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 「samurai83」さんのコメント一覧 登録数(28件)rss
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[001]10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス
 10分の試みsamurai83 (Mail)2004-12-14
 
 これほどの奇才・逸材、通好みするメンバーが揃って、面白くないはずは無い。  ヴィクトル・エリセの映像は、活字化不能である。脈絡不要。これほど10分という制約の中で・・・
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 これほどの奇才・逸材、通好みするメンバーが揃って、面白くないはずは無い。  ヴィクトル・エリセの映像は、活字化不能である。脈絡不要。これほど10分という制約の中で、完全な映像による心の処方箋があるだろうか。  ヘルツォークの、待ってましたとばかりの、お得意の「土人」フィルム。未開文明を10分で1万年の錬金術。時の流れなど瞬きの如く・・・。  ジャームッシュのキーワードは、いらない素材を徹底して長回し。商業映画ではバッサリとカットされるであろうワンシーンこそが、ジャームッシュの感性の塊である。  対照的にスパイク・リーは、テーマへのこだわり、息をつく暇も無いカットと台詞被せの応酬。アンチ芸術根性。やはりスパイク・リーは、煮ても焼いてもスパイク・リーであり続ける。  チェン・カイコーのぬるい題材は、些か不釣合いの体だが、アジアはしばらくチェン・カイコーに付いて行かざるを得ないであろう。  意外なところでヴィム・ヴェンダース。どれほど自己満足で煙に巻くと思いきや、外しの美学。なんと、10分間で一級品の娯楽作品を作り上げてしまった。  当然といえば当然であるが、いつみてもカウリスマキの画の中の人物には、花がない。敢えてなのか、ハードボイルドに花はいらないか。
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[002]海は見ていた
 ぬるいsamurai83 (Mail)2004-11-22
 
 海はいったい何を見ていたのだろうか。  腰の据わった演出も空しく、人物描写が浅い。軸になるはずの人物たちの「心」がまったく見えてこない。この作品の主軸であろうか、・・・
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 海はいったい何を見ていたのだろうか。  腰の据わった演出も空しく、人物描写が浅い。軸になるはずの人物たちの「心」がまったく見えてこない。この作品の主軸であろうか、若侍と遊女のプラトニックな恋だが、虚しくも尻切れトンボでストーリー全体の布石にも何にもなっていない。「吉岡秀隆」など侍役が似合わないことこの上なく、演技浮きまくりで観ているこちらが恥ずかしくなるくらいである。  幾つかの、ショートエピソードで構成されているのだが、どれもこれもリンクしているわけでもなく、それだからといって、各エピソードがさほど高揚することなく、ただただ凡庸にカメラが遊女を覗く。  そして犯罪的なのは、所々流れる不釣合いの「音楽」だ。ぬるい、ぬるすぎる。  吉原から流れ着いた、最下層の「遊郭」のはずだが、こざっぱりとしていて「綺麗」過ぎる。貧しさがまったく感じられない。  不幸が故に、見栄を張る遊女たち。しかし、見栄を張るほどに生活が荒んでいるようには感じられない。  いらない、いらない、エンディング近くに空を流れる取って付けたような「流れ星」  さて、海はいったい何を見ていたのだろうか・・・。
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[003]セッション9
 おやすみsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
映画「セッション9」思わせぶりな音楽、期待を煽るカメラワーク、しかし何も起こらない。主演者達の顔が同じ。  寝た。
  
 
[004]不思議惑星キン・ザ・ザ
 クーsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 キューブリックのようでもあり、テリー・ギリアムのようでもある。はたまた、マカロニウェスタン風味もあり・・・。  とにかく「クー」である。
  
 
[005]カスパー・ハウザーの謎
 純粋無垢samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 この題材を、あの監督が撮ったのなら面白くないはずがない、といったヘルツォークの「カスパー・ハウザーの謎」である。18世紀初頭、今でいうドイツのとある街、カスパー・ハ・・・
