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 「o.o」さんのコメント一覧 登録数(352件)rss
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[001]浪華悲歌
 格下o.o2018-08-06
 
同年 (昭和 11 年) に公開された『祇園の姉妹』とそっくりな映画でした。舞台と主人公の職業は違えども、女性として社会的に弱い立場の主人公が、男を利用して生き抜こうとする・・・
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同年 (昭和 11 年) に公開された『祇園の姉妹』とそっくりな映画でした。舞台と主人公の職業は違えども、女性として社会的に弱い立場の主人公が、男を利用して生き抜こうとするが、最後は復讐されて終わるというストーリーはほぼ同じです。また、どちらも主演が山田五十鈴で、その他の出演者もかなりかぶっているので、同じ映画を見ているようでした。ただ、『祇園の姉妹』の方は人間喜劇的なユーモアがあったのに対して、本作品にはそれがほとんど感じられず、全体的に暗いタッチの映画となっています。それにしても、主演女優の山田五十鈴がこの時点でまだ 19 歳だというのには驚きました。 恥ずかしながらこれまで溝口健二のことを関西人なのだと勘違いしていました。ところが実際は、東京生まれの東京育ちで、関東大震災をきっかけに活動拠点を関西に移したのだそうです。東京人だからこそ、よそ者の眼で関西人自身には描けなかった関西人のリアルな姿を描写できたということで、確かに、この映画では、昆虫の生態でも観察するかのように大阪人たちの姿をクールに描いています。まあ、大阪人に大阪を舞台にした映画を撮らせたら、どうせと言ってはなんですが、大阪すっきゃねん的な自画自賛映画にしかならないだろうなと思います。 とにかく、これだけ見ていて気持ちのいい人物というのが一切出てこない映画も珍しいんじゃないかと思います。この映画に出て来る大阪人、とくに大阪の男たちは、そろいもそろって卑劣で、臆病で、相手が格下だとすぐに付け上がり、格上にはひたすらへり下るという感じで、溝口監督ってよほど大阪人が嫌いだったんじゃないかとつい思ってしまいます。『祇園の姉妹』の京都人には、まだ多少は愛嬌というものが感じられたのに対し、この大阪人たちには、独特の「ねばっこい冷淡さ」とでも言うべきものしか感じられません。何が「人情の街」だという話です。 東京人のクールな眼が暴いた大阪のねばねば文化、という感想です。
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[002]君がいた夏
 団地o.o2018-07-23
 
若いころ野球の才能を期待され、プロになったものの大成することなく引退を迎え、今は堕落した生活を送る中年男、ビリー。そのビリーのもとに実家の母親から電話が入る。少年時・・・
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若いころ野球の才能を期待され、プロになったものの大成することなく引退を迎え、今は堕落した生活を送る中年男、ビリー。そのビリーのもとに実家の母親から電話が入る。少年時代からの知り合いで、今も忘れ難い年上の女性、ケイティが拳銃自殺したのだ。遺灰の処分の仕方ならビリーが知っているという遺言を残して。ケイティとの思い出を回想しながらビリーは故郷へと向かう。遺灰をどうすればよいのか皆目見当がつかないまま・・・ これはもう傑作でしかありえないだろうと、期待にぷるぷる体を震わせながら見始めたのですが、どうしたことか、いくら待ってもいっこうに面白くなる気配がなく、それでもいつかは挽回するはずだとじっと我慢していたのですが、後半戦に差し掛かったところで、これもう駄目かも分らんねという感じになり、最後は案の定、墜落してしまいました。なんでなんでとひっくり返って手足をばたばたさせたくなってしまった次第です。 つまらない映画の多くはそうだと思いますが、焦点が合っていないというか、ずらずらとエピソードが並列に並べられ、どのエピソードが重要でどのエピソードはそうでもないという遠近感がなく、結果として、非常に散漫な印象となってしまっています。まずもって「遺灰の処分」に焦点を当てて、それを中心とした構成にすべきだと自分は思いますが、ぜんぜんそうなっていません。最後に主人公はケイティの意図を察するのですが、大した説得力がなく、つまりません。 ジョディ・フォスターが演じるケイティについては、自由を愛し、世間からはみ出し気味で、年下の主人公には優しい女性というキャラクターは良かったと思います。まだ子供だった主人公にペンダントをプレゼントして、高校生となった主人公がそれを初体験の相手にあげたことを聞いて一瞬軽く嫉妬するというエピソードが好きです。また、主人公にとって、単に憧れの人というのではない、あいまいで、微妙な、しかし心惹かれてしまう感じも共感できました。しかし、いかんせん各場面での演出が面白くなく、それほど鮮烈な印象を残せていません。これは致命的です。 なお、自分が子供の頃住んでいた団地の隣の家にも、年上のお姉さんというのがいましたが、とんでもない意地悪女で、懐かしくも何ともありません。どうでもいいでしょうが。
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[003]愛のめぐりあい
 回復o.o2018-07-09
 
いったいこれは・・・。物語の切れっぱしのような男と女の 4 つのエピソードから構成されるオムニバス映画なのですが、どれもこれも面白いとか面白くないとかという以前の問題・・・
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いったいこれは・・・。物語の切れっぱしのような男と女の 4 つのエピソードから構成されるオムニバス映画なのですが、どれもこれも面白いとか面白くないとかという以前の問題というか、ぎょっとするほどひどいです。最悪なのはソフィー・マルソーが出てくるエピソードで、映画監督である「私」に父親を殺したと告白した後、なぜかセックスするだけ。本当にそれだけなのです。他の 3 つも悶絶級につまりません。それでいて、この豪華キャスト。異常です。 しかしこの映画、やたらと女優が脱ぐ映画で、4 つのエピソードのうち、3 つのエピソードで、主演女優が見事に素っ裸になります (どうせなら 4 つともそうしてほしかったです)。ソフィー・マルソーがかくも大胆かつ長々とヌードになるのを見れるとは。お芸術映画っぽい雰囲気にかこつけて、女優を脱がせるためだけに作っているのではないのか。そこだけは評価できます。 何でも、脳卒中から回復した有名な映画監督の作品だそうですが、ぜんぜん回復していないんじゃないかと思った次第です。
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[004]吸血鬼ノスフェラトゥ
 常識o.o2018-06-18
 
公開時には映画館で失神者が続出。恐怖で外に逃げ出した観客も多数とか。現代の観客でこれを見て失神する人は皆無だと思うし、ちょっと信じられない感じがするのですが、当時実・・・
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公開時には映画館で失神者が続出。恐怖で外に逃げ出した観客も多数とか。現代の観客でこれを見て失神する人は皆無だと思うし、ちょっと信じられない感じがするのですが、当時実際に続出したということは、2018 年の人間と 1922 年の人間とでは感覚が相当に違うんでしょうな。これは恐怖だけでなく、色々なものに対する感性が違っていたんだろうなあと思います。 当時映画は「見せる映画」から「語る映画」へと進化しつつあったそうです。確かにこの映画も、それより古い映画より、物語る技法が進歩しているような気もします。特に、遠いペンシルヴァニアから得体のしれない邪悪なものがドイツの小さな町に刻一刻と迫って来る感じとか、当時の人にとっては新鮮だったろうなと思います。ただ、まだまだ雑な感じは否めません。 吸血鬼ノスフェラトゥは、何だお前はという感じですが、夜に主人公がドアを開けると、建物の奥の方に眼を見開いて立っているシーンはちょっと不気味でした。失神はしませんでしたが。この吸血鬼がなぜ存在して、何を目的にしているのかについて、ほとんど説明はないのですが、むしろそれは良かったんじゃなかったかなと思います。人間の理解を超えたものこそが怖いのであって、合理的に説明できるものは大したものではありません。 一度噛まれてしまった主人公は後で吸血鬼になるんだろうとつい思ってしまいましたが、「吸血鬼に噛まれると噛まれた者も吸血鬼になる」という常識(?)はまだなかったようです。町の住人が次から次へと死んでいくのですが、これは吸血鬼と共にやって来た疫病によるものです。「噛まれると吸血鬼になる」というアイデアはいつ確立したのでしょうか?伝染病のイメージから来ているのでしょうか? ホラー映画の始祖鳥、という感想です。
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[005]クィーン
 総本山o.o2018-06-04
 
