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 「o.o」さんのコメント一覧 登録数(336件)rss
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[001]愛に迷った時
 怒りの葡萄o.o2017-10-16
 
ストーリーはまったく違うのですが、全体的な雰囲気が、以前見た『マグノリアの花たち』(1989) とすごくよく似ている映画でした。どちらも舞台はアメリカ南部。登場人物は、保・・・
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ストーリーはまったく違うのですが、全体的な雰囲気が、以前見た『マグノリアの花たち』(1989) とすごくよく似ている映画でした。どちらも舞台はアメリカ南部。登場人物は、保守的なライフ スタイルを愛する裕福な白人たちで、何より、南部って素晴らしい、という南部賛歌が基調にあるところが似ています。また、どちらの作品にもジュリア・ロバーツが出演 (本作品では主演) しています。それにしても、婦人会で出す料理本に載せる自分たちの名前について、主人公が、夫の姓に「Mrs. 」を付けるという習慣はもう時代遅れだから、フル ネームを載せましょうという提案をして、ちょっとした論争になるというシーンがあるぐらいだから、ずいぶん保守的な世界です。 南部女性の逞しさ的エピソードも『マグノリアの花たち』と同じです。男社会であるがゆえに女同士の結束が強く、浮気男の股間を蹴り上げて悶絶させるわ、家に入れずに馬小屋で寝泊まりさせるわ、挙句の果てには、懲らしめに少量の毒を飲ませるわと、色々やってくれます。なお、この映画のハイライトは何と言っても主人公の娘と父親が出場する馬術大会のシーンということになろうかと思います。ゆったりとして美しい映像で、馬っていいもんだなあと思わせてくれると共に、これが我々の伝統なんだという強い主張を感じます。 お話としては、夫の浮気を目撃した主人公のグレイスが娘を連れて家を飛び出してから、夫婦がよりを戻すまでのあれこれを描いたラブコメなのですが、編集がうまくないということなのか、いま一つキレがなく、もたもたしている印象です。ラストも、ダンス シーンでフィニッシュにしとけばいいのに、「あれ、まだ続くの?」という感じで、どうも締まりがありません。ジュリア・ロバーツは、何となく「強い女」というイメージを持っていましたが、少なくとも自分が見た映画の範囲では、自信がなく、オロオロと動揺するような役柄の方が多いような気がします。この映画でもそんなシーンが目立ちます。 思うに、この映画に出て来るような人たちがアメリカにおける本来の (理想の?) 「保守層」ではないでしょうか。受け継いできた遺産 (Heritage) を守り、伝統的なライフ スタイルを我がものとし、それを変えようなどとは夢にも思わない、そういう人たちです。本を読んで保守思想に目覚めましたといった類のチンピラとは出発点からして違います。もっとも、今や保守層と言えば、ド貧乏な「怒りの葡萄たち」みたいなのになっちゃってるのはご案内の通り。世も末ですな。そもそもお前たちに保守すべきヘリテージなんてあるのかと言ってやりたいです。俺もないけど。 なお、原題の『Something to Talk About』は、ボニー・レイット (歌手) の 1991 年のヒット曲から来ているようで、同曲はテーマ曲ともなっています。南部大好き系の、それほどは面白くないラブ コメディ、という感想です。
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[002]有りがたうさん
 先頭o.o2017-10-10
 
「有りがたうさん」のニックネームで皆から好かれている主人公が、伊豆地方ののどかな風景の中を、乗客を乗せてひたすらバスを走らせるだけという、異色の映画でした。のんびり・・・
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「有りがたうさん」のニックネームで皆から好かれている主人公が、伊豆地方ののどかな風景の中を、乗客を乗せてひたすらバスを走らせるだけという、異色の映画でした。のんびりムードで、ユーモアもあるのですが、底流を流れる感情は「さびしさ」だと思います。本作品に限らず、古い日本映画で感じることが多いこの「さびしさ」というのは考えてみると不思議なもので、西洋人の「孤独」というのとは、何かニュアンスが違うような気がしてなりません。 昭和 11 年を生きる日本人の息遣いが聞こえてくるような映画でした。浮かび上がってくるのは、とにかく不況であること、仕事もないのに子供ばかりが生まれてくること (「大きくなると男はルンペン、女の子は一束いくらで売られていくんですよ」)、そして貧しい家庭の娘たちが次々と都会へと売られていってしまうという現実です (「峠を越えて行った女は滅多に帰っちゃきませんよ」)。娘が売られて気が狂った男、金山に投資して破産した男、道路工事を渡り歩く朝鮮人の一団。こういう時代だったんだなあと実感できます。旅の途中、有りがたうさんが淡々と交わす様々な人との会話が胸にしみます。 それにしても、若き上原謙がこんなに日本人離れした色男だったとは知りませんでした。劇中でもモテていましたが、そりゃもてなきゃ嘘だよなあと思います。びっくりです。ただ、はっきり言ってセリフは棒読み風で、演技がうまいとは思えませんでした。ところが、普通ならそれではいけませんねで終わりなところが、その棒読み風のセリフが、何とも不思議な雰囲気を出していて妙に心地よく、この映画にはすごく合っていると思いました。意図してそう作っているのなら、すごいことです。 様々な人物がバスに乗り込み、去って行くのですが、何といっても魅力的なのが、「黒襟の女」です。色っぽく、姉御肌で、口の利き方は乱暴だけど、自然と人情味がにじみ出てしまう彼女は、もう一人の主人公と言っても過言ではありません。日が替わり、彼女がもう席にいないことに気付いた時、ああもう会えないのかと、何かぽっかりと穴が開いてしまったような気分になってしまいました。先頭の席に陣取り、いたずらっぽく微笑みながら後方を振り返る姿や、ふとさみし気な表情を浮かべる彼女の姿がいつまでも頭を去りません。 この国は言ってみれば、たまさか偶然乗り合わせた乗客と一緒に揺られる乗り合いバスのようなもの。愛すべし、このさびしき国日本、という感想です。 [参考情報:昭和 11 年のトピックス] - 軍事クーデター発生。齊藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監殺害 (ニ・二六事件) - 岡田内閣総辞職、広田内閣成立 - 軍部大臣現役武官制復活 - ロンドン軍縮会議脱退 - 日独防共協定調印 - 第一次北支処理要綱決定 - 米穀自治管理法公布 - 浅間山噴火 - 日本職業野球連盟結成 - 日劇ダンシング チーム デビュー
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[003]愛と精霊の家
 万引きo.o2017-09-19
 
狙うところは分かったような気がします。現実的なものと非現実的なものとが平気な顔をして混じり合い、愛と憎しみ、血、復讐、性、政治的動乱、そういったものが南米の大地で混・・・
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狙うところは分かったような気がします。現実的なものと非現実的なものとが平気な顔をして混じり合い、愛と憎しみ、血、復讐、性、政治的動乱、そういったものが南米の大地で混然一体となって大河のように滔々と流れていく、そんな世界を構築したかったんだろうと思います。思いますが、残念ながら明らかに力量不足で、そこまで濃厚な世界を生み出すには至っておらず、よくできた大河ドラマに止まっていると言わざるをえません。 ただし、大河ドラマとしては面白く、2 時間 19 分の上映時間はあっという間に過ぎてしまいました。因果応報的に、過去に起きたことは必ず未来に起きる何かにつながるという感じでストーリーが緻密に編み上げられています。普通に言ったら出来過ぎたお話しということになるのでしょうが、「物事と物事は関連し合っている」というクララのセリフがテーマだと考えれば納得がいきます。 主人公であるエステバンの人物造形はさすがだと思いました。裸一貫でのし上がってきた男で、頑固で、傲慢で、冷酷でもありながら、深い孤独を背負い、最終的には女房と娘の願いはすべて聞き入れてしまう、そんな男です。演じたジェレミー・アイアンズの演技は圧巻でした。紛うかたなき名優ですな。一方、メリル・ストリープ演じるところの女房クララは、性格も劇中における役割も何かぼんやりしてしまっています。超能力者という設定もぜんぜん効いていません。 豪華キャストの映画なのですが、1993 年の映画だからみんな若い若い。それを眺めるのも楽しいです。「Latin Lover」ことアントニオ・バンデラスも、まだ田舎の素朴なお兄ちゃんという感じです。あっ、万引き女優のウィノナ・ライダーだ!ゴージャスさには欠けるものの美人であることには変わりなく、この映画でも内側から輝いているかのようです。こんなに綺麗なのになんで万引きするかなー。 惜しい映画でした。ドイツ、デンマーク、ポルトガルの合作ということですが、ハリウッドで製作したらよかったのに、という感想です。
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[004]カリガリ博士
 テクノロジーo.o2017-08-28
 
