ごとではなく私自身のことである。4/10点。 偏見と憎しみと差別は、良くも悪くも貧乏に基づく、だからこそ怒りを鎮める良きインテリジェンスを発揮しな・・・
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盲人(杉の市)は、他人ごとではなく私自身のことである。4/10点。 偏見と憎しみと差別は、良くも悪くも貧乏に基づく、だからこそ怒りを鎮める良きインテリジェンスを発揮しなければならない。そして人をこんな行動に駆り立ててしまう、生まれながらに背負った被差別の格差社会を、いったい何がどう救えるのか?どうすれば貧乏の束縛から自身を解き放つことができるのか?    不平等を認識し解放できる頭脳を鍛える事こそ、映画の描くべき真の主張なのだ。 2014/2/2、タイでもめにもめている総選挙の日である、「選挙をすると負けるので選挙をしないで内閣を」と投票をボイコットして、街中要所を野党のデモ隊が占拠し交通が遮断されている。(詳しくは調べて)。バラマキ利権で東北農村の票を確保している与党と旧利権の票田を持つ野党と、いずれにしても利権をめぐる争いで、どっちもどっちだが。 私はバンコクの知人にこの状況を尋ねた「タイでも有名大学を出て海外留学して先進国の議会民主主義を学んで帰国した者が新聞やTVでリベラルな視点で今のタイの状況をどうして報道しないのですか?」「優秀?」「確かにいっぱいそんな人物はいる、でもね、考えてみてください、日本の有名大学を出て海外留学した優秀な者たちが、果たしてその何人がリベラルなインテリジェンスある行動をとっていますか?こちらでも一緒ですよ、お金の為に既存の保守勢力の財閥企業に就職し自分の将来の安定を夢み、利権の詰まった高級官僚の高給取りで自己中心的で、そんな輩はタイだけじゃあ有りません日本にもアメリカにもヨーロッパにも、鼻もちならないけど五万といます、タイだけにリベラルで正統な人間を求めないでください、世界中お金の為に身を売る人間だらけです、すすんで其処の世界に飛び込む人間だらけです、その多くが貧しい出身です」 立憲主義、そんな事は重々承知だ、しかし将来の裕福な生活には何よりも金が必要、十分な財産を持たないで生まれた人間により良きインテリジェンスを求めても所詮、あだ花。 私は田舎の貧しい家庭に生まれ、東京の大学を出て商社に入社、当時の私にはお金が絶対だった、奨学金を返済する、仕送りしてくれた年老いた両親に毎月送金、私はあらゆる金儲けに奔走した、幸いにも同級生よりちょっとだけお金に近い仕事に就いた、サラリ−も人より多少良かったし、海外赴任のときの利権はさらに私をお金に近づけた、リべ−トは後進国では普通だったし、取引の優位さからの役得利益は普通のサラリ−マンでは想像できないだろう、物価の安い東南アジアではさすがに散財もしたが、それよりもはるかに多く蓄財した。現地の不動産と株に投資した資産はちょっと自慢である。 いったい杉の市はどうすればいいのですか?誰が杉の市を責める資格を持つのですか?映画がいくら勧善懲悪を描いてハッピ−エンドにしたところで、鼻持ちならない五万といる貧しい人々の虐げられた欲望を収めることができるのか。現実世界が杉の市の天下なら、どうして杉の市の生き方を肯定しないのか、現代の杉の市を駆除できない体制の無能さは誰の責任でもない、欲望に解き放たれた拝金主義者で闘争能力を合わせ持った人間だけが実際に支配者になってのさばってゆく。 それに立ち向かえるのは、残念だがこの映画ではない。 立憲主義、人権白書、ヒュ−マニズム、優秀な頭脳が描き出す理想の世界は法整備や平等意識の浸透でしか維持できない、タイの友人たちの言葉「他人にだけ理想や希望を押し付けないで、やるべきはあなたの周りに渦巻いている貧しさに呪われた欲望を持つ輩を鎮める事なのだ」と言う事を。
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[004]嘆きのピエタ
 駄作fuji37762014-01-11
 
最後の二作(この作品と前作「夢」)はひどいです。次作に期待です。 ポンジュノの母親の方がましか?
  
 
[005]楢山節考
 庄屋さんも楢山まいりfuji37762013-02-19
 
聡明であったころの面影はみるべくもない、アルツハイマー。6/10点。 楢山まいりは、おりんの聡明さによる。 69歳のおりんを背負った辰平ははたして、来るべき自分の楢山・・・
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聡明であったころの面影はみるべくもない、アルツハイマー。6/10点。 楢山まいりは、おりんの聡明さによる。 69歳のおりんを背負った辰平ははたして、来るべき自分の楢山まいりを聡明さで乗り切ることができるのか。もしも、楢山まいりへのおりんの聡明さがなければ、食料のまかなえる辰平家でのおりんはアルツハイマーの末に自ら決断が下せず、丈夫な歯のおかげで110歳まで永らえることができる。もちろん長生きが喜ばしいとした上での話だが。 ここでの問題は村社会の維持の方法(掟)である、犯罪家族の根絶や村八分はそれなりに想像できるが、楢山まいりで貧しい村社会の維持が出来るかという点である。誰は今年、誰それはそろそろだ、とか。村の組織上全所帯が貧しいというのはあり得ないと思う(江戸時代にも村共有地のほか私有土地はあろうに、小作人も)大小惣代がいて世話役がいて経済の上下関係の成り立ちで村組織は出来上がる、庄屋さんが楢山まいりを代々続けるとは思われない。江戸時代はさておき、・・・・楢山まいりが個人家庭レベルに押し付けられているのは、この時代にも現代でもはなはだ問題がある。本来、楢山まいりは村八分と同じく共同体の仕切るべき事柄であり、糊口を凌ごうとする貧しい家庭の問題ではない。 経済負担がのしかかる高齢者問題、適当な老人ホームは少なく裕福な個人は豪華有料施設に“楢山まいり”を決め込み、さりとてそこには送り込む側の心の痛みを和らげるための方法がない。さしあたってそのことが問題であるが、医療は確かに長生きの技術や薬の開発や病原菌の発見で、こんな私でさえも長生きしてゆける、が長生きすることで新たな問題が出てきた、痴ほう症でありアルツハイマーである。これまで死なない事に情熱を傾けた医療にはただただ感謝するが、今後の問題は痴ほう症の克服といかに最後を迎えるか、の医学的研究である。いずれ死ななければならないものなら、いかに死ぬか?楢山まいりを村のしきたりと、経済問題にすり替えてはいけない。個々の家庭問題としてはいけない。 おりんの聡明さは、そこにある。現代の楢山、施設へ送る側の心の痛みをおりん自らが背負って解決している点である。いっぽう又やんはぐずった末に息子を、父親を崖から突き落とす殺人者にしてしまうのである。 私自身が年老いて自分で楢山まいりを決断できない時の為に、私は今のうちに私の辰平に私の決断を伝えなくてはならない、「楢山送り」を気にするな、私はやがて全てが分からなくなる、私が悲しいそぶりを見せたとしても、私の為に時間を無駄にするな、「辰平、おまえ自身の生活を大事にして精いっぱい生きろ、おまえの楢山まいりがくるまでは」と。 それにしても、これは明らかに保護者による殺人であり、死体(生身)遺棄です、村民総出で一家を生き埋めにするのとどこが違うの。因習や自然、動物の営みを同時に描けば良いってものでもないでしょう。 高齢化、老人福祉、安楽死、殺人、考えさせられますね。日本のみならずどこの国でも暗黙の了解事項ってのも、すごいですね。 私は、木下作品8/10点です。
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[006]約束
 胡散臭いfuji37762013-02-03
 
以前見て感じた胡散臭さは今日見ても(4本立て¥500)やっぱり残っている、2/10点。 模範囚とはいえ風の起こりそうな長いつけまつ毛で外出できるものかと、気になって仕方ない。
  
 
[007]コクリコ坂から
 そりゃ、良くないfuji37762012-08-26
 
レベルは2、安物韓国ドラマを作って何が悪い?
  
