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 「parole」さんのコメント一覧 登録数(43件)rss
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[001]醜聞〈スキャンダル〉
 名作? 巨匠?parole2005-10-11
 
この作品を名作だと評価したり、 このような作品を作る監督を巨匠だと褒め称えることが 私には全く理解できない。 この作品には映画的な物は何一つと言って無く、 あるのは出・・・
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この作品を名作だと評価したり、 このような作品を作る監督を巨匠だと褒め称えることが 私には全く理解できない。 この作品には映画的な物は何一つと言って無く、 あるのは出来の悪いテレビドラマ程度の安易な構成と 程度の低い安直なテーマ性だけだ。 志村喬の演技だけが唯一の救いだろうが、 それは志村喬に対する誉め言葉であって、 この作品の評価を高めるものではない。
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[002]カナリア
 『カナリア』と『誰も知らない』との比較parole2005-08-12
 
 是枝裕和監督の『誰も知らない』と塩田明彦監督の『カナリア』とは、監督の年齢が近 いこと、片や子供の戸籍すら取らずに置き去りにしてしまった母親の事件、片やオウム真 ・・・
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 是枝裕和監督の『誰も知らない』と塩田明彦監督の『カナリア』とは、監督の年齢が近 いこと、片や子供の戸籍すら取らずに置き去りにしてしまった母親の事件、片やオウム真 理教事件と実際に起きた出来事をモチーフにした社会派(風)の作品であること、共に少年 を主人公としていること、そして公開が近いことから比較対象となりやすいようで、事実 Web上の映画サイトやブログなどで両者を比較した文章がしばしば見られた。が、題材や 背景には近しいものがあるものの、作品の質や受ける感想は大きく異なっているようで、 カンヌで主演男優賞を受賞したという話題性のおかげもあり、総じて『誰も知らない』の 方が受けがよいように感じる。しかし、私の感じたところでは似て非なる物という比較論 には大いに賛成はするが、その出来、作品の強度という点に関しては圧倒的に『カナリア』 の方が優れていると思う。  とあるブログの両者の比較において、『カナリア』の台詞が過多なところや、台詞がこ なれていないことなどから、監督である塩田明彦はオウム真理教と本気になって対峙する つもりがあったのかと強い口調でなじると共に、『誰も知らない』における子供達の演技 や台詞回しの自然さを褒め称えていた。確かに、柳楽優弥の視線の強さやその演技の「自 然さ」には非凡なものを感じるし、個人的には彼の存在はこの映画の唯一の美点ですらあ ったと思う。しかし、それ以外は全くいけない。例えば是枝が一番心を砕いたという自然 らしさ、ドキュメンタリーの風味というのは子供達の演技臭くない振る舞いや台詞からは 確かにその意図を感じることはできのだが、それは飽くまでも風味や雰囲気に過ぎず、実 際には本当の意味での自然さをこの映画からは感じることはできない。それは細かいカッ ト割り、アップの多用から容易に窺い知れることであり、瞬間毎の「演技」に自然さが感 じられたとしてもむしろ自然さを演出する不自然さの方をより強く感じてしまう。どうや ら自然光、同時録音という自然さを醸し出すための技術を基本としてるようなのだが、で もそれは、いやそうであるが故に本来なら細かなカット割りやアップの多用には嘘くささ、 作り物の危うさをごく当たり前に感じ取れるはずなのに、多くの場合は個々の演技の自然 さと画面の上で形づくられる自然さとを混同、勘違いしてしまうらしい。私にはこの恣意 性ばかりが強く感じられてしまい、そのこと故にこの映画に乗りそびれ、多くの感涙を誘 ったというラスト近くのとある場面に至るまでその醒めた感覚が薄れることはなかった。 この映画における自然さは、例えば晩年のルノワールが自然さをそのままフィルムに収め るために長回しを多用し、場合によっては複数台のカメラを使って同時撮影までしたこと と対極にあるものだと思う。  一方『カナリア』は上記のブログ等における批判で言われている通り、言葉は生硬だし、 メッセージとも受け取られかねない説明調の台詞すら少なからずあるように感じられる。 だから、彼らの演技や言葉は子供のそれではなく大人のものだという批判も出されるのだ ろうし、そのこと自体は否定しない。だが、本来であれば不自然でありいびつなはずのこ うした台詞や作品構造が、『カナリア』においては不自然さを感じさせることなく、まさ に映画的なリアリティーとしか言いようのない自然さに収まっているのだ。また、カメラ ワークにおける両者の比較、相違も同様の対比構図に収まっている。同じ山崎裕というカ メラマンの作品であるにもかかわらず、表面的な共通点以上に根本における相違、断絶の 方が遙かに目に付く。一言で言えば、『誰も知らない』におけるカメラワークは「物言う 視線」であり、『カナリア』においては「物を眺め、捉える視線」なのだ。『誰も知らな い』のいかにも何か言いたげなカメラワークに象徴や意味性まで指摘しようとは思わない が、しかし、それを指摘されたとしても致し方ないような有意味(さを彷彿とさせる)なフ レーミングが多い、多過ぎるのだ。そして、その恣意性は結果としては映画を是枝の主張 の代行としての機能に貶めることになり、映画そのものの喜びや愉しさを奪ってしまう。 元々はドキュメンタリー志向であり、事実映像の世界にはテレビマン・ユニオンから入っ た是枝の限界は、さらに言うならばいわゆるドキュメンタリー的な作品の限界はここにあ る。被写体にカメラを向けて撮影すればそれがすなわち映画だと言ったのはゴダールだが、 同時に映画以外の様々なものを写し込んでしまうのも事実であり、そのことにいかに自覚 的であるかと言うことこそが映画作家としての基本的な姿勢ではなかろうか。
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[003]再現
 アンゲロプロスの原点parole2005-05-02
 