期待していたほど面白くはありませんでした。何より映画的スケールというものがまったく感じられず、途中、あれひょっとしてこれテレビ映画だったかなと本気で疑ってしまったほ・・・
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期待していたほど面白くはありませんでした。何より映画的スケールというものがまったく感じられず、途中、あれひょっとしてこれテレビ映画だったかなと本気で疑ってしまったほどです。また、ダイアナ元皇太子妃の事故死を巡り、哀悼の意を表明することを拒む王室と、そんな王室に対して日に日に高まる大衆の怒りを懸念する政府が綱引きをするという話なのですが、その駆け引きも特にスリリングという訳ではありません。そもそも題材となるダイアナ事件が、それによって国際情勢が変わるような話ではなく、どうも英国人の内輪話という感じがしていまひとつ乗れませんでした。全体的に冷め切ったピザみたいな印象を受けたというのが正直なところです。 ただ、外国人としては、普段は見れないイギリス王室のあれこれをのぞき見できたのはよかったです。首相就任式で、新首相が女王の前に膝まづいて手にキスをするなんて、まだやってるんですな。また、あんな広大な土地を使った鹿狩りなどを未だにやってるとは。ジープが故障して 1 人取り残されたエリザベスの前に、大きな鹿が現れてその美しさに息を呑み、その後、頸を切られて吊るされているその鹿を見てショックを受けるというのが、この映画で一番印象に残ったエピソードです。なお、これがエリザベスの考えを変える 1 つのきっかけとなります。 王室のエリザベス女王に対して、政府側のカウンター パートがトニー・ブレア首相となるのですが、すごく好人物として描かれています。ブレアなんてぜんぜん印象に残っていないのですが、20 世紀における最年少の英国首相(43 歳)で、当時は新しい英国を象徴する存在としてすごく期待されていたんですな。エリザベスとブレアが親し気に言葉を交わしながら歩くシーンで終わりますが、これは、これからは旧いイギリスと新しいイギリスが共に協力し合って歩んでいくのだというメッセージであると思われます。 映画では、ダイアナのスキャンダルは品格を尊ぶ英国王室としては異例のことであり、これも時代の変化だということになっている訳ですが、でも歴史を素直に振り返れば、裏切り、陰謀、暗殺と、王室なんてもともとは「スキャンダルの総本山」みたいな場所ではなかったでしょうか。で、そのダイアナの息子ヘンリー王子とメーガン・マークルの例のロイヤル ウェディングです。今からスキャンダルが期待される訳ですが、むしろスキャンダルこそが王室への興味を掻き立て、最終的には王室を活性化させることにつながるだろうと予告しておきます。ダイアナの時がそうであったように。
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[006]愛の風景
 適応o.o2018-05-14
 
20 世紀になったばかりのスウェーデンが舞台なのですが、まずもって思ったのが、スウェーデン人ってロシア人っぽいよなということです。もし、ロシア映画だと言われていたら、・・・
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20 世紀になったばかりのスウェーデンが舞台なのですが、まずもって思ったのが、スウェーデン人ってロシア人っぽいよなということです。もし、ロシア映画だと言われていたら、素直にそう思って観ちゃったであろうという自信があります。何か陰鬱な気分がつねに鉛のように底に溜まっている感じで、主人公も暗いです。それにしても、形式ばって権威主義的な王室、厳しい階級社会、ド貧乏な下層階級、冷酷な資本家、労働争議等々、昔のスウェーデンって、こんな国だったんですな。イメージ違うぞスウェーデン。 結局、「信仰というものの虚しさ」もしくは「沈黙する神」ということではないでしょうか。牧師である主人公のヘンリクは、ほとんど狂信的と言ってもよいほど信仰に厚い人物ですが、その信仰心は残酷なまでに誰も救うことがありません。女房も、親も、村人も、引き取った子供も、労働者も、資本家も、そして何より本人もです。そしてついに信念を曲げ、女王直属の病院つき牧師への誘いを受けた時、初めて救いの光が差し込んだように見えるのは皮肉なことです。 、 女房であるアンナの心の変化が見どころだと思います。母親の大反対を押し切って結婚。僻地での貧乏暮しに衝撃を受けながらも、やがて牧師の妻として、母親として、大地に根を張るかのように適応していくが、色々なことが重なり、ついには心の中で何かがポキリと折れる。あれほど親身に世話していると思っていたよその家の子供について、「好きになれないのよ」「彼の卑屈な目を見ると腹が立つの」と冷たく言い出し始める場面がけっこう衝撃です。 王室病院の牧師に就く (つまり豊かな暮らしができる) 話を聞いて、手の平を返したように夫を再び受け入れるアンナを、責める気にはなれませんでした。神などいないのかもしれない。それとも天から人間の右往左往を天から物言わずじっと見つめているのか。神の沈黙が大地に重くのしかかる、という感想です。
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[007]ウォルト・ディズニーの約束
 企業理念o.o2018-03-26
 
1964 年の映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話という趣向の作品でした。原題が『Saving Mr. Banks』(バンクス氏を救済する) で、『メリー・ポピンズ』に出てくるらしい、「バン・・・
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1964 年の映画『メリー・ポピンズ』の製作秘話という趣向の作品でした。原題が『Saving Mr. Banks』(バンクス氏を救済する) で、『メリー・ポピンズ』に出てくるらしい、「バンクス氏」というのが実は、哀しい死に方をした原作者の父親を投影したキャラクターだったということなのですが、『メリー・ポピンズ』を見たことがなく、それがどんな話かも知らないまま見てしまったのが残念です。知っていて見ていたなら、もっと途中で気付くこともあったろうなと思います。 「あなたは自分を "別の誰か" に創り上げた」というウォルト・ディズニーのセリフがすべてだと思います。神経質で、不自然なまでにイギリス風にこだわり、アメリカ風なものを毛嫌いする、とことん嫌な感じの主人公 P.L.トラヴァース。しかしその人格は、少女時代に負ったトラウマから身を守る鎧のようなもので、同じくつらい少年時代の記憶を持つウォルトの説得によって、ついに過去から解放される、というドラマでした。感動的ではありましたが、ただ、クライマックスへのもって行き方は、鮮やかとは言えなかったなと正直思っています。 エマ・トンプソンはベテラン女優らしい、プロフェツショナルな演技でしたが、トム・ハンクスも良かったと思います。物腰柔らかく、暖かみがあり、それでいて、やると決めたら必ずやるという頑固さを持つ、苦労人ウォルト・ディズニーをよく演じていたのではないでしょうか。名演技をしてやろうという気負いを感じさせない、控え目な演技に好感が持てます。もっとも、これはディズニー映画なので、あまり派手に、立派な人風に演じると嫌味になってしまうという判断もあったんじゃないかなと推測します。 色彩が鮮やかで美しい映画だなと思いました。さすがディズニーというところでしょうか。それとも最近の映画ではこれが普通なのでしょうか。古い映画ばかり見ているもので。ところで、色彩と言えば、トラヴァースが、この映画ではいっさい赤は使いたくないと突然言い出して、周囲を困惑させるというエピソードがありましたが、考えてみると、その「赤」というのは、父親が吐いた血の色を思い出したということだったのだなと、見終わった後に気が付いた次第です。 私たちは物語の力を信じますという、ウォルト・ディズニー社の企業理念の表明、という感想です。
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[008]愛の奴隷
 ビッチo.o2018-03-12
 
軍事政権下のチリを舞台背景として、裕福な家庭に育ったお嬢様が親に背いてレジスタンスの若者と恋に落ち、レジスタンス活動に参加するが・・・というストーリーが『愛と精霊の・・・
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軍事政権下のチリを舞台背景として、裕福な家庭に育ったお嬢様が親に背いてレジスタンスの若者と恋に落ち、レジスタンス活動に参加するが・・・というストーリーが『愛と精霊の家』(1993) に似ています。しかも、そのレジスタンスの若者がまたしてもアントニオ・バンデラスなので、同じ映画を 2 回見ているような気分になってしまいました。主人公の追憶という形で最初と最後にナレーションが入るのも、2 人で国外へ脱出するラストも同じです。 ただ、こちらの方がだいぶレベルは落ちます。全体的に何か素人っぽい感じというか、不自然さが付きまとっていて、あまり先進国の映画という感じがしません。軍部による一般人虐殺の証拠を発見した二人。古い坑道の中の大量の死体を見て衝撃を受け、外に出て二人は抱き合う。そこまではよい。そこまではよいですが、何でその後すぐ野外セックスが始まってしまうのでしょうか。変です。ただ、ごりごりのファシストだった主人公の元フィアンセが、拷問を受けても彼女をかばって口を割らないというエピソードにはちょっと感動してしまいました。 ジェニファー・コネリーなんて、何かすごく懐かしい感じがします。役柄同様、いかにも育ちの良いお嬢様という感じで、実際、イェール大学とスタンフォード大学で学び、英語は当然ながら、フランス語もイタリア語もぺらぺらなんだそうです。でも今の時代、こういう育ちの良さって、芸能人としては必ずしもプラスにはならないんでしょうな。今は、本当は育ちが良くても「私は荒廃した家庭で育ったビッチよ」風に売り出す方が好感をもたれるのだとか。アメリカ、変わり過ぎです。バンデラスの方はスターになる一歩手前という感じでした。 社会派映画の体裁をいちおうは取っているものの、その実態は、ほんのちょっとだけあるジェニファーのお色気シーンが売りの二流ラブ ロマンス映画、という感想です。それにつけても『愛の奴隷』はないよなあ (原題は『Of Love and Shadows』)。
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[009]キッド
 カンフーo.o2018-02-26
 