 
[008]アドリブ・ナイト
 人はいったいどう生きようとしているのかfuji37762011-09-18
 【ネタバレ注意】
人はいったいどう生きようとしているのか。7/10点。  隠れ主人公(ミョンウン)は、高1の冬休み家出、母の死に目にも帰郷せず、隣家の恋人やおばさんも顔を忘れるくらいで・・・
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人はいったいどう生きようとしているのか。7/10点。  隠れ主人公(ミョンウン)は、高1の冬休み家出、母の死に目にも帰郷せず、隣家の恋人やおばさんも顔を忘れるくらいである。行方不明の彼女の当時の断片が語られるごとに、音信不通になってゆく生い立ち、原因は父母との生活の諍いでもなく、希望を抱いての家出でもない、だが、いずれにしたって失踪である、名前を消したのだ、連絡を絶ったのだ。  人はいったいどう生きようとしているのか。ミョンウンは何から脱出をしたかったのか。  集まった親戚隣人は、不倫の噂話やお金の話や夕食の味付けや食事のこまごま、田舎の強固な地縁血縁関係の中で儀式や決まりごとの中に溶け込むように生きてゆく、生活は日常の繰り返し、この習慣こそがミョンウンが抜け出したかったことを集まった人々を通して象徴して浮かび上がらせる。  しかし、失踪は言葉では語りきれない、原因が説明できる何物かであれば解決は簡単かもしれない、深い意味などなくてなんとなく、私のこの文はあくまでも説明なのだ、本人不在のこの映画は、だからこそ、集まった人々と偶然にも臨終時にかかわったボキョンの目や感情を通して、映画は浮かび上がらせようと試みる。  失踪したミョンウンに残された家族は、彼女の日用品を何時でも準備して帰りを待っている、不明な消息はミョンウンの根無し草のような生活を暗示する。  「監視されてるみたいで息が詰まりそう、田舎暮らしは」「街の一人暮らし、いいでしょ」「そうでもないよ、何もかも自分で責任背負わないといけないし」  ミョンウンのソックスにはき替えたボギョンは、散歩の途中で病人の死を知る、そして枕元で言葉を掛けた後、ソックスを戻し家を後にする。まるでその時だけ失踪のミョンウンになったかのように。  かって若い私は、田舎から東京に出でることばかりあこがれていた、東京は何処よりも夢の詰まった大都会であった、そこでの一人暮らし、近隣親戚のしがらみから逃れ、自分の才能を信じ、やりたいことで詰まっていた、まずは田舎を離れることだった。  映画は最後に、いろんな種明かしをして終了する。私はそれまでいろんなendを考える、最悪は整形したミョンウンが実はポギョンを演じていたというもの・・・事ほど左様に、韓国映画のひどさが気になるこの頃です。日本原作でよかった。  早朝街に戻ったポギョンが母に電話する、監督は「チャ−ミングガール」同様に最後に主人公を救った、が本当にそうなんだろうか・・・。  人はいったいどう生きようとしているのか。
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[009]チャーミング・ガール
 本棚に並んだ本は?fuji37762011-05-27
 【ネタバレ注意】
書店で売り切れ、取り寄せた本には何が書かれているのか?郵便局員の自宅に並んだ本棚には経済書?宗教本?歴史書?小説?漫画本?・・ハングルの読めない私には彼女の趣味や・・・
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書店で売り切れ、取り寄せた本には何が書かれているのか?郵便局員の自宅に並んだ本棚には経済書?宗教本?歴史書?小説?漫画本?・・ハングルの読めない私には彼女の趣味や興味の対象が見えない、一人暮らし、いったい何を思い、どんな挫折を経験し希望を抱いて生活しているのか、「かもめの・・・」。6/10点。  宅配されたキムチをTVを見ながらかじる、床に落ちた髪の毛を集めてテ−ブルの上に置く、植木の下で鳴いてる猫を拾ってくる、いろんな人たちの出入りする郵便局で変わりばえのない事務をこなしていく日々の仕事帰りに同僚と愚痴を言いつつ一杯、アパ−トの隣人との接点は止まらない目覚ましへの苦情だけ、日常の繰り返し・・・映画はますます良くなって私は引き込まれてしまう。  が、唐突に現れる義理の父との過去(ああ、またしても韓国映画)、本来この手の展開は良質映画のタブ−である、「作家の卵」を避けるように立ち寄った飲み屋でめぐり合った「酔っ払い」とホテルへ(ああ、やっぱり韓国映画)、この二点(良き映画の、ひいては監督の決定的欠点になりかねない)を除いた展開は非常によく、新婚旅行の夫の気持ち悪さ、ハンバ−ガ−を食べた後の靴へのこだわりもいい、立ち寄った靴屋の接客店員もそうで、主人公の沈んでゆく気持ちが私にはいたく響く。言葉での説明を減らした日々の描写が、きわめて優れている。はしょらずに描かれてゆく彼女の心情が浮かんでくる。邦題のチャ−ミングガールがぴったりだ。  日常が描写され、私は勝手にこれら断片を組み合わせて人物像を描く、しかしすっきりしないのは「チョンヘ」の酔っ払いとのホテルのひとこま、人は彼女をネガティブにもポジティブにも見ることができる、だが生きることがますます苦しくなってゆく主人公の救いをいったいどこに見出すのか、絶望がいったい何を生み出すというのか。  不幸を代表しているような「チョンヘ」、愛から見放され孤独の寂寞にさいなまれる日々を送るうちに、ひたすら地の果てに迷い込んで行くかのような生活を刻み続ける、猫でも癒されない日々、行きずりの恋に破れ、過去の恨みを晴らすべく記憶を辿って行き着く義理の父との再会、生前の母を思い出してもどうしようもなく落ち込んでゆく、持ったナイフが傷つける手のひらは「チョンヘ」の悲しい心そのままである。さながら捨てられた猫がどこかあらぬほうに消えて行くかのように・・・。しゃべらず耐え忍ぶ有り様は、明白に彼女の意思が示されない不幸、模索のみが映されて、これでは救いがない。傷ついた彼女に光明はさすのか、楽しかった頃の家族関係でも彼氏でもいい、ストーリーは悪を白日の下にさらし、悪と戦っていることを示さねばならぬ。必ずや最後に立ち直ってくれることがこの映画の希望である。  再びの交差点、彼の爆睡した言い訳の後の「もう一度・・・」の申し出に返事が出来ないで困っている「チョンヘ」は、うれしくもうれしくも、激しく迷ってしまうのである。
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[010]七人の侍
 黒澤、疑問と感動fuji37762011-05-09
 