最新作『エレニの旅』の原点(原典)と言いうる作品であると同時にアンゲロプ ロス映画そのものの原点でもある作品だと思う。この前の作品である『放送』 はまだアンゲロプロスら・・・
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最新作『エレニの旅』の原点(原典)と言いうる作品であると同時にアンゲロプ ロス映画そのものの原点でもある作品だと思う。この前の作品である『放送』 はまだアンゲロプロスらしさが萌芽の段階に留まっており、ある意味習作と言 いうる作品だと思うが、『再現』においては執拗な長回しが主体であること以 外はアンゲロプロス的な要素が全て詰まっており、初期の習作、ないしは過渡 期の作品という枠には収まらない。作品が持つ「詩的」なムードという点では、 この次の作品であり「ギリシア現代史三部作」の第1作に相当する『1936年の 日々』よりもむしろ本作の方が『旅芸人の記録』以降の作品との連続性がある ようにすら感じる。 探偵(推理)小説的な筋立てと言い、適度な長さと言い、アンゲロプロス入門と してはうってつけの作品ではなかろうか?
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[004]ヴィゴ
 最低の作品parole2005-04-02
 
何でも誉める淀川長治ですら酷評していたことからも判るとおり、 この作品、一つの映画としてみた場合、ダメ映画の見本のような代物だ。 肝心なところで絵画的な「美しい」シー・・・
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何でも誉める淀川長治ですら酷評していたことからも判るとおり、 この作品、一つの映画としてみた場合、ダメ映画の見本のような代物だ。 肝心なところで絵画的な「美しい」シーンが顔を覗かせる、 怒声を張り上げた大袈裟な演技がこれでもかと出てくる、 適度な間隔を置いて濡れ場やラブシーンが登場する、 さらには音楽は待ってましたとばかりに映像を押しのけて出張ってくるし、 カメラはゆらゆらぬらぬらと蠢き回ってばかりと だらしがなく節操もない、昨今のハリウッド作品のようなものなのだ。 こんな作品がヴィゴを題材にしていることだけで噴飯ものなのだが、 それ以上に腹立たしいのは、この監督、ヴィゴを題材とし、 最後にヴィゴは偉大な芸術家だなどという字幕を付けていながら、 ヴィゴから全くと言ってよいほど何も学んでいないことだ。 別にヴィゴのような作品を撮って欲しいと望んでいるわけではなく、 また逆に下手にまねでもされようものなら怒りしか感じないだろうが、 でもヴィゴに対して献辞を与えるほど、ヴィゴを主人公とした映画を作るほど ヴィゴを愛しているというのなら、ヴィゴから映画的な感覚を学ぶべきではなかったか。 この作品を観て『新学期・操行ゼロ』や『アタラント号』に 興味を感じてくれる人が出てくるのは喜ばしいことではあるけれど、 でもこの作品がきっかけならばヴィゴ作品の素晴らしさを 本当に感じてもらえるのだろうかという不安の方が先立ってしまう。
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[005]アメリカ
 ストローブ=ユイレの入門作品parole2004-12-10
 
 本作は、サスペンスやスペクタクルを徹底的に排した厳密かつ非妥協的な作品スタイル からとかく難解と言われるストローブ=ユイレの作品の中では、例外的と言って良いほど 馴・・・
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 本作は、サスペンスやスペクタクルを徹底的に排した厳密かつ非妥協的な作品スタイル からとかく難解と言われるストローブ=ユイレの作品の中では、例外的と言って良いほど 馴染みやすいものと言える。もちろん、ストローブ=ユイレの作品としてはという前提が 付くので、一般的な意味におけるわかりやすさとは全く異なっているが、それでも他の多 くの作品がそうであるようにどこからどう手を付けて良いのやら皆目見当が付かず途方に 暮れてしまうようなものではない。  本作について一言で言い表すなら、カフカの(マックス・ブロート版の)原作を極めて忠 実に映画化した作品だ。と言っても原作『アメリカ』は単行本で300ページ以上の長編な ので全てを収録しているわけではなく、映画化されているのは短編として発表されている 『火夫』の部分を含めた冒頭の一部分に過ぎない。しかし、『妥協せざる人々』に代表さ れるような極度の圧縮(割愛や短縮)が成されているわけではなく、台詞回しはもちろんナ レーションに至るまで発刊されている小説の文言をそのまま使われているので比較的容易 に物語の筋道を辿ることはできる。もっとも、原作自体が単純な物語の運びを主眼とした 小説ではないので、その内容を把握、咀嚼できるかどうかは別な話なのだが。  本作は最も映画化に成功したカフカ原作の作品と評されることが多いが、それは台詞や 物語の運び等が原作に忠実であることよりも、ストローブ=ユイレの制作スタイルに依る ところが大きい。前衛と言われることが多いストローブ=ユイレだが、実はフレーミング やカメラワーク等の映画を構成する基本要素には、いわゆる前衛的なものは極めて少ない。 人物配置を始めとする画面構成は正統極まりないものだし、カメラワークもカメラを止め る部分では微動だにしないフィックス・ショットを積み重ね、必要かつ不可欠な箇所にお いてはパンやズームを慎ましやかに(時には大胆に)利用する。視線の交差も厳密に定めら れ、切り返しショットで二人(複数)の人間が言葉を交わすシーンにおいては、フレームア ウトしている人物を本来いるべき位置に置いて演技や撮影が行われると言う。つまり、逆 な言い方をするなら、視聴者に対して特定の印象や恣意的な効果をもたらすカットやシー ンは周到に避けられており、この突き放した様がカフカの作品そのものと近しい関係にあ るのだ。  このような即物的な制作姿勢とそこから生み出されるものは、ストローブ=ユイレ作品 の特徴であると同時にその本質と言い得るものであり、彼ら自身一般的な映画を自然主義 (的)と定義づけこれらと対比する意味合いで自らの作品を実存主義(的)と定義づけている。 実存主義とはなんぞやといった「神学論争」はさておくとしても、彼らの作品が一般的な 映画とは位置付けを異にしているのは明かであり、両者を隔てるその分岐点にこそ映画の 限界点と可能性とがせめぎ合う極点があるのだ。  惜しむらくは、本来は何度も繰り返し観ることによって初めてその真価を享受できるは ずのストローブ=ユイレの作品が一般的な劇場で公開されることは非常にまれであり、DV Dすら一作品しか発売されていないと言うことだ。確かにストローブ=ユイレの作品は誰 もが気軽に楽しめるものではないかもしれないが、そんな中にあっても『アメリカ』は例 外的に普通の映画として愉しみ得る要素を持った作品だし、映画の教科書としても充分以 上に通用する端正で正統的な映画なのでDVD化されることを望んで止まない。
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[006]丹下左膳餘話 百萬兩の壺
 驚異的な作品parole2004-09-22
 