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 この題材を、あの監督が撮ったのなら面白くないはずがない、といったヘルツォークの「カスパー・ハウザーの謎」である。18世紀初頭、今でいうドイツのとある街、カスパー・ハウザーと名のる奇妙な青年が、左手に手紙、右手に帽子を握りしめて、ポツネンと立っているところを発見された。彼は、物心つく前から地下牢に鎖で繋がれ、外の空気にふれることなく、自分以外の人間が存在することすら知らずに、成長を遂げていた。身体の発達も著しく低い彼は、歩くことすらままならない。  ある日、彼は黒ずくめの初老紳士に、牢から解き放たれ、歴史に顔をだすのである。彼は物好きな金持ちやらに好奇の的となり、過去の月日を取り戻してゆくのである。さまざまな憶測が飛んだ。どこかの皇室の後継者であり、跡目争いの犠牲者ではないのか。または、これを苦笑しただの乞食、野生児だとかと、現代でも謎のままである。ヘルツォークの「カスパー・ハウザー」は、孔子の性善論さながらの、純粋無垢で誠に正直者として、驚異的に社会に適応してゆく。それはもう驚くべき進歩ある。潜在的に秘めたるモノを持っていたが如く、ピアノを奏でるまでに至る。しかし、彼にとってそれらは忌々しくもあり、決して幸福なものではなかった。一条の灯りもない、地下牢こそが彼のアイデンティティなのである。  そして、とても興味深いのは、ハウザーには教会の賛美歌や牧師の説教などが、悲しみの嘆きの悲鳴にしか聞こえないのである。彼にとって宗教や、神の概念は、どうしても理解できない不条理として横たわっているのだ。「もし、神様がいるのならば、わたしは間違ってこの世に落ちてきたのだ」印象深い一言ではないか。  そして、ハウザーは夜の夢にのみ、酔うのである。  ヘルツォークの清潔な演出は、繊細であり、私を魅了して止まない。
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[006]ノスフェラトゥ
 阿鼻叫喚samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 阿鼻叫喚さながら、口は大きく開かれ、目を剥いたおぞましいミイラが延々と映しだされる。ヘルツォークの「ノスフェラト」の冒頭である。そして、コウモリのスローモーション・・・
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 阿鼻叫喚さながら、口は大きく開かれ、目を剥いたおぞましいミイラが延々と映しだされる。ヘルツォークの「ノスフェラト」の冒頭である。そして、コウモリのスローモーション。それらは、美女イザベル・アジャーニの悪夢である。嫌な予感がする。セムシ男に急き立てられ、夫がドラキュラ亭へ赴くと云うのだ。誰もが恐れおののくドラキュラ亭へ、旅中幾人モノ忠告も聞かず、またその悪噂をせせら笑い、強靱な或いは異常なまでの意思でドラキュラ亭の門を叩くのである。ここで、ミステリーやオカルト映画のルールとも云える、出し惜しみ出し惜しみの恐怖、これも一切無く、いきなりのダムの崩壊よろしく、ドラキュラ演じるキンスキーのご登場である。もう、これは冒頭のミイラ映像など霞んでしまうくらいに怖い。善玉であるか悪玉であるか一目でわかる、キンスキーワールドである。あとは特に書くことも無し、大量のペスト(鼠)と共にアジャーニ嬢の街へとドラキュラ来る。瞬く間に、集団ヒステリーと柩地獄である。この映画、キンスキーの怖さのみ。
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[007]悦楽共犯者
 デジャヴsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 ヤン・シュワンマイエルの「悦楽共犯者」は、どう考えてもありえない話なのだが、デジャヴをおぼえる。私の潜在意識下のフェティシズムをそこにみているようだ。だからといっ・・・
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 ヤン・シュワンマイエルの「悦楽共犯者」は、どう考えてもありえない話なのだが、デジャヴをおぼえる。私の潜在意識下のフェティシズムをそこにみているようだ。だからといって、決して不快なわけでえはない。 演者の悦楽にシンクロし過剰なまでの「瞳」の視線に、酔いしれアンダーワールドへと誘(いざな)われてゆくのである。シュワンマイエルの本骨頂、コマ撮り職人芸が贅沢に跋扈して、エロティズム、残虐描写すらも美に召喚される。一切の台詞を放棄することで、音楽がもたらす効果は絶大で沈黙の必然をみる。ディープな笑いに虜になり、異常な暗黒への下り階段は、それはもう快適、居心地が良い。
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[008]カルラの歌
 静寂samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 ケン・ローチの演出は、それが演出されていることを意識させない。それが、映画であることすら忘れてしまうぐらいである。完全に神の視点から個性を殺し、ドキュメンタリーさ・・・
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 ケン・ローチの演出は、それが演出されていることを意識させない。それが、映画であることすら忘れてしまうぐらいである。完全に神の視点から個性を殺し、ドキュメンタリーさながら自然な映像で綴られる「カルラの歌」は、一遍の詩の如く、シナリオが置いてきぼりの感が些かあるが、イコライザーは波を打つことなく上質のリアリティーをつきつけられる。そこで、忘れてならないのがキャラクターに息吹があることである。 非常に丁寧に人物をたたせている。もちろん欠かせないのは、ロバート・カーライルの器用な演技である。存在感を抑えながらの喜怒哀楽。名優だとか、熟練だとか、そういったものについてまわる嫌みがない。真の名演とは、努力を感じさせないモノである。「カルラの歌」この素材は、はイコライザーを波たたせ得る娯楽要素は満載であると思うが、ケン・ローチは高尚的平凡にとどめる。