ついに見ました『カリガリ博士』。事前にキャッチした情報によれば、1919 年にドイツで公開され、「表現主義映画」というジャンルを開拓して世界中に衝撃を与えたのだとか。第・・・
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ついに見ました『カリガリ博士』。事前にキャッチした情報によれば、1919 年にドイツで公開され、「表現主義映画」というジャンルを開拓して世界中に衝撃を与えたのだとか。第一次世界大戦後におけるドイツ映画の興隆を決定づけ、世界中で模倣者が続出、「カリガリスム」という言葉さえ生まれた、と聞けば、どんだけ凄い映画なのかと思わずにはいられません。で、期待に胸をスカーレット・ヨハンソン並みにふくらませて鑑賞を始めたのですが、実際見てみると、「あれれ、これが・・・衝撃?」と目が点になってしまいました。 何と言うか、もっとものすごく奇怪でグロテスクな映画なのかと思っていたのですが、ぜんぜん大したことがありません。あらゆるものがデフォルメされ、ゆがんだセットは、当時は驚きだったのだろうとは思うし、確かに印象的なのですが、何より不満なのは、期待していたカリガリ君が大して特異な個性を発揮する訳ではないという点です。博士に操られて殺人を犯す夢遊病者チェザーレもなんか弱々しくてまったく怖くなく、髪の毛を掴んで引きずり回せる自信があります。ただし、この映画は最後にどんでん返しが待っており、そこだけは、今まで見ていたものがすべてひっくり返る的な快感がありました。 ところで、1919 年は、ドイツで当時最も先進的な憲法と言われたワイマール憲法が成立して、いわゆる「ワイマール体制」が始まった年です。ワイマール体制においては、新しい文化が花開く一方、共産主義や国家社会主義 (ナチス) といった、全体主義への熱狂が次第に同時に高まっていったそうです。「新しい文化が花開くこと」と「全体主義への熱狂が高まること」の間には、共通して、第一次世界大戦という未曽有の経験、テクノロジーの爆発的進歩、資本主義による伝統的な共同体の解体などによる、世界はすっかり変わってしまったという感覚が根底にあったのではないでしょうか。全体主義も、新しい文化も、「世界観が崩壊したことへの反応」という点では、同じ現象なのだろうと自分は理解しています。 それを踏まえてあらためて考えてみると、本作品が大変な評判を呼んだというのも、そのリアリティを完全に無視したセットもさることながら、「悪夢から目覚めたら現実の方も負けず劣らず悪夢」風な、あのどんでん返しが当時の人々の心を掴んだのかなと直感的には思います。第一次世界大戦という悪夢は終わった。しかし、その後世界は致命的に変わってしまい、普通の世界などもうないのだと。そういうことなのかもしれません。なお、第一次世界大戦というのはヨーロッパ人にとってはとてつもなく衝撃的だったらしく、さまざまなジャンルの芸術で「人間的なもの」を激しく嫌悪し、排除する傾向が高まったのだそうです。なるほど確かに本作品にもそんな雰囲気があります。 新しい文化が花開いたらご用心。それが結論です。
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[005]愛と死の間(あいだ)で
 システムo.o2017-07-31
 
最近、いい映画に当たることが多かったので、ひさびさに駄作と言えるものに出会えて清々しい気分です。ところが、この映画の監督 (ケネス・ブラナー) が、あの名作『炎のランナ・・・
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最近、いい映画に当たることが多かったので、ひさびさに駄作と言えるものに出会えて清々しい気分です。ところが、この映画の監督 (ケネス・ブラナー) が、あの名作『炎のランナー』 (1981) の監督だと後で知ってびっくり仰天です。しかも、ずいぶん大根だなあと思っていた主役の役者もまたケネス・ブラナーで (監督兼主演)、しかも王立演劇学校とやらを首席で卒業したとかのエリート俳優だと知り、本当かよと思ってしまいました。 とにかくすべてが稚拙で安っぽい感じがしてうんざりしてしまいました。ただし、この作品は、真犯人は誰かというミステリー仕立てともなっていて、最後に謎が解き明かされるところは、それなりに面白かったと思います。特に、過去に殺された女性の生まれ変わりが実は・・・という種明かしは、そう来たかという驚きがありました。ただ、こういう驚かし方はあまり感心しません。「実は何々でした」なんて、いくらでも作り手がこさえ上げられるからです。 どう見ても三流映画の雰囲気なのですが、そのくせアンディ・ガルシアやロビン・ウィリアムズといった一流どころの俳優が出演していて奇妙な感じがします。アンディ・ガルシアの方はそれなりの役ですが、ロビン・ウィリアムズの扱いがひどいと言うか、いてもいなくてもいい、ぜんぜん重要じゃない役で、すごく変です。なお、主役のカップル (ケネス・ブラナーとエマ・トンプソン) は撮影当時は夫婦だったそうです (後で離婚)。 結局この映画のテーマを一口で言えば「輪廻転生」と「因果応報」ということになる訳ですが、考えたらずいぶん仏教的というか、東洋的な主題です。自分の知る限り、キリスト教ではそんなものは絶対認めないはずだから、これは彼らの世界 (キリスト教圏) では異教的な映画ということになるでしょうか。 ドブスがいてこその美人。駄作があってこその傑作です。両者は一つのシステムだと思う次第です。
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[006]丹下左膳餘話 百萬兩の壺
 料理o.o2017-07-10
 
ほとんど衝撃を受けたと言っても過言ではありません。昭和 10 年にこんなにモダンな感覚を持った明るくてユーモラスな時代劇が作られていたとは。正直、古臭くて陰気なチャンバ・・・
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ほとんど衝撃を受けたと言っても過言ではありません。昭和 10 年にこんなにモダンな感覚を持った明るくてユーモラスな時代劇が作られていたとは。正直、古臭くて陰気なチャンバラ劇なんだろうと思っていたのですが、根っこの根っこから違いました。こういうタイプの映画を自分は勝手に「モーツァルト型映画」と呼んでおりまして、やたらと気分を浮き立たせてくれる、何とも言えない愉悦感に満ちています。天才肌の作った映画であることは間違いありません。 この映画の面白さは、最初きつい感じで登場してきた矢場の女主人お藤と用心棒丹下左膳のコンビが、実は子供にめっぽう弱い底抜けのお人よしであることが次第に分かっていくプロセスだと思います。編集がうまく、お藤に何か頼まれる → 絶対やらねえと吠える → 結局やってるじゃん、というパターン、また、お藤が「誰があんな子供にご飯を食べさせてやるもんか!」などと冷たく啖呵を切り、次の場面では 「どう、おいしい?」などと結局可愛がってるなど、冷たい態度 → 結局優しいじゃん、というパターンの繰り返しが可笑しみを誘います。 百万両の値打ちがあるとも知らずに壺を売りに行ってしまった子供を追って家の外に出たところ、因縁のあったやくざに取り囲まれるという場面があり、その後すぐに、子供に追いついてあたふたと連れて帰るというシーンに切り替わるという箇所がありましたが、具体的な殺陣を見せられるよりも「めちゃくちゃ強い」とか、「軽く料理した」ということが伝わってくると共に、そのシリアスな場面と滑稽な場面の対比が可笑しく、うまいなあと思います。丹下左膳が、父親が死んだことを子供に伝えようとして、どうしても言い出せず、目を泳がせておろおろするシーンが微笑ましいです。 あえて欠点を挙げれば、間違ってくず屋に売られてしまった「百万両の壺」を巡るストーリー テリングはそれほどうまいとは思いませんでした。普通ならもっとその壺が次から次へと人の手に渡っていき、それに応じて様々な人物たちがてんやわんやという展開になるのでしょうが、この作品では壺が移動するのは最初だけで後はピタリと動かなくなってしまいます。でも十分面白かったから、べつにいいです。 この日本映画の傑作に出会えたことを心より嬉しく思う次第です。 [参考情報: 昭和 10 年のトピックス] - 美濃部達吉の天皇機関説問題化 - 衆議院にて国体明徴決議案可決 - 永田鉄山軍務局長刺殺 (相沢事件) - 北満鉄道譲渡に関する満ソ両国間の協定成立 - 満州国皇帝溥儀が来訪 - 石油輸入量の 6 か月貯蔵義務例公布 - 東北凶作地における娘の身売りが問題化 - 第一回芥川賞および直木賞発表
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[007]愛と哀しみの旅路
 レーガン大統領o.o2017-06-19
 