大河内傳次郎の殺陣の凄さ、素晴らしさには驚愕を通り越して畏怖さえ感じる。 フルで観ることができるのは剣道場での他流試合の部分だけだが、 道場(画面)狭しと跳ね回る姿には・・・
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大河内傳次郎の殺陣の凄さ、素晴らしさには驚愕を通り越して畏怖さえ感じる。 フルで観ることができるのは剣道場での他流試合の部分だけだが、 道場(画面)狭しと跳ね回る姿には口をあんぐりせざるを得ないし、 今回のDVDでごく一部だけ復活した殺陣のシーンなどは ほんの数秒だけでもその素晴らしさを震撼を持って感じることができる。 もちろんこれは大河内傳次郎だけがなし得たものではなく、 全編を通じて端正きわまりない画面が形作られているからこそ感じられることであり、 まさに山中貞雄の天才たる所以を余すところなく証明していると言える。 「人情紙風船」と甲乙付けがたい作品だと思うが、 個人的には上記の殺陣の要素を含め、笑いや涙など、 様々な要素が複雑かつ単純に詰まっている「百萬兩の壺」の方が好きだ。
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[007]ガラスの脳
 秀作!parole2004-07-30
 【ネタバレ注意】
上手い。とても丁寧に作られた秀作だ。 妥協したのかなと感じられるシーンもないことはなかったが、 よく考えられた抑制の利いた画面が効率よく展開され続けるため、 それほど・・・
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上手い。とても丁寧に作られた秀作だ。 妥協したのかなと感じられるシーンもないことはなかったが、 よく考えられた抑制の利いた画面が効率よく展開され続けるため、 それほど気にはならない。 主人公の少年少女を始めとする若い人達の演技は何だかなぁという感じではあったが、 劇映画にってするという点ではこれはこれでいいのかもしれない。 中田秀夫はジョセフ・ロージーをこよなく愛しているはずなんだけど、 その影響もとてもつましいもので嫌らしさはみじんにも感じない。 むしろ、「シェルブールの雨傘」の完全パクリシーンなど、 ここまでやっていいのかよと感じたが、 でもあそこまでやられると素直に涙を流してもいいと感じてしまう。 商業映画だって、メロドラマだってちゃんとした立派な作品になるんだという、 或る意味では手本と言えるような作品だと思う。
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[008]エル・スール
 撮影されなかったことの幸運parole2004-05-27
 
実はこの映画は資金難により当初予定されていた後半部分が撮影されなかったらしいですね。 後半部分は原作にある通り、主人公が南へ向かい、父親のかつての恋人に会い、 その息・・・
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実はこの映画は資金難により当初予定されていた後半部分が撮影されなかったらしいですね。 後半部分は原作にある通り、主人公が南へ向かい、父親のかつての恋人に会い、 その息子が自分と異父兄弟であることを知る・・・つまり自分は父親と、 その恋人との間に生まれたことを知るという物語だったようです。 しかし結果としてはEgiさんご指摘の通り、この後半部分が「隠された」ことのよって、 作品としての重みと隠すという統一感が成され、結果としては成功だったように感じます。 私は個人的にフォードの「捜索者」におけるイーサン(ジョン・ウェイン)の過去が、 徹底的に隠され最後まで明らかにされることがなかったことと通底しているように感じました。 もっとも、エリセはそこまでは意図していなかったとは思いますが・・・
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[009]メフィストの誘い
 驚異的な映画parole2004-05-10
 