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[009]コブラ・ヴェルデ
 刹那samurai83 (Mail)2004-11-18
 
ヘルツォークの「コブラ・ヴェルデ」におけるキンスキーを取り巻く空気、キンスキー自身は不可解である。孤独を愛するが如く、刹那的であり、しかし盗賊である彼はいつも焦点定・・・
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ヘルツォークの「コブラ・ヴェルデ」におけるキンスキーを取り巻く空気、キンスキー自身は不可解である。孤独を愛するが如く、刹那的であり、しかし盗賊である彼はいつも焦点定まらず遠くをみている。街では蜘蛛の子を散らすように恐れられ、唯一の理解者はフリークスである。フリークスは吟遊詩人さながら旅を説き、雪を語る。キンスキーこと「コブラ」は旅果て王国にたどり着くのだが決して好意的には迎えられない。たったひとりの「コブラ」に王国はたじろぎ、恐怖さえおぼえる。あまりにも貧弱な王国ではないか。持て余す「コブラ」は奴隷管理の命で土人の国へと追いやられる。「コブラ」にしてみれば、或いは白人支配者は「黒人」を家畜以下にしか映らない。家畜は歌い、家畜は踊る。一定して掴み所のない「コブラ」の自己防衛概念は破戒され暴走する。自分も知らない、誰も知らない、悲しい男の物語である。
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[010]ドッペルゲンガー
 芥川、芥川に会うsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 芥川龍之介が、奇妙ならくがきを残している。ドッペルゲンガーを示唆するような絵である。芥川は、自分の分身を見てしまい、死んだといった噂もある。もちろん眉唾なはなしで・・・
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 芥川龍之介が、奇妙ならくがきを残している。ドッペルゲンガーを示唆するような絵である。芥川は、自分の分身を見てしまい、死んだといった噂もある。もちろん眉唾なはなしであるが、らくがきは不気味さを放っている。  黒澤清の「ドッペルゲンガー」は、己のシャドウとの葛藤である。心理学でいうところのシャドウとは、自分の中のもっとも忌み嫌う人格の投影である。つまり、自分にとって苦手・嫌いな人間というのは、実はそこに自分を見ているのである。潜在下のシャドウは、悪魔的に本能の赴くまま「行動」する。本人は、その「行動」に嫌悪するが、ドッペルゲンガーを黙認せざるおえない。そして、末路は決して喜ばしいものではない。  現世に、自分は二人はいらないのである。
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[011]ラスト サムライ
 荒唐無稽samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 よせば良いのに、「ラスト・サムライ」を観てしまった。くだらないであろうことは重々承知していたが、くだらないどころの騒ぎではない。維新直後の日本人は、すっかり土人扱・・・
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 よせば良いのに、「ラスト・サムライ」を観てしまった。くだらないであろうことは重々承知していたが、くだらないどころの騒ぎではない。維新直後の日本人は、すっかり土人扱いである。アングロサクソンにおけるネイティブアメリカン・インディアンへの偏見と文明人として蔑む眼差し、どうもアメリカ人はこういった横柄な悪い癖があるようだ。  どう考えても維新直後の日本に、全身を鎧兜をまとい、銃器を用いず、弓矢や槍で肉弾戦を仕掛けてくる武士はいない。遡ること、700年くらい「楠木正成」の体の太平記の世界だ。「ダンス・イズ・ウルブス」のように、ご都合よく大きな勘違いで、日本武士道を持ち上げている。  だいたい、武士道の経典などない。自然発生的なモラルである。あと付けで、山本常朝の「葉隠」や新渡戸稲造の「武士道」が著作であるくらいで、どちらとも、武士の理想・日本人「的」なものをあらわした書物でしかない。フィクションを前提として、観賞しても不快でしかない。  まったくどうして多数の日本人は、こんな映画を有難がるのだろう?  理解に苦しむ。
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[012]阿修羅のごとく
 阿修羅不在samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 森田芳光が、またやってしまったようだ。「家族ゲーム」「(ハル)」が好きで、注目していた監督なのだが「模倣犯」でくだらなさの極めを見て、怒り沸騰して見切りをつけていた・・・