撮り直しに撮り直しを重ね、上映時間 68 分の映画にかけた製作期間は 9 か月、撮影したフィルムの長さは公開された部分の 53 倍にも及んだのだそうで、確かに隙がないとうか、・・・
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撮り直しに撮り直しを重ね、上映時間 68 分の映画にかけた製作期間は 9 か月、撮影したフィルムの長さは公開された部分の 53 倍にも及んだのだそうで、確かに隙がないとうか、すごくパーフェクトな感じがする映画でした。世界中で大ヒットしたというのも納得です。ただ、つるつるした球体みたいで引っ掛かりがないというか、完成され過ぎて逆に物足りなさを感じてしまったと言ったらバチが当たるでしょうか。少なくとも、ものすごく面白いとまでは思わなかったというのが正直なところです。 当然の話なのかもしれませんが、やはりチャップリンの真骨頂はアクションだなあと思いました。ジャッキー・チェンは、サイレント映画を研究して自分のスタイルを確立したそうですが、何かすごく分かるような気がします。アクション シーンにカンフー風味を加えたら、ジャッキー映画になるかもしれません。子供を奪われた主人公が、屋根伝いに車を追って走り、荷台に飛び降り、相手を車から落として子供を奪回するというシーンがありますが、こんな場面など、今まで何度繰り返されたことでしょうか。 ジャッキー・クーガンは、天才子役としか言いようがありません。思うに天才子役というのは演技の上手さがどうのという前に、子供のくせに何か人の哀しみみたいなものを漂わせているような気がします。それはあくまで意識したものではないので、成長してしまうと、普通の役者になってしまうことが多いのだと思います。実際、一時期国際的なスターとなった彼も、大人になってからは平凡な役者になってしまったようです。ところで、名も知らぬ赤ん坊役が、オヤジみたいな顔でぜんぜん可愛くないというのはいったいどういうことでしょうか。赤ん坊って普通どんなのでも可愛いもんだよなあ。 お話の内容はあまりにも素朴で、これで感動しろと言われても困ってしまいますが、ただ、少年時代、どん底の貧乏生活を送り、あまりの困窮ぶりに母親が精神的におかしくなってしまって孤児院に入れられたということや、本作品の製作前に、生後たった 3 日で子供を失くしてしまったことなど、チャップリンの実人生を知ると、彼がこの作品に込めた想いが分かるような気もします。『The Kid』とは、かつてのチャップリン自身であり、同時に、亡くなった子供の成長した姿ってことなんだろうと思っています。 この映画を撮影した時、チャップリンは離婚問題等を抱えてスランプに陥っていたそうです。チャップリンが人生の苦境期に見た幸福な夢、という感想です。
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[010]グラン・トリノ
 基盤o.o2018-01-29
 
朝鮮戦争の帰還兵で、フォードの工場に定年まで勤め、今や妻を亡くして一人で暮らす老いた男。世の中の何もかもが気に入らない。特に最近街に増え続けているアジア系には。そん・・・
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朝鮮戦争の帰還兵で、フォードの工場に定年まで勤め、今や妻を亡くして一人で暮らす老いた男。世の中の何もかもが気に入らない。特に最近街に増え続けているアジア系には。そんな、アジア人に対する嫌悪を隠さない老人コワルスキーが、あることをきっかけに図らずも隣に住むモン族の一家と交流することになる。少年タオとその姉スーとの触れ合いを通じて次第に実の家族以上に彼らに親しみを持つようになった男は、彼らの苦境を知り、ついには命を懸けて彼らを救うことを決意する・・・ 物語の構造はやはりヒーロー物だと思います。ただ、クリント・イーストウッドもすっかり歳をとっているし (78 歳)、さすがにダーティー・ハリーとはいきません。そして、『ダーティー・ハリー』(1971) の時代とはすっかりアメリカも変わってしまいました。街ではヒスパニック、黒人、そして何よりアジア人が幅を利かせ、馴染みの病院に行ってみれば、担当医が変わっていて、やっぱりアジア人。敵はマシンガンで武装したアジア系ギャングで、ついでに息子は日本車のセールス マン。白人の影はすっかり薄くなってしまっています。 アジア人を「swamp rat」(湿地帯に住むネズミ野郎) と呼んではばからなかったコワルスキーですが、最後は、「white-trash hillbilly 」(くそったれのゴミ白人) みたいに変なペイントをしたりしなければ友である君に譲ろうと、愛車であり、古き良きアメリカの象徴であろうグラン・トリノをモン族の少年タオに託します。そう聞くと、いかにも今やヒステリーと化している「政治的正しさ」 (Political Correctness) に配慮したドラマみたいに思えるかもしれませんが、そうではないと思います。それどころか、「そうじゃない」ということこそが、この映画のメインの主張であるとさえ思えます。 コワルスキーが「人種差別主義者」だったかというと、そうではなかろうと思います。彼がアジア人を嫌っていたのは、何より朝鮮戦争で少年兵を殺したというトラウマに苦しんでいたからであり、グラン・トリノをアジア人の少年に譲ったのは、他の誰でもないその少年との間に友情を感じたからです。大切なのは政治的建前じゃないんだ、色々な事情というものを抱えた個人と個人の友情なんだ、と言いたいのだろうと思います。そう意味でこの映画は、そういった「色々」というものを単色のイデオロギーで塗りつぶす PC に対するアンチであるように思えます。 考えてみれば、『ダーティー・ハリー』も、当時猛威を振るっていたリベラリズムへの怒りが基盤にあった映画だったのでした。この映画もたぶんそうです。ダーティー・ハリーは死なず、という感想です。
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[011]愛の地獄
 水気o.o2018-01-15
 
ある若くて美しい女性と結婚した小さなホテルの経営者が、妻が浮気をしているのではないかという妄想に取り付かれ、次第に狂気に陥っていくというお話なのですが、ストーリー (・・・
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ある若くて美しい女性と結婚した小さなホテルの経営者が、妻が浮気をしているのではないかという妄想に取り付かれ、次第に狂気に陥っていくというお話なのですが、ストーリー (出来事) がただそこにあるだけで、プロット (出来事の提示の仕方) にまったく工夫がない、平べったーく、悶絶級につまらぬ映画でした。最初のシーンでなんかつまらなそうだなと直感したのですが、その直感は間違っていませんでした。「早く終わんないかなあ」と思いながら見るのは久しぶりですが、これも修業です (何の?)。 たぶんこの映画の売りは主演女優であるエマニュエル・ベアールの色気ということになるんじゃないかと思いますが、大したシーンがある訳ではありません。フランスでは人気女優なのかもしれませんが、あまり好きなタイプではありません。花に例えれば、水仙だとかスミレだとかのぺしゃっとした水気の多い花という感じで、自分はバラ科の花のような乾いたタイプの花が好きなのです。でも、どうしても付き合いたいというのなら、検討してあげてもいいです。 主人公がなぜかくも妄想に取り付かれてしまったのかについてはまったく不明です。そもそも浮気を疑い始める前から鏡にむかって頭の中の誰かとぶつぶつ喋っており、女房がどうのということとは関係なく最初から狂気の芽があったことは間違いありません。その声がだんだん大きくなっていってまるで別人のようになってしまい、最後は、何かが解決される訳でもなくおしまい、という陰気な映画です。合理的な理由もなく狂ってしまう人間の不思議さがテーマと言えば言えるのかもしれませんが、それにしても面白くありません。 これでいいのかフランス人、という感想です。
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[012]祇園の姉妹
 誕生o.o2017-12-25
 
昭和 11 年の芸者ガールを描いた映画でした。世間というものを何より重んじながら生きる姉と、世間を憎み、したたかに利用して生きてやろうという妹の話なのですが、この映画、・・・
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昭和 11 年の芸者ガールを描いた映画でした。世間というものを何より重んじながら生きる姉と、世間を憎み、したたかに利用して生きてやろうという妹の話なのですが、この映画、全体的には人間喜劇風で、主人公があれよあれよと男たちを手玉に取る過程を楽しく見ていられるのですが、最後になって急にシリアスになり、実に暗い終わり方で、それまで笑っていた顔が固まってしまいました。ちょっとバランスがおかしくないかと思わないでもありません。 この映画は、祇園で暮らす芸妓のリアルな生態を描いたということで、当時の祇園からは、商売の邪魔をするなとけっこうな反発を受けたとか。主人公の行動もさることながら、芸妓たちが置屋でいかにもだらしなく寝そべっている姿など、当時としては見たくないものだったのかもしれません。ちなみに最後のセリフは、「なんでこんな芸妓みたいな商売、この世の中にあるんや。なんでなくならんのや。こんなもんなかったらええねん!」です。 しかし、自分がこの映画で一番印象に残ったのは、全編で交わされる戦前の関西弁というか京都弁です。自分は思いっきり関東人なので、まるで外国語を聞いているかのようなのですが、それでいて意味が分かってしまう言葉の不思議さを感じずにはいられません (「え、何だって?」という箇所も多々ありましたが) 時に柔らかく、時に冷たく、くるくるとその色あいを変えながら流れる言葉の数々は、聞き飽きることがありません。 「溝口リアリズムの誕生」だそうです。正直、日本は「書き割り」だらけの国だと思っています。映画には 2 種類あるのではないでしょうか。「書き割り」を立てる映画と「書き割り」を倒す映画と。リアリズムによって「書き割り」がすべて倒されたとき、その外側にはいったいどんな風景が広がっているのでしょうか?
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[013]この道は母へとつづく
 確率o.o2017-12-11
 