思ったよりいい映画でした。アイルランド系アメリカ人青年と日系二世の女性が駆け落ちして結婚するまでの前半は甘ったるいラブ ラマンスみたいだったのが、戦争が始まり、日系・・・
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思ったよりいい映画でした。アイルランド系アメリカ人青年と日系二世の女性が駆け落ちして結婚するまでの前半は甘ったるいラブ ラマンスみたいだったのが、戦争が始まり、日系人の強制収容が始まってからはいきおい緊迫度が高まり、見ごたえがありました。ただ、主人公はアメリカ生まれのアメリカ育ちで、日本語があまりうまくないという設定だからいいとして、一世までぎこちなく変てこな日本語とはいったいどういう了見でしょうか。 この映画では、主人公たちの行動によって状況が打開されるということがほとんどなく、彼らはひたすら運命に耐えるのみです。正義感の強い主人公の旦那もほとんど無力です。ドラマとしては物足りないということになりますが、おそらくこの映画のミッションは、アメリカ国民に対して日系アメリカ人が辿った歴史を啓蒙するということだろうから、これでいいのかなという気もします。悲劇に終わるかと思いきや実に素直なハッピー エンディングで、好感が持てます。 一家の長として威厳があった父親はすべてを失ってもぬけの殻となり、長男はアメリカへの忠誠を示すために戦場へと旅立って戦死し、陽気で一番アメリカナイズされているように見えた次男が、自分たちを収容所に閉じ込めたアメリカへの憎しみを募らせ反抗的になっていくなど、それぞれ当時の日系人たちの典型的な姿を体現しているのだと思います。日本語も話せない次男が「テンノーヘイカバンザイ」を叫ぶ姿が痛ましいです。そして、状況に翻弄される男たちに比べ、ひたすらしぶとく、時には陽気に苦難を乗り越えていく女性陣が印象的です。 1990 年の映画ですが、1988 年のレーガン大統領による日系アメリカ人に対する初めての公式の謝罪を受けて、ということなのかもしれません。日本人の顔ばかり出てくるので、つい「日本人の物語」として見てしまいましたが、終わってみれば、彼ら (日系人) もまた過酷な運命を乗り越えてこの国にやってきた、私たちと同じアメリカ人なのだというメッセージが込められた、「あるアメリカ人の家族の物語」であったと悟った次第です。
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[008]かいじゅうたちのいるところ
 老人o.o2017-06-12
 
これまた奇妙で特異な子供向け映画でした。少年が出会ったこのやたらに陰鬱でどこか暴力的なものを秘めた「かいじゅうたち (The Wild Things )」はいったい何者で、彼らの背景・・・
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これまた奇妙で特異な子供向け映画でした。少年が出会ったこのやたらに陰鬱でどこか暴力的なものを秘めた「かいじゅうたち (The Wild Things )」はいったい何者で、彼らの背景にある物語はいかなるものなのか。また、結局のところ少年が彼らとの交流で得たものは何なのか。そういったことは何だかよく分からないまま終わってしまいます。 しかし、このよく分からないということが重要なのかもしれません。考えてみれば、子供時代の体験というのは、やれ友情の大切さだとか、やれ家族が大事だとか、やれ命は尊いだとか、そういった大人にとって腑に落ちるよう教訓的な意味を持ったものではないはず。少年は何か不思議な、生涯を通じて心に残る大切な経験をした。それで十分だ、ということじゃないかなと思います。 アンバランスに顔がでかい不細工な「The Wild Things」たちは、「かいじゅう」というより、「妖怪」と呼ぶのがいちばんしっくりくるような気がします。実際、砂かけ婆や子泣き爺といった、水木しげるが描く妖怪たち (とくに原作漫画の) のセンスと通じていなくもありません。これまで「王」にしたものは、すべて最後は喰っていたそうだから、少年はけっこう危険なものと触れ合っていたということになろうかと思います。 宮崎アニメみたいなのは、子供向けを偽装して、実は老人を満足させるためのものだろうと常々思っています。我が邦でも、もっと (大人にとっては) ナンセンスで、不可思議で、不気味で、それでいて楽しく、一生忘れがたい、そんな経験を子供にさせる映画が製作されることを希望する次第です。
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[009]パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
 ボディo.o2017-05-22
 
間違えて第 2 作から見てしまいました。面白かったことは面白かったのですが、事前の期待が大きすぎて、思っていたほどではありませんでした。アクションに継ぐアクションは、・・・
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間違えて第 2 作から見てしまいました。面白かったことは面白かったのですが、事前の期待が大きすぎて、思っていたほどではありませんでした。アクションに継ぐアクションは、まさに「活劇」という感じなのですが、途中の緩急がないので、次第に「巡航速度」のように見えてしまい、刺激がなくなってしまいます。21 世紀のエンターテイメントの特徴なのかもしれませんが、一瞬でも観客を退屈させてしまうことを恐れているかのようです。どんなにハイ スピードでも同じ速度なら止まっているのと同じです。 ただ、さすがディズニーと言うべきか、映像アトラクション的には楽しめる作品でした。CG というのは安っぽく見えてあまり好きではない自分ですが、この映画ではほとんどそうは感じませんでした。一番の見どころはやはり、イカだかタコだかの海の怪物クラーケンで、なかなか迫力があります。結局コストの問題なんでしょうな。製作費約 250 億円というのは驚きです。ちなみに「東宝始まって以来の予算」という『シン・ゴジラ』(2016) の推定製作費は 20 億円ぐらいなんだとか・・・ゼロ戦と F-35 みたいで泣けてきます。 捉えどころがない海賊船長ジャック・スパロウは、あまり喋らないし、その魅力はさほど伝わってきませんでした。ただ、クラーケンと闘うクルーたちを見捨てて、すたこらさっさと逃げ出したてみたものの、自分の求めるものを指し示すというコンパスを見て再び船に舞い戻ってくるというシーンはかっこよかったです。エリザベス・スワンを演じるキーラ・ナイトレイは、この映画の雰囲気には合っていたと思いますが、場面によって美人に見えたり見えなかったりで微妙です。それに言っては何ですが、ボディの方がちょっとなー。 時代設定は 18 世紀前半でしょうか。やがて七つの海を支配することになる大帝国が完成する直前の時代、最後に残された海の自由の象徴がジャック・スパロウという訳ですが、それでいて、何か大きな運命に導かれているようでもあります。なお、最盛期の大英帝国というのはものすごくて、アフリカ、中近東、南アジア、東南アジア、東アジア、オセアニアに植民地を有し、ロシア、フランス、アメリカ、中国などの大国を平気な顔で同時に敵に回し、力で抑え込むことができたというのだから超かっこいいです。ところが今や・・・。もっとも、我が邦もあまり他人の国の事は言えませんが。 やっぱり貧乏くさいのは嫌ですな。エンターテイメントもボディもゴージャスであるべき、という感想です。
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[010]担え銃
 ヒットラーo.o2017-04-24
 
公開当時 (1918 年) は、戦争を面白おかしく描くということ自体が珍しかったということなので、よくぞやってくれたという感じだったのかもしれません。最初の軍事教練の場面で・・・
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公開当時 (1918 年) は、戦争を面白おかしく描くということ自体が珍しかったということなので、よくぞやってくれたという感じだったのかもしれません。最初の軍事教練の場面では、『フルメタル・ジャケット』(1987) の訓練場面を思い出してしまいました。天と地ほども違う映画ですが、あれもある意味、いや間違いなく、軍事訓練というものをちゃかして描いている訳だから、ぜんぜん的外れという訳でもないんじゃないかなと思っています。 古典的なギャグの数々は、今の目で見てそんなに面白い訳でもないですが、大ヒット映画だったそうで、当時の人は大爆笑しながら見てたんでしょうな。「樹のふり」をして偵察する場面は可笑しかったです。また、うかつにも、最後のオチには意表を突かれてしまいました。なるほどね、そりゃそうだ。 1918 年と言えば、ちょうど第一次世界大戦が終わった年です。映画の最後の方で「地上に平和を 人類に善意を」(Peace on earth - good will to all mankind) という字幕が出ましたが、戦後、西洋人たちは、今後こんな大戦争が再び起こることはよもやあるまいと信じ、恒久平和が訪れるという楽観的なムードに包まれていたそうです。その後の歴史を踏まえてこの字幕を見ると、色々感慨深いものがあります。 チャップリンがドイツ皇帝に化ける場面では、有名なヒットラーの物まねを思い出さずにはいられませんでした。図らずも未来を予言していたのかもしれないなどと、つい妄想してしまった次第です。
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[011]おいしい生活
 プロトコルo.o2017-04-10
 
自分にとって、『アリス』 (1990) に続く、ウディ・アレン映画第 2 弾でした。ストーリーはもちろん似ても似つかないのですが、階級差がテーマで、本来は庶民階級にいるべき人・・・
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自分にとって、『アリス』 (1990) に続く、ウディ・アレン映画第 2 弾でした。ストーリーはもちろん似ても似つかないのですが、階級差がテーマで、本来は庶民階級にいるべき人物が間違えて上流階級の世界に紛れ込んでしまい、最後は幻滅して去っていくという物語のインフラストラクチャはまったく同じだなと思いました。もちろんそれを深刻に描くはずもなく、登場人物は揃いもそろってアホばかり。軽いタッチでさくさくとお話は進んでいきます。あらよっと、一筆書きしたような軽快な映画でした。 頓馬な経緯でめでたく金持ちになれたものの、金だけでは上流階級のお仲間になれないと悟った主人公の女房が、教養を身に付けるべく奮闘努力するというお話なのですが、これを見ると、教養とは何ぞやということがよく分かるような気がします。やれ人生が豊かになるとか、やれ広い視野を持てるとか言いますが、真っ赤な嘘だと思います。教養とはすなわち「上流階級のプロトコル」であり、その目的は、「私たちの世界」への不正な侵入者を検知し、排除することです。金を持っていても高卒たたき上げのラーメン王みたいなのが入ってきちゃったらまずいからです。 金があろうがなかろうが、教養を持っていようがいまいが、人間みな俗物という平等主義に貫かれた映画で、上流階級も基本馬鹿にして描かれているのですが、登場人物だけでなく、そのライフ スタイルついてつい興味津々になってしまう観客 (自分含む) に対しても、「あんただって俗物だろう?」と突き付けているかのようです。金の切れ目が縁の切れ目で、周囲から皆が去ってしまった後、一度は愛想をつかしたせこい悪党 (『Small Time Crooks』) の亭主とよりを戻すラスト シーンのオチが粋で、心に残ります。 俗物で結構。自分も『おいしい生活』したーいという感想です。
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[012]愛という名の疑惑
 インテリo.o2017-03-21
 