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 森田芳光が、またやってしまったようだ。「家族ゲーム」「(ハル)」が好きで、注目していた監督なのだが「模倣犯」でくだらなさの極めを見て、怒り沸騰して見切りをつけていたはずなのだが、どこかまだ信じていたのだろう、「阿修羅のごとく」を豪華な出演連にも誘われて、ビデオで鑑賞した。結論から云うとこんな酷い映画は無い。まず、原作・脚本がいけない。男尊女卑をあるていど肯定している私でも、忍耐を美徳とする女性人が、「耐え」過ぎている。これじゃあ、フェミニストが怒るまえに私が怒る。「父の浮気」これを柱として、四人姉妹の各エピソードが綴られるのだが、笑えないくらいに「不幸」をそれぞれ抱えている。それを大した「不幸」だと自覚していない姉妹達は、愚かでしかない。もちろん、ラストまで救いはない。女性は、亭主の浮気を知っていながら、波風立てず、耐えてこその美学だ。等と、勝手にハッピーエンドにもっていく。何一つ、スッキリしない終わり方で、非常に後味が悪い。  演出に関しては、森田らしい絵なのだが、如何せんテーマが「女性の忍耐」これに終始しているので、森田独特の「無機質」な映像は、なんの効果ももたらさず、空虚に空回りしている。仲代達也のページ3枚にも満たないであろう、セリフ・演技は、犯罪的ですらある。  森田のブランド力が無ければ、恐らくこれだけの俳優を集めることは不可能であろう。まったくもったいない、宝の持ち腐れである。  やや見るところを挙げるなら、三女のエピソード「中村獅童」「深津絵里」の怪演くらいである。
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[013]ユメノ銀河
 退屈の退廃samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 「夢野久作」原作の映画を、よせばいいのに、暴走する石井聡互監督が撮っている。タイトルは「ユメノ銀河」とされていて、一応「少女地獄」を原案としている。はっきり云って・・・
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 「夢野久作」原作の映画を、よせばいいのに、暴走する石井聡互監督が撮っている。タイトルは「ユメノ銀河」とされていて、一応「少女地獄」を原案としている。はっきり云って、こういう映画は退屈で卑怯である。原作が幻想的で、わけがわからないのに、映像でさらにわけのわからないものになっている。全編をモノクロで覆い、現実的なものから逃避していて、セリフもボソボソと高揚のないつぶやき終始。ストーリーなんてものは、元の原作からして、わけがわからないのだから、限りなく無いに等しい。だから、こちらがどう解釈しようが勝手なのだが、実験映画的な遊びもなく、懇切丁寧にわけがわからなくそのまま撮っているから、否の打ちようもなく、ただただ退廃的な退屈な映像の垂れ流しである。良いところなど見つけようも無い。  乱歩にしても、久作にしても、映像化されて報われたためしがない。やや面白いものを挙げるとしたら、「つげ義春」の世界を忠実に再現した、石井輝男の「ねじ式」だろうか。
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[014]HERO
 色彩samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 チャン・イーモウの「英雄」を観た。この映画のコピーは「壮大なスケール」「多様なCG」「ワイヤーアクション」であるようだが、そんなものに魅かれるものはまったくない。や・・・
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 チャン・イーモウの「英雄」を観た。この映画のコピーは「壮大なスケール」「多様なCG」「ワイヤーアクション」であるようだが、そんなものに魅かれるものはまったくない。やりすぎのワイヤーアクションは陳腐ですらある。あと、蛇足が多すぎて締まり無く間延びしている。細かいことを言い出せばキリがない滑稽な、シーン、台詞は多々ある。  しかし、想像していたよりも意外に良かった。スケールは、むやみやたらに大きいのだが、ストーリー・構成はとてもシンプルだ。この手の映画は膨大な原作を詰め込み、キャラクターがまったく見えてこない凡作に陥る作品が多いが、「英雄」はシンプルなエピソードに留め、欲がみえないのがいい。そえぞれのエピソードを、極端な原色わけしてあり、これは冒険であろうが、唯一そこにいいものをみつけた。
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[015]わたしのグランパ
 懲りない演出者samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 この間、ATGについて書いたものだから、寺山修司の脚本でありながら、少年のセンチメンタルを救い無くドロドロに描いた、嫌悪下品映画「サード」を撮った監督「東陽一」の新・・・
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 この間、ATGについて書いたものだから、寺山修司の脚本でありながら、少年のセンチメンタルを救い無くドロドロに描いた、嫌悪下品映画「サード」を撮った監督「東陽一」の新作「わたしのグランパ」を、よせばいいのに観てしまった。原作は「筒井康隆」であるらしく、これはおそらくおもしろいのものと推測するが、「東陽一」はまったく懲りておらず見事に駄作に仕上げている。まったく不思議なくらい東陽一の手に渡れば、どんな素晴らしい素材でも、纏まりの無い憤慨映画に変換される。  「わたしのグランパ」各エピソードは、とても興味深いものばかりなのだが、どれもこれも中途半端に無理やり詰め込んだ感があり、本筋を脱線させてまでも挿入する必要性がどう考えてもわからない。わからないから、陳腐以外の何ものでもない。先ほど「本筋」と云ったが、本筋もなにを柱にしてあるのか、これも相当怪しい。延々と生ぬるい人間活写を見せられ、エンディング近くに少女がSF浮遊するシーンがあるが、あまりの荒唐無稽さに殺意すらおぼえた。誰か周りに止める人がいなかったのだろうか。  劇場で公開されたというのだから信じられない。
