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 「popcorn」さんのコメント一覧 登録数(98件)rss
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[001]蛍火の杜へ
 約束の夏 ギンは私を待っていてくれましたpopcorn2011-11-05
 【ネタバレ注意】
なんといっても、現代では完全にファンタジーになってしまったプラトニック・ラブを成立せしめる、縛りの利いた設定が素晴らしい。一夏の織姫と彦星の如く、夏が来る度、繰り返・・・
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なんといっても、現代では完全にファンタジーになってしまったプラトニック・ラブを成立せしめる、縛りの利いた設定が素晴らしい。一夏の織姫と彦星の如く、夏が来る度、繰り返される逢瀬。「ギン(内山昴輝)は殆ど、出会った頃のまま」なのに対し、「中坊」、「高校生」へと成長していく、竹川蛍(佐倉綾音)。 「何がっても、絶対、私に触らないでね。絶対よ」、「そのうちきっと、ギンの年を追い越してしまうのね」、「ギンに、会いたいです/ギンに、触れたいです」や、ギンが、蛍に面を被らせ、その上からキスするのには切なさに胸が熱くなり、「来い、蛍。やっとお前に触れられる」、「好きだよ」、「うん、私もよ」には涙が滲んだ。 蛍の住む町、実家、通っている学校などの背景(美術、渋谷幸弘)は、キャラクターの線が少ない分、バランスを考えても、もう少し描き込みがあった方が好いと思うが、山神の森は、予算規模を考慮すればまずまず悪くない。 ピアノの調べが切ない音楽(吉森信)、郷愁を誘う、おおたか静流が歌うエンディングテーマ、「夏を見ていた」も沁み入る。 上映時間が44分と短いが、膨らませる余地(子供の頃なら兎も角、毎年、「お爺ちゃん家」に行きたがるのを両親が訝しむ、毎日、森へ出掛けて行く理由をお爺ちゃんが問い質す、蛍がアルバイトをして貯めたお金で、夏以外の季節にギンの元を訪れる、蛍に想いを寄せるクラスメイト、ギンと蛍の仲を嫉妬した女性の妖怪が、蛍を襲い、そのピンチをギンが救うなどなど)があるので、ぜひ、長編化を希望したい。また、実写化も充分、可能だろう。
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[002]犬のおまわりさん てのひらワンコ3D
 犬が可愛ければオーケー!popcorn2011-09-11
 【ネタバレ注意】
基本的には、犬が可愛ければオーケーの作品なわけで、しかも、チョボ、チョコ、チョロとゴールデンレトリバーの仔犬が三匹も登場! 「鉄腕アトム」のような足音はあざといが、・・・
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基本的には、犬が可愛ければオーケーの作品なわけで、しかも、チョボ、チョコ、チョロとゴールデンレトリバーの仔犬が三匹も登場! 「鉄腕アトム」のような足音はあざといが、寝顔や、段ボールから身を乗り出したり、「ママワンコ」のチョコラに戯れ付いたりする姿は大変、可愛らしくて頬が緩む。 『ねこばん3D とび出すにゃんこ』は、「日本初?世界初!?フル3Dねこ映画!」という売り(と伊武雅刀の意外な組み合わせ)に頼り過ぎて中身に乏しかったが、本作は逆に、3Dである必要性は感じないものの(千切れたティッシュ・ペーパーが乱れ飛ぶシーンは、無理矢理、挿入されたもの)、常連客(山田ルイ53世)の、「宛名はどうすんだ?」/「お品代でいいのかよ?」、伴喜美子(中村ゆり)の来訪に、思わず、チョボのうんちを摘んだ割り箸を制服の胸ポケットに仕舞う愛沢健(中尾明慶)、ペット禁止の「コーポ三枝」の管理人、三枝(螢雪次朗)に敬礼され、返礼した健が手に持っていた犬のおもちゃが鳴ってしまうのは可笑しいし、一応、保健所に預けられた犬は、引き取り手が現れない場合、一週間で殺処分されてしまう厳しい現実、犬を飼う(こういう言い方は好きではないが、便宜的に使用)難しさ(「当たり前だけど、生き物は死ぬんだ」/「犬の良いとこ取りなんてできない」)について描かれており、油断して先読み機能をオフにしていると意外な人間関係も明かされる。展開に無駄がなく、ご都合主義の感は否めないが、68分と上映時間が短いのもあって飽きない。 但し、健の部屋の段ボールに、マスキング・テープで、「チョボタチ ハウス」と書かれているのは納得がいかない。作り手にしたら、「チョボ」は代名詞のつもりかもしれないが、健にしたら、最初に出会ったチョボに一番、思い入れがあったとしても、一匹一匹が別個の、「守りたい、生命(いのち)」であり、十把一絡げみたく扱うはずがない。 中尾明慶は所謂、イケメンではないが、親しみ易い雰囲気があり、のどかな町の「新米おまわりさん」役がよく似合う。 「相棒」でお馴染みの川原和久は、中尾明慶との掛け合いがユーモラス。 中村ゆりは華がないけれど、相変わらず、綺麗。 伊藤裕子は、随分、若く撮られていて、母親には見えない。 ところで、「無口な子」、(天野)しおりちゃんは、少々、大人びた顔立ちにツインテールがギャップで、「お兄ちゃん」に萌え。彼女が部屋に遊びに来てくれるなら、僕も、犬を預かるのはやぶさかでない(笑)。
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[003]鉄拳 ブラッド・ベンジェンス
 親子喧嘩で滅ぶ程度の世界なら、滅ぶがいいpopcorn2011-09-11
 【ネタバレ注意】
ロバート・ゼメキス同様、不気味の谷の中央突破を計らんとする戦略のCGは、登場人物の微妙な表情が非常にリアル。だが、肌の質感は陰影が付いている場合は良いが、そうでない・・・
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ロバート・ゼメキス同様、不気味の谷の中央突破を計らんとする戦略のCGは、登場人物の微妙な表情が非常にリアル。だが、肌の質感は陰影が付いている場合は良いが、そうでないと、やや均一的(それでも、アップになると、微かな凹凸があるのは芸が細かい)で、同じことは、洋服の生地や、壁、リノリウムの床などにも言える。 肝心なアクションに関しては、骨や、筋肉が感じられず、パーツ全体で動いている印象を受けてしまい、どんなにスピーディーにしたところで、若干、もっさりしている感は否めない。そこら辺が今後の課題だろう。 それと、これは技術的な問題ではないけれど、土埃を巻き上げて爆走するパンダは、デフォルメしていない分、どうにもこうにも違和感がある(笑)。 ところで、観客は、「鉄拳シリーズ」をプレーしている、少なくとも、世界観を承知しているのが前提されており、ゲーム未プレーで、『TEKKEN 鉄拳』は鑑賞したものの、その記憶がすっかり薄らいでいる僕には、用語はなんとか推測するとしても、設定と人間関係はちんぷんかんぷん。しかし、クライマックスである、「親子三代、楽しい家族団欒」を除き、ニーナ(田中敦子)、アンナ(渡辺明乃)の美人ウィリアムズ姉妹か、「真夜中の美少女たち」こと、リン・シャオユウ(坂本真綾)と、語尾はあざといが、「戦闘モード」がカッコカワイイ、「ロリロリ」の「ロボット/人形」、アリサ・ボスコノビッチ(松岡由貴)のどちらかのペアが、大概、スクリーンに映っているで退屈はしなかった。 本作は、強さのインフレが顕著で、「ロボット」はまだしも、「デビル(因子)」、「精霊」といったものまで持ち出すものだから、いくら中国拳法の達人で、「ヒロイン」である筈のシャオユウも、武器も持たない生身の人間とあっては太刀打ちできる訳もなく、単なる、目撃者になってしまっているのは残念である。
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[004]コクリコ坂から
 金曜特別ロードショーなら悪くはないが…popcorn2011-08-30
 
「まるで安っぽいメロドラマだ」は、原作にあるセリフかは知らないが、言い訳沁みて聞こえる。海と俊の関係と、カルチェラタンの存続問題が両輪となって展開する訳だが、正直、・・・
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「まるで安っぽいメロドラマだ」は、原作にあるセリフかは知らないが、言い訳沁みて聞こえる。海と俊の関係と、カルチェラタンの存続問題が両輪となって展開する訳だが、正直、映画にする話なのかと思う。 宮崎吾朗は控え目で、抑制的な演出を心掛けているのか、ドラマチックにするだけの技量がないのかは判然としないが、インタビューを読むと、恐らく、前者を意図していると思われる。討論や、大掃除のシーンの作画はいかにもジブリらしく生き生きとしているが、全体の演出との温度差を感じる。また、コクリコ荘の下宿人達は、個性的な割に、活躍しない。これは単発アニメでは有り勝ちな事で、設定の段階でキャラを立たせてみたものの、脚本で活かされていないのだ。 毎度、話題になり、批判もされる有名人を配したキャスティングについては、岡田准一は違和感がないけれど、長澤まさみは声が太く、少々、大人っぽ過ぎる。結論としては、腐すような作品ではないが、然りとて、絶賛する程でもない、といったところだ。
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[005]ムカデ人間
 「良い子は観ちゃダメ〜」wpopcorn2011-08-06
 【ネタバレ注意】
ヨーゼフ・ハイター博士(ディーター・ラーザー)が言うところの、「偉大なる手術(オペ)」のシーケンスで、いくらでも残酷描写を交えることができたはずだが、それは割と、控・・・
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ヨーゼフ・ハイター博士(ディーター・ラーザー)が言うところの、「偉大なる手術(オペ)」のシーケンスで、いくらでも残酷描写を交えることができたはずだが、それは割と、控え目。 前半は、口と肛門を結合させた、「“わが愛しき3匹の(ロットワイラー)犬”」の写真や、博士の一種独特な風貌など、異様な雰囲気だけで牽引してしまうだから、大したものだ。 博士の石原裕次郎みたいなサングラスは決まっているし、タオルに包んで隠し持っていた、「インシュリン(本当は、『レイプ・ドラッグ』)」をフェラー、クランツ両刑事の前で落としてしまうドジっ子ぶりはカワイイ。 リンジー役のアシュリー・C・ウィリアムスと、「しっぽのジェニー」役の、アシュリン・イェニーがもっと美系だったら良かったけれど、一方、同じ日本人だから、そう思えるのかもしれないが、カツローを演じる、北村昭博は堂々たる演技で、「うんこ」の件は爆笑が起きていた。 中盤以降は、コメディー色が強くなる分、個人的には、後味の悪さはなく、カルト・ムービーというより、エンターテインメントの範疇といった印象だ。 ところで、本作は3部作の第1弾だそうだが、ああいう結末だけに、今後、どうやってシリーズを継続させるのか大いに気になる。