結局どうなるんだろうという興味で最後まで退屈しないで見れる、そこそこ面白いサスペンス映画でした。最後は、案の定どんでん返しが待っていましたが、ぜんぜん意外じゃない「・・・
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結局どうなるんだろうという興味で最後まで退屈しないで見れる、そこそこ面白いサスペンス映画でした。最後は、案の定どんでん返しが待っていましたが、ぜんぜん意外じゃない「意外な結末」という感じです。どんでん返しというのは、それにより今まで見てきたものの意味がドミノ倒し的に一変する快感を観客に味あわせるために使うものだと思いますが、この映画の場合、「あ、そうだったんだ、ふーん」という感じにしかなりませんでした。 キム・ベイシンガー好きだなー。彼女は、ドイツ、北欧、ネイティブ アメリカンの 3 種類の血が混じっているのだそうで、プレミアム ブレンドですな。その妹役のユマ・サーマンは、ドイツ + 北欧で、もう 1 つスパイスを加えるとよいでしょう。ちなみに彼女は、かつて「インテリ男たちの恋人 (A Thinking Men\'s Lover)」と呼ばれていたそうです。難しい話もふんふんと興味深そうに聞いて相手にしてくれて、ついでにスケベなこともさせてくれそうな女、というところでしょうか。 それにしても、2 年がかりで進めたというこの犯罪計画は面倒くさすぎます。何か 1 つの要素がだめになったら、すべてが崩壊してしまいます。計画はシンプルなのが一番です。こういう映画はだいたいそうだと思いますが、ストーリーのためのストーリーという感じで、つまらないわけではないのですが、最近では、こういうものに何か物足りないものを感じるようになっている今日この頃の自分です。 暇つぶしには良い、という感想です。
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[013]アーティスト
 社会o.o2017-02-20
 
サイレントからトーキー、そしてミュージカル映画全盛の時代へという流れを踏まえた、映画万歳系の作品でした。21 世紀のサイレント映画なわけですが、やっぱり本物の (?) サ・・・
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サイレントからトーキー、そしてミュージカル映画全盛の時代へという流れを踏まえた、映画万歳系の作品でした。21 世紀のサイレント映画なわけですが、やっぱり本物の (?) サイレント映画とは、何か根本的にリズム感が違うように思えます。まったくひねりのないストーリーはもちろん意識的でしょうが、延々と続く、時代に取り残された主人公の苦悩にはちょっと退屈してしまいました。ただ、それだけに、喜び爆発のラストが気分を明るくしてくれます。 主演のジャン・デュジャルダンと相手役のベレニス・ベジョは本作品で第 84 回アカデミー賞主演男優賞と助演女優賞を揃って受賞したのだそうで、たしかに前者はサイレント時代の映画スターという役を完璧に演じていたと思うし、後者はいかにもトーキー時代のライジング スターという感じで良かったです。また、何も受賞していませんが、主人公の飼い犬も名演技で、この映画のよきアクセントになっています。飼い主の危機を救うべく、「こっちこっち!」とばかりに警官を誘導して、けなげに疾走するシーンはハイライトの 1 つだと思います。 ラスト シーンは、それまでの内容に多少不満があったとしても、それをすっかり忘れさせてくれるような、思わず繰り返し見たくなってしまう素晴らしいものでした。サイレント時代とトーキー時代の両スターが手を取り合って、ミュージカル映画時代の幕開けを告げる。かくして映画の歴史は続いていくのだ・・・という訳ですが、何というか、こういった、社会がどうだとか、世界が何だとかとは関係なく、ただただ「映画って素晴らしい!」風な映画も爽快でいいなあと思いました。 やっぱり映画はハッピー エンドがいいねえという気分です。いつの日か、ベスト オブ ハッピー エンド映画をセレクトしてみたくなった次第です。
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[014]アイズ ワイド シャット
 人工知能o.o2017-01-22
 
結婚 9 年目にして倦怠期に入った夫婦が一瞬危機を迎えるが、ふたたび関係を取り戻す。ただただそれだけの内容の映画だと思います。たったそれだけのことを、あたかも巨大な闇・・・
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結婚 9 年目にして倦怠期に入った夫婦が一瞬危機を迎えるが、ふたたび関係を取り戻す。ただただそれだけの内容の映画だと思います。たったそれだけのことを、あたかも巨大な闇の組織が裏でうごめくシリアスなミステリーのように描いてみせたところが一種のジョークなんだろうと思うし、その大げさな表現と、内容の小ささのギャップに面白みを感じるべきなんだろうなと思っています。 「あなた、自分がどんな危険な状況にいるか分かっているの!」「君はどれほど危険な状況にいたか分かっているのか!」と、主人公は 2 回ほどそれぞれ別の人物から警告を受けた訳ですが、一見とてつもないことを言っているように思えて、じつはとんでもなく平凡なこと、すなわち、「君たち夫婦は危険な時期に入っている、早くそれに気づけ」という意味であることは明らかです。 ニコール・キッドマン演じる妻のアリスは、要するに性的欲求不満だったのだと思います。それで、海軍士官とどうのという性的妄想を主人公に語り、その妄想に主人公が巻き込まれてしまったという訳です。ラスト シーンで、今回の件は私たちにとってむしろ感謝すべきことだったんじゃないかとアリスが言い出した後の、次の会話がすべてを物語っています。 "And you know, there is something very important that we need to do as soon as possible." (それでね、私たちすぐにでもやるべき大切なことがあるんだけど) "What's that?"(何だい?) "Fuck."(ファックよ) ご夫婦の皆さん、ファックを忘れずに。 ところで、この映画は『2001 年宇宙の旅』(1968) と何となく似ているのではないでしょうか。あの映画もスーパー単純なストーリーを壮大なスケールで意味ありげに描いた作品でした。もっとも、『2001 年』の方は、人類の進化という大きなテーマがありましたが。なお、謎の儀式の翌日、主人公がふたたび館を訪れ、監視カメラがこちらを見つめているのにハッと気付くという場面は、人工知能 HAL 2000 が宇宙飛行士たちをじっと観察する場面のパロディだろうと思っています。 ひょっとするとですが、この映画が本当に言いたかったことは、映画における物語の内容 (テーマ) など本当は何でもいいんだ、ということなのかもしれません。それが人類の進化だろうが、平凡な結婚生活の危機だろうが、要は「見せ方 (How to show)」がすべてなのだと。それが、試写会の 5 日後に急死したというスタンリー・キューブリック監督のラスト メッセージだったのかもしれないと思った次第です。
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[015]國民の創生
 マルチプログラミングo.o2017-01-11
 
南北戦争を描いた第一部と、南北戦争後の南部の状況を描いた第二部に分かれています。第一部の方は大味な歴史絵巻という感じであまり面白くなかったのですが、状況を忠実に再現・・・
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南北戦争を描いた第一部と、南北戦争後の南部の状況を描いた第二部に分かれています。第一部の方は大味な歴史絵巻という感じであまり面白くなかったのですが、状況を忠実に再現したというリンカーン大統領の暗殺場面には臨場感があり、タイム トラベル感覚を味わえました。第二部の方が圧倒的に面白いのですが、今の目から見ると、ちょっとこれはいかがなものかなと思わざるをえない内容となっています。悪名高き白人至上主義団体 KKK (Ku Klux Klan) を好意的に描いているらしいことは知っていたのですが、まさかここまでとは。好意的どころの騒ぎではなく、「栄光の KKK 物語」とも言うべき作品でした。 南北戦争終結後、リンカーン大統領が暗殺され、強硬派のオースティン・ストーンマンが実権を握る。白人と黒人のハーフで、ひそかに「黒人の帝国」を夢見るサイラス・リンチを使って黒人の権利拡大を過激に推し進めた結果、無知蒙昧な黒人どもが白人たちに横暴な態度を取るようになる。猿の惑星と化した南部を救うべく、KKK が結成され、抵抗運動が開始された。そしてついには黒人支配から南部を救い出すとともに、アーリア人の誇りに目覚めた北部人とも和解して、分裂したアメリカは再び統一されたのであった。ありがとう KKK、という訳です。 D・W・グリフィスの映画は、過去に『イントレランス』(1916) を見たことがあります。その作品もそうでしたが、壮大なスケール感や、マルチプログラミングの要領で複数のエピソードを同時進行させ、切り替えの速度を次第に上げながら盛り上げていくやり方など、当時の人はさぞかし驚いたろうなと思います。アメリカ映画の父とまで言われているそうで、たしかに映画技法的には画期的だったでしょうが、内容が内容なだけに、素直に自慢できないであろうアメリカ人にはお気の毒様と言う他はありません。 二大政党制、大工業国への歩み、人種問題、根深い南北の対立等々、今我々が普通に考えるアメリカという国の形は、南北戦争によって生まれたのだそうです。そういった意味で、南北戦争とはまさに、「ある 1 つの国の誕生」 だったんだろうなと思います。しかし、先の大統領選挙によって、アメリカの分裂が決定的に露わになったのはご存知のとおりです。再び『The Birth of a Nation』を果たすには、新たなる「南北戦争」が必要なのでしょうか。
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[016]オー・ブラザー!
 モーツァルトo.o2016-12-05
 