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[016]グローリー
 奴隷の末裔samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 かつて「人間」が奴隷として売買され、又は強制に奴隷扱われた時代があった。アメリカにおける黒人である。リンカーンが奴隷解放を謳って、南北戦争という不毛な闘いがあった・・・
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 かつて「人間」が奴隷として売買され、又は強制に奴隷扱われた時代があった。アメリカにおける黒人である。リンカーンが奴隷解放を謳って、南北戦争という不毛な闘いがあった。北軍によって、初めて銃を取った黒人、黒人のみで組織された軍部隊。これを濃厚に描いた映画に「グローリー」というのがある。強固な城塞に、ただただ突撃という安易で冷徹な作戦が遂行される。我が国における「旅順」の地獄絵図と重なるその作戦は、第一突撃隊として城塞撹乱を目的とした言わば死を覚悟した突撃である。もちろん、味方からの援護射撃などない原始的な突撃作戦である。自ら士気高らかと死地に赴く「黒人」を、勇敢な獅子として描かれてある。  だがしかし、「奴隷」といった制度が無くなっても、「差別」は忽然と残っている。「差別」も色々だが、黒人は黒い。いくら生活が向上しようと、名誉を得ようと、黒いものは黒い。しかし、黒いことをポジティブに開き直り、一つのカテゴリーに分類されるカルチャーを作りえた「黒人」に、私は尊敬の念すら覚える。  日本に未だにある多種の「差別」は、肌の色が違うわけでもなく、表向きは無くなったかのように思うかもしれないが、「差別」の火は今もまだネガティブに燻り続けているようだ。   時代は21世紀である。ナンセンスな陰湿極まりない「差別」をそろそろ払拭できないものだろうか。
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[017]レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード
 メキシコのサボテンsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 メキシコについて漠然とあるイメージは、「テキーラ」「砂と汗」「サボテン」「マカロニウェスタン」「サム・ペキンパー」「犯罪者の国境」といったところで、正直あまり私は・・・
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 メキシコについて漠然とあるイメージは、「テキーラ」「砂と汗」「サボテン」「マカロニウェスタン」「サム・ペキンパー」「犯罪者の国境」といったところで、正直あまり私は好まない。何故といってハッキリとした理由はないのだが、生理的に嫌悪するとしか言いようがない。もちろん映画に関してだが名作も多数ある。しかし「メキシコ」を舞台とした映画というだけでマイナス点になってしまう。  ロバート・ロドリゲス監督「レジェンド・オブ・メキシコ・デスペラード」は、アイデアに満ちている。私はこの作品のシリーズ一作目を、大真面目に鑑賞して度肝を抜かれた思い出がある。B級映画エッセンス満載なのである。多少の予備知識、免疫を得てこの最新作に挑んだのだが、またもや「ヤラレテ」しまった。タランティーノを思わせる、クールな殺人の応酬、香港映画の専売特許である、突飛で荒唐無稽なアイデア満載のアクション。メキシコ色が暑苦しいが、ジョニー・デップの存在が上手く調和していて、良い意味でメキシコを冷たくしている。  脳みそを空っぽにして、ダラリンと鑑賞した。
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[018]サンタ・サングレ/聖なる血
 呪縛samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 くだらないブラックジョークで、「世界で一番幸せな人は誰?」「それは自分が世界で一番幸せだと思い込んでいる精神異常者」というのがある。結局、虚構の中でしか、完全な幸・・・
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 くだらないブラックジョークで、「世界で一番幸せな人は誰?」「それは自分が世界で一番幸せだと思い込んでいる精神異常者」というのがある。結局、虚構の中でしか、完全な幸福など得られない。  アレホンドロ・ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」の中で、幼き頃に深いトラウマを負って心を閉ざしてしまった「フェニックス」を、知恵遅れの子供らが取り囲むシーンがある。知恵遅れの子等は、恍惚と幸せな顔をしている。或いは、世界で一番幸せな子等なのかもしれない。  人は日常において、いったいどれだけの自由を獲得しているだろうか?「フェニックス」は、母の呪縛から逃れられないでいる。エディプスコンプレックスを克服していない彼の中で、母はまだ死んでいないのである。因果応報の如く、両腕をなくした母、母の両腕は「フェニックス」である。母の腕と成り果てた「フェニックス」に自由などなく、悪魔的に母の支配の下におかれ、次々と罪を重ねてゆく。  彼が真の解放をみるには、母と決別しなければならない。母を殺さなければならないのだ。  私にとっての母も、私の中では死んでいる。人はそうやって自立し、束縛から逃げえるのではなかろうか。時として、人は束縛を求める。それはあまりにも自由というものが、孤独を伴うものであるからだ。  さよならだけが人生である。