ロシアを舞台にした映画というのなら今までいくつか見てきたかと思いますが、ロシア人自身が作ったロシア映画というのは、考えたら、なんと『戦艦ポチョムキン』(1925) 以来で・・・
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ロシアを舞台にした映画というのなら今までいくつか見てきたかと思いますが、ロシア人自身が作ったロシア映画というのは、考えたら、なんと『戦艦ポチョムキン』(1925) 以来です。あれから 80 年 (2005 年)、21 世紀のロシアは・・・あいかわらず悲惨だねえ。人情もあるのですが、基本的には貧しく、殺伐とした世界です。ロシアって、奴隷制があった帝政ロシアから共産主義国家に移行し、やっとそれから解放されたと思ったら、グローバル経済の荒波にさらされてマフィア国家になっちゃった訳で、「いい時代」なんて経験したことがないんでしょうな。そりゃ目つきも暗くなるはずです。 まずは、子供たちでごった返す孤児院の様子が描写されます。その主たる目的は外国人に養子として高く売りつけることであるのは明らかで、子供たちは独自のルールを作り、ミニ マフィア化しています。貧しき者たちがネットワークを作って相互に助け合う社会こそ美しい社会だみたいな言葉を特にボンクラ インテリゲンチャを中心によく聞きますが、それは「社会がマフィア化する」ということでもあると知るべきです。お前はイタリアに行った方が幸せなんだと主人公を説得しようとする孤児院の院長は、まずもって金の事が頭にあるのは間違いないにしても、その言葉には、必ずしもそれだけではない真情が混じっていたようにも思えます。 やがて主人公は、不良少女の助けを借りて母を訪ねて三千里に出発するのですが、下手なドキュメンタリーよりも、今のロシア人が暮す世界というものを、少年の眼を通して直観的に教えてくれたような気がします。ロード ムービーにありがちな、だらだらした作りではなく、しっかりしたプランに基づいて作られているらしいところに好感が持てます。今頃リンチにかけられているであろう少女が、信用されるからといい服と本を買ってやったことが後々効き続けて、いいとこのお坊ちゃまと勘違いされて大人たちから色々助けてもらえる、というところがうまいと思いました。読みもしない大きな本を、後生大事に抱えている姿がけなげです。 どうせ切ない終わり方なんだろうと思っていたら、まさかまさかの結末で、意表を突かれました。これはいくらなんでもファンタジーだよなー、なんて思っていたら、実話を基にしているのだそうで、二度びっくりです。でも実際どうなのでしょうか。あのイタリア人夫婦はとくに悪い人間には見えませんでした (マフィアだったりして)。あのままイタリアに行った方が、豊かな生活ができて高い教育も受けられたろうし、結局は幸せになれる確率が高かったんじゃないかと思わないでもありません。どうしてもお母ちゃんに会いたいというのなら、その後でもいい訳であるし。 ロシアに限らず、一国単位でみんながそこそこ豊かになれる時代なんて、20 世紀で終わったのかもしれません。世界はすべて「ロシア」になるのではないか。そんなことを、ふと思った次第です。
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[014]愛の拘束
 東南アジアo.o2017-12-04
 
とある理由によりアメリカ本国にはいられなくなり、船員となって船に乗り込んだある男が、寄港したメキシコの街で殺人事件に巻き込まれ、容疑者として警察に追われることになり・・・
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とある理由によりアメリカ本国にはいられなくなり、船員となって船に乗り込んだある男が、寄港したメキシコの街で殺人事件に巻き込まれ、容疑者として警察に追われることになり、逃亡の途中で怪しいカップルと出会って行動を共にすることになるが・・・というお話なのですが、ストーリーテリングでハラハラさせるよりも、三人の三角関係をねちっこく描くというタイプの映画でした。なお、邦題は思わせぶりなタイトルですが、原題は『THE WRONG MAN』(間違えられた男) で、SM 映画ではありません。念のため。 話の流れは大体において予想通りでした。どこかネジが外れていて、いい加減で、時に暴力的で、弁護士を自称してはいるものの、いかがわしい商売で生計を立てているのは明らかなフィリップが、最後はある種の人間的な魅力を発揮し、主人公と一瞬心を通わせるのだろうと思っていたら、案の定そうでした。こういった、クズ人間がふと見せる高貴さみたいな話、嫌いではありません。ただ、フィリップに比べて、主人公があまりにも個性と魅力が欠けており、薄い印象しか残らないのが何より残念です。 ロザンナ・アークエットが演じる、剥いても剥いても嘘ばかりで、何を考えているんだかさっぱり分からない女って、現実にもいると思います。何か重大な本音を隠しているんじゃないかとつい勝手に想像してしまう訳ですが、実はそんな大した本音などなくて、夫のフィリップが指摘する通り、自分でも言っていることが嘘か本当か分からなくなっているのだと思います。そして、その背後には、あまりにひどすぎて決して向き合いたくはない過去というものがあるという訳です。 見ていて思ったのは、アメリカにとっての中南米というのは、日本にとっての東南アジアみたいなものなんだろうなという事です。この映画の、人生どん詰まりな 3 人のように、様々な理由でアメリカにはいられない、あるいは生きていけなくなった訳あり男と訳あり女が流れ着く先になっているんだろうなと想像します。そんな「逃れの国」、あった方がよいと自分は思います。 結局のところ、全体的に安っぽい、名誉にかけてとても他人には勧められない二流ハードボイルド映画でした。それなのに、不思議と心に残ってしまった次第です。
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[015]散り行く花
 逆説o.o2017-11-13
 
この映画は、自身も莫大な借金を抱えるほどの膨大な製作費を使い、しかも興業的に大失敗し、さらには評価も散々だったらしい、狂ったような超大作『イントレランス』(1916) を・・・
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この映画は、自身も莫大な借金を抱えるほどの膨大な製作費を使い、しかも興業的に大失敗し、さらには評価も散々だったらしい、狂ったような超大作『イントレランス』(1916) を製作した D・W・グリフィスが、それを見て震えあがった映画会社に対して、自分も普通の映画を撮れるのだと示すために作ったのだそうです。私は決して気違いじゃないんだ、というところでしょうか。しかし、見事に大ヒットさせたということだから、さすが「映画の父」です。 当時、この作品によって映画は初めて芸術となったとさえ言われたほど評価が高かったそうですが、どうもピンときません。救いも解決もない、ただただ哀しいお話で、あんまり面白いとは思えなかったのが正直なところです。ただ、少女ルーシーと中国人チェン・ハンとの束の間の触れ合いの場面と、ルーシーの親父が出場するボクシングの試合の場面が小刻みに切り替わりながら同時進行するところは、いかにもグリフィスだなあと思いました。それにしても、当時のボクシングって、レフリーというものがいなかったんですな。 主演のリリアン・ギッシュは確かに美少女だとは思うし、当時は人気があったろうなあと推測しますが、何か「生ける人形」という感じで、ちょっと気味悪くさえあり、そんなに好きになれません。仏教の平和な教えを伝えるためにイギリスに渡り、夢破れて今は堕落した生活を送る中国人チェン・ハンは、リチャード・バーセルメスという白人の俳優が演じており、常にちょっと背を丸めて、卑屈な感じを出している演技は、今だったら確実に問題になるでしょうな。100 年前の映画だから仕方ないとは思いますが。 意外だったのは、この映画では「東洋 = 平和な文明」、「西洋 = 野蛮な文明」という構図をはっきり打ち出しているところです。上海で傍若無人に振舞うアメリカ人の水兵から、ロンドンのスラム街に暮す住民たち、そして、ルーシーをひたすら虐待して最後は殺してしまう親父まで、考えてみるとまっとうな西洋人というのは 1 人も出てきませんでした。こんな西洋人の自己批判とも言える内容の映画が、大ヒットしたというのも不思議な気がします。 もっとも、こういう自己批判的な映画を作れるというところが西洋文明の強さなんだろうなと思います。東洋人は、東洋文明を礼賛する映画はいくらでも作れるでしょうが、東洋は野蛮な文明だなどという映画は、まずは作れないであろうからです。その逆説を知るべきだと思う次第です。
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[016]潜水服は蝶の夢を見る
 アニマル浜口o.o2017-10-23
 