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[006]終わらない青
 驚くべきクオリティーpopcorn2011-08-06
 【ネタバレ注意】
企画意図は、「自傷行為者への偏見や 無関心による悲しいニュースが 少しでも減ること」。 カメラの性能の低さは如何ともし難いが、緒方貴臣監督は短編すら撮った経験がなく・・・
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企画意図は、「自傷行為者への偏見や 無関心による悲しいニュースが 少しでも減ること」。 カメラの性能の低さは如何ともし難いが、緒方貴臣監督は短編すら撮った経験がなく、しかも、自主制作としては驚くべきクオリティーだ。 感情移入を拒否する狙いで、シーケンスが変わる毎に挿入される暗転、楓(水井真希)が感情を殺しているのを表現しているであろうパートモノクロなど、細かいところまでよく考えて作られている。 だが、作品を象徴する、青、白、取り分け、赤(大小の傘、カーテン、ペン・ケース、七味とうがらし、エトセトラ……)の色使いは、リアリズムを志向するならば、少々、不自然で、あざとい印象を受ける。 水井真希の私物を使用して撮影したリストカットのシーンは、非常に、リアルで痛々しいが、性的虐待シーンと自殺シーンは正直、不満が残る。 前戯が一切ないのは、哲也(小野孝弘)が自分本位のセックスをしているからだろうが、スムーズに挿入できるのはおかしい。例えば、彼が、「なんだ、全然、濡れてないじゃないか! 楓はパパに抱かれたくないのか!?」などと怒鳴り、ローションを使用するなどとすれば良かった。それと、征服欲が強いはずなので、フェラチオ、俗に言う、イラマチオをもっとさせるべきだった。 後者は、何故、短いカット割りをしたのか正直、理解しかねる。ワン・シーン、ワン・カットにするべきではなかったか? 根本的な問題になるが、いっそ、ドキュメンタリーにした方が効果的だったという気がしないでもない。但し、着エロアイドルから女優に転向した、水井真希を主な取材対象にすると、「面白い」作品になってしまう可能性が高く、企画意図から外れてしまうだろうが。
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[007]アトムの足音が聞こえる
 正に、「天才」。popcorn2011-06-05
 
本作では、「効果音とは、本物より本物らしい音、本物を超える音」だと定義されている。言われてみれば、普段、アニメーションを観ていて、効果音を意識することは滅多にない。・・・
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本作では、「効果音とは、本物より本物らしい音、本物を超える音」だと定義されている。言われてみれば、普段、アニメーションを観ていて、効果音を意識することは滅多にない。実写における同時録音とは違い、零から音を付けているわけで、考えてみると、大変、興味深い仕事である。 「天才」、「一つの音で、一つの世界を表現できる」、「新しいジャンルを開いた」、「音の神様」と賞賛される一方、「偏屈な男」、「特異な性格」、「頑固」などと評される大野松雄のキャラクター、その無軌道な生き様も魅力的。 『庭にお願い』に続く、ドキュメンタリーとなった、冨永昌敬の手腕も手堅く、野宮真貴(ピチカート・ファイヴ3代目ヴォーカル)のソフトで、気取らないナレーションも耳に心地好い。 最後に、大野松雄の印象的な発言を幾つか記したい。 プロフェッショナルとは、「常にアマチュアになれる」(「いい加減に、いつでもアマチュアに戻れる」)、「どんなに手を抜いても、人にそれが解らないようにする」(「手を抜いても騙くらかせる」)。 「いい加減にイメージできるか、できないか。厳密にイメージしちゃうと、狂ったらアウトだから」。 「いちど掴んでしまったら、その音は、この世に存在する音になってしまう。存在する音に、僕は興味がない」。 成程。確かに、天才だ。
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[008]ファースター 怒りの銃弾
 肝心なアクションが物足りない。popcorn2011-05-24
 【ネタバレ注意】
鑑賞するつもりはなかったが、公開一週目から、一日3回上映で、レイトショーだけとはいえ、身分不相応にも、109シネマズMM横浜のメーンスクリーンで上映していたので。観・・・
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鑑賞するつもりはなかったが、公開一週目から、一日3回上映で、レイトショーだけとはいえ、身分不相応にも、109シネマズMM横浜のメーンスクリーンで上映していたので。観客8人(ほら、言わんこっちゃないw)。 ドライバー、警官、殺し屋など、個性の異なる男たちの生き様はそれなりに魅力的ではあるが、ドライバーのターゲットの5分の3が無抵抗だったり、ドライバーのドライビング・テクニックが発揮されるのも回想シーンのみだったりと、肝心なアクションが物足りない。 ミステリーを諦めたかのように、警官が、ドライバーをハメた、「依頼主」であると端から明かしているのも如何なものか。まあ、背伸びをしないという意味では、潔いけれど。
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[009]共喰山
 程良い刺激の拾い物popcorn2011-05-18
 【ネタバレ注意】
「意地の悪い」、「カント(イヤな女)」、「食人鬼(モンスター)」/「悪鬼」へと変異するメル役のクリュー・ボイランは、奇声を発し、野性的な演技で、大層な熱演ではあるが・・・
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「意地の悪い」、「カント(イヤな女)」、「食人鬼(モンスター)」/「悪鬼」へと変異するメル役のクリュー・ボイランは、奇声を発し、野性的な演技で、大層な熱演ではあるが、怖いかどうかは微妙だ。カンガルーを襲うシーンは思わず笑ってしまう。 カンガルーの無残な死体、食い千切られて残されたウォーレン(ダミアン・フリーリーガス)の上半身といった残酷描写も、所謂、グロ度はそれほど高くなく、少々、物足りない気がしないでもないけれど、まあ、個人的には程良い刺激で、「おぞましい」/「不気味な(変異した)ウサギ」、クリス(レベッカ・フォード)が自らの腹を裂いて堕胎する、「クズ虫の化け物」の胎児のビジュアルはそれなりに、印象的。 短いカット割り、手ぶれの激しいカメラワークにスローモーションも交えるなど、一応、一通りの技巧が凝らされており、スピーディーな映像は飽きさせず、拾い物と言ってもいい部類だ。 全くの余談だが、1万2千年前に描かれ、120年前に発見された(「世紀の大発見」)、「不気味」で、「奇妙なイカ」のような、「きれいな絵」の壁画は物語ではなく、実は、警告だったというのは、『100,000年後の安全』の「未来の人類に、正確な情報を伝達することは可能か?」という議論を、僕に、思い出させた。
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[010]エンジェル ウォーズ
 ドラゴン(´・ω・) カワイソスpopcorn2011-04-25
 【ネタバレ注意】
<空想世界>が主な舞台で、映像がスタイリッシュであることから、『マトリックス』や、『インセプション』と比較する向きもあろう。後者は、多重構造――ベイビードール(エミリ・・・
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<空想世界>が主な舞台で、映像がスタイリッシュであることから、『マトリックス』や、『インセプション』と比較する向きもあろう。後者は、多重構造――ベイビードール(エミリー・ブラウニング)が、レノックス精神病院を、「表向きはクラブ」だが、その実態は娼館だと見立てるのは、収容されている女性患者たちが、ブルー・ジョーンズ(オスカー・アイザック)ら看護師から、日常的に性的虐待を受けているからであり、彼女の、「クネクネ踊り」とはセックスを意味している――な点も共通している。だが、テーマ的には、むしろ、『パンズ・ラビリンス』に近い。 少女たちが、萌えだったり(ヘソだしルックのセーラー服に、ミニスカートとオーバーニーソックスの組み合わせ)、セクシーだったり(ボンテージファッション)する衣装を身に纏い、スローモーションを織り交ぜつつ、所狭しとアクロバティックなアクションを繰り広げるのだから、つまらないわけがない。 紀里谷和明張りのCG丸出しも、<空想世界>が舞台とあって、存外、気にならない。 終盤の悲壮感漂う展開、受け止め方にもよろうが、いずれにしても爽快感のない、バッドエディングも、初のオリジナル作品ではあるが、いかにもザック・スナイダーらしい。 しかし、期待値からすると、正直、今一つだ。 本作では、地図=院地図、火=ライター、ナイフ=キッチンナイフ、鍵=レノックス精神病院の鍵を象徴しているのを始め、日本(刀と三笠山の寺院)、列車、ドラゴンなどその多くは現実とリンクしている。 ワイズマン(スコット・グレン)については、推測になるが、ベイビードールの実父、又は、理想の父親像ではあるまいか? そう考えると、彼の存在には必然性が生まれる。 しかし、いくら魅力的ではあっても、ウサギがペイントされたジャパニメーション風のメカを登場させるのは無理がある。現実に依拠しないイマジネーションは、単なる思い付きに過ぎない。 最大の欠点は、(一部空想を含む)現実→<空想世界>の繰り返しで構成が単調極まりない上に、三笠山の寺院、第一次世界大戦、中世の城、未来の遠い惑星と、ビデオ・ゲームさながらに多彩なステージが用意されているものの、少女たちの戦闘スタイルに変化がないため、見慣れてしまうことだ。 それから、「ロケット(ジェナ・マローン)との約束」を守るためとはいえ、スイートピー(アビー・コーニッシュ)が、ベイビードールがおとりになるとの提案をあっさりと了承し過ぎる。これは、展開にキャラクターが合わせてしまった結果であり、頂けない。
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[011]武士の家計簿
 「家族ドラマの名作、誕生。」?popcorn2010-11-26
 【ネタバレ注意】