英語とフランス語そしてポルトガル語で交わされる会話。 椅子のきしむ音や森の木々や小鳥たちのたてる音。 そして、通底音のように流れ続けるピアノによる現代音楽。 映像も驚・・・
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英語とフランス語そしてポルトガル語で交わされる会話。 椅子のきしむ音や森の木々や小鳥たちのたてる音。 そして、通底音のように流れ続けるピアノによる現代音楽。 映像も驚異としか言いようがないほど素晴らしいものだと思いますが、 音の扱いに関しても驚愕すべき繊細さを発揮しています。 いや、この両者の絶妙とでも言うしかないハーモニーが、 この映画の素晴らしさであり価値なのでしょう。 しかし、この映画を前にすると「驚異」だとか、「驚愕」だとか、「「絶妙」だとか、 自分でも嫌になるような陳腐な言葉しか出てきません。 個人的にはオリヴェイラ監督の作品の中では一番好きです。
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[010]四十挺の拳銃
 これはいいぞ!parole2004-03-27
 【ネタバレ注意】
女ボスの後を追う40人の荒くれたちが 砂煙を立ち上げて主人公等の兄弟の横を通り過ぎるファーストシーンを見てしびれた。 ラストの女ボスが只の女になって主人公を笑顔を振りま・・・
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女ボスの後を追う40人の荒くれたちが 砂煙を立ち上げて主人公等の兄弟の横を通り過ぎるファーストシーンを見てしびれた。 ラストの女ボスが只の女になって主人公を笑顔を振りまきながら追いかけるシーンにもぐっと来る。 だけど、(多分)テレビ放映したものをビデオ化したので見たため、 本来はシネスコープのものがスタンダードにカット(パス&スキャン)されており、 魅力は半減・・・いや半減以下。 別にシネスコがスタンダードよりもいいなどとは思っていないけれど、 作家がシネスコの画角を最大限有効に使うべく取られた作品を、 スタンダードにしてしまうのは冒涜以外のなにものでもないと思う。 ああ、なんとか本来のスクリーンサイズで見ることはできないものか?
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[011]緋牡丹博徒 花札勝負
 「美しいの一言に尽きる」parole (Mail)2004-03-23
 
 マキノ雅弘の東映やくざ映画を「カッコイイの一言に尽きる」と言い表すな ら、加藤泰のそれは「美しいの一言に尽きる」。マキノが移動撮影やパンを大 々的に駆使するのに対し・・・
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 マキノ雅弘の東映やくざ映画を「カッコイイの一言に尽きる」と言い表すな ら、加藤泰のそれは「美しいの一言に尽きる」。マキノが移動撮影やパンを大 々的に駆使するのに対し、加藤泰は禁欲的なまでにフィックスショットにこだ わりその様はまるで一時の北野武のようだ。いや『緋牡丹博徒 花札勝負』に おいては一つのシーンを除いて全てがフィックスショットによって構成されて いるのだから、その峻厳さは北野武の遥かに上を行く。そして、緩急(長短)取 り混ぜた編集の妙などは、北野武はもちろんのことマキノすら凌駕するかのよ うだ。  決して汽車本体が撮されることはなく白い煙がたなびき汽笛が鳴り響く陸橋 下のシーンが繰り返さること、そして都度の役者達の立ち位置や演技の素晴ら しさよ。証明が行き渡ったスタジオでの撮影も悪くはないのだけれど、陰影が その造形を深く彩るロケーションでこのシーンが見たかった。
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[012]昭和残侠伝 血染の唐獅子
 「カッコイイの一言に尽きる」parole (Mail)2004-03-23
 
 この作品において高倉健や藤純子に次ぐ重要な役割と言える痴れ者の狂言廻 し役が津川雅彦のような「普通」の役者ではなく、「凄い」役者だったのなら この映画はもっととんで・・・
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 この作品において高倉健や藤純子に次ぐ重要な役割と言える痴れ者の狂言廻 し役が津川雅彦のような「普通」の役者ではなく、「凄い」役者だったのなら この映画はもっととんでもない代物になっていたのではないだろうか。「アタ ラント号」や「素晴らしき放浪者」のミシェル・シモンを望むのは贅沢が過ぎ るだろうが、せめて「捜索者」における安楽椅子にこだわるおじさん(役者名 は失念)くらいの役者が演じていたら、この映画はもっと豊で幸せな作品にな っていたと思う。津川雅彦も決して悪くはないのだけれど、吃音の痴れ者の演 技が演技臭い(つまりその演技がそこそこうまい)ため興醒めの観は否めない。  しかし、『昭和残侠伝 血染の唐獅子』にとっては、実はそんな細部のこと は無視してもかまわないどうでも良いことだ。何故なら、『昭和残侠伝 血染 の唐獅子』は「カッコイイの一言に尽きる」からだ。
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[013]シェーン
 こりゃあparole2004-02-21
 
TVドラマだ。映画じゃない。 「名作」の誉れ高い作品なので恐る恐る見たのだが、その杞憂は見事命中した。 カット割り、構図/アングル、照明、そして子役を中心とした俳優の演・・・
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TVドラマだ。映画じゃない。 「名作」の誉れ高い作品なので恐る恐る見たのだが、その杞憂は見事命中した。 カット割り、構図/アングル、照明、そして子役を中心とした俳優の演技。 どれもが今日TVドラマの世界で紋切り型の典型として利用されているものに非常に近く、 そこには映画的な興奮や躍動感、静謐さはない。
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[014]81/2
 感傷の人、フェリーニparole2004-02-09
 
映画を作る映画というメタ映画の構造、侏儒・デブ女・老醜の女性等の特異な キャラクター達、過去の痕跡(スティグマ)・トラウマ、幻想的なシーン、衒学 的で難解な会話。フェリ・・・
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映画を作る映画というメタ映画の構造、侏儒・デブ女・老醜の女性等の特異な キャラクター達、過去の痕跡(スティグマ)・トラウマ、幻想的なシーン、衒学 的で難解な会話。フェリーニの「らしい」な記号が満載の映画だが、この映画 の価値はこれらの「いかにも」な記号にあるのではなく、他の映画同様フェリ ーニ一流の感傷に尽きると思う。フェリーニの映画は何やら難しそうなことを 言い、過剰とも言える装飾を施されているが、「道」の頃から一貫して感傷が その中核にある。そして、その感傷の色合い、味わいは題材が異なったとして も大きく変わることはない。ただ、フェリーニが凡百の作家達と異なるのは、 その感傷を決して素直に出すことはなく、むしろ感傷というものを貶めるかの ような演出をしていながら、でも決定的に感傷を廃することもない両義的な映 画の作り方をしているところにあると思う。感傷に対する衒いのようなものが 作品を常に貫いており、であるが故にだらしのない感傷の垂れ流しからは感じ られない深い味わいがあるのだ。 洒落者のくせに照れ屋。独善家のくせに人目を気にする奴。嘘つきのくせに馬 鹿正直。フェリーニとく作家の複雑さやわけのわからなさは、彼の作品の構造 や現れ出る記号にそっくりではないか。
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[015]クロエ
 現実感の無さ、作り物の危うさparole2004-01-05
 