黒澤映画がなかったなら、映画好きは泣くに泣けません。10/10点。  さて・・久蔵を・・。決闘場面での非情で狂気を帯びた圧倒的剣術使いの久蔵が、七人に加わることに疑問と・・・
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黒澤映画がなかったなら、映画好きは泣くに泣けません。10/10点。  さて・・久蔵を・・。決闘場面での非情で狂気を帯びた圧倒的剣術使いの久蔵が、七人に加わることに疑問と感動が私には同時に起こります。  かって私の近所の遊び友達は平凡なスポ−ツ好きの少年だった。それが高校生になるや剣道を始め、めきめきと腕を上げ高校総体で優勝してしまった。彼の上段から振り下ろす竹刀は凄まじく、劇画の如くにまともに受ければ竹刀はへし折られ、かわすひまなく面をとられてしまうのだった。友人は天才的な、剣道の達人であった。  勘兵衛の誘いを断る山形薫の侍こそが、剣豪達の目指す就職活動だったはずである。現代においても、優れた頭脳を持った学生達の就活が、決して「白い米のみ」で満足を得るはずはなく、より多くの対価を得られる職業地位を求める、村一番の美貌の娘が「白い米のみ」で落ち着くとも思えない。音楽の才能を、絵画に秀でて、文章力に長けた者が、才能を持った者達が、「白い米のみ」より多くの金品と有り余る財宝を得ようと躍起になる、ハズだ。  無償の行い、久蔵は人と打ち解けることのない孤高の人、菊千代のようにはしゃぎもせず、寡黙で勝四郎の憧れにもなるのだが、七人の侍の一人となることの理由付けが今一歩はっきりしないところがある。無償で働くことの価値や意味を彼から語られることはなく、心の中で納得してはいるんであろうが、道場の門をたたけばいつでも雇ってもらえるであろう天才的剣豪が「白い米のみ」の報酬のために、あえなく戦闘で散ってしまうことが腑に落ちない、私には疑問と感動が同時に起こる。久蔵を突き動かしているものは、凡人の想像を超えたところにあるように思われる。極端にたとえるなら聖人の領域に達している。  宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」、ありえない絵空事だと中学生の私は思う、東に病気の子どもあれば・・賢治はこの人物像を歌い上げることで、自身を鼓舞したのか、それとも身近にこんな人はいないと嘆いたのか、そもそも人間(日本人)はそういった生き方はしないのだと喝破したのか。    世の中では強欲で才能あふれる金貸しババアに暇はない、収穫期を狙って村を襲い若い娘をさらい子供を売り飛ばし、力任せに不逞や強盗を働く、合理的実力社会に温情はいらない、音楽に才能を発揮したとして誰が咎めたりするであろうか、持って生まれた美貌も大いなる武器、野球選手として活躍するべきである、が、だからといって持った才能から得られた富を独り占めしてはいけない、人は裏のありそうな合理性には無感動である・・・黒澤の描く久蔵の魅力は、才能あふれる者が無償の行為をいとも簡単になしてしまうことにある。自己満足は自身を納得させるが、人は徳を感じる、あえて言うなら、人に徳を感じさせるその行為のために人は存在し生きているのかもしれない、のだ。 不遜を承知であえて言うなら、上級に受かった高級官僚たちの不逞の数々、その卑しさは独り占めによる、自己保身の見苦しさである、持った才能と努力が公平に向かうなら、このいらいらは解消されるのだが、一方、貧しき人々の憧れは現代に生きながらえた庄屋・名主の広大な田畑土地に羨望する気持ちと同等である、そして存在さえも認めてしまう心底染み付いた負け犬根性が垣間見られる。だからどうだって言うのだ。   持って生まれた才能を認めることは、生まれ持った土地財産を認めるに等しい、二世議員というだけで当選させる地元民、庶民にとって教育機会の少なさは、持つものと持たざるものとを隔て、いびつな学歴社会を構築し経済格差を助長する、個々の意思とは関係なしにだ。だからどうだって言うのだ。        黒澤や宮沢が無償の行為の映画的人物像を描き出せば出すほど、私は主人公達に希望を見出しつつも、同時に、今の日本にこのような人物がいないという不幸の証明のような気がしてくる。うす汚い現実が、薄ら寒い現状が、浮かび上がってくるというアイロニ−、ため息混じりに、「七人の侍」の「白い米のみ」に集まり散っていく人間像と風の中を去ってゆく侍たちの後姿に宮沢の放った「雨にも・・・」が重なってきて、心底やるせない。しかも、百姓達の蔵から出てくる隠された米や奪った刀剣や金品を見せられた時、逞しさとともに人が持ついやらしさと「白い米のみ」に集まる侍とを対比させ、勘兵衛は坊主頭をひらすらなでるしかない。二時間以上も映画で説得された「七人の侍」の世界を己の胸にしまいこみながら、希望の持てない利己をいったいどう解き放てと言うのだ。  そうして、描かれた「七人の侍」が身近な処にいないと嘆くことなかれ、もともと幻想なのだから。勘兵衛も・・七郎次も勝四郎も平八も五郎兵衛も菊千代も・・・そして久蔵も。
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[011]砂の女
 「穴倉生活」fuji37762010-09-21
 【ネタバレ注意】
苦しみは二つある。9/10点。  1,個人的な事、友人とか、家族とか、恋人とか、自分の将来とか、希望とか、挫折とか、容貌とか、頭脳とか。  2,社会的な問題、戦争とか、正義・・・
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苦しみは二つある。9/10点。  1,個人的な事、友人とか、家族とか、恋人とか、自分の将来とか、希望とか、挫折とか、容貌とか、頭脳とか。  2,社会的な問題、戦争とか、正義とか、不平等とか、政治とか。  映画物語は昆虫学者が迷い込む穴、砂丘の部落に生きる女に取り込まれ蟻地獄の底で必死に脱出を試みる男の苦闘の物語り、自由に抜け出せる段になって居ついてしまう不条理を描いた小説の傑作映画である。  しかも、昆虫採集に代わって、穴の底で水を溜めるという装置を思いつく男がロマンを手に入れて狂喜する姿、自らの置かれた状況さえも忘れ、結果、探究心や研究心(金餞でも)が満たされた男の辿る穴の中の生活、穴の底から世間を見ずに満足してしまう(サラリーマンが女房子供と幸せなマンション生活)意義を、美しい映像で描きながら、あんたの落ちた穴に横たわった女とのセックスを手にした男の辿る暗闇を、あざ笑う「正なる条理」が私に「世を忘れ自分の今を生きよ」と世の常識や世間並みが私を貫き通し、迫ってくる。  優れた青春映画の多くは生きていく苦悩や不安や恋愛を描く、「砂の女」この映画の優れた点はロマンとSEXを手にした男がその後に社会にかかわっていく軋轢を、象徴的に映像化している、私はそうやって薄々ながらも苦悩してきた。誰もが同じ思いに悩み憤ったことだろう、そして知らず知らずに平凡で闘争心を忘れた「穴倉生活」に安住してしまうのだ。反発しながらも頼ってくる女の性とSEXとに絡め捕られながら、そういえば女に捕らえられた男の物語り、との解説を目にしたことがある。  「砂の女」のその後が描かれていないことの不満は残るものの「ブロークバック・マウンテン」(2005)の映し出したその後も引きずる青春を、この映画も同じ主題で見事に映像化している。何が悲しいといって、「穴倉生活」から脱せず昔の思いだけで生きる人生の無常である。やるせなさである。自身への怒りである。  大人になったといってみても、人が丸くなったと言われてもどうしても捨てきれないもの、何時までもしがみつく過去の栄光、持った頭脳への自信と信頼、未だ発揮できない能力への見栄と過信である。  そうやって穴倉生活に安住して、気がつけばいい年を重ねて老人になっている。私の兄も父も先輩や多くも友人たちも、人生はなんだったのかと、結局「砂の女」は青春時代を過ぎて年取っていく男の内側を象徴している。そうなのだ外界を省みる事のない「穴倉生活」、無知で平凡な家庭人がいいのだと、一方でそれが、お前の悔いのない人生なのかと。
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[012]キャピタリズム マネーは踊る
 夢の詰まったマイホームfuji37762010-08-18
 