これまであまり取り上げられてこなかった御算用場(金沢城のそれには、約150人の算用者が雇われていたとか、見習い期間は3年で、その間は無給であるとか)、そして、薄給の・・・
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これまであまり取り上げられてこなかった御算用場(金沢城のそれには、約150人の算用者が雇われていたとか、見習い期間は3年で、その間は無給であるとか)、そして、薄給の下級武士の暮らしぶり(昇進するに連れ、出費が増える)は興味を惹き、そろばんを弾く音は、心地良い。 不況の折、「貧乏」、「質素倹約」といったキーワードは、多少のタイム・ラグはあるにせよ――今、最も、タイムリーなのは、「節約」ではなく、「節約疲れ」――森田芳光らしい時代性である。 「そろばんと筆だけが、(中略)お家芸」で、「袖の下ももらわん、真っ直ぐだけが取り柄」の猪山家の面々。 付いたあだ名は、「そろばんバカ」。「日本一のそろばん侍」こと、猪山直之=堺雅人は、「数字が合わぬのが、我慢なりません」という生真面目で、「細かい」ところが個人的には共感できる。 猪山駒=仲間由紀恵は、「(そろばん片手に)これしか生きる術がない、不器用で出世もできそうもない…それでもいいか」と訊く直之に、「生きる術の中に、私も、加えてください」と答え、「貧乏暮らしが面白いか?」には、「貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば面白いです」(このセリフはテーマ性が色濃く出過ぎていて感心しない。序でに述べると、「私は、生まれてくる子の顔を真っ直ぐに見ていられる親でいたい」も同様に露骨で頂けない)と、一匹の鱈から、白子の酢醤油、昆布じめ、焼き物を作るなど甲斐甲斐しく、献身的だが、子供のこととなると夫にも楯突く、そんな理想化された良妻賢母に描かれており、フェミニストとしては少々、引っ掛かる。 また、直之もそうだが、特に、駒はなかなか老けない。並ぶと、猪山成之=伊藤祐輝の妻でもおかしくないくらいだ。 猪山信之=中村雅俊は事ある毎に、東大の赤門建築に一計を案じた手柄話をしたり、手作りの碁盤と貝殻で囲碁を打ったりと、笑いを誘う。 猪山常=松坂慶子は、「着物は女の命よのぉ」、「いやじゃ、いやじゃ、手放しとうない!/死んだ方がまし!」と駄々を捏ねる姿は可愛らしいが、こちらも些か、ステレオタイプ。 おばばさま=草笛光子、「鬼の(西永)与三八(=西村雅彦)」はキャラが立っている割に、充分には活かされておらず、勿体ない。 猫も杓子も、子役といったら、「こども店長」みたいなご時世に、猪山直吉(=大八木凱斗)役で、加藤清史郎キャスティングしなかったのは好感(あるいは、オファーを出したが、スケジュールの都合か何かで断られただけかもかもしれないが)。 ストーリーは、成之のナレーションを挟みつつ、「米蔵の一件」→直之と駒、祝言を挙げる→「袴着の祝い」→「“家系立て直し計画”」(家財一式を処分するに当たって、信之は、「溶姫君様より頂いた」ナツメを、常は友禅の小袖を手放しているのに、上記の2つに比べれば、高価な代物ではないにせよ、駒だけが、櫛を手元に残すのを許されるのは不公平な気がする)→「長きに渡る闘い」→猪山家の人々、相次いで死去→直吉、11歳で御算用場に入り、14歳で元服→直吉改め成之、猪山政=藤井美菜と祝言を挙げる→成之、入京先で行方不明……と淀み無く進行する(脚本、柏田道夫)。 しかし、一応の伏線は用意されていている(常の最期に、友禅の小袖を着させてやる、成之の額の傷)ものの、構成に奥行きが乏しいため、演出(監督、森田芳光)は淡々としているわけでもないのに、総じて無難であっさりした印象を受ける。 職業選択の自由が憲法上も、社会通念上も認められている現代に、敢えて、家業を継ぐ、お家芸を継承するのを問うのもテーマの一つであろうが、掘り下げ方が浅く、物足りない。
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[012][リミット]
 「誰か!/助けてくれ!/誰か!」popcorn2010-11-14
 【ネタバレ注意】
鑑賞前は『ソウ』のように、外部の状況を並行して描くのだろうと予想していたが、然にあらず。本作は、徹頭徹尾、「木製の古い棺」の中だけで展開される、文字通りの、「ワン・・・・
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鑑賞前は『ソウ』のように、外部の状況を並行して描くのだろうと予想していたが、然にあらず。本作は、徹頭徹尾、「木製の古い棺」の中だけで展開される、文字通りの、「ワン・シチュエーション」であり、そういう意味で、究極のソリッド・シチュエーション・スリラーと言えるだろう。この手のジャンルは、超常的な作品が少なくないけれど、あくまで現実的なのも買える。 息の詰まりそうな状況設定ではあるが、携帯電話の使用言語が外国(アラビア)語だったり、「イラクに来て9カ月」の「CRTの運転手」で、「不安障害」を抱える、ポーリーこと、ポール・コンロイ(ライアン・レイノルズ)が、苛立ちから狭い空間の中で、手足をバタつかせたり、ギリギリの精神状態での自棄気味のユーモアにはニヤリとさせられる。 対して、介護ホームに入所している、認知症の母親、メリアン・コンロイとの会話は胸に染みる。 ポールを拉致監禁した、「クソ野郎」のことを、「同じ人間」として扱っているのも公平だ。ポールが、その「クソ野郎」の要求に屈し、自ら、左手の薬指を切断するカットを携帯電話の画面上で間接的に観させたのは上品で好い。 「救出隊」が救助に現れると素直に感動するし、それが妄想だと解るとまた切ない。 実際に、「救助隊」によって発見されたのは、既に、救出されて、復学しているとされていた、「マーク・ホワイト」の死体だという絶望的な結末も僕好みだ。 但し、CRTの人事部長、アラン・ダベンポートの対応は、些か、リアリティーに欠ける。アメリカ企業の信じ難いほどの冷酷さは、『シッコ』で、見せ付けられたが、ポールがいくらマスコミと接触していなかったとはいえ、ビデオがYou Tubeに流れているのに、不自然な形で解雇したとなれば、ささやかな保険金の支払い義務は回避できたとしても、社会的な非難は免れず、こうした処置を取るとは考え難いからだ。
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[013]インセプション
 決定的な2つのミスpopcorn2010-08-27
 【ネタバレ注意】
本作における、「“夢”」の概念は、カール・グスタフ・ユングの集合的無意識をモデルにしていると思われるが、何もそんな難しい話を引き合いに出さずとも、他人の「“夢”」に潜り・・・
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本作における、「“夢”」の概念は、カール・グスタフ・ユングの集合的無意識をモデルにしていると思われるが、何もそんな難しい話を引き合いに出さずとも、他人の「“夢”」に潜り、それを共有するのは、日本のマンガ、及び、アニメでは以前から普通にあったアイデアだ。 中でも特に有名なのは、押井守の名を世の映画ファンに知らしめた、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だろう。 副次的なテーマである、「“この世界は本物じゃない”」/「何が本物か確証が持てる?」といった、荘子の「胡蝶の夢」的懐疑も、押井守が好むモチーフであり、共通性が伺える。 かように、「夢の中の夢」はユニークだとしても、それ以外は必ずしも斬新ではない。しかし、「“夢”」の不条理性に惹かれ、夢日記を付けていた経験のある僕にとっては、興味深い題材ではある。(「“夢”」の内容を小まめにノートに取っていたら、そのうち、「“夢”」の中で夢日記を付けるようになり――正確には、夢日記を付ける「“夢”」を見るようになり――仕舞いには頭が混乱して止めた)。 映像的には、ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)とアリアドネ(エレン・ペイジ)が会話しているビストロカフェの付近がポップコーンみたく弾けたり、「物理的なルールを無視」してパリの一角が折れ曲がったり、クリストファー・ノーラン(監督、脚本、製作)にしては珍しいスローモーション、無重力状態での格闘などは印象深い。 「想像力が欠けてる」、「天才」と互いに評するアーサー(ジョゼフ・ゴードン=レヴィッド)とイームス(トム・ハーディー)の個性の描き分けは素晴らしく、2人のカラミは見事なケミストリーを生んでいる。 また、ユフス(ディリープ・ラオ)は、シリアスな作品にあって、貴重なコメディー・リリーフだ。 人気と実力を兼ね備えた、レオナルド・ディカプリオとマリオン・コティヤール(確かに、「美人」で、「素敵」だけれども、目付きが怖っ!)、ベテランのマイケル・ケインとトム・べレンジャー、個性派のキリアン・マーフィー、才能ある若手である、ジョゼフ・ゴードン=レヴィッド、エレン・ペイジら、キャスティングは隙がない。 渡辺謙は日本を主要な舞台にした作品でもないのにこうした大役を得られ、同じ日本人として誇らしい。 さて、「解釈が真っ二つに分かれる」とか、「謎に満ちた」とされるラスト・シークエンスについてであるが、結論から申し上げると、「“夢”」である。そうとしか考えられない。というのは、コブが最後にフィリッパ、ジェームズの後ろ姿を見遣った時と、再会の折、子供たちの洋服も含め、全く同じシチュエーションなのは偶然とするには無理があるからだ。 それに、フィリッパ、ジェームズと別れてから、コブは、少なくとも、2件の仕事を熟している。1つは、コボル社からの依頼。もう1つは、インセプション(「“植え付け”」)だ。1件に付き、どの程度の期間を要するかは不明だが、入念なリサーチを行うから、最低でも数ヶ月は掛るだろう。であるとすると、コブとその子供たちは、半年から、1年、あるいはそれ以上、離れ離れに暮らしていたはずである。それだのに、子供たちは、外見上、ちっとも成長していないのだ、育ち盛りであるにも関わらず…… ラスト・シークエンスにおいてクリストファー・ノーランは、観客に、現実か、「“夢”」か、解釈を委ねたに違いない(もっと言えば、全編が「“夢”」であるという選択肢すら提示されている。それは、本編が全てアバン・タイトルであることから察せられる。本作の時代設定は明確にされていないが、凡そ、現代であろう。だが、他人の夢の中に潜れる機械などというものは、現在の科学技術では到底、開発は不可能。だったらいっそ、全編、「“夢”」とした方が、合点がいく。とはいえ、僕は、全編が「“夢”」だ、と主張しているわけではない。あくまで、そういう可能性も否定されていない、と述べているに過ぎない)。そういう意味で、これは彼の完全なミスである。 前後するが、クリストファー・ノーランはもう1つミスを犯している。シドニー発、ロス行きのボーイング747の件だ。ここではイームスが、ロバート・フィッシャー(キリアン・マーフィー)のパスポートをスリ、それを受け取ったコブが、フィッシャーに話し掛け、睡眠薬を盛る。しかし、そんなリスクを冒す必要はない。睡眠薬は、サイトー(渡辺謙)の部下である客室係がミネラル・ウォーターに混入すればよいのだから。 非常に見応えのある作品ではあるが、上記の2つの決定的なミスから、評価を下げざるを得なかったのは、本当に、惜しまれる。