大変面白く、楽しい映画でした。ストーリーテリングの巧みさで結末までぐいぐい引っ張っていくというのとはちょっと違っていて、いつまでもこの世界に浸っていたい、まだ終わら・・・
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大変面白く、楽しい映画でした。ストーリーテリングの巧みさで結末までぐいぐい引っ張っていくというのとはちょっと違っていて、いつまでもこの世界に浸っていたい、まだ終わらないでくれと思わせてくれるような面白さでした。とにかく、一つひとつの場面が光を放ち、生命が宿っているという感じです。元女房の結婚式に忍び込み、「ずぶ濡れボーイズ」として舞台に登場して歌い出すと、観客が一斉に立ち上がって歓声を上げるシーンの愉悦感というか幸福感の爆発がたまりません。並々ならぬ才能の持ち主が作った映画に違いありません。 時は 1930 年代の大恐慌時代、ルーズヴェルト大統領によるテネシー川流域の水力発電計画 (これがラストの伏線となっています) などが始まった頃のミシシッピー州が舞台となっていますが、当時のアメリカについて詳しい人なら、ああ、あのことだなと、分かることが散りばめられているのだろうなと推測します。悲しいかな自分が分かったのは、一部主人公たちと道中を共にすることになる、「悪魔に魂を売ってギター テクニックを身に付けた」伝説のブルース ギタリスト、ロバート・ジョンソン (劇中ではトミー・ジョンソン) だけでした。 主演はジョージ・クルーニーですが、色男の彼が、何とか馬鹿っぽい表情を作ろうと一生懸命努力している風なのが、微笑ましいというか好ましいというかで、それを眺めるのもこの映画の楽しみの 1 つではないかなと思います。元女房と結婚しようとしている、一見いかにも弱っちょろそうな男に、なんだてめえはとばかりに詰め寄ったところ、ボクシング テクニックで滅多打ちになって返り討ちにあうシーン、とくにその時のクルーニーの顔が何とも可笑しいです。 全編にヒルビリー音楽 (Hillbilly Music = 田舎の貧乏白人が好む音楽) が流れ、こんなにいいものだったっけと思わせてくれますが、それもこの作品が取り上げてこそだと思います。特に物語で重要な役割を果たす『Man of Constant Sorrow』が素晴らしいです。歌詞の内容はと言えば、今まで生きてて良いことなんてぜんぜんなかったという暗いものであるのに、なぜかくも胸躍らせられるのでしょうか。そんな、明るいとか暗いとか、嬉しいとか哀しいとか、単純に割り切れない感覚が、アメリカ南部の文化の魅力なのかもしれません。 こんな映画を見てしまうと、天才って確かに存在するよなあと思ってしまいます。天才と言えば、上に触れたロバート・ジョンソンは、酒場で仲間と酒を飲みながら背中で聞いていた音楽を、演奏が終わるや否やそのギタリストの細かいクセまでをも含めて完璧に再現して演奏してみせたそうです。たしか、モーツァルトにも似たようなエピソードがあったんじゃないでしょうか。ありがとう天才たち、という感想です。
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[017]硫黄島からの手紙
 びんたo.o2016-11-21
 
アメリカ人であるクリント・イーストウッド監督が、日本人のことをまじめに考えて、まじめに作ってくれたのだろうという、その誠意は伝わってきた気がします。なので、あまり批・・・
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アメリカ人であるクリント・イーストウッド監督が、日本人のことをまじめに考えて、まじめに作ってくれたのだろうという、その誠意は伝わってきた気がします。なので、あまり批判的に言いたい気分ではないのですが、それでも客観的に見ると、多くの不満を感じずにはいられなかったと言わざるをえません。 栗林中将と西郷一等兵の家族に宛てた手紙、そして、死んだ若きアメリカ兵が持っていた母親からの手紙。それらの手紙を通して、壮絶な殺し合いをしていても、一人の人間に還れば、戦地から家族を気遣う同じ人間同士ではないかという共感を呼び起こそうという趣旨は分かるのですが、全体の構成の問題なのか、どうもその「手紙」というテーマにしっかり焦点が当たってない感じがして、今一つ胸に迫るものがありませんでした。 また、自分の知る限り、硫黄島の戦いというのは日米双方にとって凄まじい激戦だったはずなのですが (アメリカは、本土でもこんな抵抗を受けるのではないかと衝撃を受けたそうです)、それがちゃんと表現されていたとは思えません。全滅した日本軍守備隊の数は、約 2 万 3000 人とされていますが、この映画ではせいぜい数十人しかいないように見えてしまいます。また、押し寄せるアメリカ軍は CG で表現されていて、ぜんぜん迫力を感じませんでした。 出てくる日本兵は、外国映画でよく見られる変てこ日本人などでは決してありませんが、大日本帝国時代の兵隊さんじゃないよなあという違和感を最後まで拭えませんでした。ちょっと反抗的な主人公の一等兵の態度も、どこかアメリカ軍の新兵を見ているようです。旧軍と言えば、ひたすらびんたびんたの、びんた文化のはずですが、そんなシーンは 1 つもありませんでした。日本人そっくりなのだが何か違う、という感じです。 そんな訳で、不満ばかりを並び立ててしまいましたが、でもまあ、アメリカ人が、ほとんど日本人しか出てこない戦争ドラマを、しかもそれを共感を込めた形で作ってしまうということに、ある種の敗北感を感じざるをえません。その逆というのは、少なくとも今この時点ではあり得ないんだろうなと思います。日本はアメリカに理解を求め、アメリカは日本を理解しようと務める、その関係をいつの日か逆転してほしいものです。 いつの日か、日本人監督が、アメリカ兵に共感を込めた日米戦争の映画を、それも当のアメリカ人がそれを見て心よりの涙を流すような映画を作れる時が来ることを希望する次第です。
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[018]アイス・ストーム
 台湾人o.o2016-11-07
 
タイトルを目にした瞬間、ディザスター映画かと反射的に思ってしまいましたが、70 年代のアメリカ東部 (コネチカット州) を舞台とした、ある家族の崩壊の危機を描いた人間ドラ・・・
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タイトルを目にした瞬間、ディザスター映画かと反射的に思ってしまいましたが、70 年代のアメリカ東部 (コネチカット州) を舞台とした、ある家族の崩壊の危機を描いた人間ドラマでした。貧困、差別、暴力といった事柄とは無縁の、傍目からは豊かで安定した生活を営む中産階級の家族が、とくにこれといった根本的な原因が見当たらないのに、内部からじわじわと自壊していく、そんな家族の、人間の、あるいは大袈裟に言えば世界の不思議さが描かれているように思えます。 あまり教えたくないのですが、自分は、監督のアン・リーという名前を目にして、てっきり女性、それも白人女性だと頭から思い込んでしまいました。ところが監督は男、それも何と台湾人 (李安) だと見終わった後に知ってほとんど衝撃を受けてしまいました。しかも恥ずかしながら、「こういう映画は女性監督ならではだよなあ」などと分かった風なことを思っちゃってた訳なのでありまして・・・先入見ってこわーい。 劇的な事が次々と起こる訳ではないのに、ピンと張り詰めた緊張を最初から最後まで持続させる力量はさすがだと思いました。天気予報がみぞれまじりの雨 (Ice Storm) になると告げる中、ラストの大きな、しかしあっけない悲劇へと向かっていく過程に目が離せません。左翼かぶれの娘、ウェンディがニクソン大統領のお面を被ったまま隣人の息子にセックスさせようとするシーンが滑稽かつ不気味です。なお、「夜半には気温は氷点下に下がるでしょう。運転なさる方は道路の凍結にご注意ください」が伏線です。 ケヴィン・クライン、シガニー・ウィーバー、クリスティーナ・リッチ、イライジャ・ウッド、トビー・マグワイア等々、実力派ぞろいの、なかなかに豪華な出演陣です。この前見た『アダムス・ファミリー』 (1991) では小さな子供だったクリスティーナ・リッチは、グラマーなティーン エイジャーになっていました。人は成長するんですな。なお、クレジット タイトルで『I Can't Read』というテーマ ソングが流れるのですが、その声を聞いて、もしやと思い確認したところ、そうでした。今年亡くなったデヴィッド・ボウイでした。合掌です。 安定した生活が欲しいと人は言います。しかし人が人であるかぎり、どこにいても、どんな生活をしていようとも、その足元には虚空 (void) が広がっているのであり、落ち込むときはいつでもそこに落ち込んでしまう。そんなことを告げている映画だと受け止めた次第です。
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[019]何が彼女をそうさせたか
 ロンドンo.o2016-10-31
 