サブプライムで手にした住宅がそれほど尊いものか、ましてやサブプライムの高金利を許された金融がらみで、貧しき人々にマイホームの夢を一瞬でも見させただけでも良かった、・・・
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サブプライムで手にした住宅がそれほど尊いものか、ましてやサブプライムの高金利を許された金融がらみで、貧しき人々にマイホームの夢を一瞬でも見させただけでも良かった、と思うのか。6/10点。  考えてみれば明白なこと、慈善事業でも有るまいに、金儲け意外に何の得があって回収も危険な住宅(サブプライム)を販売するのか?自身の損を未然に防ぎ利益だけを手にして物件から「おさらば」出来ればよいのだ。そこでは金融企業に何の悪意もない、根っからの高金利、それが仕事なのだ。  住宅仲介業者も仕事、ただただ多くを取引すれば手数料収入を増やせる。そこには夢や憩いなどない、どこで聞いたのか「一国一城の主」を夢見る住宅購入者と、無機質に一契約がいくらの取引業者と、手続き書類を作成するセコイ登記人、融資で利子を回収する銀行、全てがビジネスで動いている、でも、ここには詐欺師的な詐欺は少ない。  しかしだ、一生涯無理といわれた「夢の詰まったマイホーム」を手に入れた人々は、金融企業の仕組んだ利益のみ確保して持ち去ってゆく合理性を知らない、一方、生涯の目標は至福の我が家「お城」に住むこと、新幹線で姫路駅に降り立ってみるといい「お城」とはそこにそびえる建物なのだ、郊外のマンションの一室やウサギ小屋のごとき一戸建ての、どこがお城か。  映画はエンターテイメントの要素を多く含み、苦にならずスイスイと観れる、そのことが印象を薄くしてしまう、含まれた問題は凡人が平凡に生きることの意味や、経済活動の持っている残虐性、犠牲者なしには人より多くの収入は得られないことの現実、監督ムーアの旧作の「ロジャー&ミー」が持った娯楽に流れず問題点に突き進む姿勢こそが、経済問題の映画が描くクールさであるはずなのに。  映画「エンロン・・」を観た衝撃は、経済の中の人々を的確に描くことに成功している点、天才的な金儲けの人々とそうでない人々、金融の優位性とそうでない人、それを世間では勝者と敗者と呼ぶ、呼び方はどうでもいいが、そこでは何が起こってなぜ勝敗が分かれてしまうのか、を知ることが必要である。映画「エンロン・・」はその意味から、優れている。  例えば、株式増資時価発行、考えたのはどこの国の誰でいつ頃からか?  昔々、おじいちゃんの持っていたhonda株は、いつの間にやら2倍にも3倍にもなっていた、今では信じがたい話なのだが、会社の規模に見合う資本金の増資を繰り返し、持ち株比で割り当てらる額面発行増資、それと無償増資(もはや死語?)も有って、おじいちゃんの株は持っているだけで増えた。好きな会社の株主になる、ささやかでも庶民にも資本主義のおいしいおこぼれがあった、それが今や公募時価発行増資の金融時代で、はなから増資のおこぼれはない、割引株主優待のみ。  株式市場は一大ギャンブル市場になった、株価を吊り上げて時価発行すれば、莫大な金を手にすることが出来る、創業者利益は計り知れない、「ライ・・」「楽・・」IT企業の多くがこの恩恵を一気に受ける、現代合法錬金術の完成である、努力の末か偶然かこの機会を手にした者達のみが、時代の寵児・経済勝者となることが出来る。 「(時価発行とは)・・株式の発行にあたって、旧株(既に発行済みの株式)の時価を基準とした価額で発行することを言います。かっては我が国では、額面発行増資が主流でありましたが、昭和40年代後半からは公募時価発行増資が主流になっています。現在は、平成13年10月の商法改正により額面が廃止されたため、額面発行増資という概念がなくなっています。」  昔々、この方法は合法ではなかった?、企業はこつこつと業績を伸ばし資本の増強で会社を大きくした、今や実態とかけ離れた感のある株式市場において、時価発行増資という錬金術で・・・。  サブプライムを考え出した金融人がいた、そして違法でない事を承認させ(公営ギャンブルのみが合法で私設賭博は違法、ギャンブルに良し悪しなどなく、法の決定が違合法を決める)、後は雪だるま式に膨れ上がった、一大金融商品の完成である。城の主を夢見る人々の結末は、決定的勝敗の決着である。  映画に戻って、サブプライムローンの実行、経済の論理から言えば金融業者が少ない資本でリスクも回避できより多くの利益を求めるは当然である、犠牲者が出ることが予測される時でも、「利権」「認可」「合法」を放置することが諸悪の元凶である。  「我が家」も「日々の生活」も結局、「認可」「利権」を操る醜い人間たちの欲の皮に引っ張られて、いいようにされてしまうのだ。
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[013]約束の旅路
 豊かな気持ちに成るfuji37762010-08-16
 
