allcinema ONLINE オールシネマ 映画&DVDデータベース
検索オプション

 
 
  コメント題 投稿者 投稿日
ミリオンダラー・ベイビー」に対してのコメント
  浅くて薄い 幸村和 2010-08-04
  【ネタバレ注意】
なんでしょうね。この人は自分が俳優として出てしまうとカッコよく魅せたいという色気が出てしまうんでしょうかね。その時点でカッコよさから遠ざかってしまうんですけどね。C.イーストウッドのことですけど。 これまでブラッド・ワークやグラン・トリノ、そして本作と3作品を観ましたが、このイーストウッドが俳優として出る作品はどれもなんだかなあ…感が漂う。 本作でもグラン・トリノの時に感じた違和感がそのままあって(時系列ではこの後にグラン・トリノなんだけど)この人の作品っていっつもこうなんだろうかと思ったり。 その違和感は主要登場人物が孤独であったり、貧困であったり、生きるのに不器用であったりと、わかりやすく同情を引く存在であることに対し、その人物を作り上げてきた土台の部分、つまり生い立ちや環境、人間関係になるととたんに不可解になってくるところで特に感じる。 本作でも、なぜか娘から拒絶されている孤独な老トレーナー、フランキー(イーストウッド)、そしていくら尽くしても家族からちっともありがたがられない貧困家庭の娘マギー(ヒラリー・スワンク)が登場。娘に至ってはなんでこんな姿になっても家族からかような仕打ちを受ける?とハテナマークしか頭に浮かばない。たまたまこのような無慈悲極まりない人間が家族として集結してしまったのか?そしてそんな孤独で心と体に傷を負った二人が強いきずなを結ぶってのもどうにもわかりやすい話だ。 ジムでは発達障害者らしき青年デンジャーも登場する。印象的なキャラクターで人間ドラマ風に展開されるけどマギーとの絡みはほとんどない。 そもそもデンジャーを含むジムの仲間もそう。彼らは鼻で笑っていたマギーの快進撃やそのあとの悲劇をどうとらえていたのか。ジム内のメンバーの話は物語の軸に影響も及ぼさないエピソードのように平行して描かれているだけ。 同じスポーツで成功を志す者として、彼女の成功も敗北もなんらかの反応があっていいはず。毎日ジムで顔を合わせていたのに。ましてや、あのような体になっては他人事ではない動揺を感じるのが普通じゃないか。しかしそんな描写も全くない。 彼女にかかわるジムの人間はフランキーとエディ(モーガン・フリーマン)だけ。そして他の人の指摘もあったけど、マギーを殺すに等しい行為をした試合相手はその試合の後、作品から存在を消す。 マギーの世界には元から善人フランキーとエディの二人とそして悪人家族、そして彼女の語る父親しか存在しない。それ以外の人間が全く見えない。というかこの映画は見せない。マギーは引きこもりでもなければ、ましてや性格に問題のある娘でもない。寧ろひたむきにボクシングに取り組み、家族を愛する優しい娘だ。こんなに性格のいい娘が30年以上生きてきてなんで友達もいなければ家族にもないがしろにされる?なんでここまで孤独なんだ?変じゃないか。これって設定だけじゃないか。「孤独な娘であること」という思いつきのような設定だけ。フランキーも同様だ。人間に深みがない。 そしてグラン・トリノの時もそうだったけど、とたんに映画の軸になる話になると周りの人々が姿を消し、物語に都合のよい人間だけが残る。映画としてはこれ以上のわかりやすさはない。でもこんなわかりやすさ、絶対変だ。 前半の絵にかいたようなサクセスストーリーといい、そして後半の涙を誘う展開といい(私は誘われないが)、先に「こんな物語にしたら絶対みんな感動する=売れる」っていう発想があってそれを元に作ったみたいに見える。これ、原作があるみたいだけど原作通りなんだろうか。テーマは一体何だったんだ。なんて薄い物語だ。 尊厳死の問題をこんな娯楽作品にしてしまうのも不快でさえある。しかもラスト姿消しちゃって、モーガン・フリーマンにいかにもカッコよい男であるかのように語らせてるし。何?それ。カッコよくないよ。 まるでイーストウッドの中に「映画が商業的に成功する方程式」があってそれに則って作っただけ、みたいに見える。こういうの凄く嫌だ。 思えばグラン・トリノもそうだった。ますます騙され感が湧いてきた。
  
 

 
 



【スポンサーリンク】



allcinema SELECTION

allcinema SELECTION