「傾向映画」だそうです。傾向映画とは「政治的傾向映画」ということであり、その定義は「芸術的効果と共に、特定の政治的・世界観的・社会的等、時代に結びついた影響を発揮し・・・
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「傾向映画」だそうです。傾向映画とは「政治的傾向映画」ということであり、その定義は「芸術的効果と共に、特定の政治的・世界観的・社会的等、時代に結びついた影響を発揮しようとする映画。通常プロパガンダ映画と呼ばれる」で、元々はかならずしも左翼的な映画を指してはいなかったそうですが、次第に「左翼思想を広めるための映画」という意味になり、それが 1920 年代 (大正時代の終わりから昭和の始めころ) にドイツから日本に輸入されたとのことです。 内容としては、生活苦によって父親が自殺して孤児となった主人公すみ子が、サーカス団に売り飛ばされ、詐欺師の手先、養育院、県会議員の女中、琵琶法師の家政婦、売れない役者新太郎の女房、生活が行き詰っての心中未遂、教会と、社会の底辺を遍歴するというもので、その目を通して、いかに社会が搾取する者と搾取される者、支配者と被支配者に分断されているのかを告発するという趣向でした。何が彼女をそうさせたか、それはこの矛盾に満ちた社会である、という訳です。 よほど陰々滅々たる内容なのだろうと思って覚悟して見始めたのですが、主人公の境遇が、不憫であるには違いないのですが、壮絶なというほどでもなく、現実はもっと悲惨だろうとつい思ってしまいます。また、どれだけ左翼思想を吹き込んでくれるのかと、ある意味期待していたのですが、現実を淡々と見せることに徹するという感じで、それほど強い政治的な主張を感じることはできず、ちょっと拍子抜けです。 割とテンポが良く、すぐに次のエピソードに進むので、それほど重苦しい気分にならずに見れたのは、自分としてはありがたかったです。ただ、あまりにプロットに工夫がなく、平板というか、単純な感じを受けたと言わざるをえません。ほら可哀そうでしょうという演出も素朴すぎると思います。映像的には、夜の海に身投げした夫婦を漁師たちが探す場面が、美しくかつ迫力があり、印象に残りました。『何が彼女をそうさせたか』というタイトルですが、その肝心の何をしたかという部分のフィルムが失われてしまって字幕で知るしかないというのは残念です。 昭和三年のプロパガンダ映画でした。この年の主なトピックスを参考までに以下に記します。 - 第二回普通選挙実施 - 恐慌の深刻化 (失業者推定 36 万人) - 浜口雄幸狙撃事件 - ロンドン軍縮会議 - 台湾原住民の反乱 - 東京/神戸間で「つばめ号」運転開始
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[020]愛人/ラマン
 絶叫o.o2016-09-12
 
ベトナムで育ち、フランスにはまだ行ったことがないという貧乏なフランス人少女と、華僑の大富豪の道楽息子で、パリ帰りの中国人青年が、フランス文化圏と中国文化圏との谷間で・・・
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ベトナムで育ち、フランスにはまだ行ったことがないという貧乏なフランス人少女と、華僑の大富豪の道楽息子で、パリ帰りの中国人青年が、フランス文化圏と中国文化圏との谷間である、フランス植民地下のベトナムで異文化接触し、セックスに耽り、やがてそれぞれの文化圏に回収されていく、双方の心に生涯消えることのない深い刻印を残して、というドラマでした。 二人のセックス シーンが延々と続く映画でしたが、自分がエロチックだなと思ったのは、ベトナムを去る時に船上から黒い車を見つけた少女が、中国人青年が後部座席からこちらをじっと見つめていることを悟り、初めて青年に声を掛けられた時と同じく、船べりの手すりに両肘を置き、片足を掛け、ちょっとお尻を突き出したポーズをわざと取って見せるというシーンです。私の姿を焼き付けてやろうという、少女のちょっとした意地悪な思い付きに、微妙なエロティシズムを感じてしまいます。 最初は単なる娯楽で少女とのセックスを楽しんでいた中国人青年が次第に彼女に心惹かれていってしまう、というのはよくある話ですが、彼から感じるのは、ある分厚い文化伝統に埋め込まれ、そこから逃れることのできない人間の哀しみです。彼にしてみれば、フランス人少女との出会いは、一瞬垣間見た「外の世界」だったのではないでしょうか。中国式の大仰な結婚式の最中に、見物に来た少女の姿を見つけ、目を反らす彼の姿からは、深い文化伝統に飲み込まれつつある人間の、声なき絶叫が聞こえてくるようです。 彼女と結婚させてくれと息子が頼み込む言葉を、阿片を吸いながら無表情に聞いている中国人青年の親父の姿を見ていると、近代化される前の伝統的な慣習に埋没した人間って、こういった、人格なんてあるんだかないんだかという感じだったんだろうなあと思います。一方、母国から遠く離れた地で騙されて財産を失い、できそこないの二人の息子を抱えて心の深いところが壊れてしまったらしい、少女の母親は悲惨ですが、こちらは悩める近代人という感じです。 あの出会いから数十年後、「数回の結婚、出産、離婚、出版の嵐」を経て小説家として大成した主人公に、妻とパリを訪問中のあの中国人が突然電話を掛けてきて、「オドオドして震えた」声で、昔と同じようにあなたを愛しており、死ぬまでずっと愛し続けるだろうと言ったことを冷静に告げる主人公のナレーションが、たまらなく効いています。特に、そのことに対する主人公の気持ちを観客には一切伝えないところが、すごくうまいと思いました。 映画が終わり、言い難い想いが心に残りました。いわく言い難い想いを残すのは傑作の条件だと思っています。この映画は間違いなく傑作だと思った次第です。
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[021]大列車強盗
 急落o.o2016-08-29
 
自分が見たなかでは最も古いアメリカ映画です。驚いたのは、サイレント時代の映画を見る時にはたいてい感じるような「調子っぱずれな感じ」というか、「エキゾチックな感じ」と・・・
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自分が見たなかでは最も古いアメリカ映画です。驚いたのは、サイレント時代の映画を見る時にはたいてい感じるような「調子っぱずれな感じ」というか、「エキゾチックな感じ」というかを、この映画では、ぜんぜんとは言いませんが、あまり感じなかったという点です。何で感じなかったかと言えば、おそらく、カメラワーク、演出、プロットといった広い意味での「文法」が今の映画とそう変わないからなんだろうと思っています。たった 12 分の映画ですが。 このあいだ、公開年が 1 年しか違わない『月世界旅行』 (1902) というフランス映画を見たのですが、こちらはいかにもサイレント映画だよなあという感じの映画で、まるで、わずか 1 年の間に、聴いていて何か変な感じがする平均律確立前の音楽が、耳慣れた近代音楽に突然進化してしまったかのようです。実際、この映画の登場により、それまで映画の王様だったジョルジュ・メリエス (『月世界旅行』の監督) の人気は急落しちゃったんだそうです。ご愁傷さまです。 テーマ的にも、こんな古い映画なんだからどうせ単純な勧善懲悪なんだろうと決めつけてしまっていたのですが、ラストに悪党の親玉らしき人物が大写しになって観客に向けて銃をぶっ放す演出となっており、明らかにワル賛歌的なものが感じられます。考えてみれば、『The Great Train Robbery』の「Great」には「卓越した」とか「素晴らしい」とかいった意味もあるわけだし。それにしても、悪党をやっつけるのが警官ではなく、武装した市民たちというところがメリケンしてるねえ。銃規制反対です。 こんな早々と「文法」を確立してしまっていることにびっくりです (これからどうするのでしょうか)。100 年前のアメリカン ニュー シネマ、という感想です。
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[022]アダムス・ファミリー
 シャブo.o2016-08-08
 
アダムス・ファミリーというのは、そういうものがあるのはもちろん知っていましたが、今まで生きてきた中で 1 回も興味を持ったことがなく、当然ながら思い入れもないので、何・・・
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アダムス・ファミリーというのは、そういうものがあるのはもちろん知っていましたが、今まで生きてきた中で 1 回も興味を持ったことがなく、当然ながら思い入れもないので、何かノリノリでやっているのは分かるのですが、置いてきぼりにされているような気分になってしまい、ただただポカンと眺めるのみでした。 今まで何となく、彼らは特殊な能力を持った幽霊とか妖怪みたいなものなのかと勝手に思い込んでしまっていましたが、どうも彼らは人間だったようです。ただ先祖が揃いも揃ってろくな死に方をしなかった大量殺人鬼だとか猟奇殺人鬼であるような家系で、言うならば「陽気なサイコパス一家」といったところでしょうか。 こういう映画は、1 つ 1 つの場面のアイデアとキャラクターの面白さが勝負かと思いますが、意外に想像力の爆発は見られなかったように思えます。ストーリーは、家族の絆こそ何より大切というお話で、考えてみるとその点いかにもアメリカンだよなあ。サイコパスたちより一家の財産を狙う普通の人間たちの方がよほど醜いというところがポイントなのだろうと思います。 長女ウェンズデーを演じたクリスティーナ・リッチはさすが天才子役という感じで、見事に不気味ちゃんを演じていましたが、弟パグズリーを演じたジミー・ワークマンは残念ながら凡才子役で、どこから見ても単なる普通の少年です。子役を見るとその後の人生を追跡せずにはいられないので、シャブ中とかになったりしていないかなと期待しながら確認したところ、普通の人生を歩んでいるみたいで心底がっかりです。演技が退屈なやつは人生も退屈ですな。 なお、一家の主ゴメズ・アダムスを演じたラウル・ジュリアという俳優は、本作品公開の 3 年後に死んでしまったようです。故郷プエルトリコでは何と国葬級の葬儀が行われたのだとか。そんなに名優だったのでしょうか。いまさらですが、合唱です。
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[023]愛がこわれるとき
 戦争o.o2016-07-25
 