映画は良き人々が多く、見終わっても本当に心癒される。優しいまなざしと人への愛情と途切れぬ努力が溢れ、豊かな気持ちに成る。7/10点。 映画は、難民から脱出、他国の地に・・・
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映画は良き人々が多く、見終わっても本当に心癒される。優しいまなざしと人への愛情と途切れぬ努力が溢れ、豊かな気持ちに成る。7/10点。 映画は、難民から脱出、他国の地に生活してゆく厳しすぎる現実の中、育ての両親、義兄弟愛が描けている、養父に反撥する子が旅立つ時、ママは「本当は、我が家の子供にするのに反対だったの、それを何度も繰り返し説得したのは、パパなんだよ」と、おお、こんなにすばらしい話を作り上げる作家がいるなんて。だらだらした話もすっ飛んでしまうようなすがすがしさである。 ・・・・・・・・・・  内戦国からの脱出移住には、宗教を捨て親の名を隠し、民族の名誉にも目をつむり、ひたすら生き延びる厳しい現実がある、言語をはじめ移住地の習慣に合わせ溶け込まねばならない。  海外へのビジネス進出のため会社内で英語を「公用語?」にして日本語を禁止、利益を上げるのための国際化を唱える企業レベルと、外国語の持つわけが違う。  外国かぶれは留学を希望する、さらに海外に職を求めて移住する人も多い(私の大いなる反省は子供たちを自由に留学にも遊びにも行かせなかった事だ)、日本に残された家族の自慢は子供たちの留学先や居留区への日本食品の差し入れを近所や親戚同僚に言いふらすことにある、かって海外旅行がステイタスの頃は旅行先での記念写真やお土産で自慢できた、誰もが気軽に旅行できる今となっては、我が家の「ご」自慢は「外国で会話に不自由する孫の日本を忘れないためのお守りである」とお土産片手に渡航することを、さりげなく確実に周囲に知らしめることだ、事ほど左様に、海外への自慢の種も様変わりしている。  数少ない海外経験(アジア)のショックは、日本の戦後、男も女も$欲しさに英会話を学習し米人に擦り寄ったのと同様、海外の人々が¥欲しさに日本語を習得する現実であった、確かに日本語の分かる現地人がいると、外国語に不慣れな日本人にとってビジネスもしやすい、当然通訳の彼を中心にビジネスが出来る、私は現地語の習得に努力しなくても済む、彼らは私が好きなわけではなく単に¥ビジネスなのだが、中には個人的に好意を持ってくれる人も出来てくる、が話せない私は現地語を勉強して言葉で文化を理解しようとする努力をまったくしない、結果彼らが理解できない日本語でまくし立て、彼の国の文化の真髄を自分勝手に求める、会話不可能が判り、そこで私は落胆し探求することをあきらめる。  海外の私は、世界遺産の観光地や珍しい料理を堪能することに興味は少ない、一番の関心ごとは外国の人々の感じる良くも悪しくも日本・日本人である、どう関心を持って見ているのか、いかに憧れを思っているのか、何がいやで嫌いで信用できないのか、それを知る事でやっと見えてくる「日本」があるように思っている。興味はうすうすにしか感じない遠方の国日本への、諸国の人々の感想・感じ方の収集に尽きる。だが、それを知ったところで観光旅行者と何が違うの?という問いはいつまでも残ってはいるが。  言葉と文化、厄介なことに子供時代に言葉で培われた習慣などは、大人になってから会得した言葉では超えられないものがある、仏映画の日本語字幕を仏人が付けることにほんの一部の人を除くと無理がある、表記は日本人でないと難しいと思う、一部外国人の日本語小説も生まれてはいるが。  ご存知の通り、真の侵略は子供時代に日本語をしゃべらすことにある、日本語で考えるように躾ける、そして2代それが出来れば、征服は完成する。文化の略奪が出来るのである。一種の同化政策である。  したがって文化の侵略を防ぐのは、各国のさらに難しい母国語の完成にある、通訳を通しても外国人にはなかなか理解できない「難しい母国語と母国語で記された書物」を持つことで文化的な侵略を防ぐことが出来る、意思の疎通が容易ではない言葉と文化、理解の障害、それこそが文化の侵略を防ぎ国を防ぐ要である、でなければ金($や¥)の魅力で文化はすぐにもなびく、ましてや進んで英語を共通語に考える企業が出てくれば、侵略者にとってはしめたもの、自ら進んで文化の奴隷になる、と言っているようなものだ。国際化とは?  ぜひとも海外に出掛けることをすすめる。経済力で文化や言語や国や性が侵略されてしまうことを、知るべきである。そこには支配者のみがいることを、よーく観るべきである。
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[014]遠くの空に消えた
 映画は失敗したのだfuji37762010-05-13
 【ネタバレ注意】
あれだけしつこく伏線を張ったのだから、天体望遠鏡から流れ星の一つも捕って欲しい、しかも飛びきりうまく、へたな落ちの落語はただの無駄話、映画は失敗したのだ、イギリス・・・
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あれだけしつこく伏線を張ったのだから、天体望遠鏡から流れ星の一つも捕って欲しい、しかも飛びきりうまく、へたな落ちの落語はただの無駄話、映画は失敗したのだ、イギリスで編み出されたUFOサークルをパクルに及んで、もうお手上げである、ひどい。2/10点。
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[015]
 下水の排出口fuji37762010-05-05
 【ネタバレ注意】
ヘドロのこびりついた、下水の排出口に、何度も投げ入れられる死体役のマネキン人形、この意表をつく映画の撮影現場からスタ−トする「河」の異様さは、灰色に濁った水から漂う・・・
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ヘドロのこびりついた、下水の排出口に、何度も投げ入れられる死体役のマネキン人形、この意表をつく映画の撮影現場からスタ−トする「河」の異様さは、灰色に濁った水から漂う匂いもさることながら、マネキンに取って代わって死体役に挑む青年こそが、ヘドロの河に浮かんで激痛の肩こりの奇病にかかってしまう主人公、このやるせない物語りは、当時の台湾の抱えたゆがんだ社会と、病に蝕まれる青年(シャオカン)が象徴的に描かれている気がする。7/10点。  しかしながら、冒頭のシーンに登場する女友達や映画監督は、その後登場しない。以降の物語と一線を画すこの河の始まりは、いったい何を訴えているのか、その後すぐに始まっていくシャオカンの家族の物語、説明の抜けた家族関係、せりふの極端に少ない、音楽も流れない、しかも登場人物たちの関わりが理解できないままに、シャオカンの奇病、母親の不倫、父親のゲイ通い、階上の部屋からの大量の水漏れ、いやはや何をかいわんや、である。 映画はポンジュノの言葉の如くに、高度成長の始まる前の時代こそ、優秀な映画作品の生産される時期であるということだ、貧富の差が極端に現れる時代であり(高さを競う高層ビルの作られる時期と符合する)一方で庶民感覚にも発展していく経済が実感できる頃でもある、自家用車を持ち、電気製品は家庭の必需品になり、伝統的な家屋から西洋風な空調設備の整ったフローリングの部屋に住み始める、すべての国民が近代化を謳歌しているように見えながらも、そこに内在する矛盾に気づき始める人、近代化と失われる人情、ジレンマと苦悩の始まりでもある、鋭く怒る人や打ちひしがれて自滅する人が出始める、いじめが蔓延し校内暴力が始まり、怒れる若者が思いもしなかった形で自己を主張し始め、大量殺人事件が街角でも多発する。  優れた映画はそれを見逃さずに描く、高層ビルが高さを世界と競争しだす頃、おりしも台北101は2004に建ちあがる、この優れた台湾の映画もちょうどこの前時期に製作されている、一つ一つの物語がきっと華やかな台北101とは裏腹な、近代化と経済発展の影で心をさいなまれた人々の苦悩を描く物語りなのだ。  それはとりもなおさず、時代が背負うべき問題の、優れた監督たちの映画表現での告発である。西欧もアメリカも日本も同様に歩んできた。  ギドクと違った怒りに満ち満ちたミンリャンの作品は、表現の形は違えど、経済発展の中で生きる事に迷ってしまう人々を象徴的に映像化し、「楽日」「黒い眼・・・」と続いていくのである、韓国といい台湾といい、現代社会の裏表を描く問題作が次々に生まれるアジアの映画にますます目が離せない。次は中国,タイ,インド?・・・。
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[016]ブロークバック・マウンテン
 「gay」に食いつくfuji37762010-05-03
 
監督はうまかった、センセーショナルにgayの世界で度肝を抜き、おもむろに語り始める、いやはやそのテクニックに呆れるやら感心するやら、きっと「カーボーイgay」に食い・・・
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監督はうまかった、センセーショナルにgayの世界で度肝を抜き、おもむろに語り始める、いやはやそのテクニックに呆れるやら感心するやら、きっと「カーボーイgay」に食いついてくる輩がいっぱいいるに違いない。7/10点。 ブロークバック・マウンテン、桃源郷こそが人生である、二人で過ごしたブロークバック・マウンテンははるか山の上にあり、年に数度訪れる地となっても、そこでの青春の思い出の日々は忘れることができない、待ち合わせの再会の日、男同士いとおしく抱き合い、夢見るように眠る甘美な時間。  結婚して妻と子供のいる世界は、家を守るための生活の糧をロデオやカーボーイとして稼ぎ出さなくてはならない地上の現実世界なら、ブロークバック・マウンテンでの思いでは少年のときに描いた希望の象徴でもあり、いつの日か実現を望んだ指標である。山を登って行けばたどり着けるであろう桃源郷、「坂の上の雲」、私は雲をつかむために生まれたのだ、雲を手に入れる才能に恵まれて生まれて来たのだ。  30%にも及ぶといわれるアメリカ男性のホモセクシャルな人々の中でさえ、自分の居場所に悩む青年、・・年貢米を収めることもできない小作農の大家族の貧乏子供、私はそんなことのために生まれたのか、貧乏で家も持てず結婚もできず、・・アフリカからの奴隷の子供として、売られて鎖に繋がれる為に生を受けたのか、・・そう、人はそんなことの為に生まれてきたのではない、だからこそのブロークバック・マウンテン。 夢うつつの中に目覚める「雨月物語」や、帰って現実に引き戻される「浦島太郎」のお話のように、若き日にあこがれた職業、夢見た生活、今の現実とのギャップ、あくせく働くために生まれたのかとの想い、才能と頭脳を信じ、自分の人生の憧れを断ち切れぬ思いのブロークバック・マウンテン、希望の象徴なのだ。映画は人生をシンボリックに描いている。 若き日、ブロークバック・マウンテンの日々は、私の生涯に、死してなお、実現できない理想と現実のギャップを描く、類まれなる映画として捕らえるならば、いかんせん、わが人生のこの嗜好こそが、ブロークバック・マウンテンに残してきた日々の残影に過ぎない事を。
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[017]瀬戸内少年野球団
 アイドル映画fuji37762010-05-03
 