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[019]es [エス]
 ドイツ軍人賛美?samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 人間は大きく二つに分けられる。服従する人間と、統治する人間である。国家という単位で考えてもこれは当てはまるだろう。それは宗教であろうと、共産主義であろうと、例外な・・・
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 人間は大きく二つに分けられる。服従する人間と、統治する人間である。国家という単位で考えてもこれは当てはまるだろう。それは宗教であろうと、共産主義であろうと、例外なくである。  「es エス」という映画は、この縮図を医学的に実験の試みを敢行する。ランダムに選ばれた庶民に、囚人役と看守役とに分けて「潜在意識化の衝動」を十四日間監視するというものである。都合よくも、実験三日目あたりから被験者たちは理性を失い、本能を露にして「人格」は崩壊してゆく。この短期間においての地獄絵巻は、私には理解しがたいものがある。これはただの実験であり、十四日後には被験者は相応の報酬を得ることを前提に参加しているのである。映画の中に「自己」を破壊するほどの、条件を私はみつけることができなかった。ただただぬるい「バトル・ロワイル」を、少しばかり意識させ、私がこの映画から見出せた教訓らしきものは「ドイツ軍人」は優秀であるといったことくらいだ。  私的な見解だが、たかが十四日間の小さな地獄くらいなら、人間は犬畜生を演じることが可能であると思う。  この映画の脚本は、大袈裟であり些か滑稽でもあった。
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[020]アポロンの地獄
 オイディプスの地獄samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 フロイトの提唱した「エディプス・コンプレックス」の語源となった、オイディプス王の悲劇を「アポロンの地獄」なるタイトルで、パゾリーニが映画化している。映画の冒頭は現・・・
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 フロイトの提唱した「エディプス・コンプレックス」の語源となった、オイディプス王の悲劇を「アポロンの地獄」なるタイトルで、パゾリーニが映画化している。映画の冒頭は現代であり、ラストも現代で締めくくられる。オイディプスの悲劇は、全盲のまま放浪し旅は果てることなく、永遠と続くまさに「地獄」なのである。鬼才パゾリーニは、「悲劇」を悲劇のまま終らせようとしない。「悲劇」は昇天し「地獄」へと貶めて、オイディプスの断罪に無限を背負わせるのである。  パゾリーニ独特の映像美で、この悲劇を「地獄」として描いているのだが、要所要所にやや不満が残る。オイディプスが王の座に着くきっかけとなった、悪魔的な象徴である怪物スフィンクスを退治するくだりが、ほぼワンカットしかない。また、オイディプスが自分の出生の秘密に気がつくのが遅すぎる。もしくは感づいているのだが、あえて真実から逃げているのか、どうも人間の細かい心理描写の演出が荒いのが目立つ。  しかし、パゾリーニにとってそんなことはどうでもよかったのだろう。「悲劇」を「地獄」へ、終始これに執着しこだわった結果だと思えば、パゾリーニのサディスティックを十分に堪能できる。
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[021]天井桟敷の人々 第一部:犯罪大通り 第二部:白い男
 盲目恋愛症候群samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 クラシックの名作とタイトルだけは有名で、ずっと観なければならないと思っていた、「天井桟敷の人々」を観た。あまりにも期待しすぎていたので、その期待は大きく裏切られた・・・
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 クラシックの名作とタイトルだけは有名で、ずっと観なければならないと思っていた、「天井桟敷の人々」を観た。あまりにも期待しすぎていたので、その期待は大きく裏切られた。男心を逆なでするセリフばかりで、イライラさせられるばかりであった。確かに、バローのパントマイムは見事であった、絵作りも素晴らしい。しかし、ストーリーを前面に押し出している映画なので、物語に入り込めなければ何も意味をもたない。  どうも私はこの類の、メルヘンメロメロ盲目恋愛映画は、性に合わないらしい、「カサブランカ」のボギーに共感できなかったのと同じが如く。
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[022]DEAD END RUN
 煙の舞samurai83 (Mail)2004-11-18
 
  どうも「石井聡互」は、観客を煙に巻くのがお好みらしい。「デッド・エンド・ラン」は、オープニングのカメラは軽快な音楽と共に疾走する。この疾走感は「石井聡互」の真骨・・・