「ほほう、そう来るか。で、どうなる?・・・終わりかよ」という終わり方でした。まともな映画だったら、まさにこれからが本番というところで断ち切られるように終了してしまい・・・
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「ほほう、そう来るか。で、どうなる?・・・終わりかよ」という終わり方でした。まともな映画だったら、まさにこれからが本番というところで断ち切られるように終了してしまい、エンドクレジットが流れるのを呆然と見つめるばかりだったのでした。ドメスティック バイオレンスやストーカーといった社会的問題が深く掘り下げられる訳でもなし、ちゅーとはんぱやのー、という感想を拭えません。 ただ、ローラがまだ生きていることに暴力亭主が気付き、彼女がひっそりと暮らす居場所を次第に突き止めていく過程は、型通りとは言え、それなりにサスペンスがありました。変装した彼女と元夫が互いに気付かぬまま接近する場面が見せ場です。家に帰ってくるとタオルの掛け方が微妙に違うというのはホラー映画みたいでした。またこの映画は、映像が美しいです。陰気な結婚生活の場である海辺の寒色系の画面と、逃れの町の暖色系の画面の対比が鮮やかです。 大味というかおおざっぱな顔をしているジュリア・ロバーツについては、なんでアメリカ人はこれが好きなんだろうとこれまで不思議な気持ちでいましたが、この映画を見て初めて、「あ、こういうことかな」と、その可愛らしさが少しだけですが理解できたような気がします。特にラフな格好をしている時に、隣のお姉さん (Girl Next Door) 的な魅力を感じました。 ちなみに、タイトルの『Sleeping with the Enemy』は、どうもフランソワ・ド・ラ・ロシュフコー (Francois, Duc de La ROchefoucauls) とかいう変な名前の 17 世紀のフランス貴族が残した「Marriage is the only war in which you sleep with the enemy.」 (結婚とは敵とセックスしながら行う他に類を見ない戦争である) という箴言から来ている模様です。よっぽどきつかったんでしょうな。 理由が何であれ、公的には死んだことになっているが、実はどこか遠い街で暮らし、そのまま一生を終える人間なんて、いかにもアメリカにはたくさんいそうです。でもそんな社会、実は嫌いではない自分です。
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[024]十字路
 張作霖o.o2016-07-19
 
「表現主義」なのだそうで、グロテスクに誇張された表現、邪悪な登場人物たち等々、こんなタイプの映画、見た記憶があります。とくに思い出したのは、主人公が強欲 (Greed) に・・・
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「表現主義」なのだそうで、グロテスクに誇張された表現、邪悪な登場人物たち等々、こんなタイプの映画、見た記憶があります。とくに思い出したのは、主人公が強欲 (Greed) によって身を滅ぼす姿を描いた怪作『グリード』 (1924) です。とくに女郎たちの元締めである老婆が、金貨を数えながら卑しく笑うシーンでは、あの異様な世界がフラッシュ バックしてしまいました。各国で上映されて評価もよかったそうですが、日本人ってとんでもなく不気味な人間だと思われたのではないかとつい懸念してしまいます。 ただし、『グリード』同様、この映画も強欲で邪悪な人間たちが登場し、救いのないお話しなのですが、主人公の姉弟だけは純真そのものという人間像となっており、その点ちょっと甘いというか、不徹底というか、人情もの的なハードコアにまで斬新な表現が染み込んでないような感じがしてしまったのが正直なところです。どうも我が邦では、「表現 = 装飾 (中身はそのまんま)」ということが多い気がするのですが、どんなものでしょうか。 純粋ではあるが世の痴れ者と言わざるをえない「弟」が、憧れの女が喧嘩相手の男と飲んでいるところに乗り込み、体を小刻みに震わせ、喉を掻きむしり、寄り目になって卒倒してしまうクライマックスでは、何してまんのと、つい笑ってしまいそうになります。ちょっと歌舞伎が入っていないでしょうか。また、『十字路』というタイトルに、ラスト シーンで主人公の「姉」が十字路に立って「弟」の帰りを待つという以上の意味がないように思えるのが、物足りないところです。 昭和 3 年における前衛映画ということで、何はともあれ貴重なものを見せてもらったという思いです。当時の観客の反応を知りたいものです。なお、昭和 3 年の重大ニュースと言えば、何と言っても「張作霖爆死事件 (満州某重大事件)」です。ご参考まで。
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[025]家族の肖像
 ヴァンパイアo.o2016-06-27
 
年老いた教授の静かで孤独な生活に突然侵入してきたビアンカ夫人とその娘リエッタ、娘の婚約者ステファノ、そして夫人の愛人である美青年コンラッドの、傍らに人の無きが若き振・・・
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年老いた教授の静かで孤独な生活に突然侵入してきたビアンカ夫人とその娘リエッタ、娘の婚約者ステファノ、そして夫人の愛人である美青年コンラッドの、傍らに人の無きが若き振る舞いの数々に、まずはあっけに取られます。しかし見ているうちに、彼らには悪意とか邪心とかが不思議と感じられないことに気付きます。思いっきり自己中心的ではあるものの、単に自分の欲望に忠実なだけで、他者を傷つけようという意思はなく、どこかピュアなものを感じさせます。 そんな彼らの特徴は、結局のところ「貴族的」ということになるのだろうなと思っています。彼らは主人公にとっての「家族」になったわけですが、重要なのは「家族」であるというだけではないように思えます。教授にとって彼らは、彼が愛する貴族の家庭団らんを描いた絵画から抜け出てきた、今や滅んでしまった幻想の「貴族」ということではないでしょうか。あるいは教授の方が絵画の世界の一部になってしまったと言えるかもしれません。 もちろん彼らは本物の家族でもなければ貴族でもないわけで、クライマックスの口論と破局の場面で、現代 (1970 年代) イタリアの現実がどっと流れ込み、彼らのバックグラウンドがそこで初めて明らかになって、教授の夢見た幻想の世界もそこで終わるというわけです。それにしてもこのわがまま一族、まるで何百年の時を超えて生き続けてきたヴァンパイア一族みたいです。コンラッドは、彼らに噛まれて仲間にされた元人間というところでしょうか。 この映画で何と言ってもインパクトがあったのが、ヘルムート・バーガーという役者が演じる美青年コンラッドです。傲岸不遜で、人の家の女中に持ってこさせたワインを飲み、いかがですかと聞かれて「まずい」の一言。何様だこの野郎と思わせつつも、どこか高貴な人間が持っている (のであろう) ある種の公平さみたいなものを感じさせ、芸術への理解を示し、最後は、「悪いと思っている」、「あなたと話せてよかった」などと、礼儀正しさを見せて去っていく初登場シーンが鮮烈に心に残っています。 教授とコンラッドの関係は、同じ監督の『ベニスに死す』 (1971) における初老の作曲家と美少年との関係に似ているのではないでしょうか。もちろん本作品では、「父と子」という要素が強いのですが、どうもそれにとどまらない微妙なものがあると感じずにはいられません。ヴェネツィアの浜辺で少年の幻影を見ながら息絶える (ように見える) 作曲家の姿と、ベッドの上で、おそらくはコンラッドの幻影を見ながら息絶える (ように見える) 教授の姿が重なります。 『ベニスに死す』と同じく、古き良き貴族的なヨーロッパへのレクイエムであると受け止めた次第です。うーん、まろにも、まろにも分かるでごじゃるー、という感想です。
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[026]アイ ウォント ユー
 記号o.o2016-06-06
 