郷ひろみ・夏目雅子、アイドル映画で2/10点。 監督、そーいや−、いい映画を撮ってた時期もありました。
  
 
[018]タクシー・ブルース
 天才に出会ってfuji37762010-01-08
 【ネタバレ注意】
天才と付き合うのはつくづく大変だと思う、天才と云わずともそれに近い圧倒される頭脳を持った友人に接した時も、引け目を感じるとともに、パワーに打ちのめされる自分を感じ・・・
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天才と付き合うのはつくづく大変だと思う、天才と云わずともそれに近い圧倒される頭脳を持った友人に接した時も、引け目を感じるとともに、パワーに打ちのめされる自分を感じることがなんとも悲しい。しかし天才的な人ほど素敵なものはないし、他のいなかる人物と比較し代わりを見つけようとしても、かなわぬことである、きっと。7/10点。  たとえリョウシャが本当の天才でなくとも、アル中で飲んだくれで経済観念のない個性豊かなサックス奏者で、結局はシュリコフの生きがいにもなり、演奏会場で涙を流す場面は、奇妙な二人の関係がいかに深いかをを感じさせ、涙ぐませる場面でもある、食事の用意をして待てども現れない奴にいらいらは最高値に達した時、ダッチワイフを抱えていつものように乗り込んでくる奴、人の気持ちも読み取れない天才で身勝手なアル中のリョウシャに、私は唖然としながらも拍手を送ってしまうのである。  物語は、二人の出会いから腐れ縁までなんともうまく表現して、心にしみいる傑作である。何度繰り返してみても、生真面目なシュリコフ(私)の思いがせつなくて、ノー天気なリョウシャに翻弄され、やきもきしながらもこの手の天才とめぐり合えた幸せをしみじみと感じられて、とびきり後味の良い映画である。付き加えれば、じいさんもクリスチナもいい味を出している、二人はシュリコフのいらいらの元でもあり慰めにもなって、みんなまとめて飲み込みながら物語が、彼らの今(アメリカ映画に良くあるその数年後)を紹介して、音楽とともにあっけなく「end」となるのである。  この映画を良いと言わず、いったいいどの映画をうまくできていると言えばいいのか(上から目線)。「タクシードライバー」に比べて、何度の鑑賞にも堪えうるのは、登場人物たち人間像に含みが多く、見るたびに発見があることによる、もしかすると、映画の表現としてこのさじ加減は結構いいのかもしれない、素人が口挟むことではないけれど・・数多くある無口な主人公たちの映画と同様、観客の私は主人公たちに思いをめぐらしながら、色々想像し楽しむことができる。
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[019]タクシードライバー
 許しがたい怒りをfuji37762010-01-08
 【ネタバレ注意】
かって若い私は、悪意に怒りを覚えた。不正は許しがたいことだった。正義に燃えて生きることを最も望んでいた。・・7/10点。  結末を除いてストーリーをほぼ覚えていた映画・・・
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かって若い私は、悪意に怒りを覚えた。不正は許しがたいことだった。正義に燃えて生きることを最も望んでいた。・・7/10点。  結末を除いてストーリーをほぼ覚えていた映画を、再び見た。完璧なまでに出来上がった映画は、音楽といい、蒸気に浮かび上がる美しい映像といい、人を描写するアングルといい、上等なテクニックに裏付けられすんなり鑑賞できる。古くを再び訪ねた感激よりも、完成度の高さに驚きである。  世はデフレスパイラルとかで、就職もままならない冷え切った経済の中で、やっとたどり着く仕事も待ち望んだ職業とは程遠く、一方で世の困窮とかけ離れた世界で選挙活動に忙しく飛び回る人々もいて、街に出れば14歳のヒモに操られた売春婦、この状況下、自らの気持ちを平静なまま保っていける若者がどれほどいるであろう、荒川沖の彼や秋葉原の彼が報道にさらされ、世界(イスラム)の街角や高校(米国)の校庭や住宅地(日本)で起こった事件を、ニュ−ヨークのこの映画が象徴しているかのようだ、驚くなかれ、この映画は30年以上前の作品である。  ラスト、天井から俯瞰で撮る殺人現場は、血塗られた左手(トラヴィスの)でこめかみに打ち込む3発の空拳銃でendと思いきや、映画は突如として14歳の売春婦を助け出した英雄として、傷の治った主人公が再びタクシーを運転、選挙事務所の彼女(ベッツィー)をアパ−トまで乗せるのである。  昔見たときには大して気にもならなかったが、こんな結末でした?・・か。いやはやアメリカ映画ですな、同じパターンで、せめてこう付け加えてほしかった・・(つじつま合わせをした上で)トラヴィスのタクシーを下車した彼女は「いくら」と話しかけるのではなく、きめ台詞は「まだ封を切ってないレコードがあるけど、私の部屋で聞いていかない?」と、やってほしかった。
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[020]橋田壽賀子
 見ていらだつfuji37762010-01-05
 