フランス人ってさすがだなと素直に思ってしまいました。全身不随で片目だけしか動かせず、まばたきと単語表を使ってしかコミュニケーションをとれなくなってしまった男を描いた・・・
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フランス人ってさすがだなと素直に思ってしまいました。全身不随で片目だけしか動かせず、まばたきと単語表を使ってしかコミュニケーションをとれなくなってしまった男を描いた作品など、間違って日本人監督なんかに撮らせたりでもしたら、感謝、感謝、すべてのものに感謝だ的な、かんべんしてくれよというアニマル浜口映画になってしまうことは火を見るより明らかです。また、アメリカ映画だったら、過剰にドラマチックで、日本映画とはまた違った形で暑苦しいものになったのではないかと思われます。しかし、このフランス映画は違いました。 絶望や悲しみ、支えてくれる者への感謝の念といったことは、もちろんこの映画にだってあるのですが、何よりかにより、こんな状態になってまで、あくまで主人公が享楽的なところが素晴らしいです。とにかくこの男、生来のスケベ男で、自分の恐るべき境遇に気付いてまだ 1 日目で、絶望的な気分になっているくせに、視線はもう美人スタッフたちの胸元をじろじろのぞき込んでいるのだから恐れ入ります。なぜかいつも美女に囲まれ、また、金も教養も社会的な地位 (有名ファッション雑誌の編集長) もある男なので、可哀そうではあるのですが、決して陰惨な印象にはならないどころか、ちょっと調子よくないかとさえ思ってしまいます。 病室に来た作業員の男たちが、ちょっとからかうようなジョークを言い、美人言語療法士が「それ冗談のつもり?」と、キッとなっている間、当の本人は心の中でそのジョークに大爆笑というシーンが好きです。また、その療法士から欲しいものがあるかと訊ねられ、「死」と答えると彼女が動揺して少し怒ってしまい、その翌日、「ありがとう (Merci)」と伝えると、彼女が「まあ」と照れつつ感動する姿を見せるというシーンがあります。日本映画だったら、まずはセンチメンタルな場面になるところですが、主人公が心の中で一言、「女って単純だな」 欠点もあります。構成がしっかりしておらず、ゆるすぎる感じがします。この映画は実話を基にしており、まばたきだけを使って本を一冊書き上げたという奇蹟的な達成に焦点を合わせるべきでしょうが、あまりそうはなっておらず、奇蹟を成し遂げたという高揚感がまったく感じられません。また、偶然とはいえ自分の身代わりになって 4 年間ベイルートで人質になってしまったという男や、別れた女房、そして愛人といった重要人物との関係性も、何かぼんやりしていて、表面をさらっと撫でただけの印象です。 主人公で、実在の人物でもあったジャン=ドミニック・ボービーは、現実でも、本が出版されてわずか 2 日後に亡くなってしまったのだとか。極限的な状況に陥ってもなお、最後まで女たちを愛し、家族を愛し、芸術を愛し、ひいては人生を愛した。そんな風に描いてやることが、彼らフランス人にとって、故人に対する最高の賛辞であり、哀悼の意の表し方なのだろうと受け取った次第です。
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[017]愛に迷った時
 怒りの葡萄o.o2017-10-16
 
ストーリーはまったく違うのですが、全体的な雰囲気が、以前見た『マグノリアの花たち』(1989) とすごくよく似ている映画でした。どちらも舞台はアメリカ南部。登場人物は、保・・・
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ストーリーはまったく違うのですが、全体的な雰囲気が、以前見た『マグノリアの花たち』(1989) とすごくよく似ている映画でした。どちらも舞台はアメリカ南部。登場人物は、保守的なライフ スタイルを愛する裕福な白人たちで、何より、南部って素晴らしい、という南部賛歌が基調にあるところが似ています。また、どちらの作品にもジュリア・ロバーツが出演 (本作品では主演) しています。それにしても、婦人会で出す料理本に載せる自分たちの名前について、主人公が、夫の姓に「Mrs. 」を付けるという習慣はもう時代遅れだから、フル ネームを載せましょうという提案をして、ちょっとした論争になるというシーンがあるぐらいだから、ずいぶん保守的な世界です。 南部女性の逞しさ的エピソードも『マグノリアの花たち』と同じです。男社会であるがゆえに女同士の結束が強く、浮気男の股間を蹴り上げて悶絶させるわ、家に入れずに馬小屋で寝泊まりさせるわ、挙句の果てには、懲らしめに少量の毒を飲ませるわと、色々やってくれます。なお、この映画のハイライトは何と言っても主人公の娘と父親が出場する馬術大会のシーンということになろうかと思います。ゆったりとして美しい映像で、馬っていいもんだなあと思わせてくれると共に、これが我々の伝統なんだという強い主張を感じます。 お話としては、夫の浮気を目撃した主人公のグレイスが娘を連れて家を飛び出してから、夫婦がよりを戻すまでのあれこれを描いたラブコメなのですが、編集がうまくないということなのか、いま一つキレがなく、もたもたしている印象です。ラストも、ダンス シーンでフィニッシュにしとけばいいのに、「あれ、まだ続くの?」という感じで、どうも締まりがありません。ジュリア・ロバーツは、何となく「強い女」というイメージを持っていましたが、少なくとも自分が見た映画の範囲では、自信がなく、オロオロと動揺するような役柄の方が多いような気がします。この映画でもそんなシーンが目立ちます。 思うに、この映画に出て来るような人たちがアメリカにおける本来の (理想の?) 「保守層」ではないでしょうか。受け継いできた遺産 (Heritage) を守り、伝統的なライフ スタイルを我がものとし、それを変えようなどとは夢にも思わない、そういう人たちです。本を読んで保守思想に目覚めましたといった類のチンピラとは出発点からして違います。もっとも、今や保守層と言えば、ド貧乏な「怒りの葡萄たち」みたいなのになっちゃってるのはご案内の通り。世も末ですな。そもそもお前たちに保守すべきヘリテージなんてあるのかと言ってやりたいです。俺もないけど。 なお、原題の『Something to Talk About』は、ボニー・レイット (歌手) の 1991 年のヒット曲から来ているようで、同曲はテーマ曲ともなっています。南部大好き系の、それほどは面白くないラブ コメディ、という感想です。
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[018]有りがたうさん
 先頭o.o2017-10-10
 
「有りがたうさん」のニックネームで皆から好かれている主人公が、伊豆地方ののどかな風景の中を、乗客を乗せてひたすらバスを走らせるだけという、異色の映画でした。のんびり・・・
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「有りがたうさん」のニックネームで皆から好かれている主人公が、伊豆地方ののどかな風景の中を、乗客を乗せてひたすらバスを走らせるだけという、異色の映画でした。のんびりムードで、ユーモアもあるのですが、底流を流れる感情は「さびしさ」だと思います。本作品に限らず、古い日本映画で感じることが多いこの「さびしさ」というのは考えてみると不思議なもので、西洋人の「孤独」というのとは、何かニュアンスが違うような気がしてなりません。 昭和 11 年を生きる日本人の息遣いが聞こえてくるような映画でした。浮かび上がってくるのは、とにかく不況であること、仕事もないのに子供ばかりが生まれてくること (「大きくなると男はルンペン、女の子は一束いくらで売られていくんですよ」)、そして貧しい家庭の娘たちが次々と都会へと売られていってしまうという現実です (「峠を越えて行った女は滅多に帰っちゃきませんよ」)。娘が売られて気が狂った男、金山に投資して破産した男、道路工事を渡り歩く朝鮮人の一団。こういう時代だったんだなあと実感できます。旅の途中、有りがたうさんが淡々と交わす様々な人との会話が胸にしみます。 それにしても、若き上原謙がこんなに日本人離れした色男だったとは知りませんでした。劇中でもモテていましたが、そりゃもてなきゃ嘘だよなあと思います。びっくりです。ただ、はっきり言ってセリフは棒読み風で、演技がうまいとは思えませんでした。ところが、普通ならそれではいけませんねで終わりなところが、その棒読み風のセリフが、何とも不思議な雰囲気を出していて妙に心地よく、この映画にはすごく合っていると思いました。意図してそう作っているのなら、すごいことです。 様々な人物がバスに乗り込み、去って行くのですが、何といっても魅力的なのが、「黒襟の女」です。色っぽく、姉御肌で、口の利き方は乱暴だけど、自然と人情味がにじみ出てしまう彼女は、もう一人の主人公と言っても過言ではありません。日が替わり、彼女がもう席にいないことに気付いた時、ああもう会えないのかと、何かぽっかりと穴が開いてしまったような気分になってしまいました。先頭の席に陣取り、いたずらっぽく微笑みながら後方を振り返る姿や、ふとさみし気な表情を浮かべる彼女の姿がいつまでも頭を去りません。 この国は言ってみれば、たまさか偶然乗り合わせた乗客と一緒に揺られる乗り合いバスのようなもの。愛すべし、このさびしき国日本、という感想です。 [参考情報:昭和 11 年のトピックス] - 軍事クーデター発生。齊藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監殺害 (ニ・二六事件) - 岡田内閣総辞職、広田内閣成立 - 軍部大臣現役武官制復活 - ロンドン軍縮会議脱退 - 日独防共協定調印 - 第一次北支処理要綱決定 - 米穀自治管理法公布 - 浅間山噴火 - 日本職業野球連盟結成 - 日劇ダンシング チーム デビュー
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[019]愛と精霊の家
 万引きo.o2017-09-19
 