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  どうも「石井聡互」は、観客を煙に巻くのがお好みらしい。「デッド・エンド・ラン」は、オープニングのカメラは軽快な音楽と共に疾走する。この疾走感は「石井聡互」の真骨頂である。否が応でも期待は膨らむ、が、やはり寸でのところで肩透かしをくらう。まったく食わせ者である。  一応、三つのエピソードからなる物語は、ストーリーを無視している。ストーリーどころか、物理的なもの、時の流れをも完全無視の体である。  3人の男は、「何か」から逃走している。その「何か」を検証するのはナンセンスなので、想像は放棄してしまったほうが良さそうだ。目に映るもの、聞こえるものを素直に「体感」すればそれで充分に事足りる。  特に、一つ目のエピソードの、死んだはずの女がバレエを舞いながら一人ミュージカルを始めるくだりは、鑑賞している私も当惑するが、笑わせるのは彼女を殺害した出演者も「何、歌ってんだよ?」と当惑するのである。この掟破りなシュールな展開にノッケから、私は心地よくヤラレタ。  しかし、そろそろストーリー性のあるものを「石井聡互」に撮ってもらいたいものだ。  この疾走感溢れる、実験的「逃走劇」が、次の作品の布石になることを期待したい。
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[023]マルホランド・ドライブ
 非・常識samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 映画を製作する上で様々な制約がある。それは、スポンサーとの折り合い、素材としての俳優、原作にインパクトのある脚本、フィルムの枠、スケジュールの確保、予算の制限、等・・・
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 映画を製作する上で様々な制約がある。それは、スポンサーとの折り合い、素材としての俳優、原作にインパクトのある脚本、フィルムの枠、スケジュールの確保、予算の制限、等等。 「マルホランド・ドライブ」におけるデイヴィッド・リンチに関して、いったいどれだけの制約があっただろうか。また、どれだけ自由でいられただろうか。  便宜上、何の制約も無く自由に演出したものと仮定する。その上でもデイヴィッド・リンチは、自身演出脚本のこの作品を「解説」することは出来ないであろう。あたかも難解なサスペンスミステリーの体を装っているが、「常識」の眼鏡でいくら覗いても 答えは見つからない。それは確信犯的に「解答」などどこにも無いからである。厄介なのはそこである。それこそがデイヴィッド・リンチの仕掛けたトラップなのである。  シナリオの進行がアバンギャルドでは無いため、一見このパズルは解けそうだと「思考」を試みさせられるのだ。  そうした「思考地獄」の果てに、掴めるものなどあろう筈がない。それほどデイヴィッド・リンチは親切ではないのだ。  デイヴィッド・リンチに「常識」を求めることなかれ。
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[024]シックス・ストリング・サムライ
 罪深き確信犯samurai83 (Mail)2004-11-18
 
 なんでもかんでも詰め込めば良いってもんではない。「アメリカン・グラフティ」のDJウルフマン、「ウォーリアーズ」のチーム追っかけ合戦、「デスペラード」の音楽と武器とし・・・
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 なんでもかんでも詰め込めば良いってもんではない。「アメリカン・グラフティ」のDJウルフマン、「ウォーリアーズ」のチーム追っかけ合戦、「デスペラード」の音楽と武器としてのギター、「マッドマックス」の世紀末感、日本のチャンバラ、香港カンフー、と「シックス・ストリング・サムライ」はマニアック満開だがこれがまったくつまらない。  特に餓鬼のぬるい存在は、致命的である。やはりこういった確信犯的なB級映画は、監督の手腕・感性を問われる。  確信犯B級映画の鬼才クエンティン・タランティーノには遠く及ばない。
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[025]桂子ですけど
 若いは恥ずかしいsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 28年間生きてきた私を、完全に説明するのに28年間分の時間を要するだろうか。しかし、私は約28年間のうち三分の一眠っていた。では、28年の三分の二の時間ではどうだろう。し・・・
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 28年間生きてきた私を、完全に説明するのに28年間分の時間を要するだろうか。しかし、私は約28年間のうち三分の一眠っていた。では、28年の三分の二の時間ではどうだろう。しかし、私は産まれた時の記憶が無いし、3年前の9月30日に食べた食事も憶えてはいない。つまり私は私を完全に説明することは不可能なのだ。過去は都合よく改竄されていたり、私の過去は私の嘘ではないと誰が証明できるであろうか。  28歳の私は、28年の中の極わずかな「記憶」で形成されている。  園子温監督の「桂子ですけど」は、空虚な時間の経過を克明に記録する試みである。22歳、女性「桂子」の日常は退屈であると共に、一時間の記録も退屈極まりない。  若さとは退屈である。若さとは自己啓示欲の塊である。そして、若さとはとても恥ずかしい。  「桂子」のアリバイは、極一部フィルムに記録された。フィルムの中の「桂子」は永遠に不変である。フィルムの中の「園子温」は、永遠に恥ずかしい少年である。 