岸田今日子が逆光の中でタバコを吸うファーストシーンを見た時には、 この映画はなかなかのものではなかろうかと思ったのだけれど、 時間の経過と共にその思いは薄れ1時間を超・・・
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岸田今日子が逆光の中でタバコを吸うファーストシーンを見た時には、 この映画はなかなかのものではなかろうかと思ったのだけれど、 時間の経過と共にその思いは薄れ1時間を超えた辺りから見るのも辛くなってきた。 余りに現実感が乏しく、作り物の危うさばかりが感じられることに耐えられなくなってしまったのだ。 そもそも映画は作り物だし現実ではないのだから、 例えば「肺に睡蓮の花が咲く」という原作者ボリス・ヴィアンの着想に現実味を感じないと批判しているわけではない。 また、若い夫婦が住むには贅沢すぎてまるでテレビドラマで感じるような瀟洒すぎるアパートに 違和感とも拒否感とも言うべきものを感じないではないが、 そのこと自体も別に批判の対象とはなり得ない。 そうではなくて、クロエが徹頭徹尾「美しい映画」を撮ることに腐心されており、 その作者の姿勢と生まれた作品とが非現実的で危うく拙いのだ。 映画的な美しさはいわゆる「絵葉書」的な美しさとは異なり、 映画的な持続の中で初めて生気を持ち価値が生ずるものなのだが、 クロエにあっては「美しいシーン」や「効果的に利用された音(音楽や音響)」が まるでバラバラに切り取られたモザイクのように 緊張感や生々しさを欠いてそこかしこに転がっている。 さらにはその美しさにしても「いわゆる美しさ」に彩られたものが多く、 よくできたテレビドラマ的なものにしかなり得ていない(シーンが多い)。 説明を極力廃し画面をして語らせようという意志や、丁寧な画作りをする姿勢、 さらには音に対して鋭敏な対処を行っているところなど、 同世代とも言うべき青山真治や塩田明彦、あるいは是枝裕和らと共通しているのだが、 似ているのはその傾向だけで本当の意味での映画と向かい合う姿勢は似て非なるものなのではなかろうか? いかにも物言いたげな「可愛い女」を演じていたともさかりえも鼻についてしまったが、 彼女の立ち居振る舞いこそがこの映画の本質を物語っていると思う。
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[016]羅生門
 なんとも・・・parole (Mail)2004-01-04
 
黒澤明ファンの怒りを買うことを覚悟で書きますが、なんともひどい作品だと思います。 いや、これがよくできた娯楽映画だとか マキノ正博のようにはっきりと大衆受けを狙った作・・・
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黒澤明ファンの怒りを買うことを覚悟で書きますが、なんともひどい作品だと思います。 いや、これがよくできた娯楽映画だとか マキノ正博のようにはっきりと大衆受けを狙った作品であると意図され、 そう言った評価が成されているのなら別になにも言う気はないのですが、 「芸術」だとか「史上どうのこうの」だとか言われると鼻白んでしまいます。 「主題」を強調するための「感情の発露」と そこから呼び起こされる「心理的な興奮状態」を見るものに与えんとする、 表現を表現するためのアップシーンの多用。 大きな動作(演技)と大振りで結果としてはひどく大味なカメラワークによって 「動」を表現しようとする姿勢。 そして象徴として用いられる意味深げなインサートシーン。 これらはテレビドラマで標準的な「フォーマット」として用いられている手法や規範であり、 そういう意味ではテレビ的な世界を黒澤明が準備したとも言るのですが、 しかし、そのことは同時に「映画的な感性」や「映画的な感動」とを後退させることと裏腹となっており、 事実「羅生門」には映画的な繊細さや感受性がひどく欠けていると言わざるを得ません。 三船敏郎の狂気をも感じさせようと言う演技も、 それが演劇的で表現しようとする過剰な意図がある分だけ 映画的なものを後退させる「効果」を成しているとしか思えません。 黒澤神話にはいい加減に終止符を打ち、 「大衆芸能」作家黒澤明として「正当」な評価と位置づけを与えるべきなのではないでしょうか?
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[017]ミレニアム・マンボ
 文句なしの傑作!parole2003-12-30
 【ネタバレ注意】
ファーストシーンから引き込まれた。 ともすれば湿ったムードを漂わせるような、 小走りする主人公を後ろから手持ちカメラで撮る スローモーションのシーンから始まるのだが、 ・・・
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ファーストシーンから引き込まれた。 ともすれば湿ったムードを漂わせるような、 小走りする主人公を後ろから手持ちカメラで撮る スローモーションのシーンから始まるのだが、 そこにはいたずらな感傷はなくむしろ期待がこもったざわめきを感じた。 スローモーションはその湿り気と(何ものかの)過剰さ故に余り好きではないし、 事実うまくスローモーションが用いられる映画は希有だと思うのだが この作品のファーストシーンはその数少ない例外の一つだったと思う。 そしてそれと対を成すかのような「衝撃的」とも言いうるラストシーン。 カラスの飛び立つ様には誰もが戦慄を覚えるだろう。 全編これ以上の丁寧さは不可能と思われるほどの繊細さに満ちあふれており、 光と照明の織りなす様はまるで魔法でもかけているかのように感じる。 画面を見つめることそのものが快楽である映画。 それが「ミレニアム・マンボ」だ。
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[018]ユリシーズの瞳
 絶句parole2003-12-08
 【ネタバレ注意】
アンゲロプロスというと長廻しが必ず口にされ、 確かにそれが彼の独自性を際だたせている特徴の「一つ」ではあると思うけど、 個人的には長廻しよりもむしろ画面の構成力、 特・・・
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アンゲロプロスというと長廻しが必ず口にされ、 確かにそれが彼の独自性を際だたせている特徴の「一つ」ではあると思うけど、 個人的には長廻しよりもむしろ画面の構成力、 特に人の配置を使った画の構成の仕方にこそ彼の最も良質な部分が詰まっていると思う。 冒頭のシークエンスの最後でデモ隊と機動隊(?)が相(あい)対する場面、 雪山を乗り越えギリシアに亡命しようとする人達の幻想、 戦禍のボスニアの深い霧の中で佇み歩む人達。 同一シークエンスの中で何十年にも渡る家族の歴史を辿るシーンにおける記念写真の数々。 アンゲロプロスの長廻し、その映像の持続は、 こうした「クライマックス」に見るものを誘い込み、 その衝撃を高めるための下地なのではないかとすら思ってしまう。 ギリシアにおける「初めての映画」を辿る冒険物語や 一人の女性が四つの役を演じるなどたくさんの「見所」がある映画だとは思うけど、 私にとっては上記のような言葉を失う瞬間の多かった映画として記憶に深く強く残っている映画だ。
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[019]ノスタルジア
 愛すべき作品parole2003-12-08
 【ネタバレ注意】
大仰な思想をこれまた最上段に構えた映像で表現しようとするタルコフスキーの映画は、 正直言って見るものを選ぶし、多くの人が睡魔に逆らいきれずにまどろんでしまうのも理解・・・
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大仰な思想をこれまた最上段に構えた映像で表現しようとするタルコフスキーの映画は、 正直言って見るものを選ぶし、多くの人が睡魔に逆らいきれずにまどろんでしまうのも理解できる。 しかし、この「^ノスタルジア」はこうしたタルコフスキー像とはちょっと違う感じがする。 有名な蝋燭を持って歩むシーンなどはまさに上述のタルコフスキーらしさが 十二分に発揮(?)されているところだと思うのだが、 インサートシーンとして使われている故郷の映像や、 焼身自殺を図る前後の階段に立ちつくす人達のシーン、 そして狂おしさすら感じるラストシーンなどは タルコフスキー映画の特徴である長廻しによる「持続性」よりもむしろ 構図、画面の構成力と極めて単純素朴な感傷によって成り立っていると感じる。 それはタルコフスキーらしくないのだけれど(そう、まるでアンゲロプロスのよう)、 見る者の胸を深く撃つ。 客観的な価値とは関係なく、 「ノスタルジア」は私にとって欠くことができない愛しい映画だ。
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[020]風の中の牝鶏
 握りしめる手parole2003-12-08
 【ネタバレ注意】
小津の映画にあっては本来映されない階段が正面から撮られていたり、 その階段をヒロインが逆さに転がり落ち、そのシーンを 同じく初期の作品を除いてはあり得ないとされている・・・
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小津の映画にあっては本来映されない階段が正面から撮られていたり、 その階段をヒロインが逆さに転がり落ち、そのシーンを 同じく初期の作品を除いてはあり得ないとされている仰角や俯瞰のアングルで撮影していたり、 さらにはこうした物々しさが必要とされることが納得できてしまうような、 重く沈鬱な設定やストーリーで有名な映画ですが、 個人的にはこれら以上に、 注番で子供が死の境を迷う時に田中絹代が子供の無事を祈って握りしめる手と、 ラストの和解のシーンにおいてやはり田中絹代が 佐野周二の背中に回した両手を近づけて握りしめる手とのコントラストに、 衝撃と言ってよいほどの感動を覚えました。 そして、ビール瓶も。 本当に小津安二郎の映画は豊かだ。
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[021]イワン雷帝
 傑作以外のなにものでもない!parole2003-12-01
 
「イワン雷帝」は素晴らしい。エイゼンシュテインは決して歴史上の人ではな く、極めて現代的な、現代においてもその価値を全く損なうことがない偉大な 作家であることを確信し・・・
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「イワン雷帝」は素晴らしい。エイゼンシュテインは決して歴史上の人ではな く、極めて現代的な、現代においてもその価値を全く損なうことがない偉大な 作家であることを確信した。「イワン雷帝」のことを様式美などと評価するこ とがあるらしいがとんでもない。ここにあるのは様式の美しさなのではなく、 様式なるものを破壊しつくさんばかりの凶暴さだ。狂った構図、狂ったアップ。 狂った影。そして、狂ったカラー部分の色使い。吐息をつく暇すら許さない活 劇、それが「イワン雷帝」だ。
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[022]お茶漬の味
 台所parole (Mail)2003-11-23
 【ネタバレ注意】
ラスト近くの台所における二人の「長回し」の「活劇」と、 その後に続く有名なお茶漬を食べるシーンがあるだけで、 この映画は凡百の映画を吹き飛ばす凄まじさを持っている映画・・・
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ラスト近くの台所における二人の「長回し」の「活劇」と、 その後に続く有名なお茶漬を食べるシーンがあるだけで、 この映画は凡百の映画を吹き飛ばす凄まじさを持っている映画だと断言できる。 シーンだけを取るなら小津映画なのかでもベスト10・・・ いやベスト5に選んでもいいと思う。 マジで震えが来ました。
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[023]浮草物語
 雪!parole (Mail)2003-11-23
 【ネタバレ注意】
主人公の喜八とその情婦とが諍いを起こす小屋(劇場)におけるシーンは、恐ら く映画史における最も豊かで最も感動的な雪のシーンであるだろう。明らかに 紙吹雪だとわかる稚拙な・・・
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主人公の喜八とその情婦とが諍いを起こす小屋(劇場)におけるシーンは、恐ら く映画史における最も豊かで最も感動的な雪のシーンであるだろう。明らかに 紙吹雪だとわかる稚拙なまがい物の雪なのだが、それがハラハラとそして時折 二人の上に降りかかる。照明や露出の関係で影となっている部分しか雪が映っ ていないのだが、この「時々」「まばらに」降る雪が、その断続性故に画面を、 映画そのものを静かに深く彩っていく。 このシーン以外にもその後の「東京物語」のラストに近い電車内でのシーンを 彷彿させるラストシーンやその直前の駅の待合室におけるシーン、自転車を 初めとする「もの」の使い方、重層化したものがラストに向けて集積しカタル シスをもたらすシナリオの構成など、「晩春」以降の後期作品に勝とも劣らな い完成度の極めて高い作品となっている。いや、小津はもしかしたらこの作品 において後期に至る「手法」を自分なりに確固たるものとして体得したのでは ないだろうか?
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[024]ションベン・ライダー
 歴史に残こ「す」べき作品parole (Mail)2003-11-23
 【ネタバレ注意】
この映画の貯木場におけるシーンは日本映画にとって歴史に記憶を残すべきも のだと思う。 相米慎二と言うと特に初期から中期に書けての作品はとかく「長回し」をその 特徴とし・・・
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この映画の貯木場におけるシーンは日本映画にとって歴史に記憶を残すべきも のだと思う。 相米慎二と言うと特に初期から中期に書けての作品はとかく「長回し」をその 特徴として語られることが多いが、実は相米は決して小津やブレッソンのよう な「手法の人」ではなく、どちらかと言えば黒澤明に近いいわば「情動の人」 なのだと思う。だから、確かに中期までは長回しを使うことが多くはあったが、 それは長回しという手法を目的としていたわけではなく、自分でもなんだかよ く分からないままフィルムに生気をもたらそうとしていた結果が長回しになっ てしまったに過ぎないのだろう。事実、その後の作品である「台風クラブ」に おいては「情動」の勢いが過ぎたためか、長回しが手法として孤立してしまっ た感があり(要するに作品の「中身」とマッチしていない)、この作品以降特徴 的な長回しは影を潜めるようになる。 しかし、「ションベンライダー」以前の作品においては、その作品のテーマや 主人公達によるところも少なくないのだろうが、長回しが作品そのものと不可 分と言ってよいほどマッチしており、中でも「ションベンライダー」における 上記の貯木場のシーンとその後の遊園地における観覧車から別れまでのシーン は、相米映画の長回しの頂点と言ってよいほどの傑出したものだ。前者は撮さ れる者達すなわち役者達の動きや何を画面に捉えるかと言った観点を無視して 時にはアングル外に役者達を置き去りにしながらひたすらカメラが移動するの だが、その無軌道なカメラと画面の動きが比類のないほど感動的だ。一方後者 はシーン(カット)の前半部分では、狭い観覧車の中を無理にぎこちなく、とい うことは当然のことながらゆっくりと役者達をアングルや画面構成から外しな がらカメラが動き、観覧車を降りた後半部分では固定に近いゆっくりとした動 きで三人組と藤竜也をこれ以外にはないと言い得るような構成の画面に捉えて 離さない。共に長回しであると言った点以外はほとんど全くと言ってよいほど 共通点がない二つのシーンが同じ映画の中で、全く違和感を感じさせずに共存 しているのだ。 もちろんこれ以外にも有名な冒頭の超長回しや花火のシーンなど傑出したシー ンは少なくない。これらはめちゃくちゃだという点でしか一つの作品としての 共通項に収まらないものなのだが、一つの作品として通してみると何ら違和感 を感じない統一感を保っている。 完成度(って、でも果たして何だろう?)という点では「ションベンライダー」 以上の作品は、相米自身の作品の中でも、もちろん他の作家の作品にでも腐る ほどあるだろうが、これほど幸福な作品はざらにはない。
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[025]座頭市物語
 悪くないparole2003-11-17
 
(北野武の「座頭市」に較べて)殺陣のシーンが日本的でカッコいいだの、(北 野武の「座頭市」に較べて)人間が描かれているだの、(北野武の「座頭市」に 較べて)主人公市に人間的・・・
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(北野武の「座頭市」に較べて)殺陣のシーンが日本的でカッコいいだの、(北 野武の「座頭市」に較べて)人間が描かれているだの、(北野武の「座頭市」に 較べて)主人公市に人間的魅力があるだの、主に(北野武の「座頭市」に較べて )よく言われている「勝進太郎座頭市」だったので果たしてどんなものなのか と楽しみにしていたのだが、案の定伝説は伝説に過ぎず、少なくとも「座頭市 物語」においては、殺陣は北野版座頭市よりも遥かにしょぼくてシーン自体が 少なかったし、別に取り立てて人間が描かれている訳でもなかったし、勝進太 郎の市は確かにそれなりにカッコ良かったけど必ずしも人間味溢れた暖かみの あるキャラクターというわけではなかった。おそらくこれは、「座頭市物語」 が「勝進太郎の座頭市」だったからではなく、「三隅研次の座頭市」であった が故のことなのだろうと思う。きっとこの最初の作品が当たってシリーズ化さ れ、何作も撮り続けられるうちに伝説になっている曲芸めいた殺陣のシーンや やくざでありながらも人間味溢れた本当は心暖かい愛すべきキャラクターとい う色づけが成されていったのだと思う。そして、それこそが「勝進太郎の座頭 市」なのだろう。 「三隅研次の座頭市」はとても慎ましく物静かだ。そう、まるで「北野武の座 頭市」のように。キャラクター設定や演技だけでなく、耽美派との評価もある 三隅研次の映像も、抑制を利かせた静かなしかし空間を構成しようと言う意図 だけがちょっとばかり凶暴に顔を出している、「北野武の座頭市」と共通点が あるとも言える出来となっている。いや、シネスコープのモノクロという珍し い画面の効果もあって、雰囲気だけなら「三隅研次の座頭市」の方が「北野武 の座頭市」よりも北野武っぽい、芸術の香りがするとすら言えるかもしれない。 伝説に惹かれて「本物の座頭市」を見ようとした人なら「座頭市物語」には裏 切りに似たものを感じると思うが、虚心に座頭市を見ようとする人には心地よ い時間を与えてくれる作品だと思う。
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[026]戯夢人生
 候孝賢に乾杯!parole2003-11-14
 
ホウ・シャオシェン(候孝賢)の作品は初めて見たが、 極めて独自な作風を持った素晴らしい作家だと感じた。 パンや移動を行わない固定を基本としたロング(ミドル)ショットの長回・・・
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ホウ・シャオシェン(候孝賢)の作品は初めて見たが、 極めて独自な作風を持った素晴らしい作家だと感じた。 パンや移動を行わない固定を基本としたロング(ミドル)ショットの長回し、 台詞をも音として扱ったり、BGMを限定的にしか使わない音響、 トーンを抑制した落ち着いた色彩。 誰とも似ていない独自の映画であるにもかかわらず、とても懐かしい匂いがした。 美しい田園風景と極めて感動的なラストシーンが私の胸の中に去来する。 絵葉書の美しさではない映画としての美しさが充満した作品だ。
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[027]突撃
 キューブリック的parole2003-11-13
 
この映画を「キューブリック的」と言わずして、 何をもってキューブリック的と言うのだろう。 冒頭の宮殿内での将軍同士の会話、塹壕内の移動撮影、そして一連の処刑シーン。 ・・・
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この映画を「キューブリック的」と言わずして、 何をもってキューブリック的と言うのだろう。 冒頭の宮殿内での将軍同士の会話、塹壕内の移動撮影、そして一連の処刑シーン。 キューブリック的なるものが全て過不足なく詰まった映画だ。 秀作。
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[028]しがらみ学園
 懐かしいparole2003-10-30
 
今は恐らく無くなってしまった恵比寿の小ホールにおいてパロディアスユニティーの上映会をやった時に 「School Days」や万田さんが監督をやっていた「SCHOOL SOUNDS」などと一・・・
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今は恐らく無くなってしまった恵比寿の小ホールにおいてパロディアスユニティーの上映会をやった時に 「School Days」や万田さんが監督をやっていた「SCHOOL SOUNDS」などと一緒に見ました。 「School Days」は蓮實重彦さんが「黒幕」役で出演していた今となっては貴重な作品です。 でも、もちろん本当の貴重さは誰が出ていたとか言うことではなく、 当時既に黒沢清が映画に何を求め、映画において何をしようとしていたのかを知り得ていたその証拠として貴重な作品だと思います。 ややロング気味の固定アングルで撮られた突然始まり突然中途で終わるからみのシーンが未だに脳裏から離れません。 8mm作品なので難しいとは思うのだけれど、「四つ数えろ」や「School Days」「ファララ」など、 他のパロディアスユニティーの作品と合わせてDVD化されませんかね? 今なら売れると思うんだけど(マジ)
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[029]ドレミファ娘の血は騒ぐ
 青春ドラマparole2003-10-30
 
とても愛らしい青春ドラマです。ただし「黒沢清流の」という但し書きが付きますが。 この映画について語り始めると留まることなく語り続けてしまいそうだし、 そうやって語り・・・
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とても愛らしい青春ドラマです。ただし「黒沢清流の」という但し書きが付きますが。 この映画について語り始めると留まることなく語り続けてしまいそうだし、 そうやって語り続けることこそがこの映画に対するオマージュ足りうると思うのだけれど、 敢えて一点だけを選ぶのならミュージカル仕立てのシーンが一番印象的だ。 オレはこの映画を約20年前に見て以来、何度も何度もあの曲を口ずさんできた。 そう「なんて素晴らしいーのー」と・・・。
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[030]アカルイミライ
 黒沢清は・・・parole2003-10-30
 
結局「しがらみ学園」や「School Days」でやっていたこと、やろうとしていたことを、 今に至っても愚直になぞっているんだと感じた。 もちろんテクニックやら手法やらは進化し・・・
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結局「しがらみ学園」や「School Days」でやっていたこと、やろうとしていたことを、 今に至っても愚直になぞっているんだと感じた。 もちろんテクニックやら手法やらは進化しているし、 ホラーものやVシネマの経験により、 映画を商売にするコツというか技のようなものも体得したと思う。 が、しかし、黒沢清が追い求め続けているのは、 映画というものが存在し、成立し、鑑賞されてしまうことに対する、 苛立ちであり、落ち着きの無さであり、悦び(喜びじゃなくて)なんだと思う。 だから、この映画の見方で一番正しい(?)のは、 ↓のnatumeさんのように「つまんねえ・・。と何度もつぶや」きながらも「心のどこかはやられて」しまったり、 映画など見たこともないような高校生あたりが「わけわかんないけどワクワクする」と叫び出すことなのだと思う。 (公開の際には本当にそう言うことがあったらしい)
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