狙うところは分かったような気がします。現実的なものと非現実的なものとが平気な顔をして混じり合い、愛と憎しみ、血、復讐、性、政治的動乱、そういったものが南米の大地で混・・・
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狙うところは分かったような気がします。現実的なものと非現実的なものとが平気な顔をして混じり合い、愛と憎しみ、血、復讐、性、政治的動乱、そういったものが南米の大地で混然一体となって大河のように滔々と流れていく、そんな世界を構築したかったんだろうと思います。思いますが、残念ながら明らかに力量不足で、そこまで濃厚な世界を生み出すには至っておらず、よくできた大河ドラマに止まっていると言わざるをえません。 ただし、大河ドラマとしては面白く、2 時間 19 分の上映時間はあっという間に過ぎてしまいました。因果応報的に、過去に起きたことは必ず未来に起きる何かにつながるという感じでストーリーが緻密に編み上げられています。普通に言ったら出来過ぎたお話しということになるのでしょうが、「物事と物事は関連し合っている」というクララのセリフがテーマだと考えれば納得がいきます。 主人公であるエステバンの人物造形はさすがだと思いました。裸一貫でのし上がってきた男で、頑固で、傲慢で、冷酷でもありながら、深い孤独を背負い、最終的には女房と娘の願いはすべて聞き入れてしまう、そんな男です。演じたジェレミー・アイアンズの演技は圧巻でした。紛うかたなき名優ですな。一方、メリル・ストリープ演じるところの女房クララは、性格も劇中における役割も何かぼんやりしてしまっています。超能力者という設定もぜんぜん効いていません。 豪華キャストの映画なのですが、1993 年の映画だからみんな若い若い。それを眺めるのも楽しいです。「Latin Lover」ことアントニオ・バンデラスも、まだ田舎の素朴なお兄ちゃんという感じです。あっ、万引き女優のウィノナ・ライダーだ!ゴージャスさには欠けるものの美人であることには変わりなく、この映画でも内側から輝いているかのようです。こんなに綺麗なのになんで万引きするかなー。 惜しい映画でした。ドイツ、デンマーク、ポルトガルの合作ということですが、ハリウッドで製作したらよかったのに、という感想です。
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[020]カリガリ博士
 テクノロジーo.o2017-08-28
 
ついに見ました『カリガリ博士』。事前にキャッチした情報によれば、1919 年にドイツで公開され、「表現主義映画」というジャンルを開拓して世界中に衝撃を与えたのだとか。第・・・
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ついに見ました『カリガリ博士』。事前にキャッチした情報によれば、1919 年にドイツで公開され、「表現主義映画」というジャンルを開拓して世界中に衝撃を与えたのだとか。第一次世界大戦後におけるドイツ映画の興隆を決定づけ、世界中で模倣者が続出、「カリガリスム」という言葉さえ生まれた、と聞けば、どんだけ凄い映画なのかと思わずにはいられません。で、期待に胸をスカーレット・ヨハンソン並みにふくらませて鑑賞を始めたのですが、実際見てみると、「あれれ、これが・・・衝撃?」と目が点になってしまいました。 何と言うか、もっとものすごく奇怪でグロテスクな映画なのかと思っていたのですが、ぜんぜん大したことがありません。あらゆるものがデフォルメされ、ゆがんだセットは、当時は驚きだったのだろうとは思うし、確かに印象的なのですが、何より不満なのは、期待していたカリガリ君が大して特異な個性を発揮する訳ではないという点です。博士に操られて殺人を犯す夢遊病者チェザーレもなんか弱々しくてまったく怖くなく、髪の毛を掴んで引きずり回せる自信があります。ただし、この映画は最後にどんでん返しが待っており、そこだけは、今まで見ていたものがすべてひっくり返る的な快感がありました。 ところで、1919 年は、ドイツで当時最も先進的な憲法と言われたワイマール憲法が成立して、いわゆる「ワイマール体制」が始まった年です。ワイマール体制においては、新しい文化が花開く一方、共産主義や国家社会主義 (ナチス) といった、全体主義への熱狂が次第に同時に高まっていったそうです。「新しい文化が花開くこと」と「全体主義への熱狂が高まること」の間には、共通して、第一次世界大戦という未曽有の経験、テクノロジーの爆発的進歩、資本主義による伝統的な共同体の解体などによる、世界はすっかり変わってしまったという感覚が根底にあったのではないでしょうか。全体主義も、新しい文化も、「世界観が崩壊したことへの反応」という点では、同じ現象なのだろうと自分は理解しています。 それを踏まえてあらためて考えてみると、本作品が大変な評判を呼んだというのも、そのリアリティを完全に無視したセットもさることながら、「悪夢から目覚めたら現実の方も負けず劣らず悪夢」風な、あのどんでん返しが当時の人々の心を掴んだのかなと直感的には思います。第一次世界大戦という悪夢は終わった。しかし、その後世界は致命的に変わってしまい、普通の世界などもうないのだと。そういうことなのかもしれません。なお、第一次世界大戦というのはヨーロッパ人にとってはとてつもなく衝撃的だったらしく、さまざまなジャンルの芸術で「人間的なもの」を激しく嫌悪し、排除する傾向が高まったのだそうです。なるほど確かに本作品にもそんな雰囲気があります。 新しい文化が花開いたらご用心。それが結論です。
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[021]愛と死の間(あいだ)で
 システムo.o2017-07-31
 
最近、いい映画に当たることが多かったので、ひさびさに駄作と言えるものに出会えて清々しい気分です。ところが、この映画の監督 (ケネス・ブラナー) が、あの名作『炎のランナ・・・
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最近、いい映画に当たることが多かったので、ひさびさに駄作と言えるものに出会えて清々しい気分です。ところが、この映画の監督 (ケネス・ブラナー) が、あの名作『炎のランナー』 (1981) の監督だと後で知ってびっくり仰天です。しかも、ずいぶん大根だなあと思っていた主役の役者もまたケネス・ブラナーで (監督兼主演)、しかも王立演劇学校とやらを首席で卒業したとかのエリート俳優だと知り、本当かよと思ってしまいました。 とにかくすべてが稚拙で安っぽい感じがしてうんざりしてしまいました。ただし、この作品は、真犯人は誰かというミステリー仕立てともなっていて、最後に謎が解き明かされるところは、それなりに面白かったと思います。特に、過去に殺された女性の生まれ変わりが実は・・・という種明かしは、そう来たかという驚きがありました。ただ、こういう驚かし方はあまり感心しません。「実は何々でした」なんて、いくらでも作り手がこさえ上げられるからです。 どう見ても三流映画の雰囲気なのですが、そのくせアンディ・ガルシアやロビン・ウィリアムズといった一流どころの俳優が出演していて奇妙な感じがします。アンディ・ガルシアの方はそれなりの役ですが、ロビン・ウィリアムズの扱いがひどいと言うか、いてもいなくてもいい、ぜんぜん重要じゃない役で、すごく変です。なお、主役のカップル (ケネス・ブラナーとエマ・トンプソン) は撮影当時は夫婦だったそうです (後で離婚)。 結局この映画のテーマを一口で言えば「輪廻転生」と「因果応報」ということになる訳ですが、考えたらずいぶん仏教的というか、東洋的な主題です。自分の知る限り、キリスト教ではそんなものは絶対認めないはずだから、これは彼らの世界 (キリスト教圏) では異教的な映画ということになるでしょうか。 ドブスがいてこその美人。駄作があってこその傑作です。両者は一つのシステムだと思う次第です。
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[022]丹下左膳餘話 百萬兩の壺
 料理o.o2017-07-10
 
ほとんど衝撃を受けたと言っても過言ではありません。昭和 10 年にこんなにモダンな感覚を持った明るくてユーモラスな時代劇が作られていたとは。正直、古臭くて陰気なチャンバ・・・
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ほとんど衝撃を受けたと言っても過言ではありません。昭和 10 年にこんなにモダンな感覚を持った明るくてユーモラスな時代劇が作られていたとは。正直、古臭くて陰気なチャンバラ劇なんだろうと思っていたのですが、根っこの根っこから違いました。こういうタイプの映画を自分は勝手に「モーツァルト型映画」と呼んでおりまして、やたらと気分を浮き立たせてくれる、何とも言えない愉悦感に満ちています。天才肌の作った映画であることは間違いありません。 この映画の面白さは、最初きつい感じで登場してきた矢場の女主人お藤と用心棒丹下左膳のコンビが、実は子供にめっぽう弱い底抜けのお人よしであることが次第に分かっていくプロセスだと思います。編集がうまく、お藤に何か頼まれる → 絶対やらねえと吠える → 結局やってるじゃん、というパターン、また、お藤が「誰があんな子供にご飯を食べさせてやるもんか!」などと冷たく啖呵を切り、次の場面では 「どう、おいしい?」などと結局可愛がってるなど、冷たい態度 → 結局優しいじゃん、というパターンの繰り返しが可笑しみを誘います。 百万両の値打ちがあるとも知らずに壺を売りに行ってしまった子供を追って家の外に出たところ、因縁のあったやくざに取り囲まれるという場面があり、その後すぐに、子供に追いついてあたふたと連れて帰るというシーンに切り替わるという箇所がありましたが、具体的な殺陣を見せられるよりも「めちゃくちゃ強い」とか、「軽く料理した」ということが伝わってくると共に、そのシリアスな場面と滑稽な場面の対比が可笑しく、うまいなあと思います。丹下左膳が、父親が死んだことを子供に伝えようとして、どうしても言い出せず、目を泳がせておろおろするシーンが微笑ましいです。 あえて欠点を挙げれば、間違ってくず屋に売られてしまった「百万両の壺」を巡るストーリー テリングはそれほどうまいとは思いませんでした。普通ならもっとその壺が次から次へと人の手に渡っていき、それに応じて様々な人物たちがてんやわんやという展開になるのでしょうが、この作品では壺が移動するのは最初だけで後はピタリと動かなくなってしまいます。でも十分面白かったから、べつにいいです。 この日本映画の傑作に出会えたことを心より嬉しく思う次第です。 [参考情報: 昭和 10 年のトピックス] - 美濃部達吉の天皇機関説問題化 - 衆議院にて国体明徴決議案可決 - 永田鉄山軍務局長刺殺 (相沢事件) - 北満鉄道譲渡に関する満ソ両国間の協定成立 - 満州国皇帝溥儀が来訪 - 石油輸入量の 6 か月貯蔵義務例公布 - 東北凶作地における娘の身売りが問題化 - 第一回芥川賞および直木賞発表
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[023]愛と哀しみの旅路
 レーガン大統領o.o2017-06-19
 