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[014]借りぐらしのアリエッティ
 「アリエッティ、君は僕の心臓の一部だ」popcorn2010-07-12
 【ネタバレ注意】
決して大作ではないが、スタジオジブリとしては、久しぶりに真面な作品だ。 ハル=樹木希林が言うところの、「泥棒(の)小人」、アリエッティ=志田未来、頼もしくて、思慮深・・・
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決して大作ではないが、スタジオジブリとしては、久しぶりに真面な作品だ。 ハル=樹木希林が言うところの、「泥棒(の)小人」、アリエッティ=志田未来、頼もしくて、思慮深い(まあ、所詮、泥棒なんだけどね!)ポッド=三浦友和、心配性のホミリー=大竹しのぶの暮らしぶりは質素だが、知恵と工夫に富んでおり、興味深い。 洗濯ばさみを髪どめにしたり(タペストリーだと、あれがフランスパンに見えるのは僕だけ?)、ガムテープで、ダイニングテーブルを上ったり、魚の醤油差しを水筒、薬缶を船の代わりにしたりする、こうした「代用」は、『ミクロキッズ』、リュック・べッソンの「アーサー」、「ティンカーべル」各シリーズ他でお馴染みだが、本作のディテールは群を抜いている。 最近のスタジオジブリは、作品によって作画のクオリティーにバラつきがある。しかし、プロデューサーの鈴木敏夫が、「ジブリで一番上手なアニメーター」と評する、米林宏昌(通称、「麻呂」)が監督だけに、本作のそれは申し分ない(作画監督、賀川愛、山下明彦)。 米林宏昌は、肝心の演出の方も初監督らしからぬ堂に入ったもの(演出は、『めいとこねこバス』で経験済み)。 必死になって、通風孔に手を突っ込み、顔面がボンレス・ハム状態になるニーヤ、ダンゴムシを放り投げて遊ぶアリエッティの描写はユーモラス。ハルの地団駄は、これぞ、地団駄という感じ。 貞子=竹下景子が、ハーブの香り、つまり、「小人」の存在に気付くシーンは胸がジーンとする。 スピラー=藤原竜也は野性的でゲテモノ食い、アリエッティに無言で野いちごを差し出す所作が、「未来少年コナン」のジムシー=青木和代を連想させる。 アリエッティ一家が、引越しの最中に食べる、チーズを乗せたパンは美味しそう。ホミリーがパンの大部分を残してチーズを平らげてしまうのは、『天空の城ラピュタ』のパズー(の場合は所謂、ラピュタパンの目玉焼きだが)=田中真弓を思い出させる。 また、「野原みたい」なアリエッティの部屋、「綺麗」なイギリス製のドールハウスなど、美術スタッフの仕事が素晴らしい(美術監督、武重洋二)。取り分け、草木の生い茂る、屋敷の庭には感嘆する。 素朴且、繊細なケルト音楽(セシル・コルベル)は作品を引き立たせ、「Arrietty’s song」も、美しいハープの音色、フェミニンな歌声、拙い日本語が相俟って、聴く者に神秘的な印象を与える。 監督作品では脚本を素っ飛ばし、いきなり無計画に絵コンテを切る結果、構成がデタラメな上、映画的なカタルシスに背を向けているのは理解するにしても、しばしば着地点が見出せない近年の宮崎駿であるが、本作では丹羽圭子と共同で脚本を担当(他に企画も)し、無難に纏めている。 翔=神木隆之介が厚意で、「わすれもの」を届け、「小人」の「巣」のキッチンをドールハウスのものと交換したのが裏目に出てしまうのは、他種族並びに、自然と係わり合うことの困難さについて考えさせられる。 但し、「君たちは滅びゆく種族なんだよ」とのセリフは、取って付けたみたいで頂けないし、そもそも、知り合ったばかりの相手に対して、しれっと口にするような言葉ではあるまい――いくら間近に心臓の手術を控え、翔が死に取り憑かれていたとしても。 以前から、宮崎駿はきちんと脚本を書くべきだと思っていたが、本作を鑑賞して、その意を強くした。脚本は映画の「命」。有名な逸話だが、天下の黒澤明だって、初期と晩年を除き、共同で、改稿を重ねたのだ。 劇場用のアニメにプロの声優ではなく、有名俳優、タレントをキャスティングすると、とかく批判されるが、個人的には、志田未来、神木隆之介、三浦友和は文句なし。樹木希林は流石に上手い。 大竹しのぶだけは、キャラクターデザインからすると、声が可愛過ぎて、少々、違和感がある。
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[015]瞬 またたき
 北川景子目当てで鑑賞popcorn2010-07-10
 【ネタバレ注意】
『間宮兄弟』でファンになった者としては、ナチュラル・メークで、フェミニンな服装をした北川景子が出突っ張りなのは嬉しい(容貌の唯一の欠点である、鼻の穴が上向きなのも、・・・
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『間宮兄弟』でファンになった者としては、ナチュラル・メークで、フェミニンな服装をした北川景子が出突っ張りなのは嬉しい(容貌の唯一の欠点である、鼻の穴が上向きなのも、目立つのは、舞い上がる赤い風船を見上げる時くらい)のだが、全編、沈鬱な空気に支配され、憂いを帯びた横顔は綺麗だけれども、笑顔が少ないのは残念。 さて、河野淳一=岡田将生と園田泉美=北川景子は、バイクで桜並木を見物に出掛けた帰り、「トンネル事故(の模様は予想外に凄惨で少々、引く)」に巻き込まれる。 自分だけが粗、無傷で助かった負い目により、完治している左脚を無意識に引き摺ってしまう描写から、泉美の辛い心情は察せられる。 しかし、前半、泉美は、淳一のアパートや、大学、事故現場へ向かう途中にある橋が怖くて渡れない設定で、2人の思い出の場所を訪ね歩き、その都度、回想するのが難しいため、「愛」の深さを示すエピソードが不足しており、感情移入するのに充分でない。(原作は未読だが、言葉を尽せる小説なら、そんなこともないだろうが)。 全体的にはそれなりに纏まっているものの、首を傾げたくなるヶ所は散見される。例えば、泉美が夢から目を覚ますと、必ず、デスクスタンドが点いているのはおかしい。これは勿論、室内が薄暗いと被写体が映らないためだが、それだったら、「トンネル事故」後、真っ暗だと眠れないと、「樺平 メンタルクリニック」の小木啓介=田口トモロヲに訴えておくようにすればいいのだ。 泉美の非常識な振る舞いも目に付く。顔見知りとさえ呼べない、桐野真希子=大塚寧々が勤務する、深澤法律事務所にアポなしで訪ね、調査の依頼を断られると、偽名(河野)を使って予約、改めて拒否されても待ち伏せしたり、真希子に無断で、桐野涼子=千崎若菜に会いに行ったり(真希子が、泉美に協力する動機が、「似てたの、少し、妹に」は安易過ぎる)、元々のパーソナリティーなのか、精神のバランスを崩しているからなのか。 本作には一応、ミステリーの要素もあるが、具体的な方法は兎も角、「トンネル事故」で、泉美が軽傷で済んだのは、淳一が庇ってくれたからに決まっているので、作品の牽引力にはなり得ない。 泉美の記憶が、あっさりと蘇るのも拍子抜けする。 そもそも、「助かるはずのない事故」とされているが、そうは見えないのも問題だ。振り向いて、泉美を抱き締める余裕があれば、淳一は、バイクを倒すべきだった。そうすれば、彼女の怪我の程度は重くなっていたろうが、彼の命も助かった公算が高く、彼女にとってもその方が良かったはずだ。 また、「トンネル事故」のシークエンスにおける、泉美の言動も、これまた腑に落ちない。意識が朦朧としている淳一に対する、「淳ちゃん、どうした?」は、却ってリアリティーがあるつもりだろうが、随分と、間が抜けたセリフに聞こえる。 救急車が到着するまでそっとしておけばいいものを、淳一を座らせ、しかも、壁に凭れ掛けさせるでもなく、そのまま、彼の切断された指を探しに行くのは頂けない。倒れて頭でも打ったらどうする? 結論的には、決定的な破綻こそないが、積極的に褒めるべき点も数少なく、悲劇のヒロイン願望のある観客以外は楽しめないだろう(思いの外、出番が少なく、岡田将生のファンもがっかりしたに違いない)。
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[016]闇の列車、光の旅
 「光に溢れた、小さな恋と希望」。popcorn2010-06-28
 【ネタバレ注意】
まずは、“MS”(マラ・サルヴァトゥルチャ)が、「ライバル団」のメンバーを捕らえ、射殺して犬に食わせたり、「仲間」といえど、「ウソをついたら」、13秒間、「ヤキ」を入・・・
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まずは、“MS”(マラ・サルヴァトゥルチャ)が、「ライバル団」のメンバーを捕らえ、射殺して犬に食わせたり、「仲間」といえど、「ウソをついたら」、13秒間、「ヤキ」を入れたり、レイプ(未遂)、列車強盗、白昼の銃撃戦や、「カッコいい」、銃を見せびらかす、12歳のスマイリーこと、ベニート(クリスティアン・フェレール)に、同年代の友達が、「(逃亡者を射殺するなら)待ち伏せしな」とアドバイスするとうとう、フィクションだとしても、「衝撃的な中南米のリアル」には信じられない思いだ(ここら辺りの比較対象は、『シティ・オブ・ゴッド』であろうが、残念ながら、未見)。 貨物列車の屋根の上で揺られ、連結部分で就寝、用水路の水をペット・ボトルに汲み、「クソ野郎ども」と罵声を浴びせられる、そんなアメリカを目指す移民たちの、「命がけの旅」の過酷な現実にも、少なからず、驚かされる。 キャリー・ジョージ・フクナガの演出は手堅く、確かな実力を感じさせる。必要以上にドラマチックにならないよう、抑制を利かせてあるので、激しく、感情を揺さぶられることはないが、父親が死亡したと訊かされ、「サルマ・ハエック似」のサイラ(パウリーナ・ガイタン)が零す涙、彼女の、「一緒に来ない?」に対し、「涙型のタトゥー」を施した、「ギャングのクソ」、カスペル/ウィリー(エドガー・フロレス)の、「もちろん」との返答を受けての笑顔、ラストカットの、安堵と喜びが入り混じった表情には胸が熱くなる。 予定調和ではあるが、それでも、「マラのためだ」とスマイリーが、カスペル/ウィリーを銃撃し、背中に血が滲むのにも衝撃を受ける。 強いて指摘すれば、「殺される身だ」と死を覚悟していた、カスペル/ウィリーが、「悪魔に取られた」マルタ(ディアナ・ガルシア)を忘れ、サイラと共に生きて行く希望を持つに至った、その心境の変化が解り辛いのが難点か。 また、2009年、サンダンス映画祭で、監督賞と共に、撮影監督賞を受賞したアドリアーノ・ゴールドマンの仕事も素晴らしく、自然な映像、ファーストカットの紅葉、時折、挿入される貨物列車からの風景が美しい。 それにしても、たった1人の移民が、国境を超えるのに、これ程、多くの人たちの想い、犠牲の上に成り立っているのか、と改めて考えさせられる。