(2の2)「おしん」より続き・・・ ・・肝心のおしんは恩人たちの人物像を受け継いでいない、この厳しすぎる人間描写はおしんが「くに」になり切れない時代の無常さを、「たか・・・
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(2の2)「おしん」より続き・・・ ・・肝心のおしんは恩人たちの人物像を受け継いでいない、この厳しすぎる人間描写はおしんが「くに」になり切れない時代の無常さを、「たか」同様の温情を少しも人に施すことができない未熟さを、経済に飲み込まれ翻弄される人のさまを描きたかったのか、さもなくば、恩人たちと同様に経済的成功を得ながら、貧しき人に暖かなまなざしの意思さえ示さないおしんの姿を見るとき、・・・いつまでも初恋の相手とうつつを抜かす人間像を私の前に描き出して失望させ、そのさめた視点こそが、橋田の描きたかった「おしんの物語り」の主題とでも言っているかのようである。  一方で、つまらない人物像が「田倉家」中心に典型的に描かれ、見ていて辟易とする、「仁」「道子」「川部家」と物語の後半は、これでもかとの如く橋田の主題(悪人たちの列挙)に近づいてゆく、少女編〜青春編が好評価を受けるのとは対極に、登場人物たちの悪人面と心の底深くに渦巻く意図せざる悪意を、視聴者(私)は次々と見せ付けられる破目になる. 本当は、私が求める友人知人こそ「くに」や「たか」のはずなのに、きっと多くの人が暖かく自分を見守ってくれる真の友人に出会いたいと熱望しているはずなのに、年老いた私は若人を見守る年長者になって、集まる人々の中に、次の世代の「おしん」に出会えたらと夢見ているのに。  微弱ながらも、酒田の「くに」や長谷川の「たか」となって人を見守り、若者の生き方に共感し、振る舞いの中に紛れて自分自身の満足を得る、そんな人になりたいとこの年令になって夢見る如くに願う。経済的に満足した日本人の多くが、未だに戦後の闇市に食料を求めるような、金のためならなんでもする人生レベルで悪戦苦闘している姿、自分の身を振り返ってもやりきれなさと同時に危惧を感じる。  思えば兄の軍事物資を扱い、田倉商店は成功裏にメリヤス工場をつくり、「竜三」やおしんの人間が変貌していく様を、信念のない人間の辿る愚かな過程を、橋田の真に描きたかった人間であるかのように、ドラマの構想の確かさと見えくる主人公たちの心に竦む悪意の恐ろしさを、まざまざと見せつけながら、広大な物語は私を圧倒して展開してゆく。  おしんを取り巻く魅力的な人物たちの、輪廻転生を物語の中に見つけたいと、物語の終盤になるにつれてつくづく私は願うのである。そうなのだ、辛抱の末に立ち直ったおしんがいつか「くに」や「たか」になって、若人に接している姿をどんなにか望んでいただろう、それを裏切られた私はおしんを疎ましく眺め、これでいいのかと心で呟きながら、おしんの未練がましい「浩太」への想いをいつまでも見せつけられる時、どうしてよいのかただただ迷うのである。    ・・・書き始めた当初の意図を飛び越えて、知らぬ間に出来上がって訴え始める登場人物達のたどる生き方が、新たな(真の)物語を浮かび上がらせる様は、ひとえに、このドラマのすごさと完成度を感じずにはいられない。  物語が、成人して「師となりきれない主人公」の愚かさを描く世界だとしたら、その皮肉に満ち満ちた隠された価値が、2倍にも3倍にもなって私の気持ちに、不快感とともに突き迫ってくるのである。・・出来れば、全巻鑑賞。
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[021]おしん
 長編ドラマの人間像fuji37762010-01-05
 【ネタバレ注意】
(2の1)  経済的に成功した人のたどる人間の恐ろしさと愚かさを、気の遠くなるほどの長編物語の中で、歳とって変貌していく人のさまを、私はおしんの生涯をたどって、人に接・・・
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(2の1)  経済的に成功した人のたどる人間の恐ろしさと愚かさを、気の遠くなるほどの長編物語の中で、歳とって変貌していく人のさまを、私はおしんの生涯をたどって、人に接してこそ得られるかけがえのない価値を、考え込まずにはいられない。 橋田が「おしん」を通して描きたかった人間像とは・・・・・7/10点 放映当時の私は子育てに忙しく、TVも歌謡曲も映画も小説も演劇もほとんど見ていない、すっぽりと抜け落ちたこの期間を今、振り返ってみている。  東北の貧しい家に生まれたおしんが、苦労の末にス―パ―を立ち上げるという出世物語かと勝手に見ていたが、子供時代のあまりのひどい境遇が日本では過去の話になりつつも、東南アジアでは今の自分の境遇に重ね合わせる共感からか、インドでも話題になったし、韓国、タイ、中国とあらゆる国でヒットを重ねて行ったと、伝えられている。 くじけずに立ち直っていく「おしん」に自分を投影しながら、貧しい国の人たちがどんなにか希望を見出したかと思うと、感動と心の豊かな広がりを共有する意味からもアニメ同様に重要な「日本の文化遺産」であると思う、といったら言い過ぎであろうか。  NHKは「おしん」をもっと開放すべきである、多チャンネルの中で再放送をもっとするべきだ,購入するDVDは高価すぎる、せめて1/3くらいにして、自由に見る環境を作ってほしい、TUTAYAにもレンタルで開放するべきである。そもそも制作費は皆の金から出ている、販売は二重取りであると、開放を待望するには権利を含め賛否両論あろうが、「価値がある」と私は思うからである。  (1)見るべきは、少女編〜青春編である。魅力的な人物はここで多く登場する。まず、奉公先から逃げ出した7才のおしんが雪山で助けられる「君死にたもうなかれ・・・」の与謝野晶子を詠ずる「俊作」である。この年令の子が後まで影響を受けるほど覚えているとは思われないが、戦争批判の根源にもなっている、そしておしんの最大のバックボ−ンは酒田の米問屋の大女将(おおおかみ)である。助けられ愛され賢さを認められ教育を受け、作法を教え込まれる。利発なおしんは、大女将「くに」の庇護の下にのびのびと成長する。加賀屋の「みの」や「加代」に愛されたこの時期のおしんの物語は、見ていて最高に幸せな気分になれる。  (2)青春編〜酒田を飛び出したおしんは、東京の「髪結い長谷川」の「たか」の世話になって、良く気の付く娘を演じ、懸命に生きる姿に、染子をはじめ周りから可愛がられて成長してゆく、おしんは酒田の「くに」や髪結いの「たか」の愛の下、懸命に生きながら、美しく成人するのである。やがて二人の元から独立したおしんは、テキヤの親分「健」に出会って以降、これといった魅力的な人物に出会っていない。でもこの時期の物語りも、幸せな気分で見ていられる、おしん物語りの飛び切り良いところだ。  以降の物語を見るのが苦痛なのは、展開の速さとストーリーの荒さが目立ち、何より一番に、魅力的な人間が現れないことにある。現れなくとも良いが、悪いドラマにしているのは肝心の主人公である成長したおしんが、恩人たちの人間像を受け継げない、継がない、ところにある。・・・(2の2)「橋田壽賀子」へ続く。 
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[022]母なる証明
 殺人にうんざりfuji37762009-12-03
 【ネタバレ注意】
 「感想、ネタばれ」を読まないで、ご覧になることをお勧めします。5/10点。  つまりは一度だけ見ればよい映画なのです、だからあらすじを知らないままに見てください。  ・・・
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 「感想、ネタばれ」を読まないで、ご覧になることをお勧めします。5/10点。  つまりは一度だけ見ればよい映画なのです、だからあらすじを知らないままに見てください。  「殺人の追憶」が何度見てもすばらしいのに比べて、この映画は一度でいいのです、その理由を以下に述べます、私はポン・ジュノの映画が持つ、時代を鋭く切り裂く見方が好きでした、意識するとはなしに、映画ストーリーを作ることが必然に、現代の持つ問題点を描き出してしまう感性が好きでした、つまりこうなのです、ポン・ジュノはまじめに映画を作りさえすれば、時代の持つ不条理や現代社会の抱えた問題を映画の中に描きこんでしまう、まれな監督だと思っていたのです、だからこそすばらしいのだと。  この映画が緻密に造られたことに疑いを持つものではありません、しかし、なぜまた殺人なの、の思いは見始めてすぐに湧いて来ました、息子が5歳の思い出を話し始めるころから、お話は俄然面白くなってきますが、それでも殺人推理ゲームの域を出ません、監督作品の持っていた社会悪に対する鋭い視線が見えないのです、アメリカ映画に良くある、うまくできた「殺人推理ゲーム」の映画になってしまっているのです、母・本人・被害者の人間像が見えない、心情苦悩が見えない、殺人の背景が見えない、決定的な欠点です、だから、5/10点です。  「殺人の追憶」は誰にでも作れます、時代がそうさせるのです、裕福な時代になったとき、経済成長した国に育ったとき、「殺人の追憶」はできないのです、同じ社会状況下に置かれた人々の暮らす国で出来上がるのです。と監督はかって語っていました・・・・やっぱりそうですか。
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[023]
 「カンヌ映画際グランプリ受賞」を信じるfuji37762009-11-26
 【ネタバレ注意】
タイトルバックに流れる、「adbullah ibrahim」の音楽はエンドロールも含めて、すばらしさに目の覚める思いがする。5/10点。 作り物のセットが当たり前で、・・・
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タイトルバックに流れる、「adbullah ibrahim」の音楽はエンドロールも含めて、すばらしさに目の覚める思いがする。5/10点。 作り物のセットが当たり前で、ましてやCGが多用される今の映画にあって、この映画で、帰り着く故郷の小高い丘から角笛を吹く「サガ」の姿が、同時に村の風景を映し出すとき、裸足で歩く人々と、ブラジャ−を着けない素の人々が暮らす、サバンナ平原の集村が、おとぎ噺のように浮かび上がってくる様は、いにしえの生活の素朴さを象徴するかのようである、しかし繰り広げられる「ノグマ」の物語は風景とは裏腹に、部落の首長と部落の維持のための「掟」との中で、死んでいく人と弟「クグリ」が村を出て行く様が描かれている、なぜか淡々と。  厚化粧の、加工された髪型の、締め付けたコルセットの、足の先から頭までブランド品で着飾って、無用な海外品に頼った、それが豊かさの証でもあるかのように、現代の男や女たちが高層ビルの谷間を闊歩するとき、電気もTVもない生活の中で、部落の首長が勝手に息子の恋人を寝取ってしまう日常が有ったとしても不思議に思えない、愛のしるしにヤギでなく牛一頭を笑って要求する女に、当時の経済を投影してもましてや女性の扱われた時代を想像しても、まったく的外れなのかもしれない、首長の決定は絶対であり、兄貴の女房に子供を生ませるなど今では想像もできない事ごとが、さも当たり前であったことさえ想像できるのだ。
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[024]あこがれ
 内藤洋子、林寛子fuji37762009-11-16
 