ムードだけというか、ドラマの一歩手前という感じの映画でした。孤独なヘレン、仮出所で故郷に帰ってきた元恋人マーティン、歌手もやってるけど本業はたぶん売春婦のスモーキー・・・
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ムードだけというか、ドラマの一歩手前という感じの映画でした。孤独なヘレン、仮出所で故郷に帰ってきた元恋人マーティン、歌手もやってるけど本業はたぶん売春婦のスモーキー、その弟ホンダという 4 人の関係も人物像も、最後まで一向に深まらないまま終わってしまった印象です。冒頭で死体を捨てる場面が出てきて、どうしてこんな顛末になったのかご説明します方式 (?) の、いちおうはサスペンスなのですが、ぜんぜん盛り上がらず、そもそも冒頭の場面のことなど途中ですっかり忘れてしまっていました。なお、一歩手前と言えば、主演のレイチェル・ワイズも美人ワールドの一歩手前という感じで不満です。裸は見れたけど。 ただし、イギリスのさびれた街で、大した展望もなく平凡な日々を送る者たちのけだるさというか退屈さは何となく伝わってきたと思います。たぶん狙いとしてはそこなんだと思います。また、主に遠景のショットの時に、全体に黄色がかった映像になるときと、青色がかった映像になるときがあるのですが、それがけっこう印象的かつ魅力的ではありました。お話の内容よりも、その黄色と青色が強く印象に残っています。タイトルになっている主題歌『I Want You』の使い方はくさく、見ていてちょっと恥ずかしいです。 最近、映画のキャラクターには「発見されたキャラ」と「設定されたキャラ」の 2 種類があるのではないかと思っておりまして、本作品の登場人物たち、特に少年ホンダは後者であると言わざるを得ません。母親の自殺を目撃して以来口をきかなくなったとか、盗聴マニアだとかいうのが、いかにも「キャラ設定」でこさえ上げたキャラクターという感じに見えてしまいます。けっきょくは固定した「記号」だから、映画の始まりと終わりでその性格・性質 (Character) が変わることもありません。退屈です。 ドラマの中のキャラクターは、脚本家、監督、役者、そして観客がそれぞれの立場で「発見」していくべきものであって、というか、発見していく過程がドラマなのであって、薄っぺらく「設定」するものではないと主張する次第です。
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[027]月世界旅行
 原住民o.o2016-05-23
 
20 世紀がこれから始まろうという 1902 年の作品で、今まで見た中で世界最古の映画です。日本は明治三十五年。まだ日露戦争前で「日英同盟協約調印」とかやっている時代なのだ・・・
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20 世紀がこれから始まろうという 1902 年の作品で、今まで見た中で世界最古の映画です。日本は明治三十五年。まだ日露戦争前で「日英同盟協約調印」とかやっている時代なのだからいかにも古いです。しかし、まさか 14 分で終わってしまうとは。 114 年前の空想の月世界は、もっとロマンチックというか、美しいものなのであろうと何となく期待してしまっていたのですが、ぜんぜんそうではありませんでした。地上はごつごつとした岩だらけで冷たい雪が降り、地下は巨大なキノコが生えているじめじめした場所なのでした。ロマンチックもへったくれもありません。 登場する「月人」も何か気色悪いです。人間の方も彼らと友好を深めようなどという意思はさらさらないようで、考えてみると、この探検者たち、ただ原住民をぶっ殺して逃げ帰ってきただけですな。この「月人」には、世界の植民地化を推し進めていたであろう当時のヨーロッパ人の、各地における原住民に対する見方や態度が反映されているんだろうなと思っています。 月人に追われた探検者たちが、崖っぷちから宇宙船 (というか砲弾) を落として脱出するというシーンでは、恥ずかしながら、一瞬どういうことかよくわかりませんでした。要するに「月から地球に落っこちて帰ってきた」ということだった訳ですが、月の崖から落ちて地球の海に着水するっておかしいじゃん。いくら 100 年前の SF だからって認めません。 そんな訳で、期待していたものとはずいぶん違ったというのが正直なところです。しかし、この映画から 67 年後の 1969 年には、本当に月に行って、確かに海に着水して帰ってくる訳だから、やっぱり人間ってすごいよなあと思った次第です。
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[028]アンナ・カレニナ
 無料o.o2016-05-16
 
古臭いとしか言いようがないメロ ドラマで正直閉口しましたが、原作がロシアの文豪トルストイ (読んだことないけど) の長編小説ということで、端折りに端折ってるんでしょうな・・・
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古臭いとしか言いようがないメロ ドラマで正直閉口しましたが、原作がロシアの文豪トルストイ (読んだことないけど) の長編小説ということで、端折りに端折ってるんでしょうな。そう思うことにします。人妻と知りながら、アンナに執拗に迫るヴロンスキーは、ほとんどストーカーとしか思えず、アンナが何でそんなに惚れてしまうのか不可解です。また、素直すぎるアンナの息子がほとんど不気味です。 パーティーでのおふざけ、舞踏会、競馬、オペラ鑑賞等々、帝政ロシアの貴族たちの生活のあれこれを見れたのはよかったと思います。オペラの場面では、劇場で貴族たちがオペラ グラスを片手に鑑賞するというところまでは西洋と同じなのですが、舞台で演じられているのは民族舞踊みたいな演劇で、こういうのを見ると、西洋から見たらロシアって田舎だったんだろうなあと思います。 結局この映画の目的はグレタ・ガルボ鑑賞ということなんだろうと思います。大人気だったそうで、自分は初めて見ました。悪いとはぜんぜんは思わないものの、そんな夢中になるほどかなあとつい思ってしまいました。誰かにすごく似ているのですが、それが誰かがどうしても思い出せず、今も悶々としております。もうけっこう歳なんだろうなと思っていたら、まだ 30 歳でした。 なお、冒頭のパーティーの場面でいきなり大量のキャビアが映されますが、戦前では、キャビアは前菜として無料で出されるような安い食い物だったそうです。『食べつくせ!アメリカ』という番組でそう言っていたから間違いないと思います。ご参考まで。
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[029]愛・アマチュア
 清潔感o.o2016-04-11
 
どう受け取ってよいのか、何とも扱いに困る映画でした。いちおう表面的にはよくできたお話のサスペンス映画なのですが、何かすべてが絵空事風で、全体的にどこか素人っぽい感じ・・・
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どう受け取ってよいのか、何とも扱いに困る映画でした。いちおう表面的にはよくできたお話のサスペンス映画なのですが、何かすべてが絵空事風で、全体的にどこか素人っぽい感じがします。しかしそれは下手だからではなく、意図的であることは、タイトルの『Amateur』から分かります。べつに愛がアマチュアな訳ではなさそうです。 主要な登場人物はみなポルノ産業に関わっている、世の中から半分外れた人間たちで、そんな彼らが、色々あってオランダを本拠にしているらしい犯罪組織に追われるというストーリーでした。たしかにプロットがよくできていて退屈はしないのですが、よくできすぎというか、サスペンス映画ってだいたいこんな感じですよねと言われているような気分になってしまいます。 主人公のイザベルは、ポルノ作家をしている元尼僧で、聖母マリアからお前は色情狂だと告げられ、自分でもそう思っているという変な女です。実は彼女は処女なのですが、妙に落ち着きがなく、いつもそわそわして、清潔感がなく、どこか病的という、自分が持っている色情狂の女のイメージとよく合っています。とにかく、あまりいいものではないです。 見終わった後も、落ち着かないような気分にさせてくれる変な映画、という感想です。
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[030]雄呂血
 判断o.o2016-03-22
 
大正時代にタイム スリップしてみました。今まで自分が見た中では最古の日本映画です。100 年近くも前の人間がこうして生きて動いている姿を見れるというのは、考えてみればす・・・
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大正時代にタイム スリップしてみました。今まで自分が見た中では最古の日本映画です。100 年近くも前の人間がこうして生きて動いている姿を見れるというのは、考えてみればすごいことだよなあと思ってしまう単純な自分です。なお、公開年の大正十四年は、普通選挙法と治安維持法が公布された年です。不況が慢性化し、ナショナリズムと社会主義運動が共に高まりつつある、そんな時代だったようです。 ある事件をきっかけに、ひたすら転落し、落ちぶれていく男を描いた作品でした。時代は下りますが、ひたすらに転落していく女を描いた昭和 27 年の映画、『西鶴一代女』を思い出してしまいました。どちらも封建社会の冷淡さというものをひしひしと感じさせてくれるという点でよく似ています。庶民は「お上」にひたすら恐れ入りつつも頼みにし、「身分」がすべてで、いちどコースから外れたらたちまち何ものでもなくなるという世界です。大正の世も変わらぬではないかという社会批判が込められていることはよく分かります。 クライマックスの 1 対 100 (ぐらい?) の大立ち回りは、もちろん素晴らしかったです。様式化され、理想化された立ち回りではなしに、走り回り、刀を滅茶苦茶に振り回しての、くんずほぐれつの大乱闘で、こちらは昭和 29 年の映画『七人の侍』のクライマックスを思い出しました。また、心を寄せていた千代が結婚してしまっていたことを知り、悲嘆に暮れる平三郎を、いつの間にか大勢の役人たちが、爬虫類の群れのように地に伏せながら包囲し、じりじりと輪を縮めていくというシーンが強烈に印象に残ります。 自分がこの作品を見た DVD は、活動弁士の解説と楽団による音楽を流して、当時の上映形態を再現するという趣旨のものでした。以前からヨーロッパの無声映画と日本のそれでは、どこかテンポが違うと何となく思っていましたが、考えてみれば、日本では映画を作る方も音付きで鑑賞されることを前提としていただろうから、そのせいなのかなと、ふと考えた次第です。 しかしなぜ、日本ではこういう独特の上映形態が生まれたのでしょうか。映画に限らずですが、どうも日本人というのは、個人で作品と向き合って、自分ひとりでその内容について判断を下すということを恐れているような気がして仕方ありません。これはこういことだよと誰かからお墨付きをもらい、みんなと同じ理解であることを確認しないと不安で仕方がないということなのかもしれません。
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