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[017]マイ・ブラザー
 『ある愛の風景』未見popcorn2010-06-14
 【ネタバレ注意】
予告編の印象からすると、サム・ケイヒル=トビー・マグワイアが帰還するまでが長い。 捕虜となって虐待されるサムと、訃報に接し、悲嘆に暮れる、グレース・ケイヒル=ナタリ・・・
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予告編の印象からすると、サム・ケイヒル=トビー・マグワイアが帰還するまでが長い。 捕虜となって虐待されるサムと、訃報に接し、悲嘆に暮れる、グレース・ケイヒル=ナタリー・ポートマン、イジーこと、イザベル・ケイヒル=ベイリー・マディソン、「人気者」のマギー・ケイヒル=テイラー・ギア、彼女たちを支える、トミー・ケイヒル=ジェイク・ギレンホールが同時進行で描かれるが、「戦場で何が?」あったかは、終盤まで明らかにしない方が効果的だったのではないか? つまり、観客を第三者然とさせるのではなく、帰還兵の家族の立場に置くのだ。無論、そうした構成にした場合、サムに共感し辛くなるというデメリットは生じるが。 アフガン人の描写については、甥の見ている前で同胞を射殺、捕虜を拷問するなど、たとえ事実を反映しているとしても、残酷な面だけを強調するのはフェアではない。 戦地で異常な経験をしたサムが、解放され、帰国しても、くつろげるはずの我が家を「居心地が悪い」と感じ馴染めないのは解る気がする。夜中に、食器棚の食器の並べ替えをしている最中、近所で犬が吠え、窓辺に様子を見に行く彼の手に銃が握られているのにはゾッとする。 家族の再生は、漸く、第一歩を踏み出したに過ぎない、そんな締め括り方も僕好み。(もし、それが計られなかった場合、イザベルは、マギーの誕生日パーティーの席で吐いた「嘘」を一生後悔することになるだろうと、フィクションながら心配になる)。 頬がこけて見違えるトビー・マグワイアは、評判通りの熱演。 ジェイク・ギレンホールは、『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』のようなアクションも結構だけれど、『ドニー・ダーコ』のドニー・ダーコ、『ブロークバック・マウンテン』のジャック・ツイストなど、やはり、繊細な青年役がよく似合う。 義弟の「アミーゴ」のために、(その時点では)亡き夫(と思われていた)のクローゼットの中から代えのズボンを選んでやる時や、夫の生存の知らせを受けた際の複雑な感情表現は、ナタリー・ポートマンの真骨頂。 ベイリー・マディソンは、妹にコンプレックスを抱く難役ながら、拗ねたり、怯えたりする表情が上手い。 ボールでパンケーキの生地を溶くシークエンスで、髪に生地を付着させ、おしゃまを言うテイラー・ギアは愛らしい。 それにしても、大なり小なり、こうした悲劇がアメリカの各地で、いや、世界中で起きているのだと考えると、戦争とはほんに罪深い。
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[018]告白
 「これが私の復讐です」popcorn2010-06-09
 【ネタバレ注意】
『パコと魔法の絵本』ではミソを付けたが、邦画界が世界に誇る才能、中島哲也の復活を、まずは喜びたい。 『嫌われ松子の一生』もそうであったが、悲惨なストーリーを、「極限・・・
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『パコと魔法の絵本』ではミソを付けたが、邦画界が世界に誇る才能、中島哲也の復活を、まずは喜びたい。 『嫌われ松子の一生』もそうであったが、悲惨なストーリーを、「極限のエンターテインメント」に仕立てる手腕は唯一無二であり、脱帽させられる。 映像的には、ひんやりとした手触りで、他に類を見ないほど、スローモーションを多用したPV風。 原作は未読だが、Aこと、渡辺修哉(西井幸人)と、Bこと、下村直樹(藤原薫)の犯行動機が、二転三転しながら徐々に明らかになったり、「熱心な桜宮信者」の、ウェルテルこと、寺田良輝(岡田将生)が、「悪魔」とも形容される、森口悠子(松たか子)の影響下にあったのが判明したりする構成はよく練られている。彼女が一旦、表舞台から退場する展開は、「失われた時を求めて」を連想させる。 但し、映像は、独自の世界観を構築するのには役立っているが、半面、作品からリアリティーを奪っているのも事実(これは――便宜上、区分させてもらうと――映像派の宿命だ)。そのせいで、衝撃的な内容も、訴えかける力強さに、もう一つ欠ける。 また、修哉の内面に迫ろうとするのは結構だが、論理的な答えを求めるあまり、精神分析が教育評論家的になってしまっているのは少々、残念。 本作は純然たる、復讐劇である。ニックネーム、「ミズホ(美月のアホの略)」、北原美月(橋本愛)に象徴される、甘っちょろい世の良識派は、最後の悠子の、「なぁんてね」によって、「教育的指導」説が完全に否定され、さぞや、ショックを受けるだろうが、個人的には痛快であり、「少年法」の壁のある現状にあっては、悠子の復讐を全面的に支持する。 「命は、重いですか? 本当に誰の命も」 上記の問いに答えるならば、「誰にとって」かによって変わってはくるが、万人の命の価値が社会的な見地からして等しい、などというのは言うまでもなく、偽善である。 まあ、なんにせよ、人間や、イルカの命は重いが、牛、豚、「害虫」の命は軽いとする根拠は見当たらないことから、肉食、無用な殺生をする者に、「命」の尊さに関して論じる資格はないとだけ述べておこう。
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[019]グリーン・ゾーン
 マット・デイモン×ポール・グリーングラスpopcorn2010-05-18
 【ネタバレ注意】
…となれば、どうしたって、『ボーン・スプレマシー』並びに、『ボーン・アルティメイタム』と比較したくなる(予告編も、後者のそれを充分、意識した作りになっているのが可笑・・・
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…となれば、どうしたって、『ボーン・スプレマシー』並びに、『ボーン・アルティメイタム』と比較したくなる(予告編も、後者のそれを充分、意識した作りになっているのが可笑しかった)。 早いカット割り、手持ちのカメラによる、臨場感溢れる画作りは同様で、お手の物。しかし、ジャンルは同じサスペンスアクションでも、米国陸軍、上級准尉、ロイ・ミラー(マット・デイモン)は、「トレッドストーン計画」に参加したりはしていないので、ジェイソン・ボーンのような特殊技能はなく、そもそも、アクションシークエンス自体、そう多く用意されておらず、些か、物足りない。とはいえ、本作は米国に内省を促す内容になっているので致し方あるまい。 また、「“大量破壊兵器は存在しない”」のも、「戦争の要因/原因」も、「ウォール・ストリート・ジャーナル」、CNNといったマスコミがアメリカ国防総省に好いように利用されたのも既知の事実なので、これらは作品の牽引力にはなり得ない。 「暗証名 クラブのジャック」こと、アル・ラウィ将軍が、“マゼラン”であったのも驚くには当たらないし、フレディこと、ファリド・ラーマン(ハリド・アブダラ)が、アル・ラウィを射殺するのも予定調和的な落とし所であり、衝撃は受けない。 だが、「情報には報奨金を もらってやる」とのミラーの発言に対する、フレディの、「(自分だって)この国の未来を思ってるんだ」や、「あんたたちに この国のことは決めさせない」などのセリフは、そんな当然のことにすら考えが及ばない、米国の傲慢さをよく表している。
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[020]アリス・イン・ワンダーランド
 「『不思議の国のアリス』のその後…」popcorn2010-04-19
 【ネタバレ注意】
公私共にパートナーに恵まれ、ハリウッドで揺るぎない成功を収め、精神的にすっかり安定してしまったティム・バートンが、全盛時代を過ぎているのは薄々、気付いてはいたけれど・・・
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公私共にパートナーに恵まれ、ハリウッドで揺るぎない成功を収め、精神的にすっかり安定してしまったティム・バートンが、全盛時代を過ぎているのは薄々、気付いてはいたけれど、才能の搾りカスで作られたような本作に至っては、たとえ信者の僕であっても、自分を誤魔化し、擁護するのは無理だ。 独特なアクの強いビジュアル、「不思議な動物」たちは、奇抜ではあっても中身に乏しい。 帽子屋、マッドハッター(ジョニー・デップ)、赤の女王/イラスベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は別格として、一定程度、役割を与えられているのは、チェシャ猫(声の出演、スティーヴン・フライ)と、バンダースナッチくらいで、それ以外は、殆ど、賑やかしでしかない。 終盤まで、基本的に、ただ、「夢から覚めたい」と思っている、アリス・キングスレー(ミア・ワシコウスカ)の行動原理が不明で、不可解な言動は理解に苦しむことしばしば。 例えば、ヤマネ/マリアムキン(声の出演、バーバラ・ウィンザー)から、バンダースナッチの目玉を取り上げ、それと交換に、ヴォーパルの剣を要求するのかと思いきや、持ち主に返してやり、そのまま居眠り。いくら疲れていてもライオンの檻で眠る者はおるまい。 一度は、マッドハッター救出のために、赤の女王の城に単身、乗り込んだアリスが、彼の処刑に際しては、一切、心配している様子が見られないのも問題。 また、アリスとジャバウォッキーとの一騎打ち(マッドハンターの邪魔が入るが)も、散々、逃げ回った挙げ句、一太刀で決しては盛り上がらない。 原作を踏襲した言葉遊び程度で、ユーモアも足りない。世界観以外、何で観客を楽しませようとしているのか、解らない。 本作の登場人物の中で、最も、ティム・バートンらしいのは、「デカヘッド」と揶揄される赤の女王/イラスベスだろう。彼女の「悪行」は赦されるものではないが、その容姿故に、あるいはそれに起因する性格の歪みから、長女であるにも関わらず、王位を継承できず、おべっか使いに囲まれ、言い寄ってくる男は地位目当て、恐怖政治も、ハートのジャックのイロソヴィッチ(クリスピン・グローヴァー)に唆された節もあり、斟酌されるべき事情がある。信じていた男に殺されそうになる、赤の女王/イラスベスには同情を禁じ得ない。正に、「哀れむべき大きな顔」である。しかるに、死刑より残酷な流刑を言い渡す、白の女王/ミラーナ(アン・ハサウェイ)、否、ティム・バートンの仕打ちには慈悲というものがまるで感じられない。 ティム・バートンはいつから、異形のものではなく、セレブの味方になったのだろう? 僕は裏切られたような気持ちにさえなる。 まあ、過去には、すばらしく良いもの(『シザーハンズ』)を観させてもらったので、今後も付き合う所存ではあるが。