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[026]チェ・ゲバラ−人々のために−
 「チェ・ゲバラ」の核なるものsamurai83 (Mail)2004-11-18
 
 革命の専売特許は、実は「左翼」である。言い換えれば「共産主義者」といってもいいだろうか。右翼の定義は難しいが、「三島由紀夫事件」や「226事件」と例外もややあるが・・・
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 革命の専売特許は、実は「左翼」である。言い換えれば「共産主義者」といってもいいだろうか。右翼の定義は難しいが、「三島由紀夫事件」や「226事件」と例外もややあるが、基本的に「右翼」は保守派である。保守派に民衆を血に染める野蛮な革命など皆無に等しい。右翼の精神は「一殺多生」である。  共産主義の名の下に、これまで民衆の粛清大逆殺が行なわれてきた。ロシアのスターリン、中国の毛沢東、日本赤軍、等等。  しかし、「チェ・ゲバラ」を、そういった共産主義者と一括りしてしまうのは些か違和感を感じる。「チェ・ゲバラ」は戦士であったが、単純な共産主義とは一線を画するものである。時には冷酷であったが、望む理想郷はとても切実なものであった。  しかしながら、やはり共産主義思想を核とする「革命」は、忽然と矛盾を孕んでいることは、日を見るよりも明らかであった。  ドキュメンタリー映画「チェ・ゲバラ」のラストシーンは、ゲバラのやせ細った死体をありとあらゆるカットで撮られている。それは悲劇などというものを超越している。  私とは思想理念は異なるが、この勇敢で求道的な革命家に尊敬の念を抱いた。
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[027]スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする
 共犯者samurai83 (Mail)2004-11-16
 
何かしら人は過去を引きずっている。そして、過去は自分自身の嘘として容易に改竄できるものである。  深いトラウマによって心を病んだデニスは、少年時代の忌まわしい過去に・・・
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何かしら人は過去を引きずっている。そして、過去は自分自身の嘘として容易に改竄できるものである。  深いトラウマによって心を病んだデニスは、少年時代の忌まわしい過去に決別できないでいる。  父は母を殺した。母は畑に埋められている。父は下品な娼婦を娶った。大人となったデニスは、少年時代のデニス自信の目撃者となり、克明に手帳に虚構を書き綴る。書き記すことで、虚構に息吹を吹き込むのである。現実過去、デニスを癒すのは部屋中に張り巡らされたロープによる蜘蛛の巣の結界。複雑に絡み合う蜘蛛の巣は、自分自信の心の闇の投影である。  クローネングバーグ監督の腰を据えたアナログな演出は、恐ろしいほどのリアリティに溢れている。主人公の過去を主人公と共に覗き見させられる。つまり、そこはかとなく主人公とシンクロするのである。  そして、クローネンバーグに付き放たれた時、デニスの父の真実の涙に、我を取り戻し戦慄するのである。  見事クローネンバーグの術中に嵌められた。
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[028]コックと泥棒、その妻と愛人
 サディズム賛歌samurai83 (Mail)2004-11-16
 
 ストーリーは至って簡潔である。主人公のアルバートは至極単純に鬼畜である。アルバートの残虐ぶりは不思議と嫌悪感を伴わず、隙のない圧倒的な個性に、カタルシスを覚えるく・・・
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 ストーリーは至って簡潔である。主人公のアルバートは至極単純に鬼畜である。アルバートの残虐ぶりは不思議と嫌悪感を伴わず、隙のない圧倒的な個性に、カタルシスを覚えるくらいである。  活字中毒者のマイケルとアルバートの妻ジョージーナとの情事こそやりきれなく不快感を覚える。日常を破壊するほどの勇気もなければ覚悟もないマイケルに、果たしてどこに魅力があるであろうか。  冷酷きわまりなく、下品この上なく、傍若無人に振舞うアルバートこそ魅力的であり、自己の潜在的なサディズムをそこに見つけるのである。  だからこそ、最後にコックの腕をかけたマイケルの人肉料理を、ジョージーナが「マイケルを食べなさい」と拳銃を突きつけても、アルバートは平然とマイケルを食さなければならなかったのである。  しかし、アルバートは手を震わせ嘔吐し、やっとマイケル人肉料理をを一口口にしたところで、アルバートはジョージーナが発した銃弾で即死するのである。  所詮、アルバートも血の通った普通のか弱い人間であったのだ。  余談だか、グリーナーウェイの映像は絵画のようである。カメラワークやカット割り、そして照明など技巧的なものには殆ど頼らず、引きの長まわしのカメラのおかげで、人物の表情や精細な小道具の詳細が非常に解り辛い。  それに相反して、食堂の赤の基調、厨房の薄青い基調、トイレの真っ白な基調がより際立って、見事な様式美を確立させている。  それらがすべて監督の意識したものであるかはわからないが、不親切な映像は素材を十二分表現することに成功している。  私は、この二時間の悪夢でお腹がいっぱいである。
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