思ったよりいい映画でした。アイルランド系アメリカ人青年と日系二世の女性が駆け落ちして結婚するまでの前半は甘ったるいラブ ラマンスみたいだったのが、戦争が始まり、日系・・・
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思ったよりいい映画でした。アイルランド系アメリカ人青年と日系二世の女性が駆け落ちして結婚するまでの前半は甘ったるいラブ ラマンスみたいだったのが、戦争が始まり、日系人の強制収容が始まってからはいきおい緊迫度が高まり、見ごたえがありました。ただ、主人公はアメリカ生まれのアメリカ育ちで、日本語があまりうまくないという設定だからいいとして、一世までぎこちなく変てこな日本語とはいったいどういう了見でしょうか。 この映画では、主人公たちの行動によって状況が打開されるということがほとんどなく、彼らはひたすら運命に耐えるのみです。正義感の強い主人公の旦那もほとんど無力です。ドラマとしては物足りないということになりますが、おそらくこの映画のミッションは、アメリカ国民に対して日系アメリカ人が辿った歴史を啓蒙するということだろうから、これでいいのかなという気もします。悲劇に終わるかと思いきや実に素直なハッピー エンディングで、好感が持てます。 一家の長として威厳があった父親はすべてを失ってもぬけの殻となり、長男はアメリカへの忠誠を示すために戦場へと旅立って戦死し、陽気で一番アメリカナイズされているように見えた次男が、自分たちを収容所に閉じ込めたアメリカへの憎しみを募らせ反抗的になっていくなど、それぞれ当時の日系人たちの典型的な姿を体現しているのだと思います。日本語も話せない次男が「テンノーヘイカバンザイ」を叫ぶ姿が痛ましいです。そして、状況に翻弄される男たちに比べ、ひたすらしぶとく、時には陽気に苦難を乗り越えていく女性陣が印象的です。 1990 年の映画ですが、1988 年のレーガン大統領による日系アメリカ人に対する初めての公式の謝罪を受けて、ということなのかもしれません。日本人の顔ばかり出てくるので、つい「日本人の物語」として見てしまいましたが、終わってみれば、彼ら (日系人) もまた過酷な運命を乗り越えてこの国にやってきた、私たちと同じアメリカ人なのだというメッセージが込められた、「あるアメリカ人の家族の物語」であったと悟った次第です。
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[024]かいじゅうたちのいるところ
 老人o.o2017-06-12
 
これまた奇妙で特異な子供向け映画でした。少年が出会ったこのやたらに陰鬱でどこか暴力的なものを秘めた「かいじゅうたち (The Wild Things )」はいったい何者で、彼らの背景・・・
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これまた奇妙で特異な子供向け映画でした。少年が出会ったこのやたらに陰鬱でどこか暴力的なものを秘めた「かいじゅうたち (The Wild Things )」はいったい何者で、彼らの背景にある物語はいかなるものなのか。また、結局のところ少年が彼らとの交流で得たものは何なのか。そういったことは何だかよく分からないまま終わってしまいます。 しかし、このよく分からないということが重要なのかもしれません。考えてみれば、子供時代の体験というのは、やれ友情の大切さだとか、やれ家族が大事だとか、やれ命は尊いだとか、そういった大人にとって腑に落ちるよう教訓的な意味を持ったものではないはず。少年は何か不思議な、生涯を通じて心に残る大切な経験をした。それで十分だ、ということじゃないかなと思います。 アンバランスに顔がでかい不細工な「The Wild Things」たちは、「かいじゅう」というより、「妖怪」と呼ぶのがいちばんしっくりくるような気がします。実際、砂かけ婆や子泣き爺といった、水木しげるが描く妖怪たち (とくに原作漫画の) のセンスと通じていなくもありません。これまで「王」にしたものは、すべて最後は喰っていたそうだから、少年はけっこう危険なものと触れ合っていたということになろうかと思います。 宮崎アニメみたいなのは、子供向けを偽装して、実は老人を満足させるためのものだろうと常々思っています。我が邦でも、もっと (大人にとっては) ナンセンスで、不可思議で、不気味で、それでいて楽しく、一生忘れがたい、そんな経験を子供にさせる映画が製作されることを希望する次第です。
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[025]パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
 ボディo.o2017-05-22
 
間違えて第 2 作から見てしまいました。面白かったことは面白かったのですが、事前の期待が大きすぎて、思っていたほどではありませんでした。アクションに継ぐアクションは、・・・
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間違えて第 2 作から見てしまいました。面白かったことは面白かったのですが、事前の期待が大きすぎて、思っていたほどではありませんでした。アクションに継ぐアクションは、まさに「活劇」という感じなのですが、途中の緩急がないので、次第に「巡航速度」のように見えてしまい、刺激がなくなってしまいます。21 世紀のエンターテイメントの特徴なのかもしれませんが、一瞬でも観客を退屈させてしまうことを恐れているかのようです。どんなにハイ スピードでも同じ速度なら止まっているのと同じです。 ただ、さすがディズニーと言うべきか、映像アトラクション的には楽しめる作品でした。CG というのは安っぽく見えてあまり好きではない自分ですが、この映画ではほとんどそうは感じませんでした。一番の見どころはやはり、イカだかタコだかの海の怪物クラーケンで、なかなか迫力があります。結局コストの問題なんでしょうな。製作費約 250 億円というのは驚きです。ちなみに「東宝始まって以来の予算」という『シン・ゴジラ』(2016) の推定製作費は 20 億円ぐらいなんだとか・・・ゼロ戦と F-35 みたいで泣けてきます。 捉えどころがない海賊船長ジャック・スパロウは、あまり喋らないし、その魅力はさほど伝わってきませんでした。ただ、クラーケンと闘うクルーたちを見捨てて、すたこらさっさと逃げ出したてみたものの、自分の求めるものを指し示すというコンパスを見て再び船に舞い戻ってくるというシーンはかっこよかったです。エリザベス・スワンを演じるキーラ・ナイトレイは、この映画の雰囲気には合っていたと思いますが、場面によって美人に見えたり見えなかったりで微妙です。それに言っては何ですが、ボディの方がちょっとなー。 時代設定は 18 世紀前半でしょうか。やがて七つの海を支配することになる大帝国が完成する直前の時代、最後に残された海の自由の象徴がジャック・スパロウという訳ですが、それでいて、何か大きな運命に導かれているようでもあります。なお、最盛期の大英帝国というのはものすごくて、アフリカ、中近東、南アジア、東南アジア、東アジア、オセアニアに植民地を有し、ロシア、フランス、アメリカ、中国などの大国を平気な顔で同時に敵に回し、力で抑え込むことができたというのだから超かっこいいです。ところが今や・・・。もっとも、我が邦もあまり他人の国の事は言えませんが。 やっぱり貧乏くさいのは嫌ですな。エンターテイメントもボディもゴージャスであるべき、という感想です。
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[026]担え銃
 ヒットラーo.o2017-04-24
 
公開当時 (1918 年) は、戦争を面白おかしく描くということ自体が珍しかったということなので、よくぞやってくれたという感じだったのかもしれません。最初の軍事教練の場面で・・・
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公開当時 (1918 年) は、戦争を面白おかしく描くということ自体が珍しかったということなので、よくぞやってくれたという感じだったのかもしれません。最初の軍事教練の場面では、『フルメタル・ジャケット』(1987) の訓練場面を思い出してしまいました。天と地ほども違う映画ですが、あれもある意味、いや間違いなく、軍事訓練というものをちゃかして描いている訳だから、ぜんぜん的外れという訳でもないんじゃないかなと思っています。 古典的なギャグの数々は、今の目で見てそんなに面白い訳でもないですが、大ヒット映画だったそうで、当時の人は大爆笑しながら見てたんでしょうな。「樹のふり」をして偵察する場面は可笑しかったです。また、うかつにも、最後のオチには意表を突かれてしまいました。なるほどね、そりゃそうだ。 1918 年と言えば、ちょうど第一次世界大戦が終わった年です。映画の最後の方で「地上に平和を 人類に善意を」(Peace on earth - good will to all mankind) という字幕が出ましたが、戦後、西洋人たちは、今後こんな大戦争が再び起こることはよもやあるまいと信じ、恒久平和が訪れるという楽観的なムードに包まれていたそうです。その後の歴史を踏まえてこの字幕を見ると、色々感慨深いものがあります。 チャップリンがドイツ皇帝に化ける場面では、有名なヒットラーの物まねを思い出さずにはいられませんでした。図らずも未来を予言していたのかもしれないなどと、つい妄想してしまった次第です。
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[027]おいしい生活
 プロトコルo.o2017-04-10
 