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[021]アバター
 目覚めで始まり、目覚めで終わる…popcorn2010-02-21
 【ネタバレ注意】
本作、最大のテーマは、「二度生まれ変わる」である。だから本編は全て、アバン・タイトルなのだ。 『エイリアン2』ではリプリーを演じ、無断で他種族の領域を侵しておきなが・・・
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本作、最大のテーマは、「二度生まれ変わる」である。だから本編は全て、アバン・タイトルなのだ。 『エイリアン2』ではリプリーを演じ、無断で他種族の領域を侵しておきながら、生存のためと称し、殺戮の限りを尽くしたシガーニー・ウィーバーが、本作では、先住民を守ろうとする側に配置転換されているのは興味深い。これは恐らく、意図的なもので、一種の目覚め、(こう書くと、偉そうだけれど)、ジェームズ・キャメロンが人間的に成長した証だ。 アルファ・ケンタウリ系のガス惑星、ポリフェマスの最大の衛星、パンドラの風景は、デジタル技術が駆使されているのに多少の違和感を覚えるものの、リアリティ・カメラ・システムによる、奥行き感も手伝ってなかなか壮観。自然発光する夜景は幻想的だ。 だが、CGでどんな映像でも作れるご時世である。驚きは長続きせず、暫くすれば慣れてしまう。 むしろ、感心させられるのは、ナヴィとアバター/ドリームウォーカーのパフォーマンス・キャプチャーのスムーズな動きの方だ。 肌の質感はいかにもCG。造形については、「気持ち悪い」という声も聞かれるが、僕は、美意識がズレているせいか、最初から、神秘的で美しいと感じた。ネイティリには、ゾーイ・サルダナを重ねてしまう分、尚更だ。 ジェイク・サリー(サム・ワーシントン)とネイティリが、エイワの前で、「永遠に結ばれ」るシークエンスはロマンチックだし、イクラン、トルークとガンシップの意外な取り合わせによる空中戦は魅せる。 しかし、本作を鑑賞すると、人間の想像力の限界を思い知らされる。 作り込まれた世界観を称賛する論調が目立つが、パンドラは、地球から約5光年も離れた天体であるにも関わらず、アマゾンとよく似た熱帯雨林に、シダや、竹、キノコのような植物が見受けられる。プロレムリス、ハンマーヘッド・タータノセレス、サナター、ヴァイパーウルフ、ダイアホース、イクラン、トルークといったクリーチャーも、それぞれ、地球上に存在する、あるいはかつて存在した動物を連想させる。 パンドラ自体が1つのネットワークであるとの発想は実に今時で、フィーラーの描写は、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の影響に違いない。 ところで、ナビィによる、イクランとのツァヘイル(「絆のこと」)を結ぶ行為は、レイプ紛い。(「どうだ? もう俺のものだ」なんてセリフは正に)。しかも、力尽くでジェイクの「もの」になったイクランであるが、ツァヘイルの強さの見せどころで、トルークに乗り換えられてしまう。その無念さを想像し、切なくなるのは僕だけだろうか? そもそも、ナヴィは、「人間もどき」で、生活様式は、インディアンのそれに似通っている。つまり、生態系も、文化もオリジナリティーがないのだ。 ストーリーの基本構造は、『ダンス・ウィズ・ウルブス』、『ラスト サムライ』と同様。展開もお定まり。グレース・オーガスティン(シガーニー・ウィーバー)の負傷と死、トゥルーディ・チャコン(ミシェル・ロドリゲス)の戦死も含め、何一つ意外性がない。 本来、ジェームズ・キャメロンはキャラ立ての名人。たとえ少ない出番でも、観客に強い印象を残せる脚本家であり、演出家だ。けれども、本作では、世界観の構築に気を取られたのか、人物造形が好い加減で、目立つのは、ルックス的なアドバンテージのある、トゥルーディくらいなもの。マイルズ・クオリッチ(スティーブン・ラング)はあまりにもステレオタイプだ。 ドラマとしては、ジェイクとネイティリの関係性に一極集中しており、それなりの説得力はあるものの、広がり、大作感に掛ける。ジェイクとグレースがコーヒーでも飲みながら語らうシーンがあっても好かった。ジェイクの双子の亡き兄、トミーへの想い、ネイティリを奪われた格好の、ツーテイ(ラズ・アロンソ)の心情ももう少しフォローしてもいいだろう(必要最低限、きっちりと押さえている辺りは心憎いが)。 2154年の割には、軍服は兎も角、いくら流行は繰り返すと言っても、ジェイクのTシャツが今風であること、彼が経済的に豊かでないとはいえ、使用している車イスが現在からろくに進化していないのは不自然。 また、決戦において、ハンマーヘッド・タータノセレスや、サナター、ヴァイパーウルフが徘徊する森林に地上部隊を投入するのが効果的且、必要性があるのか疑問だ。 それにしても、(実質、アメリカによる)文化並びに、武力侵略を描いた本作が、アメリカ文化の象徴である、コカ・コーラとタイアップしているのは全く以て皮肉な話しである。
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[022]THE 4TH KIND フォース・カインド
 モキュメンタリーの亜種popcorn2009-12-21
 【ネタバレ注意】
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の系譜に数えられるモキュメンタリーの亜種。この手の作品は、騙されたフリをして楽しむが吉。 本来、モキュメンタリーにスターを起用する・・・
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『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の系譜に数えられるモキュメンタリーの亜種。この手の作品は、騙されたフリをして楽しむが吉。 本来、モキュメンタリーにスターを起用するのは難しいが、ミラ・ジョヴォヴィッチをナビゲーター兼、「再現映像」における、心理学者のアビーこと、アビゲイル・タイラー博士役で出演させるのは上手い。 画面分割し、「実際の映像」と「再現映像」を並べることにより、信憑性を持たせている。 トミー・フィッシャーによる無理心中では、発砲の際にモザイクが掛り、直接的な刺激は減ぜられるが、いかにも資料映像みたいだ。 肝心な部分に差し掛かると、必ず、ビデオの映像が乱れるのは、「奴ら」だか、「奴ら」の乗り物だかが、電磁波を発しているらしいから、その影響だろう。 「(白い/ベージュの)フクロウ」の正体は、タイトルの意味が、「第4種接近遭遇(異星人による訪問、もしくは、誘拐)」だと知らなくてもピンとくるはずだから、早い段階で、「宇宙人の拉致説」を提示し、下手にオチを引っ張らないのも正解だ。 不満なのは、「この映画は ある記録映像と 再現映像で 構成されています」としながらも、大半は後者が占めている点。 「ダメージを受けた」、アビゲイル・タイラー(異様な雰囲気が強い印象を残す)以外にも、取材に応える、アラスカ州、ノームの住人や、証言を頑なに拒否する保安官の映像なども織り交ぜた方が良かったのではないか。 それでも、僕は、日向冬樹(川上とも子/桑島法子)ほどではないがオカルト好きで、子供の頃、テレビでUFO特番を観た夜、怖くて寝付けなかった感覚が蘇った。 ウィル・タイラーは殺害されたのではなく、自殺だったのに、貴女(アビゲイル)の話を、私や、観客が信じると思いますか? とオラトゥンデ・オスンサンミが言うのは白々しくて可笑しい。
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[023]意志の勝利
 技巧の宝庫popcorn2009-12-19
 
16台のカメラにより撮影された、60時間にを超えるとされる素材。そのスケールは、現在の基準に照らしても、並のドキュメンタリーではない。 多用されるカットバック、フェ・・・
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16台のカメラにより撮影された、60時間にを超えるとされる素材。そのスケールは、現在の基準に照らしても、並のドキュメンタリーではない。 多用されるカットバック、フェード・アウト、オーバーラップ、印象的なシルエット、ルイトポルトハレ公会堂において、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)幹部を紹介する凝ったテロップなど、本作は技巧の宝庫だ。 アドルフ・ヒトラーの、「まず 平和を愛することだ」といった白々しい演説に嵐のような歓声を上げる党員の映像は空恐ろしいが、やはり、ヒトラーは演説の名手。(でも、よく観察すると、チラチラと演台のカンぺに視線を落としているのが確認できる)。民族差別的な発言も聞かれず、ハデな身ぶり手ぶり、独特の抑揚には、思わず引き込まれる。 ニュルンベルグ旧市街での、SA(突撃隊)や、SS(親衛隊特務部隊)の一糸乱れぬ、グースステップによる、大パレードは整然としており、成程、これを観た多くのドイツ人は誇りと憧れを、外国人は、畏怖の念を抱くであろうと想像するに難くなく、プロパガンダとしての効力を実感させられる。(しかし、クライマックスにしても、少々、長過ぎてダレる)。 レニ・リーフェンシュタールは、本作により、ナチズムの協力者とのレッテルを貼られてしまったが、オープン・カーでパレードするヒトラー、熱狂する民衆のカットバックの中に、無関心な様子で窓辺で横たわる猫、無表情な人物の姿もあり、レニ・リーフェンシュタールの姿勢の現れと受け取れないこともない。 それはそうと、ヒトラーのアホ毛と、副総統、ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・へスの繋がり眉毛が気になるのは僕だけ?