それぞれ、16歳、7歳、前後。4/10点。  主人公に思い入れて、相手役に自分を投影して願望を夢み、悲恋に涙ぐみ、私であったらと、映画を楽しんでいる。かっての私なら、主人・・・
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それぞれ、16歳、7歳、前後。4/10点。  主人公に思い入れて、相手役に自分を投影して願望を夢み、悲恋に涙ぐみ、私であったらと、映画を楽しんでいる。かっての私なら、主人公二人になって舞い上がっていただろうに。  この年になって若い二人を眺めている私に気づく。わが娘が彼氏を連れてくることに怒りを覚える、気に入らぬ相手であったら怒り心頭である、わが息子がこれが嫁だと紹介したなら嫁の顔を見据え、わが身をどう処して良いやら、きっと連夜悪夢にうなされるであろう。  とは言うものの幸せになってほしい、思わず私は誰なんだと思う。  映画は良くできています、癒されてほのぼのします。注、原作、脚本、。
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[025]雪の断章 情熱
 斉藤由貴、19歳前後fuji37762009-11-13
 
アイドル出演のおバカ映画に、突然、映画らしい映画に出会うことの驚きは、監督の力によるものだと、つくづく思わずにはいられない。4/10点。  飛び飛びの話の断章を、観客に・・・
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アイドル出演のおバカ映画に、突然、映画らしい映画に出会うことの驚きは、監督の力によるものだと、つくづく思わずにはいられない。4/10点。  飛び飛びの話の断章を、観客に想像させ組み立てさせる、イメ−ジを膨らませ自分の世界に導くのが、うまい映画の作り手である。推理仕立ての殺人を織り込むのは感心しないが、全体に漂うちぐはぐな感じは拾われた女の子がたどる青春物としては、結構いい感じがする、そのことがアイドル映画から一線を画するのに大いに役立っていて、さもすれば青春の思いで映画と間違って感心する人もいるかもしれない。  主人公たちの会話の数々に、監督の力量を感じる。
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[026]山田ババアに花束を
 山田邦子、西田ひかる、仁籐優子fuji37762009-09-25
 【ネタバレ注意】
30歳、18歳、19歳前後。 「とべたら本こ」山中恒、「おれがあいつであいつがおれで」、やがて大林の「転校生」に行き着くのだけれども、男女が入れ替わるとか、老若も、この手・・・
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30歳、18歳、19歳前後。 「とべたら本こ」山中恒、「おれがあいつであいつがおれで」、やがて大林の「転校生」に行き着くのだけれども、男女が入れ替わるとか、老若も、この手の話は小説や昔話や小噺に多くある、だからこそ監督や作者たちの力量が問われてしまう。 でもって、この映画では?
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[027]悲しき60才
 坂本九、森山加代子、渡辺トモコfuji37762009-09-25
 
それぞれ、20才、19才、17才前後。 TVスタ−ト時代、清濁入り乱れ、出れば売れるという黄金期の始まりである。 〜この町の出来事は全て真実である、が、唯一つだけ嘘がある。・・・
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それぞれ、20才、19才、17才前後。 TVスタ−ト時代、清濁入り乱れ、出れば売れるという黄金期の始まりである。 〜この町の出来事は全て真実である、が、唯一つだけ嘘がある。それはインディアンが日本語をしゃべることである。〜 ストーリーは、見ての通りである。面白く出来ている。3/10点。
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[028]にっぽん美女物語
 研ナオコfuji37762009-08-13
 
ナウな女、ヒラメ。 あこがれのアマゾン石油。 主役、研ナオコ20歳前後。 アイドルと呼ぶにはどうかと、しかしタイトルにはちゃんとうたっている。 映画は比較的よく出来てい・・・
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ナウな女、ヒラメ。 あこがれのアマゾン石油。 主役、研ナオコ20歳前後。 アイドルと呼ぶにはどうかと、しかしタイトルにはちゃんとうたっている。 映画は比較的よく出来ていて、おかしく楽しめる。 アイドル映画では上等、3/10点。
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[029]私が棄てた女
 全てが私fuji37762009-08-06
 
「吉岡」は、私である。 「ミツ」は、私である。 「マリ子」は、最後に私である。 「異性を求めたのは」、私である。 「野心」は、私である。 都会にあこがれた「田舎者」は、・・・
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「吉岡」は、私である。 「ミツ」は、私である。 「マリ子」は、最後に私である。 「異性を求めたのは」、私である。 「野心」は、私である。 都会にあこがれた「田舎者」は、私である。 「マリ子」を求めた、「吉岡」は「ミツ」でもある。 「私が棄てた・・・もの」、とは? 「ミツ」の唄う「新相馬節」、カラーでよみがえる故郷は、圧巻である。 「ドドンパ娘」泣ける。 この映画は素晴らしい。 ただただ見るのみ。。(9/10点) 当時は、監督には、流行だったのか? 最後のカラー場面だけは、賛成できない。
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[030]青春の門
 サユリスト!fuji37762009-08-03
 
 強烈なアンチ巨人、それだけで監督と私との共通は無限に広がる思いです。8/10点。  多くを語るのをやめましょう、吉永小百合、結婚後30歳前後、これまでのいずれの映画で・・・
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 強烈なアンチ巨人、それだけで監督と私との共通は無限に広がる思いです。8/10点。  多くを語るのをやめましょう、吉永小百合、結婚後30歳前後、これまでのいずれの映画でも酒のつまみのようにしか描かれないアイドル有名女優に、キューポラの少女を投影してみたところで始まらない、浦山は懲りずに夢千代日記でも吉永を使っている、数多くの映像の中でもキューポラ以外に評価されない大根女優にこうまで拘泥するからには、単に時のアイドル女優以上の何かを、恥ずかしくも隠し持っていたのではないだろうか、田舎出の名古屋帝大卒の青年が、東京の山の手育ちの美少女を、いかに扱ったかがうかがい知れる・・・サユリスト。  映画は、「私が棄てた女」(9/10点)でも述べますが、気になるしゃれこうべの二つのシーンを除けば、地方出の青年の旅立ちを完璧なまでに描いていて、私にはうらやましい青春映画です、この続編はさらによく出来ています・・。  この「青春の門」は日本映画の粋が感じられ、次回作同様ただただ見るのみです。
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