自分にとって、『アリス』 (1990) に続く、ウディ・アレン映画第 2 弾でした。ストーリーはもちろん似ても似つかないのですが、階級差がテーマで、本来は庶民階級にいるべき人・・・
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自分にとって、『アリス』 (1990) に続く、ウディ・アレン映画第 2 弾でした。ストーリーはもちろん似ても似つかないのですが、階級差がテーマで、本来は庶民階級にいるべき人物が間違えて上流階級の世界に紛れ込んでしまい、最後は幻滅して去っていくという物語のインフラストラクチャはまったく同じだなと思いました。もちろんそれを深刻に描くはずもなく、登場人物は揃いもそろってアホばかり。軽いタッチでさくさくとお話は進んでいきます。あらよっと、一筆書きしたような軽快な映画でした。 頓馬な経緯でめでたく金持ちになれたものの、金だけでは上流階級のお仲間になれないと悟った主人公の女房が、教養を身に付けるべく奮闘努力するというお話なのですが、これを見ると、教養とは何ぞやということがよく分かるような気がします。やれ人生が豊かになるとか、やれ広い視野を持てるとか言いますが、真っ赤な嘘だと思います。教養とはすなわち「上流階級のプロトコル」であり、その目的は、「私たちの世界」への不正な侵入者を検知し、排除することです。金を持っていても高卒たたき上げのラーメン王みたいなのが入ってきちゃったらまずいからです。 金があろうがなかろうが、教養を持っていようがいまいが、人間みな俗物という平等主義に貫かれた映画で、上流階級も基本馬鹿にして描かれているのですが、登場人物だけでなく、そのライフ スタイルついてつい興味津々になってしまう観客 (自分含む) に対しても、「あんただって俗物だろう?」と突き付けているかのようです。金の切れ目が縁の切れ目で、周囲から皆が去ってしまった後、一度は愛想をつかしたせこい悪党 (『Small Time Crooks』) の亭主とよりを戻すラスト シーンのオチが粋で、心に残ります。 俗物で結構。自分も『おいしい生活』したーいという感想です。
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[028]愛という名の疑惑
 インテリo.o2017-03-21
 
結局どうなるんだろうという興味で最後まで退屈しないで見れる、そこそこ面白いサスペンス映画でした。最後は、案の定どんでん返しが待っていましたが、ぜんぜん意外じゃない「・・・
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結局どうなるんだろうという興味で最後まで退屈しないで見れる、そこそこ面白いサスペンス映画でした。最後は、案の定どんでん返しが待っていましたが、ぜんぜん意外じゃない「意外な結末」という感じです。どんでん返しというのは、それにより今まで見てきたものの意味がドミノ倒し的に一変する快感を観客に味あわせるために使うものだと思いますが、この映画の場合、「あ、そうだったんだ、ふーん」という感じにしかなりませんでした。 キム・ベイシンガー好きだなー。彼女は、ドイツ、北欧、ネイティブ アメリカンの 3 種類の血が混じっているのだそうで、プレミアム ブレンドですな。その妹役のユマ・サーマンは、ドイツ + 北欧で、もう 1 つスパイスを加えるとよいでしょう。ちなみに彼女は、かつて「インテリ男たちの恋人 (A Thinking Men\'s Lover)」と呼ばれていたそうです。難しい話もふんふんと興味深そうに聞いて相手にしてくれて、ついでにスケベなこともさせてくれそうな女、というところでしょうか。 それにしても、2 年がかりで進めたというこの犯罪計画は面倒くさすぎます。何か 1 つの要素がだめになったら、すべてが崩壊してしまいます。計画はシンプルなのが一番です。こういう映画はだいたいそうだと思いますが、ストーリーのためのストーリーという感じで、つまらないわけではないのですが、最近では、こういうものに何か物足りないものを感じるようになっている今日この頃の自分です。 暇つぶしには良い、という感想です。
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[029]アーティスト
 社会o.o2017-02-20
 
サイレントからトーキー、そしてミュージカル映画全盛の時代へという流れを踏まえた、映画万歳系の作品でした。21 世紀のサイレント映画なわけですが、やっぱり本物の (?) サ・・・
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サイレントからトーキー、そしてミュージカル映画全盛の時代へという流れを踏まえた、映画万歳系の作品でした。21 世紀のサイレント映画なわけですが、やっぱり本物の (?) サイレント映画とは、何か根本的にリズム感が違うように思えます。まったくひねりのないストーリーはもちろん意識的でしょうが、延々と続く、時代に取り残された主人公の苦悩にはちょっと退屈してしまいました。ただ、それだけに、喜び爆発のラストが気分を明るくしてくれます。 主演のジャン・デュジャルダンと相手役のベレニス・ベジョは本作品で第 84 回アカデミー賞主演男優賞と助演女優賞を揃って受賞したのだそうで、たしかに前者はサイレント時代の映画スターという役を完璧に演じていたと思うし、後者はいかにもトーキー時代のライジング スターという感じで良かったです。また、何も受賞していませんが、主人公の飼い犬も名演技で、この映画のよきアクセントになっています。飼い主の危機を救うべく、「こっちこっち!」とばかりに警官を誘導して、けなげに疾走するシーンはハイライトの 1 つだと思います。 ラスト シーンは、それまでの内容に多少不満があったとしても、それをすっかり忘れさせてくれるような、思わず繰り返し見たくなってしまう素晴らしいものでした。サイレント時代とトーキー時代の両スターが手を取り合って、ミュージカル映画時代の幕開けを告げる。かくして映画の歴史は続いていくのだ・・・という訳ですが、何というか、こういった、社会がどうだとか、世界が何だとかとは関係なく、ただただ「映画って素晴らしい!」風な映画も爽快でいいなあと思いました。 やっぱり映画はハッピー エンドがいいねえという気分です。いつの日か、ベスト オブ ハッピー エンド映画をセレクトしてみたくなった次第です。
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[030]アイズ ワイド シャット
 人工知能o.o2017-01-22
 
結婚 9 年目にして倦怠期に入った夫婦が一瞬危機を迎えるが、ふたたび関係を取り戻す。ただただそれだけの内容の映画だと思います。たったそれだけのことを、あたかも巨大な闇・・・
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結婚 9 年目にして倦怠期に入った夫婦が一瞬危機を迎えるが、ふたたび関係を取り戻す。ただただそれだけの内容の映画だと思います。たったそれだけのことを、あたかも巨大な闇の組織が裏でうごめくシリアスなミステリーのように描いてみせたところが一種のジョークなんだろうと思うし、その大げさな表現と、内容の小ささのギャップに面白みを感じるべきなんだろうなと思っています。 「あなた、自分がどんな危険な状況にいるか分かっているの!」「君はどれほど危険な状況にいたか分かっているのか!」と、主人公は 2 回ほどそれぞれ別の人物から警告を受けた訳ですが、一見とてつもないことを言っているように思えて、じつはとんでもなく平凡なこと、すなわち、「君たち夫婦は危険な時期に入っている、早くそれに気づけ」という意味であることは明らかです。 ニコール・キッドマン演じる妻のアリスは、要するに性的欲求不満だったのだと思います。それで、海軍士官とどうのという性的妄想を主人公に語り、その妄想に主人公が巻き込まれてしまったという訳です。ラスト シーンで、今回の件は私たちにとってむしろ感謝すべきことだったんじゃないかとアリスが言い出した後の、次の会話がすべてを物語っています。 "And you know, there is something very important that we need to do as soon as possible." (それでね、私たちすぐにでもやるべき大切なことがあるんだけど) "What's that?"(何だい?) "Fuck."(ファックよ) ご夫婦の皆さん、ファックを忘れずに。 ところで、この映画は『2001 年宇宙の旅』(1968) と何となく似ているのではないでしょうか。あの映画もスーパー単純なストーリーを壮大なスケールで意味ありげに描いた作品でした。もっとも、『2001 年』の方は、人類の進化という大きなテーマがありましたが。なお、謎の儀式の翌日、主人公がふたたび館を訪れ、監視カメラがこちらを見つめているのにハッと気付くという場面は、人工知能 HAL 2000 が宇宙飛行士たちをじっと観察する場面のパロディだろうと思っています。 ひょっとするとですが、この映画が本当に言いたかったことは、映画における物語の内容 (テーマ) など本当は何でもいいんだ、ということなのかもしれません。それが人類の進化だろうが、平凡な結婚生活の危機だろうが、要は「見せ方 (How to show)」がすべてなのだと。それが、試写会の 5 日後に急死したというスタンリー・キューブリック監督のラスト メッセージだったのかもしれないと思った次第です。
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