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[024]犬と猫と人間と
 存在意義のある作品popcorn2009-12-15
 【ネタバレ注意】
日本は、「ペット大国」であっても、決して、「ペット天国」ではない。 この題材でドキュメンタリーを取る場合、ほぼ完璧な仕上がりだろう。憂うべき現状に臆せず切り込む本作・・・
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日本は、「ペット大国」であっても、決して、「ペット天国」ではない。 この題材でドキュメンタリーを取る場合、ほぼ完璧な仕上がりだろう。憂うべき現状に臆せず切り込む本作は、素晴らしいと評するより、存在意義のある作品だと称えたい。 「育て切れない、もらい手がいない、近所からの苦情」、それぞれに事情はあるだろうが、犬猫を、「家族の一員」、「子供と一緒」とするのなら、自分が餓死してでも面倒を看るべきで(我が子だったら、大抵の親はそうするだろう?)、「不法投棄」なんてとんでもない。保健所に「預ける」くらいなら、せめて、自分で「処分」すべきだ。 「猫お婆ちゃん」こと稲葉恵子が漏らす、「人間も好きだけれど……動物の方がマシみたい」、飯田基晴の、「思わず人間であることがイヤになった」、夫婦で19年間、1日も欠かさず、多摩川で、「猫の救済」を続ける、小西夫妻、夫で写真家の小西修の、「人間がね、1番、そのぅ、地球上で最も残酷でね、最も嘘吐きでね、最も醜い」、妻、小西美智子の、「(不妊去勢するのは、「可哀想な猫を、増やさないため」だとしても)私はほんと、どれだけの罪を犯してきたか解んない」、元動物愛護協会附属動物病院長、前川博司の、「根本的には、人間というのは、あまりにも、強欲で、攻撃的で」は全くもって同感。オーストリア人、マルコ・ブルーノの、「日本の犬に生まれたくない」は耳が痛い。 「キツイ言い方をすれば、あの、ええ加減な飼い主さんの尻拭いをずっとしとるわけですから、それで非難されるというのも非常に不条理なものがある」に代表される、「実際に処分を担う職員」の苛立ちも伝わってくる。 噛み癖のある、雑種犬のがじろうに吠えられて慌てる飯田基晴、気難しくて、毛の手入れができないため、麻酔で眠らされ、丸刈りになる、アメリカン・コッカー・スパニエルのデニーとシェットランド・シープドッグのサンデーは、一見すると可笑しいが、これまで、人間にどんな酷い目に遭わされ、不信感、恐怖心が芽生えたのかと想像すると哀しい。 あまりにも哀れだったり、残酷だったりして、目を背けたくなるシーンも少なくないが、一番、印象に残るのは、「野良猫の不妊去勢」の模様だろう(「雄は睾丸を取るだけの簡単な手術。雌は子宮ごと卵巣を取り除く」。「辛いのが、お腹の中に子供がいる時」)。飯田基晴は、「この仕事を担う人の気持ちに近付きたくて」と、「命そのもの」と形容する、「(取り除かれた)胎児の入った子宮に触らせてもら」う(「それはまだ温かく、しかし、半分、冷たくなっていた」)。 飯田基晴のスタンスは観察者でも、傍観者でもない。「食いしん坊」で、「出戻り」のしろえもんの「厳しい躾」に対し、「出過ぎた真似だと思いながらも」、神奈川県動物愛護協会所長、増田美樹子に意見さえする。 山梨県の、「犬捨て山」のその後、「崖っぷち犬」の譲渡会の件では、マスコミ、一過性の愛護団体を辛辣に批判。 ロンドンからは、「動物愛護、動物福祉の本場」/「洗練された動物保護の国」、イギリスの様子をレポート。ロンドンでは、野良猫は希少動物なのには驚かされる。 大変、深刻な作品ではあるが、それでも、何処かユーモラスな飯田基晴のナレーション、こんなにも酷い人間を、「大好き」でいてくれるしろえもん、「ふらりとやって来ては、あちこち首を突っ込む」、飯田基晴が、「なんとなくシンパシーを感じる」、にゃんだぼ、「お年玉をつぎ込んで、捨てられた子犬の世話をする小学生たち」は救いだ。ささやかではあっても、希望が残る締め括り方も良い。 「私たちは長い年月をかけて、多くの品種を生み出し、様々に利用し、自らの満足を満たしてきた」。犬猫は純然たる家畜でこそないが、歴史上、ある意味、人間に蹂躙された最大の被害動物だ。こうした状況を改善するためには、動物の権利を訴え、啓蒙、啓発活動に取り組む団体、Animal Aidの責任者、アンドリューが仰る通り、「法律や文化やビジネス まで変えなくては」なるまい。
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[025]劇場版 空の境界/第七章 殺人考察(後)
 「遂に、 完結へ−−」popcorn2009-12-11
 【ネタバレ注意】
宿敵、魔術師の荒耶宗蓮(中田譲治)も今は亡く、『劇場版 空の境界 第六章 忘却録音』は外伝的な内容であり、ストーリーは最早、完結したも同然。正に、「夢のような、日々・・・
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宿敵、魔術師の荒耶宗蓮(中田譲治)も今は亡く、『劇場版 空の境界 第六章 忘却録音』は外伝的な内容であり、ストーリーは最早、完結したも同然。正に、「夢のような、日々の名残―――」だ。 前半は、街を徘徊する両義式(坂本真綾)への疑惑に揺れる、究極の草食系男子、黒桐幹也(鈴村健一)を中心に展開。ある意味、彼女以上に超然としていて共感し辛かった彼だが、大分、人間らしく描けている。 「観布子市の連続殺人事件」の殺人鬼の正体が、まさか、式だと本気にはしないまでも、「着物姿の不審人物」といったミスリードには一定の牽引力がある。 「起源覚醒者」である、白純里緒(保志総一朗)が、真犯人として半ば、唐突に登場するのはミステリーなら邪道だが、本作では問題にならない。 後半は、昏睡から覚醒し、代償行為に走っていた式が、「殺人衝動」を乗り越え、本来の自分を受け入れるまでのドラマである。 式と白純の2度に渡る対戦はスピーディーで、手ブレを再現した映像(撮影監督、寺尾優一、松田成志)には臨場感がある。 惨殺体、親指を根元から噛み千切った式の手などの残酷描写は、『劇場版 空の境界』シリーズを通じ、ジャパにメーション史上屈指。 白純による式の凌辱シーンも、アダルトアニメ顔負けの生々しさで、彼女の唾液を付けた指先を舐め、彼が白い息を吐くのは芸が細かい。(式は肉体的にも、白純に犯されても良かった)。 また、これも、『劇場版 空の境界』シリーズに共通しているが、そう珍しくはないにせよ、ハーゲンダッツのストロベリー、ジョージアのエメラルドマウンテンブレンド、日清麺の達人、NTTの公衆電話といったディテールへの徹底した拘りが感じられる。 だが、「殺人考察」と銘打ち、「殺人と殺戮は違うんだ。覚えてる、黒桐? 人は、一生に一人しか人間を殺せないって」は、所詮、空虚な言葉遊びだ。 実際、この世界では殺人なんて有り触れているし、第一、人間は、牛、豚を始め、ありとあらゆる動物の死肉を食らい、刺されると痒いから、不潔、剰え、気色悪いとの理由で昆虫を殺害している。命が重いか軽いは別にして、価値に違いがあろうはずはない。であるからして、殊更、殺人だけを特別視するのは偏狭である。 けれど、そうした点を差し引いても、本作は、『劇場版 空の境界 第五章 矛盾螺旋』と並び、本シリーズの中では傑出している。 しかし、「殺人衝動」だの、覚醒剤(「カクテル」/「ブラッド・チップ」)だの、こんな猟奇的で、不健全な作品が、一部とはいえ、熱狂的に支持されるとは、日本のアニヲタは病んでいる。
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[026]風のかたち-小児がんと仲間たちの10年-
 「子どもは死んじゃいけない人たち」popcorn2009-12-10
 【ネタバレ注意】
波音、そして、産声。赤ん坊の誕生を表現したブラックアウトで始まる本作は、悪戯に悲劇を煽り立てるお涙頂戴ではない。あくまで「前向きに」、「小児がん患者や体験者を、「『・・・
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波音、そして、産声。赤ん坊の誕生を表現したブラックアウトで始まる本作は、悪戯に悲劇を煽り立てるお涙頂戴ではない。あくまで「前向きに」、「小児がん患者や体験者を、「『再生』のシンボル」として活写したドキュメンタリーだ。 SMS(スマート・ムン・ストン)が主催する、「年に1度、小児がんと闘う仲間たちのサマーキャンプ」。聖路加国際病院、小児科部長で、副医院長、「私は悲しい時に泣けなくなったら医者を辞めるべきだと思っています」と語る、細谷亮太の言う通り、目に映る小児がん患者や体験者の1人1人に、「闘争の歴史」があるのだと考えると、感慨深い。 小児がんを発病してから、「大人になった」、「自立した」。これらは親御さんの証言だが、それにしても、小児がん患者の子どもたちの物言いがしっかりしているのには驚かされる。 「病気になったのが、家族の誰かじゃなくて、自分で良かった」、「多分、皆、笑っているけど、きっと、不安なん、だと思うんですよ。でも、今、精一杯生きてるんだなあって凄く思った」といった発言は重い。 将来の夢を訊かれると、「小さい頃からお医者さんとかにお世話になってる」からと、医療従事者を挙げる子どもが多いが、当初、医者を志したものの、「中2辺りで、頭が足りないから無理」だと、看護師に方向転換して夢を叶えた、鈴木美穂のエピソードにはクスリとさせられる。 一方、キャンプの常連、珠ちゃんこと、鈴木珠生の、「小学校の先生になって、命の大切さを皆に教えてあげたい」との夢は叶わなかった。(「キャンプから帰った、14歳の秋の終わり、珠ちゃんは遠いところへ旅立ちました」)。 あけぼの小児クリニック院長、石本浩市へ、自分で描いた絵をプレゼントしたあと、恥ずかしそうに付き添いの母親の陰に隠れる幼女、飛行機に搭乗して、「鳥になった気分」、「わぁ、鳥だ! 鳥だ!」とはしゃぐ少女、将来の夢は、「ペットショップの人」と答える幼女は愛らしく、目の不自由なヤッ君こと、オオシマヤスヒロが木登りして浮かべる、誇らしげな表情は微笑ましくも、頼もしい。 それにしても、細谷亮太は、平日、聖路加国際病院で小児がん患者や体験者と向き合うだけでなく、週末になると故郷の山形に帰省し、「自然治癒力を持っているような子どもたちの生命力ってのを吸収」するため、祖父の代から続く病院で子どもを診察。「お遍路の旅」にも出掛け、本作を観る限り、大層な人格者である。(訥々とした朗読も、却って胸に染みる)。副委員長でこれほどなら、聖路加国際病院の医院長はきっと神様に違いない。 しかしながら、本作には、もう1つ共感できない。僕が、ツイストドーナツみたく捻くれているからそう感じてしまうのかもしれないけれど、小児がん患者の発言に優等生的なものが目立つせいだ。殆どは、子どもならではの純粋で、素直な心境であるにせよ、伊勢真一が、小児がん患者や体験者の本音を、充分に引き出せていない面もあるのではないか? そうした中では、骨髄移植を受けると難しいとされる出産を経験し、母親となった羽賀涼子の、得るものは沢山あったが、やはり、病気にはなりたくなかった、「悔しさをバネ」にしてきた云々は、正直で好い。 川田智之は車椅子でサマーキャンプに参加し、「病気になったから良かったじゃないですけど、病気になったからこんなに、周りの人の優しさが解った」と述べている。残酷なようだが、周囲の人間が優しい態度で接してくれるのは、彼が病人――つまり、労わられる立場――だからである、と日々、実社会の厳しさに晒されている僕は意見したくなってしまう。 技術的には、時間軸が一定方向でなく、テロップ、語り(伊勢真一)の助けも基本的にはないので、時間経過が把握し辛い。 それと、自然の風景は美しいが、クリア過ぎる映像(撮影、石倉隆二、内藤雅行、田辺司)は味わいに欠ける。
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[027]ビッグ・バグズ・パニック
 B級テイストがツボpopcorn2009-12-10
 【ネタバレ注意】
虫のVFXは、デジタル効果スーパーバイザーのP・J・フォーリーが、『スターシップ・トゥルーパーズ』に係わっていただけあり、同作を彷彿とさせる。 残念ながら、コメディ・・・
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虫のVFXは、デジタル効果スーパーバイザーのP・J・フォーリーが、『スターシップ・トゥルーパーズ』に係わっていただけあり、同作を彷彿とさせる。 残念ながら、コメディーとしては、面白い部分の大半が予告編にて既出してしまっているせいで大して笑えないけれど、「独我論的」で、「何をやってもダメな、世界一冴えない男」、クーパー(クリス・マークエット)が、サラ(ブルック・ネヴィン)に、大事な話があると切り出し、もし僕が、「人間と虫の雑種」に変身し、君が銃を持っていたら……撃たないでくれと頼むのには吹く。 監督も務める、カイル・ランキンの脚本は意外にしっかりしており、「お天気お姉さん」のシンディ(キンジー・パッカード)の誘惑を跳ね付け、ヒューゴ(E・クインシー・スローン)の面倒を看ているうちに、クーパーが成長していく姿がよく描けている。 クーパーがサラを繭から救出する前に、2人が出会っていたのがのちに判明するのも気が利いているし、「例のゲーム」もクーパーとイーサン父子の別れのシーンで、ヒューゴの耳が不自由である設定もきちんと活かされている。 シンディが、アルト(ウェスリー・トンプソン)にあっさり射殺されたり、思わせぶりなセリフでエンド・ロールに突入したりするのも、クールと言えなくもない。 しかし、惜しむらくは、結果的に、ファーストバトルが最大の見どころであり、それを凌ぐシークエンスのないまま、the endを迎えてしまう。中盤にハデな見せ場が用意されているか、終盤が、クライマックスと呼ぶに相応しい盛り上がりであれば、もっと高い点数を与えられるのだが。
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[028]マーターズ
 「あなた 見たの?/別の世界を」popcorn2009-12-02
 【ネタバレ注意】
鑑賞から数日間、本作のことが頭から離れななかった。 区分上、ホラー(スラッシャー)にカテゴライズされているが、本質的には、宗教映画である。 また、挑発的なコピーが付・・・
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鑑賞から数日間、本作のことが頭から離れななかった。 区分上、ホラー(スラッシャー)にカテゴライズされているが、本質的には、宗教映画である。 また、挑発的なコピーが付されているけれど、実のところ、そこまではグロくない。(並大抵ではないが、『屋敷女』に比べたら……)。 メーンビジュアルの1つ、金属製の目隠しと褌状の貞操体のようなものを装着され、腰に有刺鉄線を巻き付けた、全身、切り傷だらけの監禁された女性は強烈、リシュー=ミレーヌ・ジャンパノイがぶっ放す猟銃はパワフルだが、映像はスタイリッシュだし、直接的な残酷描写も少なく、あってもカット割りが早いので、スラッシャーが苦手な僕でも直視していられる。 強いて言えば、アンナ=モルジャーナ・アラウィが目隠しを外してやるシーンは生理的に訴え掛けるものがある。 精神的にもキツくない。何故なら、一見、理不尽に思えるアンナへの虐待も、「組織」の連中は、決して、己の加虐性を充足させるためではなく、機械的に行っているに過ぎないのを観客は理解しているからである。 アンナが、既に、他界しているリシューと対話し、「恐怖を消す」ためとして、「身を委ねる」件は、大変、説得力があって興味深い。 「“変容”」し、「完全に解き放たれた」、「恍惚状態」のアンナが、「死後の世界」を見るシークエンスはシンプルながら、神々しくすらある。 モルジャーナ・アラウィ、ミレーヌ・ジャンパノイは、喚き散らしたり、絶叫したり、演技映えするのは差し引いても熱演だ。 だが、本作があとを引くのは、なんといっても、アンナの証言を聞いた、マドモアゼルが拳銃自殺してしまうのが大きい。 「死後の世界」は確かに存在した、そう理解するのが当然だろう。自殺は否定的なイメージがあるので、マドモアゼルは絶望的になったと考え勝ちだが、マドモアゼルは、希望を持って、あの世へ旅立ったとも解釈できる。しかし、それにしても、召集された「組織」の人間に、アンナの証言を伝えてからでも遅くはないはずだ。 それと、引っかかるのは、マドモアゼルの、「疑いなさい」というセリフ。 マドモアゼルは真実を一人占めするつもりだったのか? はたまた、「死後の世界」が彼女の望んでいたものではなかったのか? 今もって、納得いく答えを見付けられないでいる。
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[029]劇場版マクロスF〜イツワリノウタヒメ〜
 ファンでないと辛い。popcorn2009-11-29
 
「銀河の妖精」こと、シェリル・ノーム(遠藤綾)のライヴシークエンスは力が入っており、まずまずの仕上がり。上映前のBGMで、繰り返し聴かされ、耳に馴染んだせいもあるが・・・
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「銀河の妖精」こと、シェリル・ノーム(遠藤綾)のライヴシークエンスは力が入っており、まずまずの仕上がり。上映前のBGMで、繰り返し聴かされ、耳に馴染んだせいもあるが、「ユニバーサル・バニー」は気に入ったし、一死乱れぬロボットダンサーもカッコイイ。 昨今の劇場用アニメにしては描き込みが少ない。これは、テレビシリーズ(未見)の作画をそのまま流用しているせいだろうか? また、今世紀初頭を再現したとされる、「クラシックな街並み」は、(想像力を働かせるのを放棄した)、有り勝ちな都合の良い言い訳である。 本作はSF/アクションにカテゴライズされているが、アクションは、序盤の「襲撃事件」と終盤のミッション・コード、「銀河の妖精」のみ。 その上、最新型可変戦闘機VF−25、バルキリーや、重機甲生命体、バジュラによる、「ハイクオリティなCG(チーフディレクター、八木下浩史)メカ・アクション」とやらはどう観てもチープだ。 劇場版二部作であるため、時間の使い方に余裕が感じられる割に、早乙女アルト(中村悠一)、シェリル、ランカ・リー(中島愛)の三角関係の心理描写は雑で、ロマンスとしては非常に幼稚。大人なら、キャラヲタでないとダルイはずだ。
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[030]脳内ニューヨーク
 人生そのものpopcorn2009-11-25
 
「“純粋で正直な」、「実人生の舞台化」――。人生に対して真剣に向き合い、創作活動に真摯な態度で取り組む表現者なら、一度は、フィクションを超越(メタ)したいとの野望を抱・・・
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「“純粋で正直な」、「実人生の舞台化」――。人生に対して真剣に向き合い、創作活動に真摯な態度で取り組む表現者なら、一度は、フィクションを超越(メタ)したいとの野望を抱くのは当然の流れだろう。(しかし、それは原理的に不可能であり、困難を極める)。 映画人、チャーリー・カウフマンも然り。本作こそは、彼が見出した、「方向性」だ。滑稽でありながら、哀しく、孤独で寂しい。そして、不条理。テーマは、「死」だが、同時に、「恋愛劇」でもあり、正に、人生そのものと言える。 但し、単純に、面白いかと聞かれると、首を傾てしまう。『マルコヴィッチの穴』ほど奇想天外でもなければ、『エターナル・サンシャイン』のようにロマンチックでも、パズルのピースが填まっていくかの如き、快感も得られない。 また、ケイデン・コタード(フィリップ・シーモア・ホフマン)自身の時間の感覚が、次第に、ルーズになっていくので、仕方がないことのなだけれど、ストーリーテリングが些か、たどたどしい印象を